思惑
いやはや、参った参った。当初の予想とは実態が大きくずれている。
フェリス君とハーシェル家を拘束して調査を進めること二日、てっきりフェリス君が余計な色気を出して小銭を稼ぎにかかったのかと思いきや、実際はハーシェル家の妻がとち狂っているというのが真実らしい。
契約を形に残していないのはフェリス君の失態としても、話をちゃんと理解している第三者を彼は押さえていた。当人らにその時の状況を聞く限り、契約を反故にしたのはハーシェル家側だ。サームは言葉少なくいまいち要領を得ないし、セレンは常に猛っていて別の意味で理解し難いものの、少なくとも組合員達の証言に反論出来ていない。
貴族の坊ちゃんがやらかした、さあ稼ぎ時だと思ったのに、首を突っ込んだだけ損な案件に巻き込まれてしまった。
まあクロゥレン家が自主的に侯爵家へ貢献したくなるように出来なくもないが……客観視した時の流れが不自然過ぎる。あくまで常識的な謝礼の範疇に収めなければ、却って他家に隙を見せるだろう。
状況を把握しないままアヴェイラの話に乗ったのは失敗だった。前々から危ういところがあると感じていたが、道理ではなく敵愾心で家を巻き込むとまでは想像しなかった。
昔から、アイツには俺もジェストも苦労させられた。それでも、もう少しでいなくなるんだし、家を出るのなら後腐れなく出て行って欲しいと考えた矢先にこれだ。
今までここで生きてきたのだ、多少は家のことを考えてくれていると思っていた。しかし、次に進む人間には、ここを振り返るつもりは無いらしい。
「やれやれ……」
白湯を啜り、口の中に熱を溜める。
頭を捻る――期待していたほどの利益は得られない。ならば最低限何を求めるべきか?
この局面で金を得ようとしてもあまり意味が無い。クロゥレン家に恩を売れるだけの事件性も無い。まあ、裁きの場には誰かしらクロゥレン家の人間は呼ばなければならんし、それがミルカ嬢であれば嬉しい、というくらいか。
いや、考え方がずれているな。
裁きの結果は動かせない。事実関係がそう言っている。ならば動かせるのはその過程で、出来そうなことは利益の追求ではなく、不利益の排除だ。
そしてこの場合の不利益は……感情で事を進めるアヴェイラだろう。
フェリス君に対し、アイツがどういう感情を抱いているのかは知らない。ただ、普段から狭い視野がより狭まるくらい、ご執心ではあるようだ。
俺が何か手を下すまでもなく、アイツは勝手に暴走する。成すべきは、こちらに被害が出ないよう場を制御しつつ、アヴェイラを侯爵家から切り離すこと。
元より近衛になればフェリス君と同様に、レイドルク家からは離れ独立した道を行くことになる。とはいえ、貴族が家を出る場合、基本的に何らかの地位が確立するまでは、実家での立場を維持するのが普通だ。アヴェイラで言うなら、中央で近衛としての辞令を受けて初めてレイドルク家から抜ける手続きを取る。
実家から出て中央に行って、辞令を受けて、それから本人なり家族なりが国に対し家を抜ける申請をする、と。その行ったり来たりは何なんだと言いたくなるが、まあでもこれはあくまで通例であって、先に家を抜けたって良い筈だ。
何せ今当家には近衛兵の頂点がいる。このまま一緒に中央へ向かうのであれば、先に手続きを進めても不自然ではない。
条件は揃っているな。
近衛として働くことは内定している。ならば何かがあったとしても、そこから先はレイドルク家ではなく近衛兵団が責任を取るべきだろう。
魔獣による被害も少なく、守備隊だけでも充分に武力は足りている。手元に残らない力に執着しても、未練が残るだけだ。
才ならば要る。害ならば要らぬ。
俺が選ぶ道は決まった。
/
拘留はされているものの、特に不自由がある訳でもなく三日が過ぎた。監視がついているとは言え、外出も出来るし行動は制限されていない。ハーシェル家にアヴェイラがついている所為で、無駄な諍いが無いのも大きいと思われる。
罪が確定していない他家の貴族に粗相は出来ないということだとしても、まあ待遇は悪くない。ただ、俺が貴族であるがために、クロゥレン家の人間が来るまで裁きにかけられないという葛藤もある。ウェイン様の話によればミル姉とは接触出来ており、当人の到着はまだかかるとのことだった。
ミル姉が伯爵領から出る前だったのは、まだしも幸いだったと言えるだろう。無駄な時間を使わせてしまうので、あれこれ文句は言われそうだ。
まあでもこれで、こちらの負けは無くなった。まかり間違って侯爵家がハーシェル家側についた時は、俺とミル姉の二人で武力に訴える形になる。その時点で貴族間の争いになるため、部外者であるファラ師は恐らく場から退く。元よりクロゥレン家にもレイドルク家にも命令される立場ではないし、命を懸ける理由も無いからだ。
ひとまずはこれで盤石、かな。
油断はしないにせよ、一応の区切りが見えたことに安堵する。椅子にもたれてぼんやりしていると、扉が叩かれた。監視の交代時間のようだ。
「お邪魔するよ」
「ん、ああ、お疲れ」
顔を出したのはジェストだった。次いで会釈しながら、ファラ師が入って来る。監視役は目配せ一つで静かに出て行った。
さて、意外な組み合わせである。片方ならさておき、揃って俺の様子を見に来るような面子でもない。
これは何かあったか?
