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症状は改善しないかもしれないし、原因も判明しないかもしれない。それでも試したい術式があると話すと、バルガス様は当たり前の顔で快諾した。
実験は生きている人間で行ってこそであり、そこに身分や立場は関係無い。自分だって商品開発のため、旬の果実を幾つ無駄にしたか解らないと、彼は笑っていた。その覚悟には頭が下がる。
一方、母さんはシャロット先生とアレンドラの説得に成功。
巻き込まれた形になったアレンドラは、最初困惑していたが――最終的には相応の支払いをするということで、どうにか納得してくれた。異邦人がこの街で居場所を作るには、権力者と繋がりを持った方が良いという打算もあっただろう。その判断は間違っていない。
参加する面子は決まった……日も暮れたしそろそろ時間か。
狭い病室には人が犇めいている。俺は手を揺らして強張りを解し、周囲を見回した。
母さんとシャロット先生の準備は終わっている。アレンドラもまあ、修羅場には慣れているだろう。油断しない程度の緊張感を皆が保っていて、丁度良い按配だ。
「じゃあ始めますか。バルガス様は……あれ、何だか意識がはっきりしていますね。睡眠薬を飲まなかったんですか?」
「可能なら起きたまま施術を受けようかと思ってな。君ならいけるのでは?」
「やれますけど、作業中は呼吸出来ませんよ?」
「承知の上だ。真っ先に結果を知りたいんでね」
相手の意識がどうあれ、肺に水を流し込むことは出来る。ただ溺れているのと同じなので、伯爵は相当苦しい思いをするだろう。どうするべきか母さんに視線を投げると、相手はただ頷くだけで否定をしなかった。
シャロット先生は……母さんの決定に従います、と。
「なら、最初は軽くやってみましょうか。短時間であれば、多少苦しい程度で済むでしょう。アレンドラ、そこからでも俺の魔力の流れは解るか?」
「大丈夫だよ。いつでもどうぞ」
アレンドラの魔力が静かに病室を満たしていく。空間の一切を逃すまいとする、見事な感知だ。
「シャロット先生も大丈夫?」
「こちらのことは気にしないでください。フェリスさんは治療に集中を」
筆記具を構え、シャロット先生は前傾姿勢で頷いた。
母さんは手桶を弄りながら不敵に笑っているため、敢えて確認するまでもなく大丈夫だろう。
そんなに大袈裟な作業という訳でもないのに、皆がやる気になっている。ならば俺も『観察』と『集中』を起動し、全力で事に当たろう。精気は……アレンドラが使えないから無しだな。
では、処置を始めよう。
生成した水を糸のように伸ばし、細く長くバルガス様の体内へ侵入させていく。シャシィの業を喰らっておいて良かった――この感じなら、気道を塞がずある程度確保したままでもいけるな。感覚を研ぎ澄ませれば、行き着いた先、肺胞の一つ一つの状態すら解る。
……解るが、そもそもどういう感触なら正常なんだ?
「母さん、ちょっと口開けて。真っ当な肺との比較が出来ん」
「はいはい」
右手から出した糸で伯爵の肺を、左手側で母さんの肺を探る。
……うん、大分違うな。伯爵の方は膨らみ方に余裕が無い。弾性を感じないというか、糸の当たった箇所が硬くて押し負けているようだ。後、明らかに肉とは違う何かが内壁にこびりついていて、真っ当な動きを阻害している。
これが元凶か。
糸を少し太くして、強引に異物を絡め取る。伯爵は咽そうになるのを懸命に堪え、どうにか口を開き続けていた。
「容器をお願い」
「はい」
母さんが差し出した手桶に異物を流し込むと、水面に汚れた塊が浮かぶ――体内に長く在った所為で変色し、粘性を帯びているが、明らかに人体を形成するものではない。指先で触れると簡単に崩れて広がるため、元がどうやら粉末であったことだけは判明した。
「粒子が細かいな。水に溶けない……これは花粉か?」
「多分そう、かしら? 何年も農作業を続けていれば、肺の中に溜ってもおかしくはないわね」
「ぐ、ゴホッ、なるほどな。しかし、そうだとしても領地の主要産業を止める訳にはいかん」
「そりゃそうでしょう。こちらとしても、そこまで口出しはしませんよ」
流石に俺としても、余所の領民に干上がれとは言えない。具体的にどの植物かが特定出来れば、もう少し対応も絞れそうだが……その辺は専門家に任せるしかないだろう。
取り敢えず、可能な限り肺の掃除を続けるかと思ったところで、アレンドラが手を挙げる。
「御使い様、ちょっと待ってくれないか? 術式が繊細過ぎて、真似出来そうもない」
「あれ、これだと出力が低いか?」
いや、でもそうだな。世界屈指の水術師とはいえ、目視もせずにシャシィの業を一発で真似ろというのは無理がある。
「なら後で術式は教えるから、そのまま感知は続けてくれ。大体の魔術師は出力を敢えて抑えるってことをしないから、最初は違和感があるだろうしな。バルガス様、もう少し水を増やしても大丈夫ですか? 負担が増えますが、そちらの方が掃除がし易いので」
「好きなようにやってくれて構わん。生身の人間を相手に、好き勝手に試せるのも今だけだろう」
