貴族の務め
今、自分の胸に渦巻いている感情を何と呼ぶべきか。
怒りだろうか、悲しみだろうか、諦めだろうか。
名も知らぬ貴族と二人並んで、バチェルが隠れている部屋を睨みつけている。
親方と喧嘩をしたので行く所が無い、というのが、アイツが逃げ込んで来た時の話だった。何があったのかは話さなかったが、続けるにしろ辞めるにしろ少し時間が欲しいと言われたため、意外と冷静なのだなとは思った。
喧嘩というのは、ある意味嘘ではないのかもしれない。ただ、それでどうなったかを話さなかった以上、この貴族の言っていることを否定する材料も無い。
……いや、違うな。
俺は、俺は――バチェルならやるだろうな、と思った。
そして、少なからず手をかけた人間が、事を誤魔化そうとしたことに苛立っている。しかもその内容が、俺の恩人でありアイツの師匠でもある人間を害したということで、吐き気すら覚えている。
俺やバチェルのような頭も良くなきゃ腕も無いようなどうしようもない奴でも、どうにかこうにか食っていけるのは、面倒見の良い大人が投げ出さずに目をかけてくれているからだ。
腹の中で何をどう思ったって良い。合う合わないはあるからだ。だが、実際に手を出してしまったのなら、それは許されることではない。
そこまで行ってしまったら、俺達には本当に何も残らない。
「あの部屋に鍵は?」
貴族が顎先で俺に問う。顔立ちは幼く実際に年齢も下なのだろうが、こちらへの圧が凄い。責任ある立場とはこういうものか。
「一応かかってる。ただ、窓は無い部屋なんで、逃げられることもない」
口にしてから、敬語で話すべきだと気付く。しかし、相手は気にした様子も無く、ただうっすらと笑って呟いた。
「それは重畳」
この感情を、何と呼ぶべきなのだろうか。
バチェルは今日、ここで死ぬのだと、俺には解ってしまう。
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店主は扉を壊されるのが嫌だったのか、大人しく扉の鍵を俺に手渡した。使わない物を取り敢えず突っ込んでおく部屋とのことで、バチェル君はひとまず目につかない所で引きこもっているそうだ。
さて。折角店主が協力的なのだから、汚したり壊したりはなるべく避けたい。鉈を出したは良いものの、使うことは無いかな?
気分が高揚していることを自覚する。感情の目盛が振り切れて、少しおかしくなっている。
こんなことをしたって、アキムさんの怪我が治る訳ではない。この状況下であれば、依頼をしくじったからと言って伯爵家も工房を咎めたりはしないだろう。金を奪い返すことで、後々の工房が楽になる、という程度だ。
だからこれは、完全に私怨だ。
俺は俺が不愉快な気分であるというだけで、人を殺そうとしている。その為だけに、家柄を使っている。
……知ったことか。
アキムさんがどのような手傷を負ったのかまでは聞いていない。それでも重症ということであれば、今後の活動に影響は出るはずだ。
力量のある職人が、下らない理由で傷付けられた。なら、俺が気に入らないからなんて下らない理由で、相手が死んだって良いだろう。
深呼吸をする。油断はしない。『観察』と『集中』を起動して、鍵を開けた。
「やあ、ご無沙汰」
「テメエ、何しに来やがった」
食堂側での騒ぎが響いていたのか、バチェル君は健気にも短刀をこちらに向けて震えていた。万が一アキムさんへの暴行が冤罪であっても、この時点で既に殺す理由が出来ている。これから行使しようとしておいてなんだが、貴族が持つ平民への権限は、ちょっと行き過ぎているように思える。それだけ責任の大きな立場である、ということの証左でもあるけれど。