「……どんな厄介事だ?」
「人の顔色を判断するんじゃないよ。それに、厄介かどうか判断に困るから、取り敢えず現状を話しに来たんだ」
いやもう、二人揃って来た時点でアヴェイラ絡みだということは嫌と言うほど解る。問題は、それが俺にどう影響するかだ。
半ばうんざりしつつ、俺は先を尋ねる。ファラ師は困惑を隠さないまま口を開く。
「うむ、まずウェイン様が、アヴェイラの離籍を正式に認めた。これにより、彼女は近衛の道へ進むことになる」
ふむ。……遅いか早いかだけで、それそのものは特に不自然ではないように思われる。もうすぐ近衛になるのだから、最終的にはどうしたってそうなる。
――いや待て。籍まで抜いてしまったら、俺と違って侯爵家としての地位を維持出来ない。
「近衛になるために家から独立する、というのは解ります。ただ、籍まで抜くのは一般的なんですか?」
貴族が家を離れ自活する際、家との繋がりを残すなら独立、残さないなら離籍になる。離籍により貴族である事実が消えることはないにせよ、実家の後ろ盾は得られない、ということだ。
ファラ師は周囲の人間がどうだったか思い出しているのか、少し考えてから口を開く。
「抜く人間も少なくはない。近衛になった時点で、家ではなく国への奉仕者になるということだからな。途中で投げ出さないために、敢えて退路を断つ人間は一定数いる。むしろ珍しいのは、正式に近衛としての任命を受ける前に、事を進めた点だな」
一瞬意味が解らず、考える。
……ああ、そうか。内定している事実があっても、正規の手続きが済んでいない以上、まだ近衛ではない。今のアイツは男爵だとかそういった爵位を何も持たない、ただの貴族としか言えない存在だということだ。平民に対する権利は持っていても、爵位持ちの普通の貴族であれば、誰もがアイツより上の身分になる。
通常であればそういった空白期間が出来ないよう、任命を受けてから独立なり離籍なりをするのが普通なのだろう。だが、どうやらウェイン様はアヴェイラを御しきれず、任命前に切り捨てる形を取った。
侯爵家の地位と武人としての才が、アイツの我侭を支えていた。その片足が無くなったと、アイツは気付いているだろうか?
