迷
「先月の中頃のことです。ウェイン様が突如として、中央へ領地の返還を申し出ました。当主が行方不明という状況では、司法の維持と領地管理の両立は困難である、という理由だったそうです」
「行方不明……ですか」
初っ端からもう胡散臭い。
奴はミル姉が確実に殺している。建前上、内乱は起きていないことになっているため、インファム・レイドルクも行方不明のままなのか?
……死亡を伏せた上で、領地を取り上げた? いや、ウェイン様なら最低限の利益を確保して、面倒な領地経営は放棄したという可能性もあるな。アヴェイラを即座に切り捨てたという事実から見て、彼は引き際を心得ている。
まあ実態はどうあれ、ウェイン様しか領地には残っていないのだから、まともに運営を続けられないというのは本当だろう。むしろ今までどう頑張っていたのかと、不思議にすら思う。
俺は茶を啜り、続きを促す。
「ダライ様はその申し出を受け入れたそうで、レイドルク領は現在中央の預かりという扱いになっております。とはいえ、如何せん急な話なので、中央としても対処に困る。そうした訳で、レイドルクに隣接する三家――ハーネイ侯爵家とアッケラ侯爵家、そしてミズガル家で土地を分割して管理せよという話になったのです」
「レイドルク家が取りまとめていた司法権はどうなるのです?」
「今後は各貴族家から人員を集め、独立した司法機関を作るようです。ただ司法長官としては、引き続きウェイン様が従事されます」
一番大事なものは未だ手の中、と。
ということは損切りで確定だな。食い残しを漁ったところで、大した旨味は残っておるまい。ただ、実父が内乱に加担していたのに、立場を維持し続けられるとは――ウェイン様の立ち回りを賞賛すべきか、ダライの正気を疑うべきか。
さておき内容を聞く限りでは、俺が口を挟む余地は無い気がする。
「状況は概ね理解しました。それで、相談とは?」
「土地の割譲については、三家で決めるよう命じられましてね。なるべく波風を立てず、かつ利益を求めたいとして……フェリス殿ならどう交渉されますか? 参考までにお聞かせ願いたい」
……それについては部外者である俺の意見など聞かず、自身で判断すべきと思うが……ビックス様からすれば、難しい状況だというのもまた事実ではある。あくまで参考ということであれば、俺が裏側を知っているということも含め、真面目に答えるべきだろう。
「私なら取り分を全て放棄して、侯爵家へ委ねます。或いは相手の態度によって、どちらを支援するか決めるでしょうね」
「いやいや、フェリス殿。利益を求めたい、という前提を聞いておられましたか?」
「聞きましたよ。まず第一に、人手不足で困っている状況で、更に手を広げるべきではありません。あの街は司法によって栄えていた街であり、食料を外部に依存しています。元々の肉体労働者の数が少ないので、新たな労働力を期待出来ないでしょう。そもそも、領主が変わるだけで土地を追われる訳ではありませんから、こちらへ移住してくる人間は少数派です。管理の手間が増えるだけですよ」
「ですが中央までの距離が近くなれば、作物の販路が生まれ易くなるのでは?」
販路ねえ……そう巧くいくだろうか? 俺は両侯爵家に詳しくないが、上位貴族の我の強さなら知っている。
「可能性は否定しません。ただ、それを実現させるには、ミズガル家が中央へ続く道を侯爵家から勝ち取る必要があるでしょう。事を優位に進めるだけの材料はお持ちですか?」
ビックス様は――口を開いたまま、続ける言葉を持たなかった。
今までの話を聞く限り、彼には対外交渉の経験がほとんど無い。現時点で出来るという目算が立っていないなら、恐らく失敗するだろう。
黙り込んでしまったビックス様に代わり、今度はシャロット先生が俺に噛み付いてくる。
「フェリスさんは否定してばかりで、あまり建設的な意見になっていないように思います。こちらに利があるのなら、交渉してみるだけの価値はあるのでは?」
「相手に与し易いと思われたら、却って損なのですが……まあ、仰りたいことは解ります。なので、理由の二つ目を。これは私の単なる勘なので、聞き流していただいても構いません」
「勘って……いえ、まずお伺いしましょう」
「レイドルク家当主が行方不明という話、あれは事実ではありません。インファム・レイドルクは既に死亡しています。王家はこの事実を掴んでいますし、ウェイン様が知らないとも考え難いので、両者の間には何かしらの取引があった筈なのです。裏に何が潜んでいるのか解らない状況で、美味しい話に飛びつくのはどうか、という不安があります」
新しい事実に直面し、二人の眉が跳ね上がる。
長期に渡って行方不明なのだから、ビックス様もその可能性は充分考慮していただろう。ただ、何故それを知っているのか、と目が雄弁に語っている。
「説明するのは吝かではありませんが……王国の暗部を知る覚悟はございますか?」
「……いえ、止めておきます。言わないでください。ただ、死亡は確実なのですね?」
