守護者
僕がフェリスにつきっきりになるのは、恐らく侯爵家として本意ではない流れだ。けれど、監視の名目で彼と行動を共にする方が、僕にとっては精神的に楽だった。
加えて己を鍛え直すなら、やはり指導者が欲しくなる。ミルカ様が来るまでは後三日かかるという話だったので、折角の機会を無駄には出来ない。
足場の悪い森の中、僕たちは二人で向き合う。
「よし、じゃあ今日もやりますか」
「うん、頼むよ」
僕の課題は動きながらの速射と、それに合わせた付与。近距離よりも遠距離をもっと伸ばすべきとの助言に従い、只管フェリスを的に数をこなすことになった。
フェリスはフェリスで、魔術と体術を組み合わせた受けを練習している。これがなかなか破れない。
「シッ!」
両肩狙いでまずは連射。それから体を相手に向けたまま、円を描くように走り出す。二矢は棒であっさりと払われ、返事とばかりに飛針が宙を走る。危うく太腿を貫かれそうになりながら、懸命に速度を上げた。
「そうそう、それくらいの速さを維持出来れば魔術でも狙われにくい。範囲攻撃を避けるまではいかなくても、的を絞らせないことには意味がある。射手なら解るだろ?」
風術で軌道を曲げた射撃を、地から突き出した石槍が下から貫く。そのまま砕けた石槍が散弾となって僕に襲い掛かる。
「くっ、そ」
防御に回った所為で速度が落ちる。一拍遅れて飛んできた水弾が僕の頭を濡らす。本気なら一回死んだということだ。フェリスは一歩も動いていない。
「前も言ったけど、速さがあっても動きが単調だと先を読まれるぞ。たまに曲がってみたり、いっそ足を止めてみたりと工夫はしても良い。お前は腕がいいんだから、もっと距離を取るというのも手だな」
「でも、距離があると防ぐだろ?」
「そりゃあそうなんだが……今のままだと近くても遠くてもあんまり関係無いからな。それなら戦況を維持出来ることの方が大きい」
なるほど、そういう考え方もあるか。それに、今のままではフェリスの練習にはあまりならない。
不甲斐なさが募るものの、大人しく先程よりも距離を取る。
「じゃあもう一回」
「あいよ、来い」
鏃に火と風を練り込み、今度は初手を強く。フェリスは鉈でそれを弾くも、手を大きく跳ね飛ばされた。
「お、今のはいいね! 続けていこう!」
かなり巧くいった一撃にも関わらず、フェリスは明るく次を求める。クロゥレン家はやはり要求水準が高いのだろう。とはいえ、ここで下を向いてもいられない。求めに応じ、ただの射撃の裏に隠して、火術を乗せた矢を射る。込められた熱気が空気を歪めた。
「付与が早くなってきてるな、上達してる」
お褒めの言葉をありがとう。
陽炎に更に紛れるよう、風術を込めた矢を二発放つ。一発は空へ、一発はフェリスへ。水平と垂直の十字射撃で、ようやく相手がその場を動いた。ただそれは、魔術を使わず数歩で凌がれたということと同義だ。
色々と工夫しているつもりだが、どうにも見透かされている。
「チッ」
連射――僅かな苛立ちが行動を単調にする。三射目で自制心が働き、爆発の付与を込める。しかし、気付きが遅かった。甘くなった攻めを咎めるように、フェリスの棒が僕の足首を払う。
姿勢を崩し、倒れ伏した僕の目の前には棒の先端が向けられていた。
「……参った」
「うん、悪くはない。立ち回りが単調になりがちなところを注意すれば、もっと伸びると思う。付与に関してはこのまま続けて行けば、アヴェイラくらいなら簡単に超えるんじゃないか?」
「アイツの付与は数えるくらいしか見たことがないから、比較しにくいんだよね。というか、使ってるの見たことないよね?」
「無いけど、傷口を見れば付与の出来くらいは解る」
