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ビックス様の処置が無事に終わった辺りで、日が落ちて夜になった。シャロット先生と母さんは、くたびれて眠っているようだ。集中力が必要な仕事で疲れただろうし、起きたら今度は領主の死と向き合わねばならないのだから、今くらいゆっくり休むべきだろう。
治療院の中には動かない気配が点在している。今活動しているのは自分だけだ。
俺はバルガス様の眠る病室を氷漬けにした後、一旦すべての術式を切る――まだ魔力に余裕はあるな。
以前貰った魔核に精気を吹き込み花に変え、遺体の枕元に添える。手向けというには少し寂しいが、これくらいしかやれるものがない。
「大変お世話になりました。安らかにお眠りください」
呟き、頭を下げる。
こんなにも職務に殉じた男を、俺は寡聞にして知らない。バルガス様は尊敬すべき、偉大な領主だった。この背中を見て育ったビックス様が、領地をより高めてくれることを心から祈る。あの人ならきっと、良い政治を行ってくれるだろう。
……さて、名残惜しいがそろそろ退場すべき時間だな。
部屋の温度管理は問題無し、献花も済ませた。バルガス様のためにやるべきことはもう無い。俺もようやくお役御免だ。
そんなに日は経っていない筈だが、何だか長い時間を過ごした気がする。
俺は治療院を抜け出し、夜空に向かって大きく伸びをする。肩を回して凝り固まった筋肉を解していると、空から降って来たジィト兄が、静かに俺の背後へと着地した。体力はある人なのに、珍しく息が荒い。
「何処に行ってたんだ?」
「ちょっとクロゥレン領まで。バルガス様の件を、親父に知らせてこいって言われてな。こんなに走ったのは久々だよ、足が張って仕方ねえ」
「まあ……ほぼ一日中、全力で走ってたものな。お疲れ」
常人なら片道で数日かかる距離を、一日で往復したようなものだしな。ジィト兄が幾ら健脚とはいえ、多少の不調は出るだろう。むしろ、足が張る程度の不満で済んでいる事実が恐ろしい。
「で、バルガス様は?」
「ついさっき逝ったよ。最期は穏やかなもんだった」
「そうか……気を落とすなよ。苦しまずに逝ったなら良かったじゃないか」
「それはそう。頑張っただけの意味はあった……と信じたいね」
その辺、正直自信は無い。ただ、俺なりにやれることはやったつもりではある。だから結果については受け入れている。
しかし、俺も医術をもう少し真面目に学んでおくべきだったのだろうか? いや、色々なものに手を出したところで、結局時間が足りなくて身に付かなかったかな。後悔したところで今更な話だ。どうあれバルガス様は死んだ。本業である母さんとシャロット先生でも駄目だったのだから、俺が手出ししたところで結果は変わらなかった。
死を振りまく存在である俺が、誰かを救おうだなんて烏滸がましい。
頬を叩いて意識を切り替える。
「うん、よし、反省終了」
「おう。……で、お前は葬儀に出席するのか? クロゥレン家からはミル姉と親父が出る予定で、俺はファラと留守番。母さんは……この感じだと、葬儀が終わるまで残るだろうな。先方はお前にも出席を望みそうだが」
「遠慮しとくよ。俺個人は別れを済ませたからね、これ以上は余分になる」
「ふうん……じゃあ、これからどうするんだよ。何があったか知らんが、クロゥレン領にはもう戻らないつもりか?」
おや、驚いた。絶縁とまでは行かずとも、俺が実家から距離を置こうとしていたのは事実だ。他人の機微には疎いのかと思っていたが……ジィト兄がこちらの意図を察するとは。
まあ気付かれたなら仕方無い、本音を一応伝えておこうか。
「回数は減るにせよ、戻らない訳ではないよ」
「因みに理由は?」
「理由は色々あるかなあ。まず大きいところを挙げると、穢れを浴びた所為で俺が人間じゃなくなったから、ってのが一つ。敢えて言わなきゃ誰も気付かないんだろうが、誰がどんな異能を持っているかなんて解らんし、バレたら討伐対象になる。俺が単独で狙われるならまだもしも、こういう場合は一族がまるごと非難されるものじゃないか」
「人と違うようには見えんぞ? 指摘されたところで、幾らでも誤魔化せるんじゃないか? いざとなったら、不敬だって斬り捨ててしまえば良い」
こういう時だけ貴族の特権を持ち出すのは、ジィト兄らしくないし俺の趣味でもないな。本人も自覚があるのか、いまいちしっくり来ていない様子が見られる。
どれだけ強い言葉を使おうと、ジィト兄は剣を振るう際に闘争を求める人間だ。武での争いに至らない相手を、俺にとって支障があるという理由だけで斬らせるのは話が違う。
