際
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
伯爵邸が近くなると、こちらに気付いた門兵が目を剥いて驚いていた。まあ寝間着で顔色の悪い伯爵が、小僧に抱えられてゆっくりと近づいて来るのだから、何かの悪い冗談のように見えるのだろう。
姿勢を崩さないよう目礼で門を通過すると、二人いた兵は慌てて左右に分かれ、最敬礼で俺達を見送った。
屋敷の前では、グラガス隊長が扉を手で開けっ放しにしたままこちらを待ち構えている。
「ご苦労。中の様子は?」
「私が着くまでは口論をしておりましたが、伯爵がこちらへ向かっていると聞いた途端、静かになりました。フェリス様が懸念していた通り、ミスラ様に従うかどうかで内部が割れていたようですね」
「……そんなに直接の指示が欲しいなら、まずは見舞いに来いよ」
「見舞いについてはシャロット医師が止めていたようです。あまり大勢で治療院に押しかけられては、患者の体調に影響するので困る、と」
それは確かに正論なのだが、今は正論で相手を納得させられるような状態ではない。こんな所で押し問答を続けたところで時間の無駄だ。伯爵を慕う者が当人と言葉を交わすくらい、許してやれば良かったのに。
……もしかしたら最後になるかもしれないのだから、機会を与えてやるのも一種の情けだろう。
「いやはや、慕われてますねえ」
「ううむ……仕事を一人で抱え過ぎたのかもしれんな。私の日々の業務を把握していれば、シャロットに頼んだ伝言がそうおかしなものではないと気付いただろうに」
「身分の差がありますからね。平民が貴族の業務を把握している方がおかしいのでは?」
指示に従ってくれとは思うものの、解らない案件を保留するというのも真っ当な判断であるため、彼等が間違っているとまでは言えない。自身の領分を超えないよう、慎重に仕事をするのは当たり前だ。それに、伯爵となると大きな利権に繋がる仕事も多いだろうし、平民があれこれ知ってしまう方が危険な気もする。
誰かを責められるような話ではない。
強いて問題点を挙げるならば、バルガス様の仕事を継承する者が一人しかいない、という現状くらいだろう。まあ指摘したところで、子が増える訳でもなし。無意味だ。
「さて、これからどうされます?」
「まずは執務室へ頼む。階段を上がって、右手側に進んだ一番奥だ」
言われるがまま指定の部屋を目指す。
手が塞がっているため扉を蹴り開けると、中では文官数名と母さん達が向かい合って対立していたので、俺は一切を無視して奥の豪奢な椅子にバルガス様を座らせる。彼は背凭れに体を預け、天井を見上げたまま大きく息を吐いた。
……呼吸に喘鳴が混ざり始めている。限界が近いな。
誰もが固唾を呑んで、伯爵の動向を見守っている。バルガス様は一度目を閉じ、歯を食い縛りつつ姿勢を正すと、威厳のある声で命令を下した。
「今から各部門の長と個別に面談を行う。自身の名が呼ばれるまでは、普段の業務に従事しているように。シャロットは治療院に戻りたまえ」
シャロット先生は立ち尽くしたまま、判断に迷っているようだった。治療院には今誰もいないため、彼女はすぐにでも戻らなければならない。しかし、目の前の患者を――領主を、義父を捨て置ける訳もない。
……言い訳が必要だな。
俺は壁に寄りかかり、窓の外に目を向ける。
「患者はいつ来るか解りませんよ。どうされるおつもりで?」
「……そうですね。ええ、フェリスさんの仰る通りです。緊急の患者に備えなければいけません。許可もいただいたことですし、私はこれで失礼します」
怒りか、悲しみか――シャロット先生の食い縛った口元からは、赤い雫が滴っている。
でも、彼女にはもう出来ることは無い。
伯爵の主治医として忸怩たる想いはあろうが、療養を止めてまで患者はここに来てしまったのだ。無理矢理連れ戻したところで、終わりが数時間伸びるだけだろう。それよりなら、死に行く者に未練が無い形を選ばせてやった方が良い。
母さんは呆れたように溜息を漏らし、シャロット先生の肩に手を置く。
「シャロット、行きましょう。……フェリス、後のことはお願いね」
母さんの声色からして、病人をここまで連れて来たんだから最期まで責任を持て、という意味だろう。治療院にバルガス様が生きて戻るといった、甘い期待はしていないようだ。
こちらも承知の上で動いているので、ただ黙って頷く。
「ミスラ殿、色々と手を尽くしていただき、ありがとうございました」
「手を尽くした意味がどれほどあったことやら。貴方は厄介な患者でしたよ」
嫌味を一つ残し、母さん達は去っていく。伯爵は苦笑いでそれを受け取ってから、表情を引き締める。
「そうだな……まずはメルジから始めるか。それ以外の者は全員退席してくれ」
