炎の主
歓喜に打ち震えている。
前から期待はあった。だが、これほどまでとは思っていなかった。
私はずっと考えていた。私がフェリスと同じくらいの年齢の時、フェリスほどの能力を持てただろうか、と。
フェリスが八歳の時、たまたま私が見た彼の強度は、同じ年齢だった頃の私を凌ぐものだった。確かに、魔術や武術単独の強度であれば、私やジィトの数値には及ばない。だが両者を合わせた数値であれば、私たちを軽く超える。
特化していると言えば聞こえはいいが、要するに私やジィトは不器用だったのだ。しかし、フェリスは高水準で両者をまとめていた。
素質があれば数値は伸びる。自分の成長が嬉しいから、更にそれを伸ばそうとする。戦闘を選ぶ人間の頭は大体こんなもので、子供なら尚更その傾向は強いだろう。
だがそんな中で、フェリスは己を無才だと言いながら、淡々と両者を鍛え続けた。きっと、彼の言う自己評価に偽りはなく、本当に無才だと思ってはいたのだろう。
強制も評価もされていないのに、修練を続けられる。そんなフェリスの精神性は恐ろしくもあり、頼もしくもあった。
口で何を言おうと、フェリスは自分がやるべきだと思ったことはやり続ける。
だから、そうして得た彼の力が、どれだけのものなのかずっと知りたかった。
この退屈を紛らわしてくれるのではないかと、ずっと期待していた。
ああ、右腕が痛む。
楽しい。
フェリス、貴方は素晴らしい。
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最初からミル姉が本気だったのなら、簡単に終わっていたのだろう。けれど、探りを入れたくて仕方がなかった心情が、俺を永らえさせている。
正面からの光弾を、体を揺らして避ける。遅れてくる熱線は体を全身を傾けて凌ぐ。点と線の攻撃は楽でいい。
だが、俺の行動範囲を潰すように広がる炎の渦、これがよろしくない。
水壁を作って、炎の渦を押し返す。そうすると、更なる渦が迫る。やはり水で返す。
戦闘は陣取り合戦の様相を呈してきた。だが、こうなると練度の甘い俺の分は悪い。
「厄介な……!」
必死で棒の先端から毒霧を撒き散らす。処理が面倒なので、毒霧の生成は自動化する。その辺の瓦礫に毒を混ぜ、弾丸として飛ばす。だが、ミル姉は全てを渦で受け止めた。あれは盾にもなり武器にもなる。
やはり、魔術戦では押し負けるか。
とはいえ、攻めに繋げる隙が無い。『集中』の使い過ぎで脳が悲鳴を上げている。一手間違うとそれが死に繋がる、あまりの緊張感。
後は何が出来る。
空中に水球を高く打ち上げ、なるべく激しい雨を降らせる。少しでも熱気を抑えろ、相手を自由にさせるな。少しでも状況を有利にしろ。
こちらの必死さとは裏腹に、空気が濡れた先から乾いていく。
「どうなってんだアンタは!」
苛々が増していく。このまま続けても、状況は改善するまい。
舌打ちをして、一歩踏み込む。皮膚の表面が炙られ、かさついていくのが解る。恐らくはこの距離が限界。
だが、敢えて更に先へ。
「ぐ、あ、あ、あ!」
体の表面を水で覆う。一瞬だけでも耐えられればいい。限界を訴える『健康』に更なる魔力を回し、消し炭になりそうな己の形を保つ。
炎の渦の中へ飛び込む。
息が吸えない、視界が赤い、何よりも全身が熱い。
だが解る。この先にいる。
「そこ、だぁ!」
「つぅっ」
ギリギリまで伸ばした棒を横に凪ぐ。噴き出した毒が微かに何かに触れる。焼け爛れた瞼では何も見えない、勘で更に追撃。
「うぎィ!」
また当たった。当てた分だけ相手の状態は悪化しているはず。まだだ、俺の呼吸が続くうちに、
「調子に乗るなァッ!」
閃光。一瞬意識が途切れ、地に叩きつけられた衝撃ですぐさま目を覚ます。脳が揺れ、吐き気が込み上げた。それでも、『集中』がやるべきことを忘れさせない。改めて全身を水で覆い、『健康』で体の状態を戻していく。
どうやらまだ、俺は生きている。
「滅茶苦茶だ」
棒を支えにかろうじて立ち上がる。『健康』がなければ何度死んだだろうか。
何故俺はこんなに頑張っているんだ。徐々に修復されていく視界の向こうに、右半身に力の入っていないミル姉が見えた。
「……洒落にならん、なんなんだアンタ」
いや、解ってはいた。簡単に手が届くような強さの相手ではないことくらい。
だが、体感して初めて解る。そもそも前に立つべき相手ではない。
「貴方もね。ここまでやって生きているなんて信じられない」
「殺す気かよ」
「そのつもりはないけれど……手を抜くつもりもなかったわ」
結果として死んだらそれまで、と。
なんとなく腑に落ちる。
俺は本気ではあったが、殺す技法は使わなかった。万が一を恐れたからだ。けれど、ミル姉はそうではなかった。これは勝負に対する覚悟の差だろう。
