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クロゥレン家の次男坊  作者: 島田 征一
レイドルク領滞在編
32/222

研磨職人


 日が落ちて暫くした頃、フェリスは帰って行った。ファラ様とあれこれ話し込んでいたようだが、妙にすっきりした顔をしていたので、何か得るものはあったのだろう。

 多分、二人の間に過ちは無かった……と信じたい。

 いや、お互いが惹かれ合った結果なら別に良いのだけれど、人の家では止めて欲しいというだけだ。でも、二人とも醜聞なんてどうでも良さそうなんだよなあ……。

 腹がうねるような感覚と、うっすらとした吐き気。最近は油断するといつもこうだ。医者からもらった粉薬を飲むと、口の中がすっとして少しだけ症状が軽くなる。あまり薬に頼り過ぎないよう言われてはいるものの、そうでもなければ吐いてしまうのでどうしようもない。

 唾を飲み込んで、込み上げるものを体の奥へと押し込む。

 大丈夫だ。

 もうじきアヴェイラもいなくなる。ファラ様も中央に戻る。

 まだ耐えられる。

 これが終わったら、フェリスに頼んで御父上への紹介状を書いてもらおう。たまには僕だって自分の好きな時間を過ごしたって良いはずだ。

 胸の辺りを握り締めながら、食堂へと歩いて行く。食事が欲しい訳じゃない。ただ水をがぶ飲みしたい。

 そうして開けた扉の先で、アヴェイラとファラ様が歓談していた。

「あら、ジェスト。今から食事?」

「いや……喉が渇いてね。食事は済ませてあるよ」

 これは嘘ではない。量が入らないなりに、栄養があって太りやすいものを葉野菜で包んで口にするようにしている。最低限、体型くらいは維持しなければ、誰に何を言われたものだか解ったものではない。

 人目――他者の評価。煩わしい。

「ジェスト様、顔色が随分と優れないようですが。お休みになられた方が良いのでは?」

「ああ、お気になさらず。どうも最近脂っこいものがダメなようでして。水を飲んだら少し横になりますよ」

「アンタその年でそれはどうなのよ。だから未だに細いままなんじゃないの」

 言われるまでもない。自分でも充分過ぎるほどに自覚がある。ただ、こちらの苦労も知らずに好き勝手やっているお前に言われるのは気に入らない。領を向上させるために時間を使って、僕に体を鍛える暇があったとでも言うのか。

 深く息を吸う。喉が細くなったようで、空気が引っかかる。落ち着け、来客中だ。

「まあ寝れば少しはマシになると思うよ。お話し中に失礼しました、では……」

 ファラ様は何か言いたげにしていたものの、僕が素直に休むと言ったからか、更に続けるような真似はしなかった。それにかこつけて、二人に背を向け場を離れる。これ以上ここにいたら、ただでさえおかしい体がもっとおかしくなる。

 怪しまれないよう実際に水を飲み、食堂を出て真っ直ぐに自室へ。後ろ手に閉めた扉に寄りかかり、そのまま下へずり落ちる。

 息が巧く出来ない。這いつくばったまま、ゆっくりと、意識的に吸って吐いてを繰り返す。隙間風のような呼吸を暫く続けるうちに、やがて滞りのないいつもの自分が戻ってくる。

 ふとした拍子に体調を崩すようになって、もう二年は経っただろうか。かろうじて取り繕っているだけで、いつになっても感覚的に慣れない。医者も腹の薬はどうにか処方してくれたが、呼吸の方は原因が解らないと対応に苦慮していた。

 何となく、理由は解っている。

 誰もいない所だと、僕は体調を崩さない。

 僕の病の根源は、きっと僕以外の人間だ。


 /


 大角の話が長引いているらしく、ビックス様はいつまで経っても戻って来なかった。ならばとジェストには宿泊を勧められたが、お互いアヴェイラの一件があるので、口ではあれこれ言うものの内実としては各々撤退しようという形を取ることになった。話をするのは吝かではないものの、近くに彼女がいると絶対に絡んでくることは明確だったからだ。

 別に、アヴェイラの言動の全てが間違っているとは言わない。正鵠を射ることだって往々にしてある。ただ、面倒だったり鬱陶しかったりすることは止められない。

 暴力に対抗出来ると解った分、精神的にはだいぶ楽にはなったけれど。

「ジェストは大丈夫かねえ……」

 アヴェイラが突撃してきた時、アイツは気の毒なくらい顔色が悪くなっていた。侯爵家からすれば辺境の子爵家なんぞ木っ端みたいなものだとしても、それだって貴族としての礼儀をこなした上での話だ。格下が相手だからといって、非があれば責められるのは当たり前の話だろう。

 その辺の教育を受けて来なかったのか、それともどうせ出る家だからと軽視しているのか。いずれにせよアヴェイラの在り方は危うく、きっと侯爵家の名に傷を付ける。

 自分にその辺が出来ているかは棚上げするとして、真っ当な感性の貴族であれば、アヴェイラを手元に置いておきたいとは思わない。俺がジェストの立場なら、アヴェイラの尻拭いを続ける生活なんて早々にぶん投げている。

 少しくらいアイツに時間を作ってやるべきか。

 思い立って、会話の中で出て来た父への師事について便りを出すことにした。手近な人に組合の場所を聞き、そちらへ向かう。組合間の交換便を使えば、多少時間はかかるとしても、ジェストが実際に子爵領へ行くよりは早く報せが届くはずだ。

