子
全ての人員との会話が終わったところで、グラガス隊長が静かに執務室の扉を叩いた。意識を巡らせれば、こちらからは見えない位置で、ジィト兄が息を潜めていると解る。
もう帰って来たのか、早いな。
……しかし、一緒にいる筈のビックス様の気配が何処にも無い?
俺が眉を跳ね上げて疑問を呈すると、グラガス隊長が伯爵に見えないよう、そっと向こうから手招きをする。
……聞かれたくない話かね。
嫌な予感を抑えつつ一旦廊下へ出ると、ジィト兄がすぐさま俺の襟首を掴み、耳元に唇を寄せた。
「フェリス、ちと問題が起きた」
「どうした?」
「ビックス様だが、どうやらレイドルク兄弟の争いに巻き込まれたようでな。四肢を射抜かれて動けない状態にある」
四肢をということは、ジェストが意図的に痛めつけたのか。殺さないようお願いしていた筈だが……いや、だからこそ、そこで止めてくれたのか? 命は取らず、しかし確実に相手の抵抗力を奪おうという意思を感じるな。
色々言いたいことはあるにせよ、死んでいないなら取り敢えず良しとすべきか。
「何故巻き込まれたのか、経緯については?」
「情報が錯綜していて、細かい部分はよく解らんかった。ただ、二人の争いは最終的に決闘という形になったようでな。ジェスト一人に対し、ウェインは複数人で対戦に臨んだらしい。状況からして、ウェインに味方した一人がビックス様だった、ってことなんだろうな」
上位者からの命令で断れなかったか? それとも、義憤に駆られて首を突っ込んだ? 何にせよ、ジェストはよくぞ約束を守ってくれたものだ。俺が同じ立場なら、全員まとめて殺している。
「ふむ……ビックス様の容態は?」
「意識はあるし、簡単な返事くらいなら返してくれるぞ。ただ、当然ながら治療中なんで、軽々しく面会出来る状態ではないな。母さんがいるから、いずれは治るだろうけど」
「回復を待っていられる状況ではないんだよなあ。意識があるなら、引継ぎを受けてもらいたいところだが」
いや、引継ぎは無理でも、ここまで引き延ばしたのだから和解はしてほしい。ここの関係は綺麗にしておかないと、俺にまで悔いが残る。
……何故ビックス様は、決闘に参加したのだろう? その所為で、段取りが全て狂ってしまった。
事が済んだ後でどうこう言えるものではないが、ビックス様は余所の家の問題になど関与すべきではなかった。どうしても参戦を避けられないなら、決闘開始と同時に降伏するという手段もあった筈なのに。
無意味な負傷――それは彼自身の判断によるものだ。本人に原因がある以上、あれこれ斟酌などしていられない。
ジィト兄は消耗した太腿を軽く叩きながら、困ったように眉を下げる。
「まあ俺も、バルガス様が生きているうちに話をしておくべきだと思う。ただ、どうなんだ? こんな状況で、まともな会話が出来るもんかね?」
「それは解らんが、俺はもうバルガス様の好きにさせると決めてるんでな。全てを包み隠さず伝えた上で、どうするか判断は委ねるよ。今から本人と話すんで、ジィト兄も同席してくれ」
ジィト兄は少し嫌そうな顔をしたものの、必要なことと割り切ったのか、素直に執務室へ入った。バルガス様は椅子に全身を預け、気の抜けた表情で窓の外を眺めている。
「バルガス様、ビックス様のことでご報告が」
「……どうした、何かあったか」
こちらの言葉に対し、返事が遅れている。意識が少し朦朧としてきているか? これでは話を理解出来ないかもしれない、いや、それでも全てを話すしかない。遣り取りが難しいようであれば、このまま屋敷で最期を迎えてもらおう。
頭の中で段取りをまとめ、とにかく現状を片っ端から口にする。時折、ジィト兄が現地に行った者として説明を加える。決闘に負けてこちらに運ばれたと知った辺りで、バルガス様は何故か目を細め、唇を柔らかく緩めた。
何も含むものの無い、素の笑いだ。
「ええと、何か面白いことでも?」
「いや……相変わらず、ビックスはいざという時に弱いと思ってな。アイツは昔から対人戦が苦手で、よく負けてべそをかいていたものだよ。懐かしい」
まあ、あまり闘争心を感じさせない御方ではあるので、何となく想像はつく。それよりも、怪我についてまるで心配していない様子が気にかかった。
「お待たせした挙句、この状況なのでお伝えすべきか迷ったのですが……」
「気にするな。決闘で命を取られていないのだから、むしろ良い報告だよ。死んでいなければどうとでも立て直せる。いやはや……強度の割にアイツが弱いのは、本気で人と争う機会に恵まれなかった所為なんだろうなあ。果たして、私は優しい子を育てたと誇るべきだろうか? それとも、甘過ぎる後継者を育てたと嘆くべきか? 君はどう思うね」
