急転
「う、あ、ああッ」
――やらかした。
空を駆けながら、只管に顔を歪める。
フェリスが何をしようとしているかは理解していたし、他に手段は無いと思っていた。だから空中に射出されることは、当たり前に受け入れた。たった一つ失敗だったのは、焦るあまりに、フェリスの魔術を受け損なったことだ。
全身は衝撃で痺れ、左の足首は折れている。陽術で必死に回復を試みているものの、街までの時間を考えると、骨がくっつくほどの余裕は無い。となれば、まともな着地は見込めないだろう。
歯を食い縛りながら、魔力を展開する。姿勢を制御出来なければ落ちて死ぬし、相手を探知出来なければあらぬ所に着地してしまう。どちらになっても、何をしに来たんだという話である。
「ああもう、無様だわ!」
悪態を吐いて防壁を解除する。風をもろに浴びる形になるが、使う魔術が一つ減って楽になる。
魔術行使の順序を考える。まずは探知。目指すべきは知った気配のいる所だ。魔獣そのものは陰術で解らなくとも、出現したと知れている以上、誰かが追いかけているはずだ。守備隊の面々が集まっている場所を感知し、大体の位置を把握する。
次に回復。足首は諦めるにせよ、体の痺れを取らなければ戦えない。これについては、着地まで継続する。
最後に姿勢制御。風術で目当ての場所を目掛けて、軌道を変えながら体の傾きを整える。
普段ならば苦も無くこなす作業に難儀している。本気で時間が欲しい。
しかし、ぼやいている間に目標が見えてきた。
伯爵を含めた四人が、角の生えた魔獣を遠巻きに囲んでいる。先程の個体より大きい。それに、建物が近いため、火術は使えないようだ。条件が少しだけ厳しい。
空中で角度を変え、風で生んだ槍を放つ。
「キイッ!」
気取られたか。奇襲は失敗し、槍は地面に突き刺さる。しかし、解けた魔力は上昇気流を生み出し、私に着地の余裕を与える。
荒れ狂う風を味方に、魔獣の眼前へ悠々と降り立った。右足だけで立っているので、人によっては気取っているようにも見えるだろう。
「伯爵、お待たせしました」
「ミルカ殿、よくぞ来てくれた!」
頷いて返し、周囲を確認する。伯爵や守備隊員は多少の切り傷を負っているものの、充分戦闘は続けられるようだ。問題は、その傷口から微かな瘴気が発されていることだろう。
なるほど、あれが呪詛。
たとえ浅いものであっても、術師が手を施さない限り、あの傷は治らない。なかなかに面倒な手を打ってくる。
掌に小さな光弾を作り、彼らの傷の一つ一つに飛ばす。着弾による多少の痛みはあるだろうが、陰術の相殺は出来る。あのままにしておくよりは良いだろう。
「それで治療が効くはずですから、退く人は退かせてください。なるべく周りに被害は出さないようにしますが、巻き込む可能性がありますので」
先程の反応からして、コイツは攻撃の気配に敏感だ。威力を上げた魔術を避けられると、どうなるか解らない。
こういう相手こそ、ジィトに任せるべきなのだけれど……いない人間のことを言っても仕方が無い。
「行きますか」
両手を叩き、風を破裂させる。牽制の一発で、相手は後ろに下がった。
笑みが零れる。それは愚策だ。
空いた距離こそ魔術師の生命線。
風術を込めた手を大きく振る。相手の足を狙った横薙ぎの一閃が宙を走る。
「キィイ――!」
呪詛の煙を撒き散らしながら、魔獣が地を蹴って飛ぶ。そう、下を狙われれば上に逃げるしかない。地面より下を選ぶのはフェリスくらいのものだ。
読み通りの動きに、光の波を合わせる。陰術を打ち消しながら、魔獣の肌を舐めるようにして魔力が通る。殺せるほどではないにせよ、全身を痛めつけることには成功した。
圧倒的な力で押し潰すのではなく、適度な力で相手の動きを制御する――フェリスの攻めには示唆がある。周囲に被害を出せない今のような状況において、あのやり方は適している。
こんな時でもなければ、もう少し色々試したくはあるけれど。
「あら、怒ったのかしら」
魔獣は頭を下げ、こちらに突進するかのような溜めた構えを取る。意気込みは認めるが、その体勢では前にしか出られない。この狩りは早くも終わりのようだ。
