職人の目
――バスチャーさんから聞いてはいたが、やはり若い。
フェリスと名乗る職人は、成人したばかりとあって少年と言って差し支えない顔立ちをしていた。目上とのやり取りに慣れているのか、生意気な印象は受けない。しかし、年齢からして、実績はほぼ無いだろう。父が彼にわざわざ指名依頼を出す理由は……面倒見の良かったあの人のことだ、成人祝い辺りが理由か。
祝い事だとは言え、若手の職人を甘やかしてもロクなことにはならないだろうに。
内心苦々しく思うものの、それは彼が悪い訳ではない。本来なら父やバスチャーさんが、現実の厳しさを教え込まなければならなかったのだ。それに、上から命じられれば、彼くらいの年齢であれば従わねばならなかっただろう。
わざわざ訪ねて来てくれたのだから、せめて足代くらいは上乗せしてやらねばならないか。父の依頼失敗による損失をどうにかしなければならないというのに、痛い出費になりそうだ。
こちらの考えに気付かず、フェリス君は話を始める。
「既にお話は通っているようですが、私がアキムさんから受けた依頼は包丁の柄の部分になります。刀身は自分で研ぐということだったので、それらしい形にはしてあります」
「現物を見る前に、君は何の職人なんですか?」
「ああ、私は魔核職人です。私の師がアキムさんと交流がありまして、それで縁を持ちました」
魔核職人か、珍しい。ただアレは、腕が無くても職人として名乗れてしまう分野でもある。魔力量さえあれば、大量生産で食っていけてしまうからだ。無論、造形や品質に優れた物を作る人間だっているはずだが、独り立ちしたばかりの人間にそれは求められる筈もない。
表情を崩さないように意識する。やはり、期待は出来なさそうだ。父は彼の作品に幾ら提示したのだろう。出来が悪ければ金額を下げて問題は無いにせよ、こちらから口にした額をあまり下げるのも体裁が悪い。
「ふむ……契約内容の解るもの何かは持っていますか?」
「いえ、酒の席での話でしたから、口約束ですね」
雑なことをしてくれる。ただ物証が無いのなら、彼があまりに法外な金額を口にしたら突っぱねることは出来るな。
「正直、私は父の金銭感覚を把握出来ていません。幾らでという話だったのですか?」
「言い値です」
「言い値、ですか?」
「はい。出来上がりを見てもらって、アキムさんが値付けをする、という決めになっていました」
父の考えがいまいち解らない。仕事が無いと苦しいだろうから指名はする、ただし出来については厳格に決める、ということか?
まあ不出来なものに高額を払うことはないにせよ、彼も父も妙にやり取りが適当な感がある。職人にありがちな、金勘定が適当な手合いなのだろうか。
「それだと一ベルももらえない可能性があることは解っていますね?」
「勿論。そういう評価であるのなら、甘んじて受け入れましょう」
フェリス君は淡々と言い、微笑んで見せた。これくらいの年齢だと、金が無くて困っていることの方が多いはずだが、彼にはそんな気配は無い。言動から察するに、裕福な家の生まれか。だから細かい金の話はしなかった?
いや、考えても仕方が無いことだ。
本気であれ道楽であれ、まずは物を見て判断しなければ。
「色々うるさく言ってしまいましたね。では、品を拝見しましょう」
「どうぞ」
包みが取り払われる。
まず目に飛び込んでくるのは美しい銀色。全体が同じ素材であればこそ、一色でまとめたか。柄は手が握り込む形に緩やかに凹み、滑り止めなのか細かな格子模様が刻まれている。ここまで細かいと、魔力を使わずにこなすのはかなりの根気が必要になる。
こうも見事な柄はそうそうお目にかかれない。
ただ、仕上げをこちらに任せることにしているだけあって、そこから先はかなりお粗末なものだった。刀身は幅の狭い、平たい棒といった形のままになっている。
……柄については、驚くべきことに充分過ぎる仕事になっている。この年齢では有り得ない出来映えだ。しかし、刀身はこのままでは作業に取り掛かれない。
「刃についてはこちらで、という話でしたね」
「ええ、そうです。如何ですか」
「刀身の部分に厚みと幅を持たせることは出来ますか?」
私の問いに、フェリス君は眉を跳ね上げる。
「出来ますが、アキムさんはこれくらいでという指示でしたよ?」
「ええ、完成形はそうなんだろうと思います。ただ、研磨するということはすり減るということです。私たちは減らすことは出来ても増やすことは出来ない。作業のための余裕が欲しいのですよ」
答えに納得したのか、彼はなるほどと呟いて、魔力を込め始める。細い糸が束ねられるように、魔力が太いものへと静かに変じていく。編み込まれた力の流れが魔核に注がれ、見る見るうちに刀身は私の求める形へと膨張していった。
恐ろしいまでの魔力の冴え。派手さはなく、ただ必要な分を無駄なく処理している。あまりに卓越し過ぎていて、私の魔術強度では全体を知覚しきれない。
これが本当に成人したばかりの少年か?
