続・付与講座
真っ直ぐに伸びた背筋。弦を引き絞る腕に血管が浮かび、一瞬の後に放たれた矢が庭木に突き刺さる。
一呼吸置いて、再び同じ挙動。そして放たれた二射目が一射目に重なり、矢を真っ二つに割る。横風を感じさせない、恐ろしいまでの精密射撃。
三射目。鏃に炎が渦巻く。赤熱した矢が二射目を断ち割り、庭木を静かに焦がす。
継矢、継矢、継矢――本来有り得ざる景色が何度でも繰り返される。
ジェスト様はそれほど武術強度が高くないと聞いていた。しかし、アヴェイラが揶揄するほど、彼が未熟だという印象は無い。無論戦闘ともなれば自分も相手も動くものではあれど、少なくともお互いが止まっているのであれば、彼が外すとは思えない。
たとえば遠距離からの暗殺。局面は限られていても、腕の見せ所はある。
よくよく考えてみれば、現侯爵家当主のインファム様は斥候として活躍していた時代があった。異能の『飛行』を使った、敵の射程距離外からの投擲は猛威を振るったと聞く。アヴェイラの方が例外で、元々侯爵家は自分の優位な状況から一方的に相手を攻め立てることを得意としていた。
それは、強度には現れない強さだ。レイドルク家が戦巧者と言われるのは、この辺が影響しているのだろう。
「……見事だ」
最終的に十本射って、彼は九本の矢を貫いた。思わず溜息がこぼれる。弓を下ろし切らずに傾けたまま、ジェスト様は身動きを止めた。こちらから表情は見えない。
すると、腰の矢筒から新たに三本を取り出し、彼は立て続けに空へと放った。庭木に突き刺さったままの十射目に、垂直に三本が等間隔で刺さる。
「曲芸に過ぎませんよ。お目汚しをしました」
青白い顔には一筋の汗すら流れていない。そして、自分の技を曲芸と切って捨てるその声色に、一片の嘘も含まれてはいなかった。彼は本気で、自分が大したことがないと思っている。
「いえ、素晴らしい腕前です。美しさすら感じる」
「褒め過ぎですよ。僕のは当てる弓で、仕留める弓ではない」
仕留められるところに、幾らでも当てられる弓ではないのか? 彼の物言いに、つい先日の記憶が蘇る。
「フェリス君も似たようなことを言っていましたよ」
「というと?」
「自分は凡庸だ、と」
目を少し見開き、そして、ジェスト様は楽しそうに声を殺して笑う。喉奥から隙間風のような音が漏れ、やがて彼は咳き込んだ。歩み寄ろうとした私を片手で制し、滲んだ涙を拭く。
「失礼しました。……まあ、その発言はフェリスらしいですね。アヴェイラが来た所為で結局教えてもらえませんでしたが、アイツの強度はかなり高かったんじゃないですか?」
何らかの確信があるのか、彼は真っ直ぐな目でこちらを見つめる。フェリス君との関係性から察するに、誤魔化すほどのことでもないと感じ、私は素直に白状する。
「彼より総合強度が高い人間を、私は五人も知りません」
貴族と限らず、戦闘をある程度生業とする人間は、武術と魔術の双方を2000以上にすることを一つの区切りとすることが多い。それだけの強度があれば、街道間を余裕を持って移動することが出来るからだ。そこから先は個人の嗜好や素質に従って、どちらかを伸ばす傾向にあった。
そういう意味で行けば、あの年齢で両方を5000以上に伸ばしたアヴェイラは、充分過ぎる才能に溢れている。このまま成長すれば、私を軽々と超える武人になるだろう。
だが――フェリス君は、更にその上を行った。
私の言葉に、ジェスト様は心底楽しそうに唇を歪める。
「くく、あはっはっはは! そうそう、そうでなくちゃ! ファラ様、一つ忠告しておきます。フェリスの強さを才能で片付けないでくださいね?」
「む? あの若さで、あの尋常ならざる強度の持ち主に才が無いと?」
私の疑念を、ジェスト様が鼻で嗤う。端々に狂気が滲む。
「才能が無いとは言いませんよ。そうですね……身内の僕が言うのもなんですが、例えばアヴェイラは天才なんでしょう。ただ、フェリスはそうじゃない。あれは努力の結果です。努力を重ね続けた結果なんです。血の滲むような修練なんて言葉がありますが、そんな陳腐なものじゃない。体中から血を噴き出しながら、『健康』でそれを誤魔化して、只管に己を鍛え上げた結果なんです。八歳の少年がそんな日々を眠りもせずに重ねていると知った時、僕がどれだけの衝撃を受けたか解りますか? 何でそんなに自分を追い込むのかと訊いたら、アイツが何て答えたか!」
感極まったような雰囲気に飲まれる。どうにか唾で唇を湿らせ、続きを促す。
「彼はなんと?」
「誰が相手でも勝ち目を残せるように、だそうですよ。アイツが勝てない相手は多いのかもしれない。ただ――アイツが脅かせない相手はいない。僕はそう確信しています。フェリスが強くなっていて良かった」
一息で言い切り、そして、