眉間に指先を向け、照準を合わせる。後ろに建物があるので、貫通はさせられない。
息を細く吐き出す。
大角の眼がこちらを睨みつける。相手の脚が緊張感を帯びる。一瞬の後に土塊が宙を舞い、距離が詰められる。
速い。
「でも、それだけね」
ジィトの動きに慣れている身としては、特に驚きは無い。適度に練り上げた魔力で光線を放つ。
「キッ」
一直線に伸びた光は、角の間を通り頭を跳ね上げる。四肢が勢いを失い、魔獣はもつれるようにして私の前にその体を横たえた。
「これでお終い」
結局私を最も苦しめたのは、フェリスの地魔術だったか。
溜息と共に風の刃を叩きつけ、首を刈り取った。
/
急いで戻った所で、どうせやることは無い。ビックス様には当然焦りがあったようだが、それを宥めすかして足を進める。地術で台車を作り、獲物を載せて街へ帰った。
やはりと言うべきか、ミル姉はとっくに相手を仕留めて果物を楽しんでいた。木箱に腰かけて足をぶらつかせながら、指についた果汁を舐め取っている。
「お疲れ」
「お疲れ様。ちゃんと持って来たのね」
「そうじゃないと何しに行ったんだか解らんしねえ」
命を奪った以上、可能な限り獲物を無駄にはしない。残念ながらアレは食えそうにはないので、誰がどのように手を加えたかの分析にしか使えそうにはないが。まあ配分としても、ミル姉とビックス様で一体ずつなら双方が仕事をした感じも出るだろう。
念のため魔力を巡らせても、辺りに第三の大角がいる気配は無い。番だったと見るのが自然か。
考えたところで解らない。ミル姉から果物を分けてもらい、喉の渇きを潤す。
「しかし、何だったのかねえ?」
「さあねえ。こう言っては悪いけど、そこを調べるのは伯爵の仕事でしょう。今回の私達は傭兵に過ぎないし、うちに来たら殺すだけだし」
仰る通り。子爵領にとっては、大角も普段相手にしている魔獣も、そう大差は無い。今回は全く出番が無かったが、グラガス隊長もあれくらいなら一人で相手が出来るだろう。
何がしたかったのだろうか。戦力を探った……のかなあ。
判断材料も無いのに、結論が出る筈もない。また余計なことを考えている。ただ何となく残る気持ち悪さが鬱陶しい。
黙り込んだ俺を眺めながら、ミル姉は溜息を吐く。
「何か解ったら知らせを出すから、暫くゆっくり休みなさいな。それとも職人の方の仕事があるかしら?」
「あるけど、体を動かす必要は無いからどうにでもなるよ。そっちこそ演習はどうするんだ?」
「明後日からになるんですって。明日にはあの魔獣を中央に送るって言ってたから」
そういえば、首都には魔獣の調査機関があったと思い出す。魔術の研究も盛んだし、どちらかで何かが解るかもしれない。
なら、俺がするべきは頭を切り替えることだ。
「じゃあ、俺はお役御免だな。何でか最近戦ってばっかりだし」
「ヴェゼルもそうだったじゃない。私からすればあの人は職人じゃなくて武人なんだけど」
「師匠は……いや、否定出来んな……」
師匠は優れた職人でありながら、ほぼ間を空けずに何かと戦っていた。それは自分で狩った獲物を素材とする、という拘りに起因していたのだろうが、対人戦も結構こなしていたように思う。しかも無敗だったので、ミル姉が武人と称賛するのも当たり前の話だ。
かつてのまま変わりないとすれば、師匠の総合強度は14000を超えていた。数値だけで言えば、王国最強と名高い『魔剣』ファラ・クレアスと同程度になる。そりゃあ職人としての在り方を疑われるというものだ。
「ヴェゼルは今どうしてるの?」
「中央で姉弟子の指導をしてる。……って言うと聞こえが良い」
「何それ?」
「実際はあまりに家を空けすぎて姉弟子が切れた。姉弟子は組合の連絡員だからね。そういう立場の人間からすれば、腕は立つのに依頼出来ない人間って、ねえ?」
頼れない師匠というのは、さぞや苛々させられたことだろう。その分俺は指導を受けられたしありがたかったが、環境がそれを許し続ける筈も無い。姉弟子は俺を責めるようなことはしなかったものの、最後には師匠を引き摺って去って行った。