執務室からどんどん人が消えていき、一人の男だけが、着席したまま緊張で顔を強張らせている。
ああ……何か見覚えがあると思ったら、大角から一発貰って死にかけていた人か。視線を向けると、彼は最初に俺へ向けて頭を下げた。
「フェリス・クロゥレン殿ですね。いつぞやは私の命を救ってくださったと聞いております。その節は大変お世話になりました、ありがとうございました」
「いや、あれはシャロット先生が頑張ったお陰であって、私は大したことはしていません。……昔の話よりも、今は伯爵との打ち合わせに集中した方がよろしいのではありませんか?」
「なに、少しくらいは構わんよ。私もフェリス殿には救われているからな、恩人に礼を言いたい気持ちは解る。ただまあ後が詰まっていることだし、フェリス殿の言う通り、こちらの話を先に済ませてしまおうか」
「そうですね、失礼しました」
さて横に控えて話を聞いていると、メルジさんは伯爵領における守備隊の責任者という立場であるらしい。いざ話が始まると、最近の領内における犯罪の件数や、発生個所についての応酬が暫く続いた。
ここ一か月で大きな犯罪は起きていないが、一方で魔獣による作物への被害が増加傾向にあると、メルジさんは重い溜息を吐く。
「やはり他の作物に比べ、突出してヘンネが狙われているのか?」
「個人的にはそう感じております。収穫期に近づくにつれ香りが強くなっていくので、獣達もそれに誘われているようですね。因みに、被害は西地区に偏っているので、巣穴はそちらに固まっているのではないかと」
「ふむ……まあ例年通りではあるか。ならば風術を使って匂いが流れる方向を変えてやれば、ある程度制御出来そうだな。魔術師の育成についてはどうだ?」
「そちらについては、クロゥレン家に協力を仰ぐべきでしょうね。残念ながら当家の守備隊には風術を得意とする者が少ないので、指導にまで手が回りません。クロゥレン家へ依頼するとして……先方も受け入れてくれると想定しているのですが、フェリス様はどう思われますか?」
それを俺に訊くのか?
ううむ……俺も実家を離れて久しいので、今の人員がどうなっているのか、全く把握していない。とはいえ、ファラ師という強力な手札が入った以上、魔術隊の人間が減ったところで大勢に影響は無いだろう。
「報酬を追加すれば、普通に提案を受けるのではないかと思いますね。風術であればそれなりに人材はいた筈ですから、物納でもある程度は対応してくれるでしょう。丁度グラガスがこちらへ来ておりますから、後程相談されては如何ですか?」
「守備隊の采配は、主に彼がやっているのだったな。良し、来年以降も被害は続くだろうから、グラガス殿と調整をしておいてくれ。……メルジ、これからも色々と大変だろうが、ビックスを支えてやってくれ。よろしく頼むぞ」
「……畏まりました。以後もこの領地のため、尽力することを誓います」
跪いて応じるメルジさんの目尻には、涙が浮かんでいる。対するバルガス様は、唇を痙攣させながらも静かな笑みを浮かべている。
素人目にももう次が無いとはっきり解るほど、バルガス様の顔色は悪い。
……最後まで遣り取りが出来るよう、反魂の準備をするか? いや、駄目だな。反魂は切れた時に、媒体にしたものが塵になってしまう。葬儀が出来なくなるのは流石に拙い。
残り時間を確保すべく、俺は不慣れな陽術で背中側から伯爵の呼吸器を強化する。
……クソ、突っ込んだ魔力がほぼそのまま抜けている。効果が出ていない。
「メルジさん、申し訳ありませんが次の方を呼んでください。バルガス様、ちょっと処置をしますよ」
「ああ、頼むよ。メルジ、次はオマナを呼んでくれ。あと、水を頼む」
「急ぎます」
メルジさんは椅子を蹴り飛ばすような勢いで、廊下へと駆け出していく。俺は次の人員が来るまで、悪戦苦闘しながら魔力を伯爵の体内へと巡らせる。
一増やすよりも先に、二が失われていくような状況――日暮れまでは保たないな。
「バルガス様……色々調整すべきことはあるでしょうが、まともに会話が出来る時間は半日も無いと思ってください」
「なんだ、予想よりも長いな。もうとっくに死んでいる筈の体を、よくぞそこまで維持出来るものだ」
「人より少しだけその場凌ぎが得意でしてね」
とはいえもう凌ぐのも限界であり、術式を維持する意味も無くなりつつある。
ジィト兄が出発してから、大体二時間程度……レイドルク領にはそろそろ到着しただろうか。着いていたとしても、それからビックス様を探し、連れ帰って来るとなると後三時間くらいはかかる。
……間に合わんかもな。
それでも、やれる限りをやるしかない。
俺は次の人員を待ちながら、静かに息を整えた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。




