付与講座
何故、こんなことになったのだったか?
日が出るか出ないかの早朝。
手に馴染んだ斧を構え、私は侯爵家のご令嬢と向かい合う。相手は細剣を両手に持ち、緩やかに切っ先を下げる。紛うことなき強者の気配に汗が滲む。
――思い返す。
話し込んでいる内に日が暮れてしまったので、侯爵邸にお世話になることになった。時間はかかったものの、侯爵が満足するだけの会話は出来たことで私の用件は済んだ。
フェリス殿と『交信』し合流する時間帯も決まったので、私は朝食後すぐに帰ろうと思っていたのだが、そこで待ったがかかった。
折角他領の守備隊長が来たのだから、手合わせを願いたいとアヴェイラ嬢が述べた。一部の人間は止めたが、私が武を生業とすることや、格上の貴族からのお話ということもあり、拒否することは叶わなかった。
フェリス殿はきっと、危惧していた通りご令嬢と揉めたのだろう。貴族の来訪があったのなら、相手の都合が悪くない限りは宿泊込みでもてなすものだ。それが屋敷ではなく宿を利用している時点で、何かあったことは窺える。
そりゃあ、こんな女性が相手なら、厄介事の一つもあったはずだ。
決闘ではなく手合わせなのはまだ幸いだとしても、強さを誇示したいという稚気が透けて見える。アヴェイラ嬢が求め、私も頷かざるを得ないとなれば、誰かが見届け人とならなければならない。役目を回されたファラ様も渋い顔をしていた。
「双方、準備は良いか」
「いつでも構いません」
ファラ様の問いに、アヴェイラ嬢が澄まし顔で応える。私は返答をしたくなかったが、覚悟を決めて頷く。武人としての格も、貴族としての格も相手が上。勝てる試合でもないし、勝って良い試合でもない。
それと知られないよう溜息をつく。気持ち良く勝たせつつ、フェリス殿のための情報を仕入れる。
やることは決まった。
私の首肯に対し、ファラ様は手を振り下ろした。
「では、始め!」
号令と同時、滑るようにアヴェイラ嬢が距離を詰める。静かな身のこなしに舌を巻くも、反応出来ない動きではない。相手が刃圏に入った瞬間、牽制の一薙ぎを放つ。
彼女は平行に並べた剣で一撃を流し、少し後ろに下がった。
目視した限りでは曖昧だったが、どうやら私の方が間合いが広い。ただ、斧は取り回しの利く武器ではない。手数や攻撃の速さではあちらが上だろう。出入りを激しくされると、ついていけない可能性が高い。
慎重に構え、相手へとにじり寄る。彼女は嬉しそうに頬を緩め、再び前進を選ぶ。
右から迫ると見せて、刃圏の直前で左へ。たった一度で間合いを見切られるか。振りかけた斧を止め、肩を狙った突きを仰け反って避ける。
しまった、姿勢が乱れた。
「シッ」
呼気とともに二度目の突きが迫る。それに合わせ、こちらも斧を突き出す。狙いを定める余裕は無い。結果的にアヴェイラ嬢は回避を優先し、私も頬の薄皮を持っていかれる程度で攻撃をやり過ごした。
やはり、か。
想定してはいたものの、私ではアヴェイラ嬢に及ばない。武術強度に大きな差は無さそうではあるが、確実にあちらが上だ。まして私は魔術が苦手と来ているので、そちらでの勝負にも出られない。
かといって、何も出来なければそれはそれで誹りを受ける。
となれば、後は玉砕覚悟で攻め潰すか、適当なところで降参するかだ。ファラ様がいる以上殺される可能性は低いと信じて、突貫してみるべきか?
