人
外は少し雲が出ていたものの、風の穏やかな良い夜だった。俺は体を伸ばして筋肉を解しつつ、未だ騒がしい街へと繰り出す。戻れば何か用意されてはいるのだろうが、ああなった以上は一人で食事がしたかった。
……どうしたものかねえ。
正直なところ、アレンドラの懊悩は俺にはどうしようもない。自分の腕を磨きたいのなら、今後はミル姉と切磋琢磨すれば展望が開けるだろう。お互い相手には苦労している筈だから、良い刺激になるのではないか。ハナッサ殿もそうだったが、優れていると自覚している人間ほど、他者を認められず、揺らぎ易い傾向があるようだ。
俺は魔術師としての自分に、何ら期するものが無い。順位表を目指したこともない者に、順位表に載る者の努力や苦労が理解出来るとも思っていない。
必要なだけの能力を、ある程度の余裕を見た上で用意する――俺はそれを繰り返してきただけだ。
……まあ、アレンドラもそれが出来たら苦労はしていないのだろう。
どうにもならないことを、だらだらと考えながら歩く。思考がまとまらない所為か、五感もそれに合わせるように周囲へ広まり溶け込んでいく。地面の硬さ、風の揺らぎ、漂う湿気、世界の全てを己が掌握したような気分。
不思議な万能感だ。自分という存在が人間というより現象に近づいている気がする。
この状態なら、花粉の正体を辿れないだろうか?
思いつきに身を任せ、病室の汚物へと意識を伸ばす。それと近い性質のものが何処にあるか、ミズガル領全体へと自身を浸透させて探る。領地の北側に、どうやら同種の植物があるとあっさり解明出来た。
いよいよもって人間を辞めているなと苦笑する。
人間でないのなら、人の悩みに付き合ってやる必要など無いか? 伯爵領での仕事が終われば、もう、義理は果たしたと言っても良いのではないだろうか。別にこの仕事を完遂したところで、俺が得るものは何も無い。
全てが馬鹿らしくなり、俺は食事を摂る選択肢を捨てることにした。そもそも精霊は睡眠や食事を必要としない。だから普通の人間のように、生活のため汗を流して働く必要も無い。
俺は人と接触しなくても自力で生きていける――ルリやトラメに寄り添い、人から距離を取って生きる自分を想像すると、不意に気持ちが楽になった。
どうせ俺は人と同じ寿命ではなくなっている。加えて穢れを内に抱えた時から、人と交流すべきではないという自覚もあった。
自身の存在がどういうものであるか、受け止める時期が来ているのだ。
うん、感情が整理出来たな。
周囲の自然から生命力を分けてもらい、心地良い空気を浴びながら来た道を戻る。治療院の待合室では、ジャークが眠るアレンドラに膝を貸しているところだった。
「何故ここで……椅子だと疲れが取れないだろう? ちゃんとした場所で休んだらどうだ」
「起こすのも忍びなくてさァ。……御使い様の食事は奥に用意してあるんだって。行ってきたら?」
「そんな気分じゃなくてな。勿体無いと思うなら、お前が持って帰れば良いさ。ここは自然が豊かだから、この環境にいるだけでも俺は満たされるよ」
事実、バルガス様の処置で使った魔力は先の散歩で既に回復している。食欲はあれど空腹という訳ではないし、この感覚に慣れてしまえば、いずれ食べたいとすら思わなくなるだろう。
ジャークはアレンドラの額を撫で、僅かに目を伏せながら呟く。
「……アレンドラが迷惑をかけたみたいだねェ。こっちは教えてもらう立場なのに、申し訳ないことをしたよ」
「別に謝るようなことではないんじゃないか? 俺がアレンドラの状況を考慮せずに、役割を押し付けた所為でもある。……まあ順位表に載る人間は才能に満ち溢れているから、自分に実現出来ない技術がある、なんて考えもしないんだろう。今は難しいと感じていても、何回かやればいずれ身に付くさ」
「ふぅん、期待感は持ってくれてるのかァ。でもそれはそれとして、不快な気持ちにはなったんじゃない?」
不快……しっくり来ないが、まあそうなのかな?