その言い方からして、アヴェイラの付与はそう巧くはないのだろう。ただ、アイツは決定打を巧く当てるために、敢えて効果を抑えている感はある。全力を知らない相手を侮ろうとは思えない。
フェリスはこちらの顔を見て、軽く肩を竦めた。
「まあ信じなくても良い。それでも、格上相手に少しでも通じる技を持つことは大事だ。強度が一万あろうが二万あろうが、手傷を負わせられるなら殺せるってことだからな」
そういう視点でいけば、確かに僕は成長していると言えるのだろう。万が一でも可能性があるのなら、それに縋って戦える。
いずれは僕も――己の強さに引け目を感じずに済むのだろうか。差し出された手を握り、立ち上がる。
「自分に自信を持つことは、まだ難しいですか?」
すると背後から声。この展開は知っている。
まだ気配を感じ取れなかった。
「せめてファラ様の接近に気付けるようでないと、そんな大口は叩けませんね」
「それは失礼しました」
振り向けば、どこか悪戯めいた微笑がそこにあった。ハーシェル家を置いてアヴェイラが動くことはないから、外に出て来たのだろう。
何となく気が抜けて、弓矢を仕舞う。フェリスも苦笑いで、棒を地面に突き立てた。
「ジェスト様の訓練は終わりですか?」
「続けようと思えば続けられますが……何か用があったのでは?」
僕の質問に、ファラ様は首を振る。
「私は単なる休憩です。でも……フェリス君、もしお手隙なら、私とも少し遊ばないか?」
発言に、眉を跳ね上げる。
少し面白そうな展開になってきた。
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普段なら、まずお断りする誘い。ただ、今回に限ってはそう悪い話ではない。
ジェストが訓練に付き合ってくれてはいるものの、アイツの良さが活きるのは遠距離になる。対アヴェイラを想定した場合、やはり近接をこなせる相手が欲しいのは事実だ。
強いて言えば、相手が格上過ぎて練習にならない可能性が高いという懸念はあるが……周囲への影響を考えれば、俺もファラ師もどうせ全力は出せない。毒を撒き散らす訳にはいかないし、木々を薙ぎ倒す訳にもいかない。相手も遊びと言っているし、お互い本気でなければどうにかなるだろう。
唾を飲み込む。
受けると口にしていいのか若干本気で悩み、ようやく声に出す。
「そちらが良ければやりましょうか。……ジェスト、よく見ておけよ。さっきまでのお前と同じような立場に、今度は俺がなるからな」
むしろ、ジェスト対俺の時くらい保たせられるだろうか?
内心首を捻っていると、ファラ師は嬉しそうに笑う。
「ふふ、謙遜だな。でも良かった、私も身を入れて訓練をしたくてね。では、徐々に慣らしていこうか」
「お願いします」
ファラ師が長剣を抜き放つと同時、俺は異能を全開にする。
ジィト兄によれば、ファラ師は高速移動からの突きを主体とした戦法を取るらしい。動きとしては直線的だが、間合いの取り方が絶妙でなかなか捉えられないという話だった。
さて、そんなファラ師の初手は――ゆったりとした前進から始まった。虚を突かれて落ち着かない心を、『集中』が抑えつける。
こちらに向いた剣先が、角度の所為で点にしか見えない。相手の視覚を意識した使い手だ。
静かに間合いが縮まっていく。後一歩――俺は攻めるでも受けるでもなく、ファラ師が踏むであろう地面を真っ平に固めることで対応する。
想定と違う踏み込みにより、ファラ師の突きの軌道が僅かに乱れる。首を傾げ、頬のすぐ横を抜けていく剣を見送った。そのまま鉈で剣を叩き斬ろうとするも、流石にそこは武器を引かれてしまう。
取り敢えずの反撃で放った水弾は、剣の腹で弾かれて終わった。