「ええ。それを伏せたまま、領地の分割を進めようとしている点が、私はどうにも気にかかる」
レイドルクの案件にほぼ絡んでいないミズガル領を、わざわざ嵌めようとする可能性は低い。しかし、多分そうだというだけで、確信の持てる話ではない。俺がダライなら、敵対したレイドルク家を根絶やしにするところだが……アイツは他者に殺されたいという欲求があるため、当たり前の読みが狂ってしまう。
いや、それでもやはり、ウェイン様が生きているということ自体に違和感はある、か。
具体性の無い、ただ漠然とした不安。飛び込めばきっと怪我をする――底の見えない穴に飛び込む勇気は俺には無い。
「感情論で申し上げれば、今回の取引について、私は迂闊に踏み込むべきではないと考えます。大人しく身を引いて、両侯爵家からの覚えを良くするだけで満足出来ませんか?」
「そうですか。いや……しかし、それでは……」
「ミズガル領を継ぐに当たって、この話をまとめるよう指示でもありましたか?」
二人が弾かれたように顔を上げ、驚きを隠しもせず俺を見詰める。
別に難しい推察ではない。ビックス様が対外交渉をあまりしてこなかったのなら、何処かで経験を積ませる必要がある。そうなると、今回の一件は好機とも言えるだろう。如何せん課題としては厳しい感はあれど、失敗したところで痛手も少ないだろうし、まあ親心の範疇だ。
取り敢えず、彼等はちょっと素直過ぎるというか、表情に出過ぎだな。
「ビックス様、なるべく感情は抑えてください。その調子では両侯爵家に通じませんよ」
「友人の前で取り繕ったりはしませんよ」
友人か……本当にお人よしというか、貴族らしくないお方だよなあ。
だから俺とこうして話していられるし、だからシャロット先生を選んだんだろうな。
……多分、このまま交渉に行かせたら、ビックス様は何もしないより悪い結果を出すような気がする。
「バルガス様の意向はどうなんです?」
「どうせ何も得られないだろうから、好きにやってみろ、と言われました。どういう結果であれ、とにかく話し合いを終わらせろと。そこまで言われてしまっては、私としては成果を出さねばなりますまい」
いや、これは要らぬ反骨精神など出さず、額面通りに受け取れば済む話だ。結果を出せではなく、事を終わらせろと指示している辺り、どうやらバルガス様はある程度の事実を把握している。どう足掻いたところで結果は変わらないから、顔繋ぎをしてこい、という程度の意味ではないだろうか?
ううむ、解らん。
解らんが、口調に憤りがあるところからして、きっと彼等はそこで喧嘩をしたのだ。別に他意は無かったとしても、先の発言が一言一句そのままだったとしたら、お前には期待していないと言われたように聞こえる。真意を確認するためにも、ビックス様がこなすべきは、俺への相談ではなくバルガス様との調整だろう。
「ビックス様。今回の仕事をするに当たって、バルガス様から事前に情報を流してもらっていますか? 先程、王国の暗部を敢えて聞かないという選択をされましたが、上位貴族であるなら踏み込まねばならぬことはあるのですよ?」
「ふふ……この場でなければもう少し考えましたね。現時点で、シャロットを巻き込む訳にはいきません」
「私のことなら気にせずとも結構です。それは大事にされているとは言いません」
「ははっ、隠さなくなってきましたね」
シャロット先生はもう仕上がっているな。背筋を正し、事を受け入れる準備が出来ている。いや、ここで事情を聞いてしまえば、ミズガル家は彼女を切り離すことが出来なくなる――ある意味ではビックス様よりも貴族的な態度だ。
強かで実に結構。
「足踏みを続けても仕方ありません。まずはバルガス様に改めて裏を取るところから始めたらどうです? 代替わりをしていないなら、ミズガル領の責任者はあの方になります。しくじりたくない仕事なら、上司との調整は当たり前に必要です」
「フェリス殿は教えてくれないのですか?」
「教えても構いませんが、バルガス様に対して何か思うところがあるのでしたら、一度腹を割って話してみては如何ですか。少なくとも今は、意地を張る局面ではありませんよ」
多分、俺が知る事情とバルガス様が知る事情にはずれがある。継承権争いの一件――ダライが内に抱えるものは、あの方であっても詳細を知るまい。ひとまず領地の割譲については、各家が知っている前提が何かを押さえるべきだ。
……さて、俺はどうするべきかな。
貴族同士の遣り取りなんて、もう知ったことではないとは思う。ただ、特区はレイドルク領に隣接しているため、どんな影響が出るか先が読めない。友人と言ってくれる人を無碍に扱うのも違う気がする。
面倒臭えなあ。
結論を出すにはまだ早い。考えをまとめられないまま、俺は茶を飲み干した。
今回はここまで。
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