悩
創作も大事だが、まずは帰還の報告から始めなければなるまい。
呼吸を整え洞窟の入口を潜ると、精霊達は仲良く並んで俺を待ち構えていた。二人は姿勢を正すと揃って頭を下げ、
「お疲れ様でした」
と柔らかく微笑んだ。そして地精は俺の腹にしがみつき、鼻先を擦り付けてくる。
何の衒いも無い労いがやけに温かくて、胸がいっぱいになってしまった。
「……ただいま戻りました。取り敢えず、除染は終わりましたよ」
「ええ、アディンバの方へ流れる魔力が一気に増えたので、すぐ解りました。大変だったでしょう?」
「大変だったのは仕事そのものじゃなくて、参加者に難があったからですけどね。まあそれも、風精が手伝ってくれたのでどうにかなりました」
「ああ、彼ですか」
水精はふと目を細め、一瞬こちらから視線を逸らす。そうして慎重に言葉を選びつつ、眉根を揉んだ。
「その子からも話は聞きました。面倒見の良い男ですし、貴方とは気が合うかもしれませんね。……格好についてあれこれ指摘した所為で、私は避けられていますが……」
「常人とは感性が違いますし、注意したところで従わないんじゃないですか? あの姿は彼が自由であることの証左なんでしょう」
水精の言わんとするところは理解出来る。全裸の男と向き合いたくない、というのは至極当然の意見だ。ただ、精霊に人間と同じ常識を押し付けたところで、違う生き物なのだから意味は無いだろう。
道理で縛れば魅力が翳る。風精はあれでこそ、と個人的には思う。
「彼は何か言っていましたか?」
「機会があったらまた会おう、というくらいですかね。元の祭壇に帰ったんじゃないかと」
「いえ、大河にあるどの祭壇からも気配がしないので、どうもあの場所を離れたようなのです。地精がお世話になったので、御礼をしたいと思ったのですが……解らなければ構いません」
あの場所を離れたと聞いて、今まで腹に顔を埋めていた地精がくぐもった声を漏らす。
「ねえ、お兄ちゃんはまたすぐ旅に出るの?」
「暫くはここを拠点にして過ごすつもりだよ。知人に会う用事もあるから、多少出入りはするけどね」
「じゃあ一緒にいられるね」
頭を撫でてやると、彼女は強く俺の服を握り締め、満足げな吐息を漏らした。鳩尾の辺りに熱が溜って、少しこそばゆい。水精は呆れつつも慈愛に満ちた目で、少女を見詰めていた。
二人とも穏やかな様子――順調に体調は回復しているようだ。なら、後はアレンドラだな。
「ところで……さっきジャークに会って聞いたんですが、アレンドラが妊娠したとか?」
「ええ。彼女の体内に、本人とは似て非なる魔力が発生しつつあるので、まず間違いは無いかと。ただ……それと前後して、明らかに体調を崩しやすくなったようでして。出産となると、ここに置いておくのは厳しいのではありませんか?」
「それはジャークとも話しました。知人に会うと言ったのは、医者を紹介するためなんですよ。とはいえ相手にも話を通す必要がありますので、すぐにとはいきません。ある程度はこっちで対処するので、まずはアレンドラと会わせてもらいましょうか」
それならこちらへという水精の案内に従い、俺は洞窟の奥へと進んだ。岩壁を無理矢理刳り抜いて居室にしたらしい場所で、アレンドラは一人で何もせず冷たい地べたに座っている。
その静かな在り方に、思わず息を呑む。
ああ、これは拙い。
食事は摂っている筈なのに、アレンドラは以前見た時よりも明らかに痩せていた。投げ出した両手の爪は反り返っており、更には疲れも溜っているらしく、青白い顔を晒している。典型的な貧血の症状に見えるが……そもそもこんな場所では栄養も偏っているだろうし、鉄分だけでどうにかなる話なのか解らない。
肉はあるとして、後は豆と野菜、果物あたりを良い按配で揃えるしかないか。
「おい。おいアレンドラ! 動けるか?」
「ん……その声は御使い様? 戻って来たのか」
「ついさっきな。……お前、意識が飛んでただろう」
「少し寝ていただけだよ。心配するほどじゃない」
アレンドラは立ち上がろうとして、足に力が入らずよろけてしまう。俺は咄嗟に腕を伸ばして相手の体を支え、あまりの手応えの無さに驚いた。指先があばらに当たるどころか、皮膚を突き破りそうな危うさを感じる。
この衰弱の仕方からして、筋肉も相当落ちているな。目が見えないからと、ほぼ動いていないのだろう。
「魔力が余ってるなら、身体強化を使って少しは外を歩け。強化してれば多少転んでも安全だろ。このままだと自力で動くことも出来なくなるぞ」
「身体強化? あれは筋力に乏しい魔術師が使っても、あまり意味が無いんじゃないか?」
「馬鹿を言うな。あれは魔術師どころか、全人類が覚えるべき技術だ。継続的に使ってれば魔力も増えるし、何より体が健康になる。日常生活にこそ取り入れるべき基本だよ」
身体強化は主に近接戦闘で使われる所為か、武術師の切り札と思われがちだが、俺が思う利点はそこではない。あれは丁寧に魔力を巡らせてやれば、筋肉だけでなく臓器にまで影響を及ぼす。つまり重い物を持つ、長距離を走るといった目に見える形だけでなく、内臓の機能向上によって病気を遠ざけることすら可能なのだ。
そういった事実を懇々と説明してやると、アレンドラは甚く感心した様子で自身に魔力を巡らせ始めた。
……流石は魔術師世界十位、不慣れな魔術でも澱みが無い。ただちょっと魔力を使い過ぎか?