どちらかと言うと、あの一件は俺とアレンドラ双方の精神的未熟さが浮き彫りになっただけ、という気がする。でも、ジャークが求めているのはこういう大人ぶった発言ではないのだろう。
お望みとあらば応えてあげようか。
「正直、面倒臭えなあとは思ったよ。アレンドラは能力のある人間だから、多分、出来るようになるまで時間はかからないんだ。問題があるとしたら、目視が出来ない所為で、感知に頼らざるを得ないってところだけでな。慣れてしまえば、俺なんかより余程巧くやるよ」
「はは、大分率直に来たねェ。まあ御使い様はそれくらい好き勝手に喋ってくれた方が嬉しいよ。少なくとも世話になってるのはこっちで、気を遣わなきゃいけないのもボク等の方だしね。あくまで君が上、ボク等が下。それが礼儀ってもんでしょ?」
……前から思っていたが、ジャークは格好こそ奇抜なものの、性格は極めて常識的だよなあ……。こんな争いの多い世界だというのに、真っ当過ぎて眩しさすら覚える。
前世からの惰性で何となく人と接している俺とは違う。相手と適切な距離を取りつつも、場合によっては力強く踏み込んでいこうという心意気。これこそがジャークの社交性であり、品性だ。
「ううむ……お前がいる限り、アレンドラは大丈夫だな。何の憂いも無い」
「何だい急に?」
「いやあ……そうやって相手を立てるってことが出来ていたら、俺も楽に生きられたのかな、とね。俺はそういう我慢が利かないから、余計な揉め事を起こしがちなんだよなあ」
「それは力がある者の特権じゃない? 無いヤツが他人に噛み付いたら終わりだよ?」
本当に凄い、この耳障りの良さよ。
あの病室にジャークがいたら、俺も他人から離れようとは思わなかったかもしれない。
「……力があろうとなかろうと、自分を弁えるってのは大事だと思って生きてきたんだ。でも実際のところ、俺は自分の理想とはかけ離れた在り方をしている。人間ってのはそういう生き物なのかもしれんがね」
「別に良いじゃない。そういう面も含めて自分らしくあれば」
「普通はそうやって、折り合いをつけていくんだろうよ。ただいい加減、煩わしいことも多くてな……バルガス様を見送ったら、俺は暫く人と会わずに籠るつもりだ」
それが一か月になるかに一年になるか、或いはもっと長くなるかは決めていない。ただ、祭壇との関わりすら億劫になっている俺にとって、他者との接触は最早苦痛になりつつある。
自分がどうしたいのかはっきりさせるためにも、そろそろ時間を取るべきだ。
ジャークは天井を仰ぎ、深い溜息を漏らす。
「……そのまま帰って来ない気がするから、止めてるんだけどねェ?」
「俺が人界にいたところで、どうなるものでもないだろう。むしろ悪影響の方が多そうだ」
「そうかな? たとえ穢れていようとなんだろうと、ボクは御使い様に救われたよ。だから貴方には、自分の居場所が無いだなんて思ってほしくない」
「その言葉はありがたいが、今は居場所を求める気にならない、という方に本音は傾くな。いたらいたで、それなりにやってはいけるよ」
流石に客観的に自分を評価する力まで失ってはいない。これは単にやる気の問題だ。
まあ幾つかやり残している案件はあるから、絶対に他者と会わない、ということにはならないのだろう。それでも機会を絞れるだけ今よりはマシだ。
取り敢えず会わなきゃならない人は……ジェストと、師匠くらいかな? 彼等の現状さえ確認出来れば、俺の気は済む。
押し問答を続けてもこちらの意識が変わらないと判断したのか、ジャークは深々と頭を下げて悔いを漏らす。
「ボク等のために足を運んでもらって、結果がこれか」
「まあ元々面倒事から逃げたくて特区に行ったんだから、結果は同じだよ。いずれはこうなった」
俺の性格に難があるからこうなる。
自分を変えようという気にもならないし、それなら最初から衝突しないようにする、というだけだ。
ジャークは二の句を継げようとしたが、不意にアレンドラが身動ぎをしたため、俺は強引に話題を打ち切る。
「……そういえば、事前に打ち合わせをしておかなかった所為だけど、ここに滞在中は御使い様ってのは止めてくれ。祭壇の話は父にしかしていなくてな。シャロット先生やバルガス様には存在を知られたくないんだよ」
「あー、ゴメン。それもそうだよねェ。じゃあフェリス様?」
「それなら一応、俺も貴族の端くれだから不自然ではないな。ここの領民になるなら、貴族や役職持ち相手には様付けしておけばひとまず大丈夫だ」
「その辺の常識もちゃんと教わっておくべきだったなァ。いや、状況的に無理だったかァ……」
礼儀作法を基礎からしっかり学ぶなら、年単位で時間が必要だ。お互いそんな暇は無い。とはいえジャークは素直だから、周囲の人間が面倒を見てくれるだろう。コイツにはそういう魅力がある。
俺自身が、ジャークのひたむきさに惹かれた一人だしな。
「お前とアレンドラのことはバルガス様にお願いしておくさ。後は自分でどうにかするようにな」
「うん、頑張って働くよ。フェリス様の顔を潰さないためにもね」
「俺のことはどうだって良いんだよ」
苦笑して席を立つ。
さて、状況がどうなったか、病室に一応確認しに行きますか。
俺は待合室に入らぬよう廊下で膝を抱えていた母さんを伴い、バルガス様の元へ向かった。
今回はここまで。
来週は休日出勤のためお休みします。次回は12/21を予定しています。
ご覧いただきありがとうございました。




