再会
レイドルク侯爵領に踏み入るのは久し振りだった。
思えば守備隊長などという役職に就いて以来、領から出るような立場ではなくなった。それは多分、私が外部との交渉を任せられるような人間ではないということも、害獣退治でそれどころではないということも、両方含んでいただろう。逆に言うと今回侯爵領への出向が認められたのは、侯爵家がそれを求めたからというだけではなく、私に経験を積ませるという意味もあるに違いない。
そんなことを述べると、フェリス殿は何気無い調子でふっと笑った。
「バルガス伯爵なら、跡継ぎに経験を積ませるならいつが良いかと考えるでしょう。今後はどんどんこういう機会が増えると思いますよ」
「今まではそんなことは無かったんですが、何故急に?」
「そりゃあ、ビックス様が他人の上に立つ自覚を持ち始めたからでは?」
自分ではそれほど意識が変わったつもりは無い。それでも、周囲からはそう見えるのだろうか。何がどう評価されるか解らないものだ。
いずれは家を継ぐであろうことは理解していたが、改めて触れられると、どう振舞うべきかが悩ましい。
「そんな難しく考えなくても良いと思いますよ。バルガス伯爵も、すぐに形になるとは考えていないでしょう。なんだったら、侯爵家当主がどう動いているか、確かめてみるのも一興ですし」
確かに、父以外の貴族がどういう対応を取るかを学ばせてもらえれば、今後の役に立つだろう。
レイドルク侯爵には、三人の子がいる。家を継ぐのは順当に長男が選ばれたそうだ。その長男は確か私と年齢が近かったはずなので、色々な意味で参考にさせてもらおう。
「そうですね、勉強させていただきましょう。……フェリス殿はあちらの次男と友人関係だという話でしたが」
「ええ。八歳式ってあるじゃないですか、あの、中央に貴族の子弟が集まる催しが」
「そんなのもありましたねえ」
かなり昔のことなので記憶が曖昧だが、八歳になると子供たちは中央に集められ、貴族としての一般教養を半年間叩き込まれる。大体は親が所属している派閥によって子供たちも固まることになるものの、爵位に関係無く同じ指導を受けるため、波長が合えばそんなこと無関係に仲良くなることもある。
クロゥレン子爵家とレイドルク侯爵家にはそう交流が無いはずなので、あくまで個人としての付き合いなのだろう。
「ジェストとはそれ以来の付き合いでして。……私達は恥ずかしながら、長剣と陽術が苦手だったのですよ」
興国の祖が陽術と長剣の達人であったことから、貴族社会においてはそれらを扱えることが嗜みとされる。まあ嗜みという言葉で表現はすれど、実際は式典で使うので必須技能に当たるか。
両方が苦手だったとすれば、八歳式はさぞや苦痛だっただろう。
「今でこそ一応扱えるという程度になりましたが、あの当時は本当に、見るに耐えない技量だったと自分でも思います」
「あれは毎年苦手とする人間がいるようですから。私達の時代でもやはり、何人かおりましたよ」
「言い訳に聞こえるかもしれませんが、素養も無い、体も出来てない子供に特定の魔術や武術を押し付ける心情が理解出来ないんですよねえ……。子供って周りに劣るのが我慢出来ないでしょう? 戦うだけなら剣にも陽術にも拘る理由は無いのに、嗜みだからって、苦手なことを無理やりやらされて。あれが理由で、当主を目指すのを辞めようって言ってた奴もいたくらいでしたよ」
気持ちは解らないでもない。幸い私は長剣はそう苦手ではないものの、一番馴染んだ武器は斧だった。今ではそれこそ、式典の時くらいしか帯剣はしない。
しかし長剣はさておき、陽術とは。
「フェリス殿はメルジの治療をしている時に、陽術を普通に使っておりませんでしたか?」
シャロットとメルジに並行して陽術を使いながら、場を維持するという離れ業をしていたはずなのだが、あれで苦手と言うのか?
