少し雑談
帰ってから暫くは、とにかく寝て過ごした。時々ルリやトラメが寝床に潜り込んできて、回復のつもりか俺に精気を注ぎ込んでいたようだが、どうにも応答する気力は湧かなかった。ミズガル領での消耗が激しかったというより、与えられた権能が体に馴染み切っていないような感覚。与えられれば与えられただけ、力に適応しようと体が頑張りたがる。
骨ではなく血管が軋んでいる気がする。万物を知覚すべく脳の機能が拡張されていく。急激な変化についていけず、視界が渦を巻いて激しくうねる。
何日経っただろう? それすら解らなくなった頃、ようやくすっきりとした目覚めに至った。気付かない間に襟足がかなり伸びていて、首元に鬱陶しさを感じる。
「起きた?」
「ああ、おはよう。迷惑をかけたね」
「別に迷惑ではなかったよ。外で待ってるお客さんは困ってそうだけど」
「客? 誰だ?」
言われて視覚を伸ばしてやると、洞窟の外でジェストが退屈そうにしていると解った。俺の五感が強化されたと気付いたのか、トラメは目を細めて嬉しそうに笑みを零す。
……あんなに意味不明だったのに、不思議だ。今は、トラメが張り巡らせている領域が解る。
「お兄ちゃんも精霊の感覚が掴めてきたみたいだね。出かける前とは全然違う」
「うん、体がどうにか馴染んできたみたいだ。……これがそうなのか」
「そうだね。お兄ちゃんはあたしとお姉ちゃん、風精の感性を持ってるから、いずれは誰よりも領域が広くなると思うよ」
俺が二人を超える未来など想像もつかないが、トラメが言うなら事実なのだろう。荒事から逃げて生きるなら、身に付けておいて損の無い能力だ。これは鍛えておきたい。
さておき、こんな辺鄙な所に来てくれた客を、いつまでも待たせておく訳にもいかないな。
俺は挨拶もそこそこに、身なりを整え外に出る。久々の日差しが目に突き刺さり、自然と顔を顰めてしまう。ジェストは俺の姿に気付いて地べたから腰を上げ、青白い顔を綻ばせた。
「やあ。なかなか反応が無かったけど、何かあったのかな?」
「ミズガル領での仕事が忙しくて、戻ってからはずっと寝てたんだ。そっちはやり遂げたらしいな」
「お陰様でね。いやあ……疲れたよ」
力の無い笑いが相手の唇から漏れる。瞼は小刻みに痙攣し、視線が一か所に固定されたまま動いていない。目的を達したところで、心身が休まるかは別問題だったのだろう。ジェストは復讐に赴く前よりもずっと疲れて見えた。
「ビックス様を殺さずに済ませてくれたのはありがたかったよ。ちょっとやり過ぎの感はあったがな」
「こっちとしても、なるべく穏便に済ませたかったんだけどねえ。相手にした連中の中で、唯一油断ならないというか……まともな戦闘になりそうなのがビックス様だったんだよ。アヴェイラとやり合った時よりも腕を上げてたし、下手に手を抜いて失敗する訳にはいかなかった」
「まあ俺も納得はしてる、責めてる訳じゃないよ。目的の方が大事なのは当たり前だ。……ただ、その時バルガス様は危篤状態にあって……予定外の仕事が入って色々大変だったっていう、単なる愚痴だな」
ミズガル領の状況については聞いていなかったらしく、ジェストは口を半開きにすると、申し訳無さそうに目を伏せた。俺からすれば終わった話であって、ジェストに負い目を感じさせたい訳でもないので、手を振って謝罪を止める。
「たまたま巡りが悪かっただけだ、重く考えるな」
「うん……因みに、何が原因だったんだ?」
「肺病だな。あそこは果樹の栽培が盛んだろう? 植物の花粉が体内に蓄積して、肺の動きを阻害したようだ。どの植物が原因なのかまでは特定し切れていない」
「そっか。直接話したのは数えるくらいだけど……バルガス伯爵は優れた領主だったから残念だよ。上位貴族にありがちな嫌味っぽさが無くて、僕みたいな若造にも親切な方だったのに」
それから少しの間、俺達はバルガス様についての思い出を語り合った。自身の領地ならまだしも、他領の人間にこれだけ惜しまれるというだけで、故人の人柄が偲ばれる。
本当に惜しい人を亡くした。
そうして一通り話題が出尽くしたところで、俺はずっと気になっていた話題について触れることにした。
「……それで、レイドルク領は結局どうなったんだ? 決闘でウェイン・レイドルクが死んだなら、権利関係はお前が継承することになるのか?」
「いやいや。割譲される予定自体は、僕が勝ったところで別に変わらないよ。そもそも決闘にするつもりは無かったから、勝利した場合の条件は設定していなかったんだ」
「ああそれ、疑問だったんだよな。何でわざわざ決闘をするのかなって」
「理由なんて決まってるでしょ? 僕は犯罪者になろうと構わなかったし、暗殺でも何でも相手を殺せればどうでも良かったんだけど……土壇場になって王子が体裁を気にし始めてね。自身の正当性を示すため、名乗りを挙げる羽目になったんだ。多分、僕を国に取り込もうとする場合、不都合があると気付いたんじゃないか」
