結
俺個人としてはいまいちと言うしかない出来だったが、アレンドラは椅子を非常に気に入ってくれた。寝転んでも髪が引っかからない、というのが一番の高評価だったらしく、あまりの燥ぎぶりに涙が出そうになった。それは椅子として最低限の条件であって、敢えて取り上げるような点ではない。アレンドラが過ごしてきた苦労に満ちた時間が、しょうもない作品を逸品に変えてしまった。
本当にあれで良かったのか? 俺はこんなに下手だったか?
使えるものは使っていくしかないにせよ、頭の中にある理想と、出来上がった現物の差が酷過ぎて悲しくなる。
俺は他に必要な物があったら言うようアレンドラに命じ、嘆息を噛み殺して外に出た。肉はジャークが処理してくれているし、今日のところは木材を手に入れよう。ついでに山菜が見つかれば最高だ。
頭を切り替え、緩やかな傾斜を下り沢の方へ進んでいくと、水精が後から俺を追いかけてきた。
「もうすぐ日が暮れますよ。外出は明日にした方が良いのではありませんか?」
「そんなに遠くへは行きませんよ。その辺の木を刈るだけです」
長椅子を作って思った。俺は『健康』があるから平気だが、流石に寝台は魔核か木で作らないと、普通の人間は体が休まらない。加えて煮炊き等の調理で火を使うためにも、木材は多めに確保しておかないと拙いだろう。
アレンドラが体調を崩す最大の理由は、恐らく洞窟全体の冷えだ。魔力に頼らない熱源が一つか二つ欲しい。後、地面に体が直接触れないよう、簀の子でも作っておけば便利かな。
欲しい物、必要な物が頭の中に浮かんでは消えていく。考えを整理するため一人で作業しようと思っていたら、水精が俺の袖を掴んで止めた。
「荷物持ちくらいなら出来ます。私も行きますよ」
「……じゃあ、折角なので一緒に散歩でもしましょうか」
手伝ってくれるというなら、お言葉に甘えてしまおう。たまには誰かと一緒に行動するのも悪くない。水精はうっすらと唇を持ち上げ、俺の隣に並んだ。
身を寄せるその仕草に、かつての口付けを思い出す。
俺達はどういう関係と言うべきなのだろうか?
……少し浮ついてしまうような、この感情は、果たして。
「どうかしましたか?」
「いや、何も」
気付けば差し出された手を、自然と握り返していた。熱がある日の水枕のような、心地良い冷気と不思議な弾力を感じる。
お互い無言で歩き続け、程無くして沢に辿り着く。あまりにも短い散歩――俺は空いた手で、近くに生えている樹の幹を叩いた。
「これくらいの太さがあれば大丈夫かな」
「薪にしては立派過ぎませんか?」
「枝は焚き付けにしますが、本命は家具作りですよ。アレンドラ達にはもう少しまともな寝床が必要ですから。そちらも何か欲しい物があったら……ってそういえば、お二人の名前を聞いていませんでしたね?」
「ああ、私達ですか? 精霊に名はありませんよ。私達は名前ではなく、精気の質で個体を区別していますから。不便なら貴方が名前を付けてください」
便利か不便かなら間違いなく後者ではあるが、俺が付けるのか?
まだ何の返事もしていないのに、水精は期待を込めた瞳で俺を見据えている。
……まあ、欲しい物があったらと口にしたのはこちらだ、早速言葉を翻す訳にもいくまい。とはいえ、俺はどうもこういう才覚に欠けているのだよなあ。
さて、どうしたものかね。
改めて水精の姿を爪先から頭まで見返す。この暗がりでなお輝きを放つ白髪と、それに倣う透けるような白い肌。深海を思わせる青い瞳。薄い唇は笑みの形のまま、緩やかに持ち上げられている。只管に美しい――前世も含めた今までの生涯において、これほどの美貌の持ち主はいなかった。
当人が圧倒的過ぎて、どう形容しても陳腐な言葉になってしまう。それでも彼女に名を与えるのなら。
「……ルリ、なんてどうでしょう」
「聞き馴染みがありませんが、どういった意味があるのでしょうか?」
「かつて生活していた国にあった、宝石の名ですね。真実を明らかにする、幸運を司る力を持つ、といった逸話がありました」
石言葉は他にもあった筈だが、正直あまり詳しくないので解らない。ただ、俺が初めて宝石というものを綺麗だと意識したのは、幼少期に瑠璃を目にした時だった。水精を見ていると、あの瞬間の鮮烈さが脳裏を過ぎる。
水精は何度か自身の名を呟いて噛み締めると、満面の笑みを浮かべた。
「ルリ……ですか。解りました、私はこれからルリを名乗ります」
気に入ってもらえたようで何より。
反応に対し、喜びよりも安堵が勝った。本当にこういうのは苦手だ。
「ところで、かつていた国との話ですが……工国や教国にそんな宝石がありましたか?」
