法を司る
ハーシェル夫妻の無事を確認した私は、屋敷へと二人を招き入れることとした。ある程度の人目があれば、フェリスも好き勝手な動きは出来ないはずだ。
そう思って扉を押し開いた先で私達を出迎えたのは、血塗れで転がる男の姿だった。その横には見知らぬ女性と、不機嫌な表情のフェリスが立ち尽くしている。
予想外の展開に足を止めていると、フェリスの静かな双眸が私を捉えた。
「ああ、アヴェイラか、丁度良い。職人組合で不審者が民間人を威嚇してたんで、確保した。見ての通り動きは封じてあるから、好きにしてくれ」
組合にはウェイン兄様が配下の者をやると言っていた。ということは、彼こそがそうなのだろう。
……やはり、私がフェリスを押さえるべきだった。侯爵家配下の人間を傷付け、それをこちらで処断しろなどと、真っ当な精神の人間が口にするものではない。
剣の柄に指を這わせ、抜き放てるようにした瞬間、フェリスは恐ろしく平坦な目でこちらを見つめる。
「なあ、ちょっと想像してみてくれ。お前が友人なり知人なりと会話を楽しんでいたとして、いきなり後ろから知らん奴が『アヴェイラ・レイドルクか?』って話しかけてくるんだ」
質問の意図が読み切れず、手の力を抜く。私は視線だけで先を促す。
「で、振り向いたら、武器に手をかけた奴が立ってるんだ。お前はどうする?」
「まあ……礼儀として、一応は誰何するかしら。答えが無いなら、場合によっては切り捨てるでしょうね」
決まりきった、当たり前の答えだ。だが、決定的に間違った返答をしたと、直感は訴える。
「そうだよなあ。……で、聞きたいんだが、これは侯爵家の人間か?」
フェリスは爪先で男の首を曲げ、こちらに顔を向かせる。直接の会話をしたことは無いものの、見知った相手ではあった。リトラ・ゴルバス――品性はさておき、ウェイン兄様の私兵としては腕利きと言って良い男だ。うちの守備隊と戦わせても、上位に食い込める力量がある。
自分であればと想像する。構えた状態のリトラを、準備出来ていない状態で仕留める? まともなやり方では無理だろう。
フェリスは恐らく、虚を突くことが巧いのだ。
警戒心が高まり、手に力が戻って来る。息を浅く吸い込み、相手に対応出来るよう体を前に傾ける。
「ふむ、答えてはもらえないのかな?」
フェリスの唇が歪む。
明らかに馬鹿にした態度に、苛立ちが募る。私が手出し出来ないとでも思っているのか?
下級貴族が上位貴族に対して礼を失した場合、多少の躾は許される。今回はそれを適用させられるだろう。跪くような姿勢のまま両手に双剣を握り、歯を食い縛る。
間合いを詰めるべく、足に風を込めた。
「待て、アヴェイラ。……フェリス・クロゥレン殿、先程の質問に答えよう。そこに転がっている男は、確かに俺が使いに出した者だ」
二階の廊下から声が響く。ゆったりとした足取りで、優雅に近づいてくるのは、ウェイン兄様だった。
声に反応して顔を上げたフェリスと、ウェイン兄様の視線が絡む。
「ウェイン・レイドルク様ですか?」
「如何にも」
「初めまして、フェリス・クロゥレンです」
場違いなほど爽やかな笑顔でもって、フェリスが挨拶を述べる。ウェイン兄様は一度目を閉じ、唇を曲げて応じる。
「ああ、初めまして。初対面はもう少し和やかなものであって欲しかったが……話を聞いていた限りでは、部下が失礼をしたようだな」
不快げに鼻を鳴らして、ウェイン兄様はリトラを見下ろした。フェリスは溜息をつくと、リトラの頭から足を離す。
「ええ、残念なことですが。ただ、こちらとしては侯爵家に対して悪意がある訳ではありません」
「悪意があったとしても、今回ばかりは何も言えまいよ。全く……最低限の段取りくらいは、把握しているものだと思っていたのだがね」
