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バルガス様は引継ぎ事項をある程度まとめていたらしく、遺言状の完成までにそう時間はかからなかった。ならば次に俺がやるべきは、母さんとシャロット先生への釈明だ。
俺が何故バルガス様の病状に動揺を見せなかったのか――それは既に実態を知っていたからに他ならない。ただそうなると、何故私達に教えてくれなかったのか、という話になるだろう。実際のところは単に言う暇が無かったからだが、この説明では、上位貴族の命を軽んじているとの誹りを受けてしまう。
……自分で招いた事態である以上、非難されるのは構わない。ただそれはそれとして、死に行く者に揉め事を見せたくはない。勝手ながら最期は安らかで、憂いの無い状態で逝ってほしい。
とはいえどう対処しようか?
果物の盛り合わせを摘みながら、段取りを考える。ああ聞かれたら、こう返す。これは伏せて、あれは話す。完璧には程遠い演算を繰り返していると、バルガス様がふと息を吐いた。
「考え事かね? ……使っている魔術のことは解らんが、離れても大丈夫なら席を外しても構わんよ。君だって休憩は必要だろう」
「そうですねえ……休憩はさておき、母と少々打ち合わせをする必要があるかな、とは思っておりまして。実は実家を出て以来、長らく会っていなかったんですよ」
「そうか。うちのような事例もある。相手がいつまで生きているか解らんのだし、話せるうちに話しておいた方が良い」
昔から思うのだが、死期が近い者のこういう話はどう対処すべきなのか判断に困るな。
取り敢えず一礼して席を外すと、部屋の外では母さんとシャロット先生が待ち構えていた。母さんが無言で隣の部屋を指差すので、俺は頷いて部屋を移る。
「さ、フェリスの席はあっち」
窓の無い部屋で、出口から遠い席を笑顔で勧められている……まるで尋問だな。
まあ、逃げるつもりはない。いずれやらねばならないことだ。
席に着くと母さんは唇を舌で湿らせ、ひとまず当たり障りの無い話題から入った。
「伯爵の調子はどう? あれから変化は無い?」
「咳が止まった分、落ち着いてはいるかな。でも、肺に本来の機能を取り戻すってのは俺じゃ無理。魔力もいずれは切れるし、どうしたって長くは保たないね」
「遺言状は?」
「そっちはついさっき出来たよ。因みに、会談がどうなったのかって話は聞いてる?」
質問に、母さんは怪訝そうな顔を見せる。この反応からすると、割譲の件を聞いていないようだ。そもそもクロゥレン家には何の関係も無い話なので、当然と言えば当然だろう。
シャロット先生は……ビックス様とまだ結婚していない以上、領地の運営に関する話は教えてもらっていないか。
会談について軽く説明すると、母さんはシャロット先生に、現地へ伝令を出すよう命じて部屋から追い出してしまった。
「……シャロットは、伯爵夫人になるってことがまだ解っていないみたいね。こういう非常時は、先頭に立って指示を出す人間が必要なのに」
「そりゃそうでしょ、元々は貴族じゃなくて医者なんだから。そんな常識を教えてくれる人もいなかったんじゃない?」
「これからはそうも言ってられないんだけどねえ」
こういうことに詳しそうな伯爵夫人は、数年前に亡くなっているのだったな。そうなると、シャロット先生にその辺を仕込めそうな人間は母さんしかいない。だから慌てて指示を出したんだろうが、如何せん後手に回った感がある。
今から旧レイドルク領まで獣車を飛ばせば、夜明け前には着くとしても……そのまま中に入れるかは怪しい。暗殺騒ぎで入口が閉鎖されていたら、単に人手を減らしただけになってしまう。
「ファラ師かジィト兄に走ってもらった方が早かったかもな。現地は多分混乱してるよ」
「ん、何故?」
「ウェイン・レイドルクが殺されて、厳戒態勢に入ってるだろうからね。図面を描いたのは恐らく王子」
「そんな大事な話はもっと早く……ッ、いや、シャロットがいたから無理か……」
そう、言える訳がない。
ただでさえ視野が狭くなっているのに、国の裏まで知ってしまったら、今のシャロット先生では処理しきれないだろう。こちらである程度情報と仕事を絞ってやらないと、許容量を超えて潰れる可能性がある。母さんが治療の補助をしてくれて、かつ貴族の責務について指導してくれているから、どうにか彼女は踏み止まっているのだ。
俺は俺で色々配慮していると伝わったのか、母さんは追及するのを諦めたようだった。
「……それで、レイドルク領についてはなるようにしかならんとして、だ。伯爵の治療はどうする? 俺は正直無理だと思ってるし、本人ももう諦めているように見えるんだよ」
