クロゥレンの歪み
日暮れ過ぎ。部屋で一人、使用人に淹れてもらった薬湯を啜りながら、今日という一日を振り返る。
久々に理解を超えるものを見た。
強度計を目にした瞬間、自分の頭が一瞬おかしくなったのかと思った。
まさか成人して間もない人間の総合強度が、私に迫るものだとは予想だにしなかったのだ。
「自己確認」
ファラ・クレアス
武術強度:10312
魔術強度:4226
異能:『瞬身』『鉄心』『慧眼』
称号:『守護者』『魔剣』『王国近衛兵団長』
改めて自分の数値と比較してみる。やり合えばまず私が勝つが、展開次第では不覚を取る。というか、単独強度で2000も離れていると、その分野で勝てることはまず無い。それぐらいの強さを彼は持っていた。
アヴェイラの総合強度が11000を超えていると知った時は、彼女の年齢では破格過ぎる数値だと感動したものだが、まさかそれを超える人材がいたとは。
何か思惑があって、クロゥレン家は彼の才能を隠したいのだろう。強いて想像するのなら、他領へ赴いた際、強度が低い方が侮られやすい分自由に身動き出来るからだろうか。そうでもなければ、敢えてフェリス君が私に口止めをする理由も無い。あれは人に誇って良い数値だ。
現在、近衛は百名ちょっと。その中でフェリス君を単独強度で上回れる者が約一割。総合強度で上回れる人間は……五人もいるだろうか? 凡庸などと嘯いてはいるが、実際には彼は国内でも上位に入る猛者ということだ。しかも、中央から離れた所で生きてきたからか、悪い意味での貴族らしさを感じさせないのが素晴らしい。
職業を定めていなければ、すぐにでも勧誘していた。本当に惜しい。
一度でいいから手合わせを願いたいものだ。きっと、久し振りに身の入った鍛錬が出来る。
そんなことをつらつらと考えていると、部屋の扉が叩かれた。
「失礼、フェリスです。今お時間よろしいですか?」
おっと、丁度良く本人が来た。
「開いているよ、どうぞ」
こんな時間に男女が二人きりで部屋の中というのは、客観的に見れば誤解を受ける案件だろう。私も彼もそこをあまり気にしていない様子なのが少しおかしい。
笑いを噛み殺しながら、フェリス君を招き入れる。彼は私の顔を見て、片眉を跳ね上げた。
「何か面白いことでもありましたか?」
「いや……アヴェイラが二人きりで何をする気なのかといきり立っていたな、とね」
「ああ。正直、いいのかなと思わなくはなかったんですけど」
フェリス君は素直な苦笑を滲ませる。部屋の入り口から、距離を詰めようともしていない。中央貴族の脂ぎった、隙あらばこちらを食い物にしようという感じが無いだけで好感が持てる。
「侯爵家の内側で何を噂されようが知ったことではないし、アヴェイラに従う理由は君にも私にも無いだろう? お互いに大人なんだから、自分の行動は自分で責任を取ればいいのさ」
「そう出来る大人がどれだけいることやら」
同感だが、君がそれを言うのか?