斧を握り直し、肩へ担ぐ。勝ち筋が皆無という訳でもないが、切り札をここで切るだけの戦いでもないし、二度使えない手なので使うなら殺さねばならない。
いや、単純に考えよう。使えない手には拘らない。
脚力と腕力を強化し、前傾姿勢を取る。基本的に魔獣を一撃で仕留めるための、工夫の無い構えだ。対人戦で使う技ではないし、それ以前にそうそう当たるものでもない。
ただし当たれば終わりだ。
「へえ……恐ろしいですね。ビックス様を侮っていました」
「お褒めいただき光栄ですな」
言いつつも、余裕が滲み出ている。まあ実際、怯みさえしなければ対処は簡単だろう。
大きく息を吸い込む。
「せりゃあ!!」
「うふふ」
一喝と共に走り出す。彼女は左右に揺れながら後ろへと下がり、そして――
「くっ!?」
間合いの遥か外から、刺突が飛んできた。
反応出来ず、手の甲と肩を浅く貫かれる。握力を失い、斧が地面に落ちた。後は武器の無い、無防備な私の体が前に流れるだけ。
ここまでか。
降参を告げようとした私の喉へ、追撃が迫る。と、目の前を細い何かが過り、アヴェイラ嬢は慌てて腕を引いた。
「そこまで」
ファラ様が厳かに告げる。そしてその横には、弓を構えたジェスト様が無表情でアヴェイラ嬢に照準を合わせていた。
/
ビックス様と合流すべく再び侯爵家へとやってきた訳だが、どうも朝から揉めているようだった。内心うんざりしつつ、使用人の案内で庭へ通される。
そこにいたのは、血を流して膝をつくビックス様と、それを見下ろすアヴェイラ。そして、アヴェイラへと矢を構えるジェストに、並び立つファラ様の四人だった。
ジェストがアヴェイラを止めたらしいことだけが、かろうじて理解出来る。加えて、またアヴェイラがやらかしたらしいことも。
何はともあれ、ビックス様の治療をすべきだ。
俺はビックス様へと駆け寄り、彼を引き起こす。
「大丈夫ですか? まず止血をしましょう」
目立った傷口は二か所。血はそれなりに出ているものの、深い傷ではないようだ。後遺症が残るようなものではない。状況にひとまず安堵し、陽術を組み上げる。自然治癒力を多少高めてやるだけでいいだろう。
簡単に傷は塞がり、ビックス様は手を開け閉めして感覚を確かめる。
「ありがとう、フェリス殿。いやはや、アヴェイラ嬢はお強いですな」
「そちらも想像以上の腕前でした。手を抜けばこちらが負けていたでしょうね。……ジェスト、手合わせは終わったんだから、弓を下ろしなさい」
「お前が剣を納めて下がったらな」
確かに、決着しているのに刃先を突き付けたままなのは礼を失している。少しでも前に出たら全身を腐らせてやろうと、密かに魔術の準備をしていたが、アヴェイラは素直に引き下がった。涼やかな音と共に、双剣が鞘に納まる。
俺はビックス様を庇える立ち位置のまま、半身でアヴェイラに向き合った。視線は外さないままジェストに問う。
「どういう状態だ?」
「アヴェイラが手合わせを希望し、ビックス様が受けてくださった。勝負が決した状態で、更に攻撃を加えようとしていたから、僕がそれを止めた」
「あら、それは私を侮り過ぎね。ちゃんと止められるくらいの腕はあるけど?」
「腕と意思は別の問題だ」
つまり止めるようには見えなかった、ということか。
ビックス様が手合わせを承諾した以上、他人にどうこう言う資格は無い。そして手合わせである以上、ある程度の怪我は付き物と言えるだろう。
……解っていてやったな?