ジェストからすれば、アヴェイラと距離を置けるから良いことかもしれない。ただ先が読めないという意味で、確かに判断に困る事案だった。
「……ハーシェル家の監視はどうなるんです?」
「その問題もある。今回の一件に関して、アヴェイラがハーシェル家の監視をしているのは、あくまでレイドルク家の一員として割り振られた仕事だった。しかし、彼女は近衛になるために離籍してしまったため、今の仕事は本来なら範疇外になる」
「それはそうですね。でも、アヴェイラはそんな話で護衛を辞めないでしょう?」
俺の疑問に、二人は揃って頷く。
「ああ。だからウェイン兄様は、近衛になる前の箔付けとして、監視をまだ続けさせるつもりだ。外注の形だね」
何となく、話の輪郭が見えてきた。表面的には誰の仕事も変わっていないが、実態としては大きく変わる。
俺は顔を顰め、ジェストに問う。
「……これで問題が起きた時、責任の所在は誰になる?」
「そりゃあ、本人だろ?」
ジェストは当たり前の調子で答えた。俺もそうであれば良いのにと思う。
「通常考えればそうだ、けど……多分、俺はファラ師になるんじゃないかと見ている。ファラ師というより、近衛兵団か。ウェイン様がアヴェイラにどう話したかは解らないが、恐らくあの方はアヴェイラをもう国へ預けたつもりだと思うぞ」
二人の顔が驚きに染まる。場違いな感想だと解ってはいるものの、妙に仲良く見える。
ファラ師は困惑しつつ、俺に説明を求めた。
「国へ離籍の申請を済ませた訳ではないし、近衛として正規の任命を受けている訳でもないのに、近衛兵団の責になるのか?」
「推察ですけど、可能性は高いと思います。まず、任命より先に独立や離籍の手続きを済ませるのは、例外的なことではあっても違法ではありません。それに、ファラ師が近衛としてアヴェイラを受け入れるために、今ここに来ています。手続きは済んでいなくとも、アヴェイラを近衛にするための意思表示を双方していて、お互いそれに向けて動いている訳です。となれば、離籍の手続きを簡素化したいと考えたっておかしくはないでしょう」
「確かに手続きは楽な方が良いとしても、それは単なる先走りであって、彼女はまだ正規兵ではないぞ?」
ファラ師の言っていることは正しい。ただ、話はそれで終わらない。
「そこで出て来るのがファラ師ですよ。責任者がわざわざ身元を引き受けに来たから、安心して預けたんだとウェイン様は主張するでしょうね。離籍後に何か問題が起きたのなら、それはもう当家としてはどうしようもないことだったのだ、なんてね。上位貴族としてアヴェイラの教育に誤りがあったなんて、あの人は認めないでしょうし。……因みにファラ師が今の職に就く前後で、近衛になるために所謂爵位無し貴族になったような人はいましたか?」
「私の代ではまだいないが、先代の時には何人かいたと聞く。その時は何も問題は起きなかった」
まあそうだろうな。起きていたらもう少し状況が整備されている筈だ。
疲れを感じ、首の後ろを揉む。頭に血を巡らせるように話す。
「今回も起きると決まった訳ではありませんけど……いずれにせよ、問題が起きた時は結論を司法に委ねることになりますよね。さて、では、判例を作るのは誰ですか?」
「あ」
筋道がようやく見えたのか、ファラ師が口を開けて固まる。そう、レイドルク家は国の司法を支える家柄だ。何かが起きた時、判断を下せる立場にあるのはウェイン様になる。俺達がいくらこう思うと主張したところで、それを覆せはしないだろう。
これは初めから決まっている勝負だ。
しかし、何が狙いなのかが解らない。
ファラ師を潰す? 近衛は派閥で言えば国に属するものであるため、何処かで敵対していてもおかしくはない。
或いはアヴェイラが個人で責任を背負えない際の受け皿を、とにかく侯爵家ではなくしたかった?
相手の意図が読めない。貴族政治にほぼ関わってこなかったので、判断材料に欠ける。今見えているのは、アヴェイラが何かしでかした時、侯爵家はそれを止めないということだけだ。
「今アヴェイラがやらかしそうな案件は、やっぱり護衛絡みになるよな?」
「そうだろうね。ハーシェル家に肩入れした結果、事実関係を力で捻じ曲げようとしてくる、ってのが考えられるかな。そうなった時に襲われるのはフェリスだけど」
「だよなあ」
ただ逆に、アヴェイラが格上の貴族でなくなったのなら、殺しても大きな問題にはならないということだ。そして、ウェイン様はアヴェイラが死ぬという想定はしていない気がする。
いざという時は力押しでどうにかなる、ということだが……。
すっかり考え込んでしまったファラ師に、俺は向き直る。
「この局面だと、やはり以前の話の通り、ファラ師にはアヴェイラを止めてもらうのが一番だと思います。何事も起きなければ、お互いにとっても一番良い。こちらは沙汰が出るまで、なるべくアヴェイラと遭遇しないように立ち回ります」
「そうだな、私も可能な限りアヴェイラの動向には気を付ける。……全く、新人採用がこんなにこじれるとは思わなかったよ」
「いくら近衛とはいえ、組織を作るのは強さだけではないということです」
俺の言葉に、ファラ師はしみじみと頷いた。
さて。対策はひとまず決まった。
ミル姉が到着次第、判決は下される。それまでは、本気で鍛錬の必要があるな。
溜息とともに目を閉じる。腹の奥底で、静かに魔力がうねりを上げた。
今回はここまで。
ご覧いただき、ありがとうございました。