「ああ、やっぱり。いや、あの二国ではないですよ。王国でもありません。俺について、上位存在から全て伝わっている訳ではなかったんですね」
敢えてぼかした説明をした理由は、相手が俺の前世を知らないのではないかと、ずっと気になっていたからだ。この際なので、俺はかつて死んだ時の、上位存在との遣り取りを全て明かすことにした。
前々から自覚はあったのだが、俺はこの世界の人間とは考え方が乖離している。元々違う文化圏の人間だったという点を話しておかないと、今後の遣り取りにおいて水精が戸惑う可能性があるだろう。
精霊は数が少なく、人とは別の道を歩む生き物だ。混じり物である俺も、きっとそれに倣うことになる。これから長い付き合いになるのなら、その芽は摘んでおきたかった。
……いや、違うか。
俺は曖昧なままになっている関係に、区切りを付けたいだけだ。
「俺は元々別の世界の人間で、あっちで死んだ時に上位存在からこの世界へ引っ張られたんですよ。成人したら、各地で託宣を受けるという契約でね。なので、こちら側で生きてきた人間とは、行動基準が違います」
「なるほど。生まれる前の魂を加工して、この世界に送り込んでいるという話は伝わっていたのですが、そもそもの出所が別の世界だった訳ですか。ああ、だから……すみません、今までの疑問が解決しました。因みにこの話を私にしたということは、信頼していただいたと捉えても?」
「それは勿論。……風精は精霊を同胞だと言っていました。俺も同胞になれるのだとしたら……貴女や地精と共に時間を過ごしたい」
監視者という立場でありながら、祭壇から離れて生きろと言ってくれたのは彼女だ。契約に縛られていた俺を解放する切欠となったのは、間違い無くあの一件だ。だから俺は、水精に感謝している。
この世界で自分の利を追うのではなく、相手を思い遣った行動が出来る存在は稀有だ。
ルリの側であれば、何かを警戒することなく、俺は自然体でいられる――そんな気がする。
「だからまあ、さっきは話が途中になってしまいましたが、欲しい家具なんかがあれば教えてください。これからあの洞穴を、それなりの環境にしようと思っているので」
「私やあの子が一緒で良いんですか? 本当に?」
「貴方達が良いんです。本当に」
僅かに目を潤ませて、ルリは俺に身を預ける。鼻先を淡い花の香りが掠め、くしゃみをしそうになる。繋いだままの手が緊張の所為で汗ばんでいるため、何処までも恰好がつかない。
俺達は数秒だけ抱き合い、すぐ身を離した。
「ああ……あまりこうしていると、帰りが遅くなりますね。早めに木材を集めてしまいましょう」
「そうですね、あの子もそろそろ退屈しているかもしれません。作業を済ませましょう」
「さっきからいるよ。お兄ちゃん、あたしの名前は?」
振り向けば、地精は先程の木を引き摺り出して、根を洗っているところだった。気を遣って気配を消していたらしく、あんなに大きな物体を動かしていたのに、まるで感知出来ていなかった。
さておき、地精も名前を要求してくるとは思っていたので、そこは事前に考えてある。
「トラメでどうだろう? 成功とか、本質を見抜く力があるとされていた宝石だね」
ザナキアさんの話からすると、地精は悪人を引っかけて罠に嵌めたり、善人に恩を返したりしていた節がある。本人はただ気儘に動いていただけだとしても、人の心理を炙り出すものとして、虎目石は相応しいのではないだろうか。後はまあ……見た目の感じが瑠璃と似ているところもあるので、お揃いにした方が良いかなという勝手な思いもある。
地精は特に迷うこともなく、即決で提案に頷いた。
「じゃああたしはこれからトラメだね。お姉ちゃんもそれでお願いね!」
「はい、トラメ。貴方も……自分で付けた名前です、今後は私達をそう呼んでくださいね」
「ええ。じゃあそちらも俺のことはフェリスと呼んでください。二人だけなら私と貴方で通じても、三人だとそうはいきませんからね」
「確かにそうですね。これからは三人ですものね」
そう言って俺達は笑い合う。そして、皆で樹を丁度良い按配に切断し、洞穴へと持ち帰った。名付けで張り切った地精が、一番大きなものを持っていたのはご愛敬か。
……これでようやく、関係は一つ進んだのだろう。
子の作れない俺に、新しい家族が出来るなんて考えもしなかった。受け入れてくれる誰かがいることが、こんなに嬉しいとは。
一刻も早く感覚を取り戻そう。
快適な住まいを作るため、もっと頑張らなければと俺は内心で誓った。
今回はここまで。
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