「自由人だものねえ……腕は抜群に良かったから、領内で囲いたかったけど」
「無理でしょ、あれは。まあいずれ俺も中央には行くつもりだから、その時には改めて指導を仰ぎたいとは思ってるけど」
最大の目的である託宣を受けられる場所は、各大陸に概ね三つずつ設置されていると聞いた。そのうちの一つは首都の近郊にあるため、どうしたところで暫くは滞在することになる。
首都に居を構えるつもりはないが、俺は託宣を受けられる場所から長くは離れられない。時間に余裕のある内に、師匠から受け継ぐものは受け継いでおくべきだろう。
正直、首都にはミル姉やジィト兄の師匠もいるので、その人達にはあまり会いたくなかったりはするけれど。
「私もたまには首都に行きたいわねえ。社交界はさておき」
「うちみたいな辺境が社交してもあんまり意味無いんじゃないの?」
「無いわよ。中央と繋がりがあったって、距離があり過ぎて活かせないからね。大体、あんなの結婚しろって言われるだけの宴会に過ぎないわ」
心底忌々しそうに、ミル姉が顔を歪める。年齢的に結婚していておかしくないのに婚約すらしていない所為で、お偉方に目をつけられやすいのだろう。当人からすれば、余計なお世話の一言だ。
ミル姉は結婚願望が無い訳ではなく、むしろその辺りの感性は一般的なのだが、地位と強度があるために妙な男が寄って来やすい。見目も性格も悪くないのに、そういう面では損をしている。
俺は平凡な顔で良かった。
「他人事みたいな顔してるわね」
「他人事だよ実際。俺がそんな格式ばった場に出るとでも?」
「職人として大成したら……」
上級に行き着くまででも相当遠い道のりだと言うのに、何年先になるのか解ったものではない。
埒も無い話をだらだらと続ける。ミル姉とこういう時間を過ごすのは久し振りだ。これも家を出たからこそか。
弛緩した空気。
これが終わったら帰って寝ようかなどと考えていると、何処となく覚えのある女性が、泣きながら伯爵家の面々の所へ走っていくのが視界に映った。
厄介ごとの気配がする。
「……どうする? 離れておく?」
「後回しにした方が面倒な感覚はある」
「アンタ直感持ちでもないのに、外さないのよねえ。ちょっと待ってみましょうか」
伯爵家とは協力関係にあるものの、別に領内の問題に首を突っ込める訳ではない。様子を窺いながら、彼女が何者であるか記憶を探る。
……つい最近……だったような。
暫く頭を捻った結果、ようやく彼女がアキムさんの所にいた人であったことを思い出した。直前の出来事があんまり過ぎたのと、彼女とのやり取りがほぼ無かったことで印象に残っていなかった。
しかし、彼女の正体がそうであるなら、非常に嫌な予感がする。絶対にロクなことになっていない。
あのガキ何をしやがった……?
落ち着かないまま、状況が動くのを待つ。やがてグラガス隊長が、伯爵家の面々からそっと離れてこちらに忍び寄ってきた。
「何があった?」
「……アキム・ハーシェルという方のことはご存じですか?」
「知っている。俺に研磨の基礎を教えてくれた人だ」
「弟子の一人がアキム様を刺した挙句、工房の金を盗み逃走中ということです」
背筋に冷たいものが通り、胸がざわつく。
「アキムさんは?」
「生きてはいるようですが、相当手酷くやられたようで……」
言い様からして、かなりの重症らしい。頭の中が真っ白になる。
「フェリス、大丈夫?」
呼びかけに、巧く反応が出来ない。
いや、躊躇っている場合ではない。呆けるな。動き出せ。
「ミル姉、さっきの女性にアキムさんのことを聞いて、治療に向かってくれないか。シャロットという医者が手をかけているなら、その指示に従ってほしい」
「そっちはどうするの?」
「俺は犯人を捜す」
ああ、これは随分と久々の感情だ。何故か涙が目尻に滲む。
あの野郎、ぶっ殺してやる。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。