暇
宿を取り、精霊二人を体内から解放して一息吐く。
折角遠出したのだから名産品でも買いに行こうと提案したが、食事より早く休みたいと言われてしまった。俺は未だに人間としての習慣が抜けておらず、夜になると何か食べたくなってしまう。
仕方なしに部屋の片隅で一人干し肉を齧っていると、ルリは寝台に寝転んで俺へ質問を投げかけた。
「……結局、さっきの遣り取りはどういう話だったんです?」
「ああ。特区に隣接している領地はレイドルクという一族が管理していたんですが、そこの息子が権利を手放したんですよ。領主が逆恨みでうちの姉に襲い掛かった挙句、返り討ちで死んでしまったので、人手が足りなくなったんでしょう」
「なるほど。そうなると……特区はどうなるのでしょう?」
「そこが読めないんですよねえ……今まで通り、適度に放置してくれる連中を期待したいところです。まあ、その辺は知ってる人に聞けば教えてくれるんじゃないですか」
何処に滞在するか、先方に場所は伝えてある。不確定要素を嫌うなら、相手は俺を放置出来ない筈だ。
程無くして予想通り、宿の外が騒がしくなり始めた。廊下に複数の気配――部屋の扉が叩かれても精霊達は体内に戻ろうとせず、姿を消す形で部屋に潜む。消える直前に迷惑そうな顔をしていた辺り、もう帰りたいと思っているようだ。
巻き込んでしまって申し訳無い。でも自分達にも関わることなので、少し我慢してほしい。
俺は落ち着いて干し肉を飲み込み、扉を開いて来客を出迎える。
「誰かが呼びに来るものだと思っていたのですが……まさか領主様が直々にいらっしゃるとは。店主が驚いていませんでしたか?」
「彼とは付き合いも長い、心配には及ばんよ。入っても構わんかね」
「どうぞ」
バルガス様は護衛三人を伴い、躊躇いもせず部屋へ足を踏み入れる。だが心做しかその足取りは重く、よくよく耳を澄ませば呼吸音もおかしかった。つい先日までのジャークと似た印象……どうやらあまり眠れていないようだ。
ひとまず負荷がかからないよう椅子を勧め、俺は寝台に腰掛ける。座れる場所は他に無いので、護衛には立ったままでいてもらった。
「さて、本日はどうされましたか」
「ビックスから侯爵家の割譲の件について、君に相談したと聞いてな。……国から名指しで直々に受けた仕事を、まさか部外者に漏らすとは思わんかったよ」
「まあ、私も似たような心情にはなりましたね。失礼ながら、何故俺に意見を求めるのか、と」
相手は溜息を漏らし、俺は苦笑で応じる。ただ、こちらとしては重要な情報を得ることが出来たので、ビックス様を責める気にはならない。頭が痛いのはバルガス様だけだ。
「今回いらっしゃったのは口止めのためですか?」
「それもあるが、ある程度事情を話しておいた方が、要らぬ干渉を避けられると判断したのだ。ビックスと違い君は裏を知っていて、かつ場を見る力があるようだからな」
「買い被り過ぎですね。ビックス様も事前にしっかり説明さえされていれば、私に助けを求めることはなかったでしょう」
お前の段取りが悪いんじゃないか、という言葉を目一杯飾り付けて贈呈すると、護衛が剣の柄に手を掛けた。その動作があまりに遅く、緊張に満ちていて、俺は相手の能力を疑う。
こんな拙い手つきの男を、領主の護衛につけるのか? ミズガル領は武人が揃っていないとは思っていたが……ここまで質が下がっていたとは。クロゥレンの武力に依存し過ぎて、研鑽を忘れている?
