移
まあ色々あったところで、日々の生活が変わる訳でもない。翌日から、俺は只管に家具やら小物やらを作り続けた。
板を割るために、数少ない魔核を使って鉈を生成した。そのまま木材で簀の子を作り、枕を作り、串を作った。そうこうしているうちにジャークが狩りで魔核を補充してくれ、次は背負子を作る余裕が生まれた。
背負子が出来たことで、環境は劇的に変わる。
手で持っていた物資をまとめて運べるようになり、作業は一気に楽になった。葉っぱを皿代わりにすることが無くなり、手掴みで肉を食うことも減った。食事に山菜や果実を取り入れ、適切な調理をすることで、栄養も巧い具合に摂れるようになった。
原始的な生活から少しずつ抜け出していく。
衣食住のうち、食と住が真っ当になったことで、アレンドラの体調も少しずつマシになっていく。
役割から解き放たれた彼女は本来の姿に戻ったのか、よく笑い他者への感謝を忘れず、穏やかに過ごしている。変に遜った態度を取らないので、俺としても接し易い。ジャークが惚れるのも当然だと納得出来た。
……この段階まで来たのなら、そろそろ移住の話を進めても良いだろう。
「アレンドラ。ジャークから聞いていると思うが、ある程度体調が落ち着いているうちに、ミズガル領に移住しないか? まあ俺が先方に話を通してからになるんで、今すぐって訳ではないんだが」
「その話か。うん……話としてはありがたいのは解る。でも、目が見えないまま長距離を移動するのは、やっぱり不安があるんだよね。ジャークにも負担をかけてしまうから……」
「ボクの心配は別に要らないよォ。いざとなったら背負って行くし、問題はどれくらい時間がかかるかだねェ」
「移動ならそんなにかからんと思うぞ。ヴィヌスに乗って移動すりゃすぐだ」
俺が心配していたのは、アレンドラがヴィヌスにしがみついていられるかどうか、ということだけだ。体調が戻り、身体強化の技術も磨かれた今、その点についての不安も無くなった。体を固定するための安全帯を作り、ジャークが補助として頑張ってくれれば、数時間でミズガル領には到着するだろう。
アレンドラは説明に納得したものの、もう少し鍛錬を続けたいようだったので、出発は二週間後ということに決まった。
二週間となると、余裕はありそうであまり無いな。すぐに動いておかないと、諸方面に迷惑をかけてしまう。
「良し、じゃあ俺は今からミズガル領へ飛んで、ちょっと打ち合わせをしてくるよ。相手に面会さえ出来れば、すぐ戻れると思う。こっちはジャークがいれば大丈夫だな?」
「面倒をかけるねェ」
「別に大した手間ではないよ。ついでに果物でも買って来るさ」
この時期は何が旬だったか、などと考えていると、今まで部屋の隅でじっと話を聞いていた精霊二人がふと顔を上げる。
「フェリス。その件、私達も一緒に行ってはいけませんか?」
「ん? いや……駄目ってことは無いですが、何でまた? 別に面白いことはありませんよ?」
「だって……お兄ちゃんに転移を教えたけど、まだ使いこなせてないみたいだから。遠いところへ行くための方法、ちゃんと教えた方が良いのかなって思ったの」
ははあ、なるほど。
確かにトラメが指摘する通り、俺の転移はいまいち精度が低く、長距離になるほど失敗しがちである。目に見える場所なら普通に歩いてしまうし、遠い場所ならヴィヌスに乗ってしまうので、あまり使う機会が無い所為だろう。
教えてくれるというのなら、習得しておくべき技術だとは思う。ただなあ……空を飛ぶのも気持ちが良いからなあ。ヴィヌスにもなるべく構ってやりたいし。
あれこれ考えると、結局使わないような気もする。
でもきっと、これはトラメが俺と交流したいが故に持ち出した話なのだ。
「解った。そういうことなら折角だし、改めて教えてもらうよ。因みに、ルリも転移は使えるんですか?」
「昔は使えましたが、今は試してみないとどうなるか解りませんね。体の調子は戻ったつもりですが、私も慣らしが必要だとは思います。なので、練習に付き合ってください、というのが正しいでしょう」
……建前か? いやまあどっちでも良いか。誘ってくれるなら是非も無い。
「じゃあ三人で行ってみますか。場所は解ります?」
「大体の方向さえ教えてくれれば、地脈の具合で解るよ。人が沢山いる場所は目印になるから」
トラメが自信満々で胸を張るので、俺は図示した方が解り易いだろうと王国の模型を作る。素材となる石材は幾らでもあるため、実物は簡単に出来上がった。かつてここの祭壇で地理関係は学んでいる、ある程度は正確なものになっている筈だ。
地図の戦略的価値を知るジャークは一瞬眉を顰めたが、俺は静かに唇へ指を当て、首を振りそれを黙らせた。
情報漏洩なんかより、行き過ぎてクロゥレン領に突っ込んでしまう方が面倒臭い。恐らくミル姉はまだ戻っていないため、もし誰かに見つかった場合、何故俺が帰って来ているのか説明が必要になってしまう。そして、そのまま実家へ連れ戻される流れになるだろう。
「特区はここで、レイドルク領が西にあって、そのレイドルク領の南に隣接しているのがミズガル領。あまり南に行き過ぎると別の領地に入ってしまうから、トラメもそこは注意してほしいな」
「解った。……ふうん? 領地の真ん中に街があって……大きめの水路が二本。その近くに樹が沢山ある場所で合ってる?」
「……合ってるね。あそこは果物の育成が盛んなんだ」
棒立ちで目を閉じたままのトラメに現地の特色を言い当てられ、俺は鼻白む。
この場所にいながらミズガル領の様子が解るとは……精霊の力は凄まじいな。俺も地精の権能を与えられている筈なのに、同じ真似が出来るとは到底思えない。
「今の、どうやってるんだ?」
「後で詳しく教えるけど、お兄ちゃんは人間だった時の感覚に縛られ過ぎなんだと思うな。地面は自分の体と同じ物なんだから、そこに地面があるなら、距離は関係無いんだよ。ええと……右手を挙げれば、どうなっているかはすぐ目に入るでしょ?」
色々説明された結果を整理すると、トラメにとって世界とは自分であり、自分とは世界である。自分の足元がどうなっているかなんて、見ればすぐ解るじゃないか、ということらしい。ルリも水分が存在する場所なら周囲の様子は大体解る、と同調した。
……ううん?