「フェリスは凡人の光なんです。積み上げた物が身に宿るという、当たり前のことの証明です。だから僕は、ある意味で、彼の信奉者なんですよ」
不意に溢れ出た感情を恥じるように、ジェスト様は俯いて目を伏せた。ただ客観的に見て、彼がフェリス君を崇めるのも無理は無いと感じる。
高い目標へと迷いなく向かい、口にした通りの結果を導く。途中の労力は惜しまない。そんなものを間近で見せられたなら、敬意を払わざるを得ないだろう。
「実を言いますと――いつか、彼の本気を見てみたいとは思っているのです。嫌がりそうですが」
「あはは、そうでしょうね。ただ、アイツはあれで厄介事を引き寄せる体質ですから、いずれは見られるかもしれませんよ」
お互いの口元に笑みが浮かぶ。
その本気がこちらに向かないようにと、少しだけ祈った。
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ビックス様はあと数日こちらで物見遊山をしてから帰る、ということだったので、取り敢えず同じ宿を取ることにした。俺も研磨の訓練で数日は侯爵領にいることが確定しているため、その間に付与の基本を覚えようということになった。
夕方。宿の裏手にあるちょっとした空き地には、俺とビックス様、そして何故かジェストがいた。
いや、何故かというほどのことではない。理由の察しはついている。
「……お前そんなに家が嫌か?」
玄妙な顔で、ジェストはしみじみと頷く。思い返してみれば、ミル姉とジィト兄が派閥争いをしていた時、俺も家にはあまりいないようにしていた。あの二人の場合は互いを嫌いあってはいなかったが、ジェストの場合は憧れの人を前にはしゃいだアヴェイラが相手だ。ちょっと無理だろう。
「ええと、私は席を外しましょうか?」
「いや、ビックス様の訓練なのにいなくなってどうするんですか。ジェスト、俺らは今から付与の練習をするけど、お前どうする?」
「折角だし付き合うよ。僕も付与は使えない訳じゃないけど、他人のやり方も知りたいし」
「そっか。とはいえ、俺も正規のやり方というのはよく知らんのだが」
俺の師はあくまで魔核加工と自在流を教えてくれたのであって、魔術は他人の見様見真似だ。グラガス隊長が多少基本を教えてくれたが、恐らく歪んだ形で覚えている。
それでも初心者が全くの予備知識無しでやるよりはマシ、ということで、使える部分だけつまんでもらうとしよう。
「ではでは。人に教えるのは初めてなので、不慣れな点はご容赦ください。じゃあ武器を出してもらいましょうか」
俺の言葉に、ビックス様はいつもの斧を取り出す。ジェストは護身用の短剣だ。俺は俺で、斧と同じくらいの長さに調整した棒を握る。
「付与は基本的に魔術を道具に込めることですが、何のために込めるのか、目的を考える必要があります。得意属性によって出来ること、出来ないことがあるのは事実としても、ある程度の応用は利く……と、個人的には思っているので、どうやれば目的を果たせるのか考えて使いましょう。例えば、間合いを伸ばしたい」
俺は棒に風術を込め、少し離れた地面を突く。地面には小さな窪みが出来た。
「アヴェイラがやってることは、こういうことじゃないかと思います。なら、風術が苦手な人はどうするか。地術が使えるなら、こんな方法はどうでしょう」
今度は、棒の先端に石の穂先を生成し、槍に変えて地面を突いた。二人から感嘆の声が漏れる。固定していないので、穂先が簡単に外れたのはご愛敬。
「使っている属性は違いますが、離れた場所を突くという目的は果たしています。自分の得意な属性で、目的を果たすにはどうすべきかを意識すれば、付与は面白い技術になるでしょう。加えてもう一点、これも私見に過ぎませんが、付与で求める効果は単純なものが良いと思います。理由は簡単で、複雑なことは咄嗟に出来ないからです」
俺が間合いを伸ばしたり軌道を変えたりする際に、付与ではなく魔核を弄るのは、そちらの方が扱いが楽だからだ。魔核は魔力を込めながら、こうあって欲しいと考えるだけで事が済む。しかし、付与を使う場合は用途にあった術式を組まなければならない。慣れれば問題は無いにせよ、作業工程はなるべく省きたいものだ。
そうなると、反射で使える技が良い。
「ビックス様は地が得意属性ということだったので、基本は二つ。持ち手を追加して、間合いを伸ばすことが出来るようになりましょう。後は斧を石で覆って、盾に出来るようにすることですね」
「なるほど、便利そうですね」
落ちていた石に魔力を込め、ビックス様は割ったりくっ付けたりを繰り返す。魔術としては基礎中の基礎とは言え、簡単そうにこなせている。これなら、滞在中に最低限の形になるだろう。
「ジェストは……風か?」
「僕は火と風だね」
「んん、どちらも俺の苦手属性か。じゃあ短剣そのものを熱するのが一つ。もう一つは、そうだな……間合いを伸ばすだけじゃつまらんな。こんなのはどうだ?」