私はすっかり乾いた口中を唾でどうにか潤し、喉を震わせる。
「……正直なところ」
「はい?」
「貴方の腕には期待していませんでした。父が義理か何かで発注をしたものだと思い込んでいました」
「実際、始まりはお義理というかご祝儀ということだったので、何も間違っていませんね」
顔色一つ変えず、彼は告げる。自慢するような気配も、気負った様子も見られない。過不足の無い仕事をした人間の佇まいだ。
それだけに、己の不甲斐なさが悔やまれる。
「私がこれに値段をつけるなら……二十三万。作業を他者に引き継ぐことを考慮していない分、多少減点しました」
「それについては返す言葉もございません。やはり、経験していないことについては甘さが出るのだと思います」
素直な声だ。反論らしい反論もない。
私は力なく白状する。
「ははは、まあ、実際は難癖ですよ。気持ちとしてはもっと支払って良いとは思っているんです。ただ、お恥ずかしい話ですが……父が仕事を出来なくなった所為で、結構な返還金の請求が届いています。私が今貴方に払える対価が、これで目一杯なのです」
柵がもしも無かったのなら、三十万くらい払っても悔いは無い仕事だ。先入観で安く抑えようとした自分の浅ましさが呪わしい。足代などとは思い上がりだ。職人の端くれとして、この作品に不当な金額をつけることを己が許さない。
それでも、現金が無い。
フェリス君は少し考え込んでいた様子だったが、やがて一つ頷いた。
「サームさん。もしも可能なら、別にこの包丁でなくてもいいので、一度作業を見せていただけませんか。見せていただけるなら、支払いは無くても構いません」
「は? いや、勝手に工房の物を弄らなければ問題はありませんが……何故です?」
他業種の職人の作業に興味を持つのは解る。見たいのなら見せるのも吝かではない。ただ、中流家庭の一か月分の稼ぎを投げ出すほどの意味は無いはずだ。
訝しむ私に、フェリス君は苦笑で応じる。
「昔、私はアキムさんから研ぎを教わっていたんですよ。基本だけという約束ではあったんですが、その基本を学び終える前に、祖父が死んでしまった。私は実家に戻ることになって……結局、アキムさんから教えを受ける機会を失ってしまったんです」
だから、研ぎ師の仕事を一度見直したいのだと、彼は言った。
……なるほど。
私は今第六階位で、父の腕には遠く及ばない。それでも、初心者に教えられることはあるだろう。私の技術が彼の質を高められるのなら、それも面白いと思う。
「ではこうしましょう。私はフェリス君に二十万を払う。端数の三万ベルは指導料でいただきます。ただし、私も基本は父から教わりましたが、それ以外は独学でやっているので、研ぎ師として正規の手順であるのかは解りません」
私の言葉に、フェリス君は初めて喜色を見せる。
「一向に構いません。是非お願いします」
「なら、商談はこれで成立ですね」
やり取りは組合員が見ているのだし、書面での契約は不要か。先程の納品で手にしたばかりの金の中から、二十万をそのままフェリス君へ渡す。そして彼からは包丁を受け取る。妻からまたくどくどと言われそうではあるが、元々払わなければならない金が幾らか減ったと思えば、そう悪くはない取引だ。
吸い込んだ息を大きく吐き出す。取り敢えず父の負債が一つ減った。いつまでこんな苦しい資金繰りが続くのやら。
「そういえば、うちの工房の場所は知っていますか?」
「会えると思っていなかったので、ここで聞くつもりでした」
「そうですか。場所はですね、この建物を出て真っ直ぐ進んで、一番最初の角を左に行ってください。そこから暫く歩いた先の、赤い屋根の建物がうちです。看板も出しているので、解るとは思います。こちらも今抱えている作業があるので、三日後の……昼過ぎからでよろしいですか?」
「解りました。では三日後、お邪魔させていただきます」
握手を交わし、彼は颯爽と出て行った。人格的には問題無いし、大人しく話を聞いてくれそうではあるな。
やれやれ、後は帰ってもう一件こなして、作業場を少し片づけるか。
大きく体を反らし、凝り固まった背筋を伸ばす。筋肉が凝っているらしく、軋みを上げた。年は取りたくないものだ。肩を自分で叩き、解していると、フィッツ女史が茶を持って来てくれた。
「あら、フェリス様はお帰りですか?」
「ありがとうございます、ついさっき帰りましたよ。彼のことをご存じで?」
やはりあれだけの腕前を持つ職人で、かつ若年ともなれば組合も注目するだろうな。しかし、フィッツ女史は慌てて首を横に振った。
「個人的な付き合いはありませんよ? ご存知というより……サームさんこそ知らないんですか? 十五年ほど前に、ミズガル伯爵領の隣に新しく貴族領が出来たじゃないですか」
話を聞いたことはあるが、私が実家を出たのはそれよりも前だ。以来仕事ばかりこなしてきたので、正直世俗には疎い。
首を傾げ、先を促す。
「あら、本当に知らなかったんですね。そこの領地は、クロゥレン子爵領といいます」
……は? え、本当に?
自分がとんでもない間抜け面を晒していると解る。解っていても、なお表情を戻せない。
「組合でも一時期話題になったんですよ、成人もしていない貴族の子弟が職人になった、って。仕事熱心だし、腕も悪くないんで、内部的には有望視されています。貴族らしい傲慢さもありませんでしたね。まあ幸い、この辺の貴族は穏やかな人が多いみたいなので、揉めることはあんまり無いんですけど」
貴族に絡まれないよう、誰にでも丁寧に接するようになったのはいつの頃からだったか。お偉いさんのことを把握しきれないが為の自衛手段が、実際に活きることがあるとは予想もしなかった。
冷や汗が噴き出て来る。
腕を見なければと、考え直した自分を褒めてやりたい。
「話は巧くまとまったんですか?」
「はい、幸運なことに。……次からは、可能であれば相手の素性を教えてください。こんなに焦ったのは久し振りです」
胸が激しく鳴っている。それと解るほどに呼吸が荒くなっている。
しかし、冗談だとでも思ったのか、フィッツさんは笑うばかりで答えを返さなかった。
今回はここまで。
フェリス視点が無い時は閑話としています。本筋には普通に絡む内容ですが。
ご覧いただき、ありがとうございました。
追記(2021/6/27)
各話にタイトルをつけることにより、閑話は無くなっていきます。