ひとまず、店主が中に入ったことを確認してから、後ろ手に扉を閉める。相手がいきなり飛び掛かってくることは無かった。
「何しに、ねえ。お前が工房から持ち逃げした金を取り戻しに来たんだよ。それと、アキムさんへの暴行の件もある。知らなかったかもしれないが、強盗は死罪だぞ」
「う、うるせえ! 俺が悪いんじゃねえ! なんで俺がぶん殴られた挙句、頭下げなきゃならねえんだ! あのおっさんが貴族にぺこぺこするのは勝手だがな、俺にまでそれを強要するんじゃねえよ!」
「それが嫌なら辞めりゃあいい。アキムさんを傷付けて、金を奪う理由にはならない」
「こっちが下手に出てりゃあ、鬱陶しいことをぐちぐち言いやがるからだ。黙らせてやったんだよ。金だって迷惑料だよ迷惑料」
素直に白状してくれたのでこちらとしては楽だが、よくもまあこんなに怯えながら強がれるものだ。溜息をついて、横の店主を見遣る。彼は拳を握り締めて、気の毒なくらい震えていた。
俺はもう怒りなどという水準はとっくに通り越して、どうすれば室内を汚さずに首を飛ばせるかを考え始めている。まあ、いつでもどうにでも出来る案件だ。今はむしろ、店主の方が問題だろう。
「状況は理解出来たか?」
「ああ、納得した」
「悪いけど、後はこっちに任せてもらうぞ。なるべく店に被害は出さないから」
「好きにしてくれ。俺はもう諦めた」
店主が何を言ったところで、バチェル君が死ぬことに変わりはない。態度によってはある程度穏便な選択肢があったとは言え、もうそんな道も途絶えてしまった。
この不運な男を慰めるような言葉を俺は持たない。
「さて、店主の同意も得られたことだし話を進めようか。君には三つの道が残されている。素直に罪を認め、伯爵家の手で処刑されること。これが一番のお勧めだね。二番目は今ここで俺に殺されること。三番目は、俺達を殺してまた逃げること」
因みに三番目に成功した場合、クロゥレン家とミズガル家が総力を挙げて彼を血祭りに上げるだろう。いずれにせよ彼はもう詰んでいる。
まあ、それが理解出来るようなら、こんなことにはなっていない、か。
「お前みたいなガキを、俺が殺せないとでも思ってんのか?」
「腰が引けてるぞ、せめて真っ直ぐ立ってそんな口を利けよ」
呆れてしまう。本当に、度胸があるんだか無いんだか解らない奴だ。勢いだけで突き進んでいる割に、意外と小心者なのか?
取り敢えず、意思は伝わった。悪足掻きにすらならないにせよ、当人がその道を選ぶのだから相手になろう。
「ま、ここで暴れるのもなんだ。表に出ようか」
「後悔すんなよ、本当にやるからな」
「しないよそんなことは」
バチェル君にわざと背を向けて先を行く。後ろから襲われたとしても、対応には困らない。
少し期待したものの、結局奇襲は無かった。
俺、店主、バチェル君の順番で店を出る。店の脇にちょっとした空き地があったので、そちらに移動した。多少草が点々としているだけの、お誂え向きの場所だ。
しかし、どうしたものか。
今でも殺す気はあるものの、白を切られた訳でもなく、脅威がある訳でもない。適当に痛めつけて伯爵家に引き渡した方が、後々で覚えは良いだろうか。今になってこんなことで迷っている。
何だろうか。馬鹿すぎる所為で愛嬌を感じているのか?
――コイツのこういう馬鹿なところを、アキムさんは気に入っていたのだろうか?