「……まあ、今更か」
もっと凶悪な陰術――たとえば腐敗を叩きつければ、ミル姉を殺せる可能性はあった。だが、俺は身内に対してそんな術を使えないし、使える意識があったとしても、もう体がついていかない。
だから、この状況で切れる手札はもう無い。
ただ、まあ。
「そっちがその気なら、付き合おうか」
「その体で何が出来ると?」
「ははは」
笑う。
こんな体でも出来ることはある。普段ならば選ばない選択肢というだけだ。
俺がミル姉に勝っている点は、魔力量だ。走り込みで体力が増すように、魔力も使えば使うほど量が増していく。魔核の加工で日々魔力を消費する俺の量は、それなりのものだと言えるだろう。
そこを考慮しての消耗戦に挑む。
今でもギリギリだと感じているのに、それを引き延ばそうというのだ。反動がきつくなるし、終わってから絶対に後悔する。だが、今やらないよりはマシだ。
「ここから先は面倒だぞ」
飛んできた光弾を、氷壁で遮る。徐々に罅割れていく壁を補修しつつ、闇と霧で視界を塞ぐ。泥濘を作り、接近を封じる。自分の手の届く範囲の温度を下げ、『健康』で体を戻す。
攻撃はさも必死であるかのように、散発的な石弾を飛ばすだけ。
「さっきと同じ?」
「さあどうだろう」
有利な空間を作り出してそこに陣取り、一方的に攻撃するミル姉の戦法。それを多少変えて、攻めより受けに比重を置く。序盤戦の焼き直しでもあるが、今回は相手を潰そうなどとは思わない。
自分を回復させながら、相手の消耗を待つ。接近戦はもうしないので、鉈は仕舞って片手を自由にする。
では、引きこもろう。
複数の氷の壁を作り、並べていく。自分の周りを囲いながら、壁の消耗を計算をする。さっきから壁は壊され続けているが、こちらが作る方がかろうじて早い、か。
全力の熱線なら簡単にぶち抜かれるとはいえ、それは『観察』しているので、来るなら避ければ良い。
多少の時間はかかったものの、どうにか前線基地を構築し、俺はそこへ逃げ込む。
「ああ、体が痛え」
音を立てて皮膚が再生していく。魔力消費は増してしまうが、『健康』を切った瞬間に死ぬ気がする。
ここまでボロボロになったのはいつ以来か。
「ぐ、ううう」
壁の向こうを睨んで動向を窺うも、膝が落ちる。虚勢を張っても、体は正直だ。
後はもう嬲られるだけの敗戦処理になるだろうが、少しでも終わりを引き延ばしてやる。
「もうちょっと、もうちょっとだけだ」
ミル姉がいるであろう方向へ、大岩を投げ込む。闇の中から飛び出した熱線が、岩を切り裂くのが見えた。単発ではこんなものだろう。
ならば、方向を増やしてみては?
今度は上下左右からの石槍に、毒を塗った飛針。しかし、そそり立った火壁が、全てを遮った。
……防御が過剰な気がする?
いや、そうか。陰術は掠っただけで影響してしまう。それを意識しているのなら、少しは違う展開が作れるかもしれない。
大き目の水弾の色を陰術で変えてから、空へと打ち出す。見た目だけで何も攻撃力は無いが、光弾の群れが水弾を打ち砕いた。念のためもう一度繰り返しても、展開は同じ。魔力はまだまだあるのだろうが、ミル姉は明らかに無駄な消耗をしている。
攻め手が緩まないので気付かなかったが、半身を使用不能にされればそりゃあ警戒もするか。
回復を続けながら、陰術を軽く込めた球で攻めを組み立てる。時々本気を織り交ぜて、相手の意識を緩めさせない。
「ちっ、面倒ね」
そう、だから陰術は嫌われる。だが、これだって楽なやり方ではない。
気を抜くと壁が一気に数枚砕かれ、心臓が跳ねる。壁の修復を繰り返しながら、相手を疲弊させ、迂闊な行動を待つ。
複数の魔術を並行して使っている所為で、意識が飛びそうになっている。早く楽になりたい。
「はぁ――」
呼吸が苦しくて頭が朦朧としてくる。どうにか腕を上げて弾幕を防ぐ。攻撃の軌道を考える余裕が無い。
地を這うように炎の鞭が迫る。飛んで避ける力が出ない。地面を急速に沈めて穴に潜り込むと、頭上を赤い帯が過ぎていった。
いい加減、『健康』が間に合わなくなってきたようだ。まともに動けるようになるまでどれだけかかるか……いや待て、攻撃が抜けている!?
驚きで視界が冴える。いかん、いつから俺は緩んで――
「焼けた空気を吸い込むと、くらくらするんでしょう? 昔、貴方が教えてくれたことだったわね」
優しい声。
ただでさえ強い人間が、こんな搦手を使うとは。
「クソ」
身を縮め、己を全力の氷で覆う。
直後に走った熱波が、俺を宙に打ち上げた。
今回はここまで。
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