 レイドルク領の組合の建物は、建てたばかりのミズガル領よりずっと歴史を感じさせる佇まいをしていた。良く言えば重厚、悪く言えば暗い。

 馴染みの無い人間が入りづらいよ、と口中で苦言を呈しつつも中へ。真っ直ぐに手近な窓口へ進み、組合員証を見せる。

「失礼、便りを出したいのですが」

 事務員は証を確認し、頷いた。

「かしこまりました、そちらの記載台をご利用ください。因みにどちら宛ですか?」

「クロゥレン子爵領です」

 彼は机の引き出しに入っていた妙に分厚い板をこちらに差し出し、ある一か所を指し示す。何かと思って見てみると、交換便の日程と料金が記載された一覧表だった。

 次の便は三日後、料金は五千ベル。まあそんなものだろう。前世の感覚で行くと郵便一通で五千円かよとも感じるが、命の危険がある道を行く以上それだけの支払いはあって然るべきだ。幸い金には困っていない。

 俺は礼を言って板を返し、便りの内容を考える。ひとまず、ジェストが子爵領に行くかもしれないことさえ書かれていれば、後はどうでも良いか。

 道中の出来事を適当に書き連ね、封をして窓口に金と一緒に渡す。ついでに、アキム師の息子の店を聞いておこう。

「すみません、ついでにもう一点。サーム・ハーシェルさんのお店の場所を知りたいのですが、ご存じでしょうか?」

「サームさんですか。研磨職人のサームさんで合ってます?」

「はい、そうです」

「あれ、さっき来てなかったっけか? フィッツさん、サームさんってまだ中にいます?」

 事務員が窓口の奥のほうにいた女性に問いかける。女性は何かの帳簿を確認し、頷いて見せた。

「向こうで納品してますよ。終わったら呼びます?」

「お願いします」

 お言葉に甘えて、隅っこで待たせてもらう。取引の場にビックス様もいてくれれば話が早かったのにと一瞬過るも、ある程度の年齢の人間であれば領主の長男の顔は知っている可能性が高い。後で結果を報告した方が、ミル姉の目論見としては成功しやすいだろう。結果的には別行動で良かったか。

 首の後ろを揉み解しながら、つらつらとそんなことを考えた。

 サームさんとやらはどんな人間だろう。こちらを若造と侮って値切りに来るか、それとも真っ当な金額を払うか。普通に考えれば、取引の結果を俺が誰かに告げるであろうことは明白なので、無茶な金額の指定は出来ない。しかし、短慮な人間がとんでもない選択をすることは往々にしてある。

 金は最低限支払われているので俺は困らないとしても、ハーシェル家は果たして正解を選び取れるか。せめてアキムさんが安心出来る結果になれば良い。

 何となく気持ちが落ち着かず、魔核を弄ることにする。水術を込めて薄い青を出しながら、平皿を作る。そこまで頑丈にするつもりもなく、形も単純なものではあるが、あまり雑な物にする訳にもいかない。目の前の机に置いて水平を確かめながら、五枚ほど仕上げる。作業中は魔力を撒き散らさないよう、細心の注意を払った。

 シャロット先生の技術を学んでおいて本当に良かった。しみじみとそう思う。

「さて、まだかな?」

 作業の手を止めて顔を上げる。窓口の事務員が口を半開きにして、こちらを窺っている。

「ん、何か?」

「さ、作業がお早いですね」

「ああ……師匠がとにかく数をこなせ、って人間でしたからね。色々と拘ればもっと時間はかかりますよ。買います?」

 単なる手慰みなので、価格のことは意識していない。出来の方は可も不可も無くといったところだ。ただ、組合の職員ならこれに幾らをつけるのかが気になり、受付に並べて見せた。

 彼は一枚一枚手に取り、色んな角度から現物を確かめると、腕を組んで悩み始めた。

「六千……いや。貴重な作業工程を見せていただいたことも含め、一枚七千ですかね。如何でしょう」

「ではそれで。良い取引でした」

 握手をし、金を受け取る。ちょっと気張った夕食にありつけるくらいの額だ。ついでに証に納品履歴をつけてもらい、実績にしておく。こういう細かい所で点数を稼いでおくと、階位を上げる時の足しになる。

 暇潰しがてら事務員と歓談していると、サームさんの取引が終わったと声がかかった。俺は会話を切り上げ、フィッツさんとやらが用意してくれていた席へと移る。

 軽く会釈をし、茶色い作業着を着た男性の向かいに座る。なるほど、具体的にどこがと言える訳でもないのだが、雰囲気がアキムさんに似ている。

「初めまして。帰りがけにすみません、フェリス・クロゥレンと申します」

「サーム・ハーシェルです、バスチャーさんから話は聞いてますよ。父から依頼を受けていたそうで……到着するのが早かったですね」

「ええ、私用もあってこちらに向かうつもりでしたから。早速ですが、依頼のお話をさせていただいても?」

「そうですね、丁度良くお会い出来たのですから」

 サームさんは笑って居住まいを正す。物腰は柔らかく、こちらを若輩だと侮ることもない。対応は今の所合格。しかし、目の奥の冷たさが若干引っかかる。

 滲む嫌な予感に、唇を唾液で湿らせる。内心を悟られないよう、深く呼吸をして俺も居住まいを正す。

 サームさん、秤に乗っているのは金ではなくて貴方の将来だ。

 頼むから、裏切ってくれるなよ。

 今回はここまで。

 ご覧いただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] サームなだけに冷たいってかwww
[良い点] ジェスト様の体調が心配です。 前回は重症者出しちゃいましたし、今回は大事にならなければ良いのですが……。 目の奥の冷たさは状況知っていればわからなくもないんですが、どうなるか。
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