「最初は強化の度合いより、一定の魔力で術式を維持することを意識しろ。そう、そんな感じだ。戦闘でもないのに全力で魔力を使う必要は無い。少しずつ体温が上がって、眩暈も収まってきてるだろう?」
「……本当だ。しかし、この事実を私に教えても良かったのか? 御使い様だけが知る秘伝だったりはしない?」
「そんな大袈裟な話じゃないよ。うちは武術師の兄だけが病気に罹らないんで、それが何故なのかを突き詰めていって解ったんだ。武術師と長く付き合ってれば、気付く人もいるんじゃないか」
ただ、魔力を常に消費する生活は別の疲れに繋がるため、無理強いが出来るものでもない。今回は魔力量が多く、暇を持て余しているアレンドラだからこそ薦めたまでだ。取り敢えず、身体強化だけでも多少は状況が改善されるだろう。
とにかく今は、やれることからやっていくしかない。
俺は身体強化の練習を早速始めたアレンドラを横目に、家具の作成に取り掛かる。最初は寝台から始めたいが……敷物も布団も無いし、まずは横になれる大きさの長椅子にするか。
アレンドラやジャークの背丈を考慮つつ、大体の長さを決める。手持ちの魔核が少ないため、部品数は増やせない。となると、地術でどうにかするしかないな。
まずは洞窟の岩を厚めの板状にして切り出し、布や肌が引っかからないよう表面を丁寧に研磨する。急に大きな音が響いた所為で、アレンドラは肩を跳ね上げた。
「ちょっ、何の音だ? 何を始めた?」
「ああ、椅子を作ってるんだよ。地べたに座るよりマシだろ?」
「周りでいきなり作業をされても解らないから、始めるなら一声掛けてくれ」
「魔術に集中してるようだから、そっとしておこうと思ったんだ。すまん」
暫くアレンドラは口中で不満を述べていたが、最終的に諦めて部屋を出て行った。恐らく、少しは歩けという話を思い出したのだろう。周囲に魔力を飛ばして障害物を検知していたようだし、放って置いても心配はあるまい。
作業に戻ろう。
俺は板の表面を撫でて粗い部分が無くなったことを確認し、短辺の両方に丸く穴を空ける。そうして、その穴と合致するよう突起をつけた長方形の岩塊を新たに作り、そこに嵌め込んでやる。こちらは表面に加え、角も研磨して面取りをする。
分厚い板の両端に、丸みを帯びた長方形の岩塊が乗ったような形。……無いよりはあった方がマシだろうが、肘掛けというにはあまりに無骨で悲しくなる。でも仕方ない、次は背凭れを作ろう。
程良く斜めに体を預けられるよう、今度は角度を付けて石材を切る。さっきと同様、表面を磨いたそれを長椅子に取り付けて固定する。邪魔な時は取り外せるよう、接合部はこちらも嵌め込み式とした。石自体が重く、底面を広く取るようにしたため、寄り掛かったくらいで外れたりしないだろう。
さて、どうかな。
一時間ほどで作業を終え、自分で出来を試してみる。背凭れに体重をかけても問題は無し、足を伸ばして横になることも出来る。肘掛けが丁度枕のようになって、そのまま地べたで寝るよりは楽だ。
造りとしては悪くない。ただ、只管に冷たくて硬い。そして、魔核が使えないとはいえ、あまりに原始的過ぎる。
改善すべきところが山ほどあるな。寒さ対策に毛皮も必要だし、石材だけじゃなくて木材も集めなきゃ駄目か。何より、俺の腕があまりに劣化していて嘆かわしい。
今ある問題点に対し、必要な作業や材料を頭の中で計算する。近場で手に入る物資には限界がある。しかし手持ちの金はほぼ無いので、居住区と遣り取りをするなら物々交換になる。一番人気がありそうなのは……やはり肉だろうな。
取り敢えず、明日からは森に籠らないと。
ジャークはよくこんな環境で耐えていられたものだ。もっと贅沢をしようとか、改善をしようとか思っても良かっただろうに。
まあ愚痴っても仕方が無い。俺は頭を抱えながら部屋を出て、アレンドラへ椅子を試してみるよう依頼した。
今回はここまで。
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