なるほど、有り得そうな話だ。
一個人で貴族家に喧嘩を売れるような戦力なんて、もう王国には残っていない。ジェストは比較的話が通じる方ではあるし、復讐に協力してやったのだから自分に従え、という流れになってもおかしくはないな。
あの内乱が尾を引き摺り過ぎていて涙が出そうだ。
「じゃあ領地は当初の予定通り、三家で分割されると。三家は巻き込まれただけで、勝っても負けても結果が同じなら、参戦する意味なんて無かったじゃないか」
「僕もそう思うよ。ただ、ビックス様は侯爵家を守るために結構頑張ったんで、御礼として取り分がかなり増えた筈だ。だからええと……旧レイドルクの北西をハーネイ侯爵家が、北東をアッケラ侯爵家が管理して、残りをミズガル家が貰うことになったんだね」
ジェストは地面に鏃で地図を描くと、各家が切り取った土地に斜線を入れた。北西や北東という説明があったが、実際に両侯爵家が手に入れた土地はかなり限定されており、全体の約六割はミズガル領に編入されるようだ。想定を大きく超える大金星である反面、あの状況で誰が管理をするのかという問題は残る。
……ミズガル領がかなり縦に伸びるな。業務の範囲を想像するだけで大変そう、という感想しか出なかった。
「うわあ……ビックス様が現場復帰するまでどうするんだ……?」
「そこは侯爵家が何とかするでしょ。今回の一件で、ハーネイとアッケラは娘を担当として派遣してたんだけど……ビックス様はその二人の盾になって負傷したんだよね。彼女等は矢を向けただけで動けなくなってたから」
いや、やったのはお前だし、結局はその二人も射抜いたんだろうに、という突っ込みは無粋だろうか。
「……ならまあ、俺が心配することじゃないか。しかし、襲撃側なのに随分と相手方の状況に詳しいな。国から情報流してもらってるんだろ? 折角家を抜けたのに、今度はそっちの暗部になる訳じゃあるまいな?」
「流石にそのつもりはないよ。代わりに、近衛として働かないかって話は貰ってる。でもねえ……あまりやる気が起きなくて、返事は保留してるんだよねえ。収入が多いのは事実としても、戦うのって疲れるし面倒臭いじゃない。それに、王子は思いつきで人の仕事を邪魔する手合いだしさ」
さては襲撃直前で、所在をバラされたのを根に持っているな? 実際あそこで邪魔が入らなければ、ウェイン・レイドルク以外に被害者は出なかっただろうからな。或いは、俺が悪評を流したのも影響しているのかもしれない。何にせよ、ジェストが国で働くのは個人的にも反対だ。
とはいえそうなると、ジェストには何が合っているのだろう? 今はゆっくり心身を癒してもらうとして、将来的には働いて収入を得なければならない。俺のような人外と違い、人間はどうしても衣食住が確保されている必要がある。
「うーん……もし勧誘が鬱陶しいようなら、クロゥレン領で匿ってもらえば良いよ。昔、父上に商売の話を聞きたいって言ってただろう? 文官として内部に潜り込むという手がある」
「あそこは魔獣が多いって言ってなかった? 戦闘要員としての動きを期待してるなら、正直遠慮したいね」
「多いのは事実なんで、最低限の自衛はしてもらうことになるだろうな。ただ、余程の非常時でもなきゃ守備隊が動くよ。ファラ師も加入したし、クロゥレンはあまりに戦力が過剰だ。お前まで駆り出されるのは、未開地帯が溢れた時くらいじゃないかね」
「ファラ様が? なら確かに、僕の出番は無いか。でも本当に過剰だね、国でも対抗出来ないんじゃない?」
出来ないだろうな。対抗出来そうな戦力は、先の内乱で消えるかクロゥレンに取り込まれた。冗談抜きで、国全体を相手に勝ち切れるだけの人員は揃っている。
「国を獲るつもりはないが、国からの干渉を防ぐ力は持っておく必要があるだろうな。お前も取り込まれるのが嫌なら、早めに抜けた方が良いぞ」
「そうだね。やるべきことはやったし、王国以外に目を向けるのも面白そうだとは考えてるよ。ただ、出国する前に一つ気がかりがあってね」
この切り出し……何だろう、何か面倒事に巻き込まれそうな気配がする。俺はこの感覚を知っている。
露骨に警戒を示したこちらに対し、ジェストは僅かに苦笑を覗かせる。
「ごめんごめん、フェリスに何処かへ行って対処してくれとか、一緒に来てくれとかってことはないよ。そうじゃなくて、僕が逃亡生活をしていた時、世話になった人がいるんだけど、その人が問題を抱えていてね。参考までに、ちょっと意見を聞かせてほしいんだ」
「……まあ知恵を出すくらいなら構わんが……俺は別に物知りって訳じゃないんで、解らんものは解らんと言うぞ」
さて、何が飛び出してくるやら。
長くなりそうなので、俺は地べたに腰を下ろし話の続きを待った。
今回はここまで。
来週は私用のためお休みです。次回は2/15を予定しています。
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