俺は真っ直ぐに振り下ろした棒から風を噴出させ、途中で勢いを変える。地面に着く前に今度は逆からの噴出に切り替え、振り上げへと繋げた。
「と、こんな感じで、速さと軌道を変える。なんてのはどうだろう?」
「おおー。いいね、面白いね。流石はフェリス、僕が好きそうな技を解ってる」
コイツは相手を誘導する戦い方をするので、こういう搦手が好きであろうことは察しがついた。後は何が教えられるか……ああ、アレがあったな。ただ、俺に出来るだろうか。
思い出したのはミル姉の姿。
つい最近、自分がやられた技だ。
取り敢えず試しということで、見やすいように魔核で串を作る。ここから先は『集中』する必要がある。串の先端に、慎重に魔力を練り込む。火と風の魔術を載せて、地面へと投げつけた。
――爆音。
そう魔力を込めていないにも関わらず、着弾した場所は抉れ、思いの外激しい音を立てた。あまりのことに俺が固まっていると、血相を変えた宿屋の奥さんが裏口から駆け出して来る。
「い、一体何の騒ぎですか!?」
「失礼、魔術の練習をしておりました。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
「他のお客様もいらっしゃいますので、その、あまり大きな音は」
「仰る通りです。大変失礼いたしました」
問題を起こしたのはこちらなので、謝るしかない。荒れてしまった地面を戻しながら、俺は只管に頭を下げる。色々と不満はあったのだろうが、この場にジェストがいたからか、彼女は最終的に宿へと戻って行った。
「……やらかしたな」
爆発の術式を使ったのが久々だったことと、かつては自分が未熟だったことで、こんな喧しい音が出るとは想像出来なかった。やはり慣れないことはするものではない。
「凄い音でしたね。今のは?」
驚きで目を丸くしたビックス様が俺に問う。
「あー……野営の時に、種火に風を送り込んで火を熾すでしょう? あれを激しくしたようなものです。火と風を巧いこと組み合わせると、あんな感じになるんですよ。因みに、発動が遅すぎて私の腕じゃ見世物にしかなりませんけど、ミル姉は牽制として連発してきます」
途中まではジェストもビックス様も関心して聞いていたが、ミル姉の件では二人とも引いていた。ただ、ミル姉にとっては通常攻撃の一つであることは事実なので仕方が無い。
気を取り直して、俺はジェストに向き直る。
「モノになるかは解らんし、俺もただ使えるってだけの技術だけど、一応は見せた。風と火が得意なら、お前の方が向いてるだろうしな。練習場所に困りそうだが……威力はあるから、覚えて損は無いんじゃないか」
ジェストは暫く考え込んでいたものの、顔を上げた時には、珍しいくらいに目を輝かせていた。
「こんな技術があったんだねえ……」
「簡単ではないにせよ、な」
いつになく熱心な声色に、身構えてしまう。ジェストは感極まった様子のまま、己の両手に火弾と風弾を生み出した。まさかそのまま手を合わせはしまいかと、内心で慌てる。
「ああいや、流石にいきなり使ったりはしないよ。ただね、僕はずっと、自分の攻撃は決め手に欠けると思ってたんだ」
言われて、ジェストを見遣る。筋肉質という訳ではなく、どちらかと言えば線の細い体つきだ。魔術が得意という訳ではないと、かつて聞かされたこともある。執務の間を縫って鍛えているとしても、確かに決定打には欠けるかもしれない。
ジェストは魔術弾を握り潰すと、微かに笑った。
「この技術は、是非覚えたいね。非力だなんだとこき下ろされるのには、うんざりしていたんだよ。……僕の長年の悩みが、こんな形で解決出来るとは思わなかった。それに、かの有名なミルカ・クロゥレンの秘術の一つを教えてもらったんだから、応えなければ恥と言うものだよね」
あの人にとっては秘術というほど大層なものではない、とは言えなかった。本人にとっては、非力であるということは強烈な劣等感だったのだろう。何せ目が尋常ではなかった。
正直、ジェストはあまり貴族として向いていないのではないかと感じる。仕事は出来るし、続けられもするのだろうが、本人がちっとも幸せそうではない。
それでも、家と領地を守るために、歯を食い縛っているのだろう。
「まあ……気負うほどのことじゃない。お前は器用だから、いずれ出来るようになるだろ。或いは、うちに来た時にミル姉に聞けば良いさ」
本人にも今まで積み上げてきたものがある。だから、辛いなら投げ出してしまえ、とは言い難かった。
ジェストに逃げ道を作ってやるためには、どうすれば良いだろうか。
少し本腰を入れて、考えるべきなのかもしれない。
今回はここまで。
久々に書いてる途中でPCが落ちるという罠にかかり、テンションを下げていました。
ご覧いただき、ありがとうございました。