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クロゥレン家の次男坊  作者: 島田 征一
新生活編

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227/229

 バルガス様は引継ぎ事項をある程度まとめていたらしく、遺言状の完成までにそう時間はかからなかった。ならば次に俺がやるべきは、母さんとシャロット先生への釈明だ。

 俺が何故バルガス様の病状に動揺を見せなかったのか――それは既に実態を知っていたからに他ならない。ただそうなると、何故私達に教えてくれなかったのか、という話になるだろう。実際のところは単に言う暇が無かったからだが、この説明では、上位貴族の命を軽んじているとの誹りを受けてしまう。

 ……自分で招いた事態である以上、非難されるのは構わない。ただそれはそれとして、死に行く者に揉め事を見せたくはない。勝手ながら最期は安らかで、憂いの無い状態で逝ってほしい。

 とはいえどう対処しようか?

 果物の盛り合わせを摘みながら、段取りを考える。ああ聞かれたら、こう返す。これは伏せて、あれは話す。完璧には程遠い演算を繰り返していると、バルガス様がふと息を吐いた。

「考え事かね? ……使っている魔術のことは解らんが、離れても大丈夫なら席を外しても構わんよ。君だって休憩は必要だろう」

「そうですねえ……休憩はさておき、母と少々打ち合わせをする必要があるかな、とは思っておりまして。実は実家を出て以来、長らく会っていなかったんですよ」

「そうか。うちのような事例もある。相手がいつまで生きているか解らんのだし、話せるうちに話しておいた方が良い」

 昔から思うのだが、死期が近い者のこういう話はどう対処すべきなのか判断に困るな。

 取り敢えず一礼して席を外すと、部屋の外では母さんとシャロット先生が待ち構えていた。母さんが無言で隣の部屋を指差すので、俺は頷いて部屋を移る。

「さ、フェリスの席はあっち」

 窓の無い部屋で、出口から遠い席を笑顔で勧められている……まるで尋問だな。

 まあ、逃げるつもりはない。いずれやらねばならないことだ。

 席に着くと母さんは唇を舌で湿らせ、ひとまず当たり障りの無い話題から入った。

「伯爵の調子はどう? あれから変化は無い?」

「咳が止まった分、落ち着いてはいるかな。でも、肺に本来の機能を取り戻すってのは俺じゃ無理。魔力もいずれは切れるし、どうしたって長くは保たないね」

「遺言状は?」

「そっちはついさっき出来たよ。因みに、会談がどうなったのかって話は聞いてる?」

 質問に、母さんは怪訝そうな顔を見せる。この反応からすると、割譲の件を聞いていないようだ。そもそもクロゥレン家には何の関係も無い話なので、当然と言えば当然だろう。

 シャロット先生は……ビックス様とまだ結婚していない以上、領地の運営に関する話は教えてもらっていないか。

 会談について軽く説明すると、母さんはシャロット先生に、現地へ伝令を出すよう命じて部屋から追い出してしまった。

「……シャロットは、伯爵夫人になるってことがまだ解っていないみたいね。こういう非常時は、先頭に立って指示を出す人間が必要なのに」

「そりゃそうでしょ、元々は貴族じゃなくて医者なんだから。そんな常識を教えてくれる人もいなかったんじゃない?」

「これからはそうも言ってられないんだけどねえ」

 こういうことに詳しそうな伯爵夫人は、数年前に亡くなっているのだったな。そうなると、シャロット先生にその辺を仕込めそうな人間は母さんしかいない。だから慌てて指示を出したんだろうが、如何せん後手に回った感がある。

 今から旧レイドルク領まで獣車を飛ばせば、夜明け前には着くとしても……そのまま中に入れるかは怪しい。暗殺騒ぎで入口が閉鎖されていたら、単に人手を減らしただけになってしまう。

「ファラ師かジィト兄に走ってもらった方が早かったかもな。現地は多分混乱してるよ」

「ん、何故?」

「ウェイン・レイドルクが殺されて、厳戒態勢に入ってるだろうからね。図面を描いたのは恐らく王子」

「そんな大事な話はもっと早く……ッ、いや、シャロットがいたから無理か……」

 そう、言える訳がない。

 ただでさえ視野が狭くなっているのに、国の裏まで知ってしまったら、今のシャロット先生では処理しきれないだろう。こちらである程度情報と仕事を絞ってやらないと、許容量を超えて潰れる可能性がある。母さんが治療の補助をしてくれて、かつ貴族の責務について指導してくれているから、どうにか彼女は踏み止まっているのだ。

 俺は俺で色々配慮していると伝わったのか、母さんは追及するのを諦めたようだった。

「……それで、レイドルク領についてはなるようにしかならんとして、だ。伯爵の治療はどうする? 俺は正直無理だと思ってるし、本人ももう諦めているように見えるんだよ」

「シャロットには悪いけど、私もそこまで頑張るつもりはないかな。ビックス君が戻るまでどうにか延命したくはあっても、苦痛を長引かせるだけ気の毒でしょう? 私がここに来た時点で、正直もう手遅れな状態だったしね」