「シャロットには悪いけど、私もそこまで頑張るつもりはないかな。ビックス君が戻るまでどうにか延命したくはあっても、苦痛を長引かせるだけ気の毒でしょう? 私がここに来た時点で、正直もう手遅れな状態だったしね」
痛みは鎮痛剤でどうにか誤魔化せても、咳は収まらず悪化する一方――シャロット先生はそれでも諦めなかったが、母さんとしては安楽死に踏み切る寸前だったらしい。
「薬は効かなったなら、陽術は? シャロット先生はそれで症状を抑えてなかった?」
「いえ、あれは傷を治していただけね。内部に術を浸透させても、あまり効果は出なかった」
最早曖昧な記憶だが、前の世界でも肺は再生しなかった筈だ。魔術があるこの世界でも、そこは変わらないか。
「人に伝染する可能性は?」
「伯爵の身近な人間にはまだ出てないみたいだけど……今後は解らない。でも、この地方では昔からよくある症状だから、同じなら伝染はしないわね」
この地方とは言うものの、クロゥレン領で肺病が流行したという記憶は無い。ならばミズガル領でのみ発生し得る風土病ということになるのか? 取り敢えず、薬も陽術も効かないとなると対応策が無い。
……いや、一応まだ手はあるか? どうせ根治はしないとしても、症状が軽減する可能性があるなら、今後別の患者のためにやってみる価値はあるだろう。
「肺病の原因について、仮説を立ててみたい」
「どうぞ」
「この地方と母さんは言ったけど、病はクロゥレン領ではほぼ発生しておらず、ミズガル領で頻発しているという認識で合ってる?」
「ええ、患者の大半はミズガル領の人間ね」
二つの領地は隣接しているので、双方で患者が出ること自体は不自然ではない。それでも一方に患者が多いなら、恐らく原因はミズガル領にある。
では、考えられる要因は何か。水ではない。土でもない。しかし、風は少し濁っている気がする。
風精の権能を限界まで研ぎ澄ませて、ようやく解る程度の違和感。
「二つの領地の大きな差は、産業にあるのではないか。うちはミズガル領ほど農業が盛んじゃない。特定の植物の胞子だとか、農作業の工程で舞い上がった粉塵なんかを吸い込んで、ここの領民は肺を悪くするんじゃないだろうか?」
「それは有り得るでしょうね。ただ、原因を特定するには時間がかかるし、解ったところで伯爵の病状は回復しない」
「ああ、全体的な解決を求めてる訳じゃなくてね。そういった粒子が原因だとしたら、肺に付着した異物を取り除けば、多少は症状が軽くならないかと思ったんだ」
遺体の解剖を行っていた人間であれば、この実験の意義をきっと理解してくれる。
俺の提案に母さんは暫し黙り込んで、悩ましげに宙を睨んだ。
「理屈としては理解出来る。でも、生きたまま胸を開くなんて真似を、上位貴族に対して出来ないでしょう」
「別に開かなくてもやれるよ。昏睡状態の相手に水を流し込んで、すぐに全部戻せば良いだけだからね。俺がいなくても、薬があれば人を昏倒させるくらいはいけるだろ? 水術はアレンドラに覚えてもらえば、一応は治療法として今後も使える。……順位表に載るだけの魔術師を遊ばせておくのは、ちょっと勿体無いしね」
「順位表ってことは、やっぱりあのアレンドラなのね。彼女はどうしたの?」
「ああ。妊娠したんで、医者を紹介したんだよ。シャロット先生なら任せられると思ったから」
母さんは天井を睨んだまま、抑えきれない笑みを掌で覆った。アレンドラを手札として組み入れ、新しい治療法へ挑む未来に、何やら楽しくなってきたらしい。
先程までの躊躇はもう何処にも無い。医術のためなら他を省みずに突き進めるという点が、母さんの強みだ。
……答えはもう解り切っているが、一応念押しはしておこう。
「医師として認められないと言うなら、俺は引き下がるよ。でも、肺の中に何が入っているか、まずは確かめてみるべきじゃないかな? どうする?」
「検証するなら伯爵が生きているうちに済ませたいわね。本人と会話は出来る?」
「そりゃあ勿論。事情を説明すれば、伯爵も受け入れてくれるよ」
領民のためになるなら、体を切開することになっても、あの人は普通に受け入れる気がする。一定の成果が出れば、シャロット先生だって納得してくれるだろう。
母さんは目を爛々と輝かせて、椅子を蹴り立ち上がった。
「今晩、早速やってみましょう。シャロットとアレンドラにはこちらから協力を仰ぐから、フェリスは伯爵をお願い」
「解った。俺はそのまま病室に詰めてるから、話がまとまったら呼びに来てくれ」
魂魄の具合からしてバルガス様は助からないだろうが、何もせず座して待っているというのも苦痛だ。これが後々に繋がってくれれば、俺も少しは胸を張れる。
さて、久し振りの医療行為か。
精気と魔力の残量を確かめ、俺は静かに呼吸を整えた。
今回はここまで。
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