「少なくとも、君はそう出来る人間だと私は見ているがね。君は貴族としての立場なんて、重要視していない人間だろう?」
でなければ、職人としての道は選べない。私も立場には拘りを持っていないので、この逢瀬で解雇されたとしても別に痛痒を感じない。というより、いい加減賃金の高さだけで脂親父どもの相手をし続けるのは苦痛でしかなくなってきた。
代わりがいない所為で、今の立場から引き摺り下ろされない程度の地味な嫌がらせがずっと続いている、というのも嫌気に拍車をかけている。
私の所為ではないのに失脚するような過ちが、何か起こらないだろうか。
気難しい顔になっていたのか、フェリス君は苦笑を深めて私に何らかの魔術を飛ばして来た。特に嫌な印象は受けなかったので、そのまま体に浴びる。
「今のは?」
「陽術の『高揚』ですね。弱めにかけたので、落ち込んだ気分を少し誤魔化す程度のものです」
確かに、気分が楽になったと言えるような、言えないような。いずれにせよ、気を遣わせてしまったか。
「……因みに、貴族に拘っていないことは否定しません。そちらは気苦労が多そうですね」
「まあ、ね。立ったままというのもなんだ、ひとまず座って話そうか」
「そうですね」
ジィトと違って、周りを見ているのだなあ。これは良い男だ。
そんな彼が、これから何を話してくれるのか。私は唇を舌で濡らし、相手の言葉を待った。
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随分と鬱憤が溜まっているのだなあ。
一瞬歪んだ目つきは尋常なものではなかった。中央の、いかにもどろどろしていそうな政治闘争から縁遠い身としては、そんなに嫌なら辞めれば良いとしか思えない。あまり上の立場になってしまった所為で、投げ出せなくなっているのだろうか。
非常に気にはなるものの、その話は俺にとっての本筋ではない。ひとまず、話を進めることとする。
「お話というのは他でもありません。アヴェイラのことです」
「彼女か……君との相性はよろしくないようだね」
「ええ。昔から私とジェストにはああいう態度なのです。……正直、言葉でかかってきているうちはいいのですが、このままだと力に訴えかねないと危惧しています」
よく解らない得意げな顔で、決闘をこちらに持ち掛ける様が目に浮かぶ。応じたところで何も得るものは無いし、断れば臆病者と誹られるだけの、無意味なやり取りになる。
ファラ師は一つ頷いて、髪をかき上げる。
「いずれはそうなるかもしれない、とは思う。……勝つ自信が無いのかな?」
「いいえ。不遜に聞こえるかもしれませんが、殺さずに済ます自信が無いのです」
「なるほど」
発言に対しての驚きが無いあたり、アヴェイラに対抗出来る強度ではあるようだ。
ファラ師は少し考え込み、やがて諦めたように口を開いた。
「アヴェイラの具体的な強度については控えるが、君の懸念はきっと正しい。やり合えば彼女は本気になるだろうし、君も手加減している場合ではなくなるだろう。しかも、数字だけで判断したのなら、君が勝つのはほぼ間違いない」
一息で言い切り、ファラ師は薬湯を飲み干す。白く細い喉が上下する。
「私としても、折角の新人を失いたい訳ではない。もし彼女が君に手出ししようと言うのなら、それは止めるよ。話というのはそういうことだろう?」
首肯して、俺は溜息をつく。これで『面白そうだからアヴェイラにつく』と言われたらどうするべきか、ずっと考えていた。そうならなかったのは幸いだ。
まあ正直、この領での目的はアキム師の息子に会う以外は特に無い。手に負えないとなれば、逃げるのも手ではあるのだが。
状況が落ち着いて、少しだけ気が抜ける。喉の渇きを覚え、魔核で湯呑を作った。中に氷水を注いで一気に飲み込む。
「器用なものだな。それに、難しいことを容易くこなす」
「これくらいは慣れですよ。一か月くらいやり込めば出来るようになります」
今使えれば良いと適当に作っているので、湯呑の底は水平になっていない。手に持ったままだと解らないものの、実は雑な仕事だ。
拙い腕がバレる前に、湯呑を縮めて懐に仕舞った。
さて、証拠隠滅も済んだし、ファラ師がすぐに承諾してくれたこともあって用事は済んでしまった。下手な誤解が生まれる前に、お暇すべきかな。
腰を浮かせかけたその時、彼女はそういえば、と呟く。
「差し支えなければ教えて欲しいのだが。クロゥレン家はどうしてフェリス君のことを隠しているんだい?」
言っている意味が解らず、身動きを止める。
俺は別に両親から認知されていない訳でもないし、中央にちゃんと出生の届も出ているはずだ。そうでなければ八歳式に出られた筈もない。
素で眉を顰めた俺に、ファラ師は苦笑して返す。