 痛みは鎮痛剤でどうにか誤魔化せても、咳は収まらず悪化する一方――シャロット先生はそれでも諦めなかったが、母さんとしては安楽死に踏み切る寸前だったらしい。

「薬は効かなったなら、陽術は? シャロット先生はそれで症状を抑えてなかった?」

「いえ、あれは傷を治していただけね。内部に術を浸透させても、あまり効果は出なかった」

 最早曖昧な記憶だが、前の世界でも肺は再生しなかった筈だ。魔術があるこの世界でも、そこは変わらないか。

「人に伝染する可能性は?」

「伯爵の身近な人間にはまだ出てないみたいだけど……今後は解らない。でも、この地方では昔からよくある症状だから、同じなら伝染はしないわね」

 この地方とは言うものの、クロゥレン領で肺病が流行したという記憶は無い。ならばミズガル領でのみ発生し得る風土病ということになるのか? 取り敢えず、薬も陽術も効かないとなると対応策が無い。

 ……いや、一応まだ手はあるか? どうせ根治はしないとしても、症状が軽減する可能性があるなら、今後別の患者のためにやってみる価値はあるだろう。

「肺病の原因について、仮説を立ててみたい」

「どうぞ」

「この地方と母さんは言ったけど、病はクロゥレン領ではほぼ発生しておらず、ミズガル領で頻発しているという認識で合ってる?」

「ええ、患者の大半はミズガル領の人間ね」

 二つの領地は隣接しているので、双方で患者が出ること自体は不自然ではない。それでも一方に患者が多いなら、恐らく原因はミズガル領にある。

 では、考えられる要因は何か。水ではない。土でもない。しかし、風は少し濁っている気がする。

 風精の権能を限界まで研ぎ澄ませて、ようやく解る程度の違和感。

「二つの領地の大きな差は、産業にあるのではないか。うちはミズガル領ほど農業が盛んじゃない。特定の植物の胞子だとか、農作業の工程で舞い上がった粉塵なんかを吸い込んで、ここの領民は肺を悪くするんじゃないだろうか?」

「それは有り得るでしょうね。ただ、原因を特定するには時間がかかるし、解ったところで伯爵の病状は回復しない」

「ああ、全体的な解決を求めてる訳じゃなくてね。そういった粒子が原因だとしたら、肺に付着した異物を取り除けば、多少は症状が軽くならないかと思ったんだ」

 遺体の解剖を行っていた人間であれば、この実験の意義をきっと理解してくれる。

 俺の提案に母さんは暫し黙り込んで、悩ましげに宙を睨んだ。

「理屈としては理解出来る。でも、生きたまま胸を開くなんて真似を、上位貴族に対して出来ないでしょう」

「別に開かなくてもやれるよ。昏睡状態の相手に水を流し込んで、すぐに全部戻せば良いだけだからね。俺がいなくても、薬があれば人を昏倒させるくらいはいけるだろ? 水術はアレンドラに覚えてもらえば、一応は治療法として今後も使える。……順位表に載るだけの魔術師を遊ばせておくのは、ちょっと勿体無いしね」

「順位表ってことは、やっぱりあのアレンドラなのね。彼女はどうしたの?」

「ああ。妊娠したんで、医者を紹介したんだよ。シャロット先生なら任せられると思ったから」

 母さんは天井を睨んだまま、抑えきれない笑みを掌で覆った。アレンドラを手札として組み入れ、新しい治療法へ挑む未来に、何やら楽しくなってきたらしい。

 先程までの躊躇はもう何処にも無い。医術のためなら他を省みずに突き進めるという点が、母さんの強みだ。

 ……答えはもう解り切っているが、一応念押しはしておこう。

「医師として認められないと言うなら、俺は引き下がるよ。でも、肺の中に何が入っているか、まずは確かめてみるべきじゃないかな? どうする?」

「検証するなら伯爵が生きているうちに済ませたいわね。本人と会話は出来る?」

「そりゃあ勿論。事情を説明すれば、伯爵も受け入れてくれるよ」

 領民のためになるなら、体を切開することになっても、あの人は普通に受け入れる気がする。一定の成果が出れば、シャロット先生だって納得してくれるだろう。

 母さんは目を爛々と輝かせて、椅子を蹴り立ち上がった。

「今晩、早速やってみましょう。シャロットとアレンドラにはこちらから協力を仰ぐから、フェリスは伯爵をお願い」

「解った。俺はそのまま病室に詰めてるから、話がまとまったら呼びに来てくれ」

 魂魄の具合からしてバルガス様は助からないだろうが、何もせず座して待っているというのも苦痛だ。これが後々に繋がってくれれば、俺も少しは胸を張れる。

 さて、久し振りの医療行為か。

 精気と魔力の残量を確かめ、俺は静かに呼吸を整えた。

 今回はここまで。

 ご覧いただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
医療の発展は尊い犠牲とMADな精神が必要になるからな… うまくいって改善策が見つかるか!?
穀物を刈り取る時に舞い上がる粉塵による塵肺ってのはあるらしいけど、ソレだとしたら肺を洗っても症状改善しないのよね、肺そのものが変質しちゃってるから…… 別の病気か、この世界特有の病気か、或いは実験して…
「どうせ死ぬなら役に立って死ね」みたいな 利を得ようとする貴族のあり方や(命の)戦場の考え方や趣味が混ざった建設的ないい話や
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