バルガス様の言う通り、優しいのも甘いのも事実だろう。ただ、領民と一緒に現場で汗を流せる貴族は貴重だ。周囲からも慕われているようだし、当主としての素養は間違いなく持っている。なので、俺はビックス様を支持している。
ジィト兄も……表情からすると高評価なのかな。害獣駆除でお互い巧く付き合っているし、クロゥレン領として今後も協調していきたい、といったところか。
とはいえ、この期に及んで俺達の評価なんてどうでも良いだろう。
「バルガス様としては、どうあってほしいんです?」
「無論、前者だよ」
……うん、目に光が戻ったな。
子の是非について天秤にかけられる辺り、判断力はまだ失われていない。ビックス様の負傷については……シャロット先生と母さんを信頼しているから、という理由が大きいのか。
思考力に問題は無い。これなら話を進められる。
「バルガス様がそう思うなら、それが事実ですよ。貴方は優しい子を育てた。領民を想い、共に歩める領主が、今後はこの地を守っていくでしょう」
「そうか、安心したよ。……連れ合いを亡くしてから、アイツをどう育てるべきか、個人的には色々と悩ましくてね。そういえば……君はお相手はどうなんだ? 年齢的にはいてもおかしくはないだろう?」
「まあおりますが、子供は出来ませんね。私に種が無いので」
「んっ? いるの?」
話していないので当然だが、事情を知らないジィト兄が、視界の端で唖然としている。この場で説明するようなことでもないので、俺は首を振って一旦黙っているよう指示する。
その様を見ていたバルガス様が、喉を押さえて苦しそうに笑った。
「くくっ、かはっ。旅に出ていたとはいえ、君も貴族家の一員なのだから、そういった重要なことは周囲に話しておきたまえ。ジィト殿が驚いているじゃないか」
「まあその辺はいずれ、ということで」
「おい、言ったな? 聞いたぞ?」
「いずれな」
正直なところ、ルリやトラメについて説明するのはさておき、三人で一緒に領地へ戻るという想定はしていない。俺は今後人里から離れた場所で生きるつもりであるため、説明も本当に必要だろうか、と考えてしまう。
……ともあれ、俺の近況なんかで時間を使っている場合ではない。今はビックス様の件だ。
「私の話よりも、そろそろ治療院に戻りませんか? ビックス様は処置の最中かもしれませんが、会っておいた方が良いのでは?」
「いや、治療の邪魔をしたくはないな。それに、私は二人の指示に背いた訳だから、これ以上の我が侭は拒否されてしまうよ」
「この際、あの二人の感情は関係無いでしょう。何だったら治療を続けてもらいながらでも、顔くらい見れます」
そんなことで仕事に支障を来すほど、母さんの腕は悪くない。シャロット先生としても、バルガス様とビックス様を会わせておきたいだろう。
多分、拒否はされない。だから後は、バルガス様がどうしたいかだ。
バルガス様は一度目を閉じ、結論に迷う。数秒の躊躇いの後、ゆっくりと震える唇が開いた。
「……そうだな。君がそこまで勧めるなら、連れて行ってもらおうか。あの馬鹿のところへ」
ああ、表情が柔らかい――バルガス様が、人生を走り切ろうとしている。
最期は当主としてではなく、親としての顔を選んだのだな。今までは立場がそれを許さないこともあっただろうし、望みを叶えてやらなければ。
俺はジィト兄と目を合わせ、頷き合う。
「ジィト兄、治療院まで先行してくれ。受け入れの準備を」
「おう。任せろ」
ジィト兄は窓枠に足を掛けると、通りへ向かって一気に跳んだ。俺はバルガス様の背中に腕を回し、椅子から引き摺り出すようにして腰を抱える。
直に触ると、生命力の翳りがよく解るな。制限時間いっぱいまで、あと僅か。
「少し揺れますよ」
「ああ。……着いたら、起こしてくれ」
「いやいや、すぐ着きますから、起きててくださいよ」
軽口を叩いても、返答が無い。瞼が落ちかかっている。
いかん、ジィト兄に運んでもらうべきだったか? いよいよ限界だな。
身体強化を全力で使い、『集中』を起動する。バルガス様に使っている術式を強化する、魔力の残存状態を管理する、姿勢を維持する――やるべきことが一気に増えた。
負荷が増えようと知ったことか。
俺はジィト兄に倣い、窓から飛び出す。そうして風精の権能を使い、そのまま空を滑空した。
「ほら、バルガス様。見てください、貴方が作った領地ですよ」
木々が湿気で煌めき、立派な建物が並び、人々が笑い合っている。高みからの景色に、バルガス様は僅かに頬を緩めた。
反応がある、まだいける、大丈夫だ。
急げ。
今回はここまで。
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