嘆息し、ウェイン兄様はリトラを運び出すよう配下に指示を出した。彼がどのような処罰を受けるのかはさておき、血生臭い玄関で問答を続けることもない。
フェリスを仕留められなかったのは惜しいけれど、ひとまず切り替えなければならない。本番はここからだ。
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王国の司法を取り仕切る者――ウェイン・レイドルク。名前は知っていたものの、本人と会うのは初めてだ。
所作は優雅で、安定感のある低い声をしている。佇まいも落ち着いており、出来る人間の雰囲気はばっちりだ。まさに高位貴族というに相応しい空気を纏っている。
改めて彼の全身を眺め、俺は唾を飲む。
ジェストやアヴェイラ、或いは侯爵を見てきた所為で先入観があったのだろう。
端的に言って、非常に太っている。ジェストらがなまじ美形な所為で、血の繋がりを疑うくらいに肥えて見える。なのにこの、人間としての格上感はなんなのか。
何だか脳を混乱させる機能が働いていた。しかし、場に飲まれてもいられない。
「一応確認しますが、ウェイン様が私を呼んでいたこと自体は本当のことで良いんですね?」
「ああ、そこは疑わなくて良い。用件は、この場に集まった顔ぶれで解るだろう?」
「まあ一応は」
本来、こうして集まらなければならないような事実は無い。ただ経緯はどうあれ、侯爵家が動く事態になってしまった以上、粛々と事を進めていかなければならないだろう。
思わず溜息が出た。
ウェイン様はこちらの反応を窺うべく、顔を覗き込みながら口を開く。
「取り敢えず、セレン・ハーシェルからの訴えがあったため、俺がこの件に関して仕切ることになった。まずは双方の認識を教えてもらいたい。事実関係に関しても、別途調査はさせてもらう。フェリス殿については色々と思う所があるかもしれないが、貴族であることを理由とした拒否は出来ない。ここまでは良いか?」
「ええ。質問にはお答えしますよ」
「ハーシェル家側も異存は無いな?」
「私達も質問には偽り無くお答えします」
妻とやらが威勢良く応じる。サームさんは顔面蒼白のまま、微かに頷いていた。
うーむ……残念ながらこちらと敵対することに決めた、ということなのだろう。しかし表情が完全に死んでいる。状況が悪過ぎて諦めたか?
彼が今まで接触してきた貴族がどういったものであるかまで、こちらは把握していない。もしかしたら、相当に理不尽な目に遭った人間が身近にいたのかもしれない。だから諦めて、後は流されようと考えた。
……まあ全ては推察だ。
俺からすれば、折れて和解を申し出てくれた方が話は早い。それに、死ぬ覚悟で来るくらいなら、自分の妻をぶん殴ってでも止めろ、と思う。
向かって来るから叩き潰すのであって、敵対しないのなら伯爵家への推薦を戻したって良い。大体にして、金に困って契約を反故にした時点で、組合員としての立場はもう無くなっている。
穏便に済ますためには、訴えを取り下げるしかないのだ。それであれば、まだしも後に残るものがある。
ウェイン様の配下も同じだが、過ちを認めて頭を下げれば、それで済む話なのに。
俺達の両方の様子を確認して、ウェイン様は一つ頷く。
「双方の合意が得られたので、各々の話を聞かせてもらいたい。別室を用意させるので、ハーシェル家はそちらで担当に話をしてくれ。ああ、アヴェイラも念のため一緒に話を聞いておいてくれ」
「解りました」
アヴェイラが意味ありげな目つきで俺を眺め、そして用意された部屋へと向かっていく。ハーシェル家の二人はその後ろを追って行った。ウェイン様は、俺から二人を守れという意味で一緒にと口にしたのではないかと思うのだが、何故先行したのだろう。背後からの奇襲を防げるのか?