考えても詮無きことだ。やはり責任は俺が取らねばなるまい。
息を整え、鉈を逆手に握る。これは決闘ではない。だから名乗りは上げない。
ただせめて、相手の準備が終わるまでは待つ。バチェル君は暫く震えていたものの、やがてそれも収まったのか、険しい顔でこちらを睨みながら構えた。
「ッ、らあああああ!」
バチェル君は雄叫びを上げると、両手で握り締めた短刀を前にして突っ込んで来た。想像以上の遅さにたじろいだものの、俺は体を傾けてそれを躱し、足を払う。掌から零れ落ちた短刀を見て、酷く悲しい気持ちになった。
根拠の無い強がり。有能を主張する浅ましさ。欠片も感じられない研鑽。
研ぎ師が持つにしては、あまりに鈍らな刃物。
「ちく、しょうが!」
毒づいて相手が立ち上がる。こちらを警戒しているようで、まるで出来ていない。
何故俺は、俺達は、こんな奴のために。
踵で地面を鳴らす。それと同時、地面から突き出した石の針が敵の手足に突き刺さり、動きを封じた。
「ぎぁ、ああッ! テメエ、何しやがるッ」
「騒がしいな」
水の膜で口を覆う。窒息死でも悪くはないが、処刑の華はやはり斬首だ。鼻は塞がないようにしつつ、首から下を石の箱で固める。
鉈を使うまでも無かったな。
顔の真上に立ち、相手を真っ直ぐに見下ろす。瞳に怯えが浮かんでいる。ようやく自分の死が間近にあると実感したのだろうか。
俺は異能を解き、全力で陰術を練り上げる。元々は大型魔獣を傷付けずに仕留めるために作った、睡眠の術式。掌に生み出した水にそれを乗せ、相手の鼻から注ぎ込んだ。魔術強度の低い人間に対してこれを使うと、意識を失ったまま死ぬ。死ななかったとしても、自力で目覚めることは無い。
バチェル君は首を振って嫌がったが、抵抗も虚しくすぐ眠りに落ちた。
「何をしたんだ?」
「寝かしつけた」
店主は目を瞑ったまま天を仰ぎ、深くゆっくりと息を吐いた。
「俺の所為で、気を遣わせてしまったか?」
「まあ多少はね? でも、別に貴方の所為でもないんだ。どうしたって殺すんだから、暴れない方がいいかと思っただけで」
痛めつけてやりたいとは考えた。しかし、あまりに本人が無様かつ哀れで――アキムさんがコイツを気にかけた理由も、なんとなく解ってしまった。
「取り返しのつかないことってのは、やっぱりある。バチェル君が何歳だか知らんけど、この国じゃ成人してるんならやったことの責任は取らなくちゃいけない。ただ、それが若さに起因するものなら……多少は容赦をしたって良いと、そう思った。俺は中途半端なんだろうね」
俺の苦笑いに、店主は首を横に振って応える。
「少なくとも、俺はアンタを恨んだりしない。アンタが寛大な貴族であることに感謝するよ。だから、やるべきことをやってくれ」
やるべきことが何かは知っているはずで、それでも彼は俺を止めなかった。その覚悟には敬意を表する。
ならば、貴族の流儀に則って事を進めよう。
魔力を魔核に込め、長剣を作る。急拵えで造りは雑の一言だが、斬る分には問題無い。何故だか貴族社会は長剣の文化なので、処刑もそれに沿うべきだ。
剣を空へと掲げ、上段の構えを取る。そのままの体勢で魔力を核へと流し続け、剣を真っ当な形へと整えていく。ただ一撃、首を刎ねるためだけに、武器を洗練させる。
鋭く、鋭く、鋭く。渦を巻いた魔力がそのまま結晶化するように。
研がなくたって、いいように。
「バチェル君は正式な名前は何と言うのかな?」
「バチェル・センクだ」
「そう。――では、バチェル・センクを強盗の罪により、死刑に処す。処刑はクロゥレン子爵家、フェリス・クロゥレンが執り行う」
宣言し、長剣を振り下ろす。
石の棺ごと、首が宙に跳ね飛んだ。
ああ。長い一日が終わろうとしている。
今回はここまで。
最近忙しい所為で進まなかった……なんか言い訳ばかりだなあ。
ご覧いただきありがとうございました。