ふむ……かなり手は抜かれているが、見えなくはない。かといって余裕がある訳でもない。
「うん、アヴェイラなら反撃にまでは至れなかったろうね。大きく避けず、魔術への繋ぎも滑らかだ」
こちらを評価しながら、身を低く沈める。露骨に突っ込んでくる構えを見せるのは、遊びというより指導に近い。
確かに、さっきの一手も受けられる人間は稀有だろう。ある程度手を抜かないと、遊び相手にすら困るようだ。こちらが異能を使っている以上、自分の弱さを否定しかねる。
とはいえ、侮られ過ぎるのも不本意ではあるな。
苦笑を隠しながら、腹の中で魔力を練る。
俺の呼吸に合わせてファラ師の姿がぶれる。見えなくても、直進からの突きならサセットで慣れている。それに、あからさまな殺気が先程と同じ個所を狙っている。
自分から前に踏み込んで、間合いを潰した。切っ先は髪の毛を切り飛ばしながら、頭上を通過する。
俺は手首を狙って鉈を薙ぎ、ファラ師は長剣を手放すことでそれを回避する。そしてそのまま、地面に落ちる前に柄を再び掴み上げた。
噂の『瞬身』かと思ったが、これは違うな。異能ではなく、ちょっと早く動いてみたという程度だろう。
俺達は再び距離を取り、向かい合う。
遠慮されているのなら、今度はこちらから行くか? 丁度試したかったこともある。
ジィト兄の高速移動はファラ師の『瞬身』の模倣であり、自分はあの速度には至っていない、と本人は言っていた。俺はジィト兄の動きですら反応しづらかった訳だが、よくよく考えてみれば、相手が反応出来ない行動に速さは必須だろうか。
認識を誤魔化せれば、対応させないことは可能では?
ということで、思い付きを実行。陽術と陰術を組み合わせ、俺と同じ見た目の虚像を少し離れた所に作り上げる。虚像に釣られてくれれば、本体の攻撃に対する意識が疎かになるはずだ。
目の前の光景に、ファラ師は目を見開く。見た目だけでも驚かせられはするか。とはいえ通用するかは別問題、相手が落ち着く前に攻める。
「ッせい!」
左右から挟み込むように展開し、棒で腕を狙う――と見せかけて、背中を貫くよう軌道を曲げた。ファラ師は虚像の攻撃を避けようとして後ろに飛び、自分から棒に突っ込んでいく。
「い、つうっ!」
「チッ」
当たった瞬間、ファラ師は思いきり身を捻って一撃をいなした。威力を半分以上殺されている。巧くいったと思ったのに、流石の反応の良さだ。
やはり俺の一撃は鋭さに欠ける、ということなのだろう。格上相手だと目一杯工夫しても直撃に至らない。陰術も込めていない以上、背中を強めに押した程度だ。
落胆する俺に対し、ファラ師は爛々と目を輝かせ始める。
「いや、素晴らしい。当てられるなら魔術とばかり思っていたよ」
「お褒め頂き光栄です。ただまあ、ファラ師は縛りが多すぎるかもしれませんね」
相手に対応するべく『観察』を続けているが、ファラ師が異能を使っている様子は無いし、魔術も軽めの身体強化くらいだ。こちらが七割、相手が五割でやっているから、まだ試合が成立しているだけの話。
身を入れた訓練というには、お互い少し足りないかな?
相手を窺えば、もう期待ではち切れそうなくらい、顔が笑っていた。
「いいのかな? フェリス君」
「もうちょっとくらいなら、どうにか付き合えますよ」
「嬉しいことを言ってくれるね。対人戦は相手がいないから困るんだ」
目を細め、ファラ師は自然体で立つ。下ろされた剣に揺らぎは無い。
さて。
棒と鉈を構え、魔力を練り直す。ここから先は、遊び抜きだな。
今回はここまで。
次週は土日に仕事があるため、更新出来ない可能性が結構高いです。
ご覧いただきありがとうございました。