「どうしてもって時は自分でやるよ。他にもまだ理由はある。貴族という立場から離れて、職人としての修行をやり直したい。精霊と縁が出来たんで、一緒にいたい。それと……領地を出てからずっと、争いに巻き込まれてきたんで、人と関わるのが鬱陶しくなってきた」
「色々あったとは聞いているが、最後が一番大きいのか」
「正直な。穢れについてはもう、幾らでも制御出来るんだよ。でも感情はそうもいかないだろう? 誰かに何か言われて腹が立って、街中で穢れをぶっ放したくなったらどうする?」
「なるほど……確かにそういう意味では危ないか。鬱憤が溜ってるなら、今からでも相手をしてやるぞ?」
「要らん要らん、何回ミズガル領を荒らすことになるんだよ」
手を振って申し出を即座に却下する。ジィト兄は笑いつつ舌打ちをし、長剣に触れていた指を離した。ファラ師がいるなら相手には困らないだろうに、何故俺にちょっかいを出そうとするのか。
半分冗談にせよ、こういうところは変わらんなあ。ある意味安心する。
「取り敢えずそういう訳で、領地の出入りは減ると思う。……とはいえ元々家を離れている訳だから、俺が必要な局面もそうないだろう?」
「そこは流石にな。お前が欠けて拙いなら、親父も最初から独り立ちはさせなかったんじゃないか。ただ何かあった時に困るから、一応どこで暮らすつもりかは教えてくれよ」
「ああ、そういやそうだな。今はザヌバ特区の奥にある洞窟で暮らしてるよ。目印になるようなものが周りに無いんで、具体的な説明は出来ないんだが……ジィト兄なら多分見つけられるだろう。ミル姉は多分無理なんで、そこだけ注意してくれ。あの一帯って探知が通らないから」
ジィト兄に訪ねてもらうより、俺が定期的に外へ出て探知をした方が早いかもしれない。そうでもしないと、何もせずただ引き籠るだけになりそうな気がする。生活基盤をあの洞窟と決めるのなら、周辺一帯に精気を流して自分の領域にした方が良いな。環境を整えるとはそういうことだ。
やる気になっている自分に苦笑する。前向きになれる仕事とは素晴らしい。
ジィト兄は特区について知識が無いのか、一度首を捻って想像を諦めたようだった。
「実際に現地へ行ってみないと解らなさそうだな。まあでも多分、年内にお邪魔するとは思う。ミル姉が近々陞爵するから、式典……は無理でもせめて身内の宴会には出ろよ」
「お? 決まりそうなのか?」
「中央から書面が届いてはいる。陞爵自体は来月くらいに済むんだろうが、うちが僻地で人を呼び辛い所為で、調整が難しくてなあ。式典の具体的な日程がまだ決まっていない状態だ。仕事が増えるからってミル姉も乗り気じゃないし……かといって国内初の女伯爵誕生ともなると、お披露目をやらない訳にもいかん」
アディンバ地区の一件については、浄化云々よりもシャシィに負けたという悔しさの方が大きいだろうしなあ。挙句俺が色々と押し付けて逃げたから、陞爵なんぞより借りを返したいと思っているのではないか。
さておき、俺としてはミズガル領をどう扱うかの方が気にかかる。
「周りが準備をしてやれば、ミル姉も最後には諦めて受け入れるだろう。しかし……ミズガル領はどうする? こんなことがあったばかりで、招待しても良いもんかね?」
「招待しないのも変だし、欠席される前提で案内は出すんじゃないか? ミズガル家って、ビックス様以外の縁者はどうなってんだ?」
「子供はビックス様だけの筈。他は知らん」
バルガス様の兄弟や従兄弟なんかはいるかもしれないが、俺は付き合いが浅いので解らない。ビックス様とシャロット先生の子供が生まれるとしても、政務に関わるのは当分先だし……他に直系がいないとなると厳しいな。
俺が心配したところで現実は変わらないか。とにかく、長く平和に領地が続いてほしいものだ。
「もうちょっと状況が落ち着けば、ミズガル家も当主交代で挨拶に来るだろう。取り敢えず、それまで待ったらどうだ」
「そうだなあ、どうせ陞爵まで時間があるしな。……どれ、外で長話もなんだ。俺はそろそろ中で休ませてもらおうかね。お前はもう行くんだろ?」
「ああ。住処を変える時は連絡するよ」
ジィト兄は足音を殺して横を通り過ぎ、欠伸をしながら治療院へと入っていった。俺はそれを見送ってから、宿へと足を向ける。暫く放置してしまったジャークとアレンドラと話をしたら、ここでの仕事は終わりだ。ミズガル家には二人の仕事についてお願いしてあるし、ビックス様が不在でも近日中に手配も済むだろう。
ああ、早く帰りたいなあ。戻ったら暫く寝て過ごそう。
なんだか無性に、ルリとトラメに会いたくなってしまった。
本章はこれで終了。
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