いずれにせよ宿に傷を付けたくはないので、俺は一睨みで全員の剣を鞘ごと凍らせてやった。護衛達は急に冷たくなった手を武器から離し、何が起きたのかと混乱している。
「バルガス様……護衛は必要だとしても、もう少し人を選んだ方がよろしいのでは?」
「はぁ……フェリス殿の言う通りだな。お前等は面会の妨げになる、全員部屋の外で待機していろ」
数だけ揃えても無駄と悟ったか、バルガス様は護衛を追い出してしまった。いやこの感じだと、元々誰かを連れて来るつもりが無かったので、俺の行動に乗っかっただけかもしれない。部外者云々と言うなら、彼等もそうだものな。
ああ、人が減った瞬間、バルガス様も笑みを抑えられなくなっている。
「すまんな。先日体調を崩したからか、どうにも周りが過保護でいかん」
「妙に物々しいと思ったら、そういう事情でしたか。ならまあ邪魔者も消えたということで、落ち着いてお話をしましょう」
「そうだな。では早速だが……君はビックスに、この件から手を引くよう勧めたようだね」
「そうですね。ウェイン様が身を引いた以上、頑張ったところであまり旨味はないでしょうから」
返答に、バルガス様は満足そうに軽く頷く。ここまでは想定通り、共通認識だったようだ。
「君の判断は正しい。だが今回はビックスに好きなようにやらせ、いっそ失敗してもらおうと考えていたのだ。アイツは領内の仕事ばかりで、外に目を向けようという意識が乏しいからな」
あー……そういう意図だったのか。それはやらかしたかもしれない。
自身の希望を通したいという想いが先行し、視野が狭まっているようだったので、バルガス様からちゃんと話を聞けと指示はした。ただ、冷静さを失っている理由が、普段の情報収集を怠っているからなのだとしたら問題だ。
……ビックス様は他人を疑うとか、相手の背後関係を調べるとか、苦手そうだものなあ。
「善人であるというだけで、領主はやっていけませんか」
「その通り。今のアイツは領内で好かれてはいても、余所の貴族と渡り合うだけの力が無い。極端な話、誰にどれだけ嫌われようとも、領主は領民の生活を守れるならそれで良いのだ。……この仕事で痛い目を見て、アイツの意識が変わってくれたなら、私は即引退するつもりだったのだよ」
血走り濁った目が、揺らぎもせず俺を睨んでいる。
なるほど。この状況なら、確かに要らぬ干渉を避けたいだろう。
隠し切れない死相――自分が長くないと、バルガス様は理解している。
「そちらの意向は理解しました。因みに、悪いのは肺ですか?」
「ハッ。流石はミスラ殿の直系だな。シャロットは気付かんかったというのに」
「気付いたところで診せるつもりはないのでしょう? 今はまだ、ビックス様に領地を任せられないと貴方は考えている」
治療を始めたが最後、バルガス様の席は無くなってしまう。それなら命懸けで子に教育を施した方が、後に繋がるということか。
運営なんて死ぬまで頑張るような仕事ではないと思うが、それは俺がお気楽な次男坊である所為だろう。領地に人生を捧げた人間に対し、軽々しく止めろだなんて俺は言えない。
「ううん……なるべく応えたいところではありますが、もう口出しはしてしまった訳だし……今からの軌道修正は難しいのでは?」
「君は遠方から患者を連れて来る予定なのだろう? 十日ほどこの地を離れてくれれば、後はこちらでどうにでもする。どうやら両侯爵家の間で、何処を切り取るかは既に内定しているようだからな。ビックスが幾ら騒いだところで、何も覆りはせん」
「ふむ、ミズガル家は何処を押し付けられるんです?」
「レイドルク領の南端から、ザヌバ特区までを斜めに繋げるような形だろうと考えている。要するに、何も無いただの原野だ」
何も無いというのも、それはそれで悪くない。自身の利益重視とはいえ、両侯爵家も多少は配慮してくれている節があるな。
加えて、ミズガル家が特区と繋がるというのも好都合だ。
「放置一択ですね。管理する必要が無いし、国からの依頼もこなせる……むしろ楽なのでは?」
「ああ、下手に街を任せられるよりは安心出来る。特区も最近は、魔獣が余所に溢れたりはしていないようだからな」
少なくとも俺が滞在している間は狩猟を続けるため、魔獣絡みで大きな問題は起こらないだろう。人里に被害が出ないよう、外周の見回りくらいはしてやっても良い。
となると俺次第ではあるが、割譲については割と穏やかに決着しそうだな。
「……取り敢えず要らぬ真似はしないよう、明日にはここを発ちましょう。他に気をつけるべきことはありますか?」
「気をつけてどうなるものではないが……一応伝えておくべきかな。君の友人であるジェスト・レイドルクが、最近城に出入りしているという報告があった。今回の一件に絡んでくると予想される」
「不審な動きですね。何故そんな露骨な真似を……」
レイドルクの失態に巻き込まれて処罰されないよう、中央との繋がりを求めること自体は理解出来る。ただ、暗部は暗部のやり方を熟知しているものだ。アイツの性格や能力を考慮すれば、姿は敢えて見せたのだとしか思えない。
さて、ここで自分の存在を主張して、何の得がある?
ウェイン様の命を狙うため、事前に圧をかけておきたい? いや、相手に気付かれていない方が、殺せる可能性は高いよな。アイツなら敵に恐怖を与えるより、目的の遂行を重視するだろう。
どうにも不自然だ。
余程特殊な事情があるか、それとも他者の意思が介入しているのか。
……ううむ、確かに聞いたところでどうにかなる情報ではなかった。ジェストの悲願が成就するよう、俺には祈るくらいしか出来ない。
「疑問はありますが、流れに任せるしかありませんね。少なくとも、こちらから積極的に関与しようとは思いません」
「うむ、君は力づくで場を引っ繰り返せる男だからな。こちらの仕事が落ち着くまで、暫く大人しくしてほしい」
「心配は要りませんよ。どうも貴族社会は肌に合わないので、身を引こうと思っているんです。私も遠からず引退ですね」
俺の軽口に、バルガス様は腹を抱えて笑い出した。
「ハッハッハ! 実に羨ましいな。私も君のように生きられたら良かった」
「これはこれでしんどいですよ? ……お互い自由になったら、肩書無しで食事にでも行きますか」
「その時はご馳走してくれ。旨い店を期待しているよ」
差し出された手を握り返し、俺達は笑顔で会談を終わらせる。
実に有意義な時間だった。残された俺の仕事は、アレンドラとジャークの輸送くらいか。このまま何も起こらなければ良いが……。
俺の不安を余所に、トラメは退屈そうに欠伸を噛み殺している。
今回はここまで。
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