反射的にウェイン様に向き直り、表情を取り繕わないままにアヴェイラの後姿を指差す。彼はハーシェル家側が全員部屋に入ったことを見届けてから、嘆息して首を横に振った。
「……そういう機微が通じる奴ではないのだ」
「いや、それにしても……あんなに頭の出来が残念でしたかね」
幼少期はもう少しマシだった気がする。前はもう少し周囲のことを意識していたはずだ。ウェイン様は苦々しい表情で、閉まった扉を睥睨する。
「あれが武人として天才であることは疑いようが無い。しかし、褒められることが当たり前になると、自他を省みなくなる。それに、得意なものを人は伸ばしたくなるものだろう」
「そこは否定しませんけどね」
二人で本筋から外れて、アヴェイラの先行きを嘆いても仕方が無い。俺達は手近な部屋へ移り、改めて向き合った。
周囲から人がいなくなると、ウェイン様は前髪をかき上げて椅子に体を預けた。だらしない体勢のまま、ぼんやりと天井を仰ぐ。
「あー、外向けの顔はちょっとお休みさせてもらう」
「どうぞ、ご自宅でしょう」
俺に断りを入れるほどのことでもない。上に立つ人間だって気を抜きたい時はある。
彼は俺にも椅子を勧めると、壁際の棚から菓子を取り出して卓に並べた。
「好きに食ってくれ。改めて、ウェイン・レイドルクだ」
「フェリス・クロゥレンです」
仕切り直して握手を交わす。しっかりと握り、離そうとしたところ、そのまま腕を掴まれる。手を引き抜こうとして、相手の瞳が僅かに焦点を失っていることに気付いた。
瞬間的に『健康』に魔力を回すも、俺の体に違和感は無い。そして、相手も意識ははっきりしているらしい。
何らかの異能を使っている?
「フェリス君、君はこの件で詐欺行為を働いたか?」
「いいえ、何も」
素直に答える。俺の手を掴んだまま、ウェイン様は返事を吟味していた。
『健康』は手応えを返さない。ならば、俺に影響は及ぼされていない。
接触が必要な異能……俺の発汗や体温の変化を読み取っている、とか? 具体的な作用までは解らないが、どうやら真偽を判定している?
もしこの読みが当たっているのなら、かなり凶悪な異能の持ち主だ。司法に携わることも頷ける。
俺は念押しの意味で、重ねて無実を訴える。
「あれは正当な契約でした。そもそも、金額を決めたのは私ではなくサーム氏です」
俺も端くれとはいえ貴族である以上、あちらとしては迂闊な結論は避けたいはずだ。だからレイドルク家でも責任ある立場の者が、異能が露呈する可能性を承知で、状況を掴みに来た。俺が実際に詐欺行為を働いているのならさておき、そうでないのならクロゥレン家と対立する理由は無い。相手が平民であれば猶更だ。
そういう状況なのだと信じて動く。
暫くウェイン様は俺の腕を掴んだままだったが、やがて満足したらしく、手を離して菓子を摘まんだ。
「発言中に動揺しなかったな」
「驚いてはいましたよ。いえ、戸惑っていたと言うべきですかね」
実際、考えていたことは俺の希望的観測に過ぎない。ウェイン様が情熱的な同性愛者だという可能性だってある。ただ、この接触は彼にとって何らかの意味はあった筈なのだ。だから覚悟を決めて、なるべく揺れないように対応した。
「それにしては落ち着いているな。ジェストやアヴェイラと同じ年齢とは思えん」
「結果がどう転ぶにせよ、まずは自分の立場を真摯に表明することから始めようと考えただけです。私が取れる手段は少ないですからね」
「ふむ。……まあその対応は好ましい、と言っておこうか。あくまで裁きは双方の状況を確認した上で決めるがね」
「ええ、しっかりと確認していただければ幸いです」
事実ではなく、状況だ。その含みは理解出来る。
彼は少しだけ唇の端を歪めた。俺は敢えて気付かないフリで、菓子を一ついただく。潰した果実を煮詰めて再度固めたらしく、尋常ではない甘味とねっとりした食感がある。
恐らく彼は、自分か家にとっての利益を見ている。
サーム家がレイドルク家に利益を齎す可能性は低いが、皆無ではあるまい。こちらも何か一押しすべきだろうか。
自分の手札を頭の中に並べるも、外に出られないのなら切れる手も限られてしまう。武装解除をどう拒否しようか。
唾液で菓子を喉奥に押し込む。現実は甘くない。
今回はここまで。
ご覧いただき、ありがとうございました。