取り敢えず、遠見はどうやら属性が鍵となっているようだ。なら俺が一番解りそうな感覚となると、穢れがある場所か?
目を閉じて『集中』し、シャシィの体内を意識してみると、帰路で獣車に揺られる視界が脳裏に浮かび上がった。
ああ……意外とあっさり出来たな……。ただ精霊二人と違って、水や大地に関する情報はあまり得られなかった。滅茶苦茶頑張って感覚を伸ばそうとしても、洞窟の外が限界だ。
「言わんとしてることは解ったよ。でも俺の場合、穢れがある場所しか解らないのかもしれないな」
「何度もやってれば覚えるんじゃない? あたしとお姉ちゃんの精気があるから、後は慣れの問題だよ」
確かに手応えが皆無という訳ではないし、先達が自信を持って言うのなら、いずれは知覚範囲も広がるのだろう。ただ俺は純然たる精霊というより、色んな要素の混ざり物なので、二人と同じ段階までは行けないという確信もある。
まあ、最も対処すべき穢れを知覚出来るなら、俺が活躍する場もあるか。何でもかんでも一人でやろうだなんて、そんなのは思い上がりに過ぎない。頼れる味方が二人もいるのだから、こういうのは適材適所だ。
俺はシャシィに繋げていた感覚を閉じ、話題を戻す。
「取り敢えず、三人で現地に行くのは構いません。ただ余所者は目立ち易いので、ルリとトラメはなるべくなら姿を隠してください。割と治安が良い街ではありますが、不届き者は何処にでも湧いてくるので」
特に容姿の整っている二人は、破落戸からすれば格好の狙い目になる。何かあった際に対処は出来るとしても、迂闊に相手を殺す訳にもいかないため、事件に巻き込まれること自体を避けたい。
ルリはこの説明だけで納得してくれたが、トラメはいまいち理解出来ていないようだった。見かねたジャークが苦笑しつつ口を挟む。
「御使い様はお二人が変な奴に絡まれるのが嫌なんですよ。人間ってのは優しい奴だけじゃなくて、悪い奴も沢山いますからねェ」
「あたしだったら、悪い奴がいても自分でどうにか出来るよ?」
「そりゃそうでしょう。地精様と比べたら、人間なんてチンケなもんです。でも、何かあった時に疑われるのは、こういう場合余所者になるんですよ。御使い様が後始末で時間を取られても良いんですか?」
「……それは嫌」
「だったら指示には従っておきましょう。御使い様の方が人間の世界には詳しいんです。何だったら御使い様の体に入ってしまえば、話が早いんじゃないですかねェ」
ああそうか、その手があったか。
穢れについては体内の一か所にまとめてしまえば、ルリとトラメが入る場所は作れる。街で二人から目を離さず、かつ俺が単独で動ける手段となれば、むしろそれ以外に無いな。
「……ジャークの提案はどうです? 俺としては、一緒に行動した方がお互い楽なんじゃないかと思うんですが」
「フェリスさえ良ければ構いませんよ。私は人間の生活のことはよく解りませんから」
「あたしもお兄ちゃんと一緒の方が良い」
「じゃあ、街の近くまでは転移で行って、そこからは俺の中に入ってもらいましょう。ジャーク、留守は頼んだ」
軽く手を挙げてジャークは応じ、俺達は見送られながら洞窟の外へ出る。
さて、ミズガル領に行くのも久々だな。
ビックス様とシャロット先生はどうしているだろうか? 元気で過ごしていれば良いのだが。
今回はここまで。
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