「やはり教えてはくれないか」
「いや、教える教えないというより……何のことだかよく解らないのですが。隠すも何も、クロゥレン家は中央に対して伏せている事実は特にありませんよ」
ファラ師は俺が本気で言っていると理解したのか、少し発言を考え込んだ。
「うーん、君が自覚していないだけか? いやね、通常、君くらいの強度の持ち主であれば、中央で話題に上がるんだよ。成人を迎えたばかりの人間が総合強度8000を超えるとなれば、軍部は黙っていない。有能な人材を押さえろと指示が飛ぶ。私もそういった噂を頼りに勧誘をしているし、アヴェイラはそれで声がかかった」
ああ、なるほど。
そういう意味なら話が通じる。
「期待を裏切るようですが、それは別に隠してる訳ではありませんね。俺の話が中央に行かないのは、思いつく限りでも幾つか理由は出て来ますよ」
「ふむ、例えば?」
頭に浮かんだ理由があまりにしょうもなくて、俺は苦笑いを浮かべる。
「昼間にジェストとも話をしたんですけどね。クロゥレン子爵領は、辺境なこともあってとにかく人が来ないんですよ。ファラ師の身近な人で、クロゥレン家に行ったことがあるって人いますか?」
恐らくはいないはずだ。来客の大半が商人であり、彼らは軍部との繋がりは無いようだった。話題に上らないのだから、お偉いさんが来る理由も無い。
では監査官はどうかと言えば、彼らの仕事は銭勘定だ。資産を守れるだけの武力が領内にあるかは気にかけたとしても、その上限にまでは目を向けない。そもそも対応するのが領内最強のミル姉なのだから、他者を意識するようなことも無いだろう。
「確かに、直接あそこに行ったことのある者はいないだろうな。しかし、ミルカ嬢やジィトについてはやはり話題になったぞ?」
「それが次の理由ですね。魔術ならミル姉、武術ならジィト兄――あの二人の単独強度は突出しています。人の上に立つのに充分過ぎる数字でしょう。一方、現場で求められるのは目の前の魔獣や野盗なんかを相手に出来るかどうかです。数字なんか求められない。だから、上に立たない俺に求められるのは、魔獣の対処が出来るかどうかだった」
実際のところ、ミル姉やジィト兄に求められたのも現場での対応力だったとは思うが、二人の場合はどちらを当主にするべきかという問題があった。立場を放棄した俺とは違って、二人は数値を他者に晒す理由があったのだ。
そして、最初から期待されていないし不出来だと思われていた俺には、数値を晒す理由も機会も無かった。
「後はまあ……強いて言えば、俺があまり強度を晒したくなかったというのもあります。何年か前までは、誰を当主に据えるべきかという話は結構周りにありました。俺はミル姉が相応しいと思ったし、ジィト兄も最終的にはそう思ったようです。家の中が揉めるような要素は極力少ない方が、こちらにとって都合が良かったんですよね」
「ああ……そうだったのか」
ファラ師は何故か目を見張って俺を見つめる。唇が微かに震えていた。
「だからまあ、俺が話題に上がらないのは大した理由ではないですよ。面倒事から逃げようとしたらそうなったってだけです。俺は凡庸だと見られていますし、それが事実でもあるので、身の丈には合っていますしね」
一応、貴族として相応しい、家族に貢献出来るだけの力量は身に付けたつもりだ。家に残る気も無いのに強さを求めたのは、ある意味俺が半端で、後ろを振り返ってばかりだからでもあるのだろう。
見切りの甘い、凡庸な人間。それが俺だ。今更変わらないとも思っている。
ともあれ、クロゥレン家の不出来な次男坊についての話はこれでおしまいだ。隠していた訳ではないと納得してもらえれば、中央に要らぬ詮索をされることもないだろう。
後は本当にファラ師が黙っていてくれさえすれば、何も問題は無い。
ひとまず最低限の仕事はしたかなと人心地ついていると、不意に鼻先が柔らかい匂いで包まれた。気付けば、ファラ師が口づけるような距離で俺を見つめている。
……??
え、何?
性的なことよりも先に、動きの起こりが見えなかったことに驚く。混乱している俺の頭を、ファラ師は優しく手で梳いた。
「君は頑張ったのだなあ、フェリス君」
「え、そ、そうですか?」
「そうだとも。君が退いたから、クロゥレン家は今の形で成立したんだ。君は胸を張って生きることを覚えた方がいい」
他人からこんな風に褒められたことは無かった。貴族としての俺を評価する人がいるなんて、考えもしなかった。
鳩尾の辺りが熱くなって、少しだけ指先が震える。
「ありがとう、ございます」
かろうじて感謝を口にする。
伏して祈りを捧げたくなるような人がいるなんてことを、初めて知った。
今回はここまで。
ご覧いただき、ありがとうございました。