「その目は何?」
「失礼、辺境の蛮族なものでね。顔を取り繕えないんだ」
視線に感情が出てしまったか、アヴェイラが顔を顰める。俺は軽口で応える。
「言っておくけど、試合である以上私に文句を言うのは筋違いよ? 何を考えているのか知らないけれど、勝ったのは私というだけ」
「文句なんて言ってないだろう? 俺は現場を見ていた訳でもないしな。強いて言うべきことがあるなら、誤解を受けるような真似をするなということくらいだ」
ああ、もう一つあったな。
「それと、家を出て近衛になる以上、侯爵家内部の序列はジェストの方が上になる。家の仕事をしなくなるんだから当然だな。法の番人たる家系の出身でありながら、そこに意識を向けられないのは論外だぞ」
まあそれを言ったら、格上の貴族相手になんて口の利き方なんだという話になるのだが、そこはジェストが許可を出しさえすれば良い。
巧い反論が浮かばなかったのか、アヴェイラは唇を震わせて二の句を継げられずにいた。
本格的に叩きのめさなければ駄目か? なるべく絡まないようにしたいにも関わらず、状況がそれを許してくれそうにない。
相手に対応出来るよう『集中』で挙動を確認しつつ、ファラ様に向き直る。
「大まかな治療は終わりましたし、用事もありますのでビックス様をお連れしても?」
「構わない。……ビックス様、ご協力ありがとうございました。力強く、良い気迫でした」
「ファラ様にお褒めいただけるとは、光栄です。今後もより一層精進いたします」
平常心のまま謝辞を述べるビックス様に感心する。俺も適当に頭を下げ、ひとまず彼女らから距離を置いた。
しかし、ファラ様はアヴェイラの上司という位置づけではあるものの、平民からの叩き上げであることと、アヴェイラがまだ正規兵でないことが相俟っていまいち抑止力を発揮出来ていないな。ジェストに従わないのなら、ファラ様がどうにかするしかないというのに。
正規兵になってから問題を起こされるよりは、すぐにでも矯正した方が良い。いや、むしろ、矯正しなければ後々で絶対大きな問題を起こす。もしかして、辞任のきっかけでも探しているのだろうか。
中央の混沌ぶりを想像して、気分が萎える。
ともあれそのまま敷地を出て、手近な建物の陰に入ったところで俺達はようやく息をついた。
「災難でしたね。傷は大丈夫ですか?」
「ええ、ある程度は加減をしていたようですからね。しかし……最後の攻撃は解らなかったな。急に相手の間合いが伸びたんです」
「どういう展開だったんです?」
始まりから終わりまでの流れを、隠さずに話してもらう。直接やり合ったビックス様では解らなくとも、俺で推察出来ることもあるだろう。
とはいえ聞いてみると、アヴェイラの手口はそんなに難しい話ではなさそうだった。
「ファラ師の称号をご存知ですか?」
「三つ全ては知りませんね」
「変えてなければ、『守護者』『魔剣』『王国近衛兵団長』の三つです。『魔剣』はそのままではあるんですが、剣に魔術を付与する戦い方からついたものなんですよ。アヴェイラはファラ師に憧れがあるようですし、恐らくやり方を自分なりに真似たんだと思います。刺突の瞬間に風術を乗せて、距離を伸ばしたんでしょうね。それに、細剣で斧を受けるのは、牽制とは言え無理があります」
軽くて扱いやすい反面、細剣は脆くて折れやすい。魔術無しで受けるだけの技量があるのなら、そもそも武術だけで勝負を終わらせられる。
大角の時の動きを見る限り、ビックス様の武術強度は決して低いものではなかった。あれを魔術無しで捌けるのなら、アヴェイラの技量はもっと余所に知られているはずだ。
「実際に向けられるのが初めてだと、面喰らうとは思います。そんな大した技術って訳でもないんですけどね」
「ん? フェリス殿も使えるのですか?」
「武器に魔術を載せてるだけですからね。ジィト兄とやった時、私も使ってましたよ。これです」
そう言って、鉈を陰で覆う。俺の場合は間合いを伸ばすのではなく、攻撃の出所を隠す形で使っているものの、技術としては大差が無い。まあ俺が間合いを伸ばすなら、武器そのものを変形させてしまうので、同じやり方をする理由も無いだけだが。
ビックス様はやけに関心した様子で、俺の手元を見つめていた。それから、自分の斧を引っ繰り返し、一つ唸る。
「私の得意は地術なのですが、私にも使えますか?」
「地術だと武器を一時的に硬くするだとか、そういう使い方が考えられますね。簡単なものなら教えられますよ」
俺の言葉に、ビックス様は破顔する。基本的な練習方法さえ教えてしまえば、いずれは使えるようになるだろう。たとえモノにならなくとも、地術が伸びるので強度は確実に上がる。田畑で害獣駆除をするなら、地術の向上は必須でもあるだろう。
本当に後を継ぐ覚悟が出来つつあるのだなあと、当たり前のことを認識した。
まあ、本人にやる気があるのなら、ひとまず仕込んでみましょうか。
今回はここまで。
首を痛めて筆が進まなかったけども間に合った。
ご覧いただきありがとうございました。