私の問いに、フェリス殿は困ったような苦笑いで応じる。
「まあ最低限は、というところですかねえ。一時期は姉の技量に憧れて、必死で追いつこうとしたものです」
フェリス殿は懐かし気に目を細める。
そりゃあ国内最高峰の魔術師と比べたら、誰だって出来ない人間だろうとは口に出来なかった。
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当たり前のことながら、侯爵を差し置いて自分たちの都合を優先という訳にはいかない。なので真っ先に、侯爵家に対して面会のお伺いを立てた。ビックス様を呼び出したのはあちらなので、門前払いということは無いにせよ、都合によってはいつまでも待たされるということは有り得る。ただ今回は逆で、門番にお目通りを願った段階でそのまま中へと招かれた。
大角を重く捉えるような理由は無いだろうから、たまたま都合の良い時間だったのだろう。
客室へと通され、何となく落ち着かないまま椅子に腰かける。
……懸念しているのは、アヴェイラがいないかどうかだ。
「フェリス殿、どうかされたのですか」
何か感じるものがあったのか、ビックス様がかろうじて聞き取れるくらいの声で囁く。
「ああ。……ジェストの双子の妹にアヴェイラという者がおりまして。非常に私と相性が悪いものですから、顔を合わせないで済めばと思っていました」
こちらが特に何もしなくとも、劣った者が近くにいるだけで許せなかったのか、八歳式ではジェスト共々散々に絡まれたものだ。当時は俺に強度が無かったこともあったし、相手が幼いということもあったので、甘んじて受け入れることしか出来なかった。もしあの性格が今も変わっていなければ、俺は最悪アイツを殺してしまうかもしれない。
そこまで考えているにも関わらず、俺は武装解除しないままにこの部屋にいる。どうしても、改心したあの女が想像出来なかった。
「まあ、なるべく大人しくしてますので、私のことはお気になさらず」
「……何事も無いことを祈ります」
そういう場ではないはずなのに、鉈と棒、そして仕込んだ魔核の位置を確かめてしまう。武装解除していないことはさておき、武器を持っていることそのものは、着いて真っ直ぐここに来たのだという言い訳で凌ぐつもりでいる。
さて、誰が来るか。
使用人の淹れた茶で唇を湿らせていると、廊下から気配がした。背筋を伸ばす間も無く、立派な木の扉が開かれる。
「失礼、お待たせしたね」
……これはまた、バルガス伯爵とはまるで違った印象の人が来たな。
引き締まっているというよりは、痩せた体ではある。ただその所為か顔立ちや眼がやたらと鋭く見え、他者に対して威圧感を与えている。白髪交じりの頭も相俟って、刃物のような印象を受けた。
淡々とした、静かな佇まい。これがレイドルク侯爵か。
そして後ろからは、七年でだいぶ顔つきが変わっているものの、何処か懐かしい顔立ちの男が入ってきていた。
ジェストは俺を見つけると、唇だけで一瞬笑って見せる。侯爵を前にして、こっちは笑って返せんよ……。
俺とビックス様はほぼ同時に立ち上がり、二人に対して深く頭を下げた。
「お召しにより、ビックス・ミズガル、参上仕りました」
「クロゥレン子爵家次男、フェリス・クロゥレンと申します。中央への道中でこちらの領を通過するに当たり、ご挨拶をと思いお邪魔させていただいております」
前回もそうだったが、格上に対する接し方がよく解らない。そもそも俺の言葉遣いは合っているのか?
確信を持てないまま、相手の許しが出たため顔を上げる。
「硬いな。邸内においては、そう緊張した態度でなくともよろしい。さて、ビックス殿。到着したばかりでお疲れであろうが、そちらに現れた大角とやらについて話を聞かせて欲しい。フェリス殿はジェストと面識があるということだったな。時間が許すのであれば、隣室を用意してあるので、暫し旧交を温めるがよろしかろう」
「ご配慮くださりありがとうございます」
これは逃げた方が良いな。俺で話が盛り上がるとは思えない。
何となくビックス様がここにいて欲しそうにしているのを背中に感じつつ、言われるがままに隣室へ移動する。部屋には軽食と茶が準備されており、使用人が壁際で背筋を伸ばしていた。
他の家人がいないと解り、一息つく。
「やあやあ久し振り。元気だった?」
「おう、久し振り。見ての通り程々だよ。あ、土産持ってきたけど要る? 食い物じゃないけど」
「要る要るー」
一気に空気が緩くなる。取り敢えず要るとのことだったので、道中で作ったちょっとした刃物や食器の詰め合わせを手渡す。本来なら使用人に渡して安全確認をするのが一般的な流れだが、お互いの関係性もあってその辺は無視されている。使用人が軽く目を剥いて姿勢を乱したのはご愛敬だろう。
適当な袋に入れられた土産を、ジェストは徐に卓へと並べる。
「ふむ……造りは単純だし飾り気は無いけど、出来は良いな。これは普段使い用かな。クロゥレン子爵領って、この手の工芸品が有名なの?」
「いいや? 俺が個人的に作った」
「あー、噂の魔核! へえ、こんな感じになるんだ。面白いねえ」
こうも素直に人の仕事に関心してくれると、こちらとしてもちょっと嬉しい。
ただ、このまま立ち話を続けるのもなんだ。
「ちょっと腰を落ち着けて話そうか。侯爵様が折角色々と用意してくれてるみたいだし」
「そうだねえ。よし、じゃあまずは僕のお気に入りを楽しんでもらおうか。マーチェを濃い目でお願いね」
「畏まりました」
ジェストの指示に、使用人が恭しく一礼する。所作が綺麗だ。
何はともあれ、ひとまずコイツが変わりなくて安心した。
では、お互いの近況報告から始めようか。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。