体を内側から弄られて、まだ笑う余力があるのか。ありがたい。
ならばとお言葉に甘えて、俺は水の勢いを強める。
作業が楽という以上に、水量が増えれば消費魔力も増えるので、こちらの方がアレンドラとしても術式が辿り易くなる筈だ。伯爵が術者に全てを任せてくれる患者で本当に良かった。
時折気道の全てを塞ぐような状態になっても、俺は気にせず肺の中身を探る。体の内側までは見通せないので、とにかく妙な手応えが無くなるまで何度も水を吐いてもらうしかない。真っ当な呼吸を許されない状況は相手にとって地獄だったろうが、処置自体は一時間程度で無事に終わった。
バルガス様は息も絶え絶えで、全身を汗で濡らしながらもまだどうにか生きていた。握り拳一つ分より少し多いくらいの汚物が、容器には溜っている。
「ひとまずこれで終わりだな。バルガス様、風を肺に送りますよ」
「ぐ、が、ぁ」
「聞こえてたら手を握ってください」
差し出した俺の手を引き千切らんばかりに、爪が突き立てられる。血が飛び皮膚がこそげ取られ、甲の骨が少し露出した。うん、力はまだまだ残っているな。
周囲に悟られないよう、傷を『健康』で消す。
「シャロット先生。地元の農家で果樹に詳しい方に、この花粉の解析をお願い出来ませんか。それまでは……口と鼻を布で覆ってもらうなりすれば、何もしないよりはマシでしょう」
「解析に関しては心当たりがありますので、その方にお願いしてみます。でも……農作業をされる方は虫から顔を守るため、既に布を巻いて対策をしています。他に策はありませんか?」
「なら、もっと目の細かい布を作ってもらうしかないですかね。多少息苦しくなるので、煩わしいと思う人は多いかもしれませんが、こういうのは早めに手を打っておいた方が良いですよ。病は治すのではなく、罹らないようにしておいた方が医者も薬師も楽になります」
予防医学の考え方が広まれば、領地全体の底上げにも繋がる。話を聞いた伯爵と母さんの目が一瞬鋭くなり、先を促すような視線がこちらへ向けられた。
……今にも死にそうな人間が、まだこんな話に食いつくのか。別に俺には大した計画がある訳でもないのに。
「この先が知りたければ、まずは安静にして体を落ち着けることですね。呼吸が戻ったとはいえ、しんどいでしょう?」
「いや、体の、奥にあった詰まりは、取れた気がする。……んぐ、はぁ、処置をする前よりは、楽になったよ」
「それなら幸いです。ただ、呼吸について術式頼りなことに変わりはありませんから、無理は禁物ですよ」
花粉が無くなったところで、一度駄目になった肺の機能は戻ったりしない。気道の感覚を麻痺させておくことも、空気を送り込むことも、両方とも続けなければまともな会話すら出来ないだろう。なので正直なところ、今回の処置が延命に繋がったという手応えはほとんど無い。
……それでも、花粉という物証を得られた分、有意義ではあったか。
俺は医者ではないし、これを活かすべきは母さんとシャロット先生だ。
「ではシャロット先生、暫くバルガス様の様子を見ていてください。今後について打ち合わせも必要でしょう?」
「そう、ですね。先程の布の件もありますから、少しお時間をいただきます」
「構わん。やれることがあるなら、今のうちに済ませておこう」
俺は母さんとアレンドラを連れて、病室からそのまま抜け出す。同じ術式をずっと切らさず維持していたアレンドラは、誰よりも憔悴した顔をしていた。
感知自体は難しい魔術ではなくとも、気を張っている時間が長過ぎたため、魔力とは別の消耗があったようだ。
「大丈夫か? 今日はもう仕事は無いから、ゆっくり休め」
「御使い様は……」
「うん?」
「御使い様は、順位表には載っていない魔術師だよな? なのにどうしてあんな業が使える? あんな繊細で、巧みな……私はあんな魔術知らなかった!」
どうして、ねえ。
そもそも俺は魔術師を自称している訳ではないが、まあそれはさておき。
「先人が偉大だからだなあ。さっきの魔術はラ・レイ師の制御技術とシャシィ・カーマの術式を掛け合わせたものだ。俺は人の物真似を低い水準で積み重ねているだけで、実態としては大した魔術師ではないよ」
「そんな筈はない! そんなッ」
「アレンドラ、静かに」
病室の前なので、俺はアレンドラに声を抑えるようお願いする。母さんは溜息を吐き、彼女の肩へ手を置いて深呼吸を促した。
「アレンドラさん、あっちで少し休みましょう。ジャークさんも待機しているから、ね?」
盲人に対して丁寧に先を示しながら、母さんはアレンドラを伴い待合室へと向かっていった。俺はその背中を見送り、壁に凭れて一度首の骨を鳴らす。
アレンドラは、何か劣等感でも抱えていたのだろうか? あんなに取り乱すとは思わなかった。いや、考えてみれば、順位表に載るような魔術師は、自分の理解を超える魔術に触れる機会など無いのかもしれない。
……自力であそこまで辿り着いたんだものなあ。俺は機会に恵まれていただけで、根本的な才が違う。
無い物ねだりだなと口中で呟き、俺は待合室を通り越して外へ向かった。
今回はここまで。
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