良い女
シャシィという障害が除かれてしまえば、後は簡単な話だった。
ラ・レイ師と二人がかりで河底の術式を復元し、街の環境を整える。そうして祭壇が穢れの誘引と転送を問題無く行っていることを確認し、成果を喜び合ったところで、ようやく風精が戻って来た。
彼は周囲を見回すと、感心したように目を細める。
「あら、戦闘どころか浄化まで済ませちゃったの? 清浄な、良い空気じゃない」
様変わりした街を前に、上機嫌で頷いている――消耗は一切感じられない。
あの人数を一瞬で連れ去った業も、風精にとっては些事でしかないようだ。同じ精霊種だというのに、俺とはまるで格が違う。
「お陰様で無事に終わりましたよ、本当に助かりました。……ところで彼等は何処に?」
「東の方にある小さな集落に避難させたわ。特に危険な場所ではないし、心配しなくても大丈夫よ」
シャシィ相手なので不覚を取ったが、あの面子で対処出来ない敵なんて、本来はいないだろう。俺としては、遠方に放置された彼等が、歩いて帰って来られるかどうかだけが気になっている。ミーディエン殿とハルネリアはさておき、他は魔術師と文官だからなあ……体力的に、結構な時間がかかるかもしれない。
奇襲によって捕まった挙句、何処とも知れぬ所へ飛ばされたまま、というのも可哀想だ。俺はヴィヌスに信号を飛ばし、上空から彼等を探してもらうことにした。何往復かする必要はあるだろうが、疲弊したまま歩くより少しはマシだろう。
ラ・レイ師は全裸の男に眉を顰めていたが、やがて相手が人間でないと察し、跪いて態度を改めた。
「ねえ、この娘さっきまでいなかったわよね? どこから出て来たの?」
「かつて、姉が師事していた方です。戦力として反魂で呼びました」
「ふうん? ……ああ、何か変だと思ったら、喋れないのね。どうせなら完全に復活させてあげなさいよ」
風精の指先から溢れた光が、ラ・レイ師の体内へと吸い込まれていく。やがてそれが収まった頃、彼女は震える手で喉を抑え、激しく咳き込んだ。
「ゲホッ、んっ、んんッ! ぁ……ッ、あ、あーあー……? 声が出る……?」
「そりゃあね、出せるようにしたもの」
なるほど、そんな業もあるのか。
音というのは結局のところ、物質の振動が波として伝わっているだけだ。ならば対象の意思に応じて空気を震わせ、意味のある音に変換してやれば、呼吸しない相手でも声は作り出せる、と。自分ならまだしも、他者の喉でやってのけるとはとんでもない高等技術だな。
取り敢えず、俺には到底真似出来そうもない。
「器用ですねえ」
「そんなに難しくはないわよ。風属性は苦手なの?」
「恥ずかしながら」
素直に頷けば、風精は自身の精気を俺に分けて寄越した。地属性との反発が起きるかと思いきや、与えられた力はすぐ体に馴染み、空気の流れが見えるようになった。
意図している訳でもないのに、どんどん精霊としての器が拡張されていく。
「地精もそうでしたが……そんな簡単に他者へ精気を与えて大丈夫なんですか?」
「人間だって、他者に魔力を分け与えることくらいあるでしょ? 受け手側が耐えられるなら、特に問題は無いのよ。その娘は平気そうだったからやったけどね」
思い返してみれば、俺は精気を受け入れた直後昏倒したが、ラ・レイ師は咳き込んだ程度で意識がはっきりしている。量の違いはあるにせよ、素養による差も大きいのかもしれない。
声が出るようになったため、当人は嬉しそうな表情を見せ、風精へ頭を下げていた。その様子を見て、俺は今後の対応に迷う。
ううむ……本来ならもうすぐ終わる筈の反魂が、今の精気によってラ・レイ師に乗っ取られそうになっている。味方に報いるという意味では別に構わないのだが、回復した先から魔力を持っていかれてしまうため、少々扱いが難しい。
ラ・レイ師はやはり、繊細な術式の制御に長じている。勝手をされるくらいなら、いっそ接続を切るべきか?
考え込んでいると、風精は咎めるように目を細めた。
「こらこら、折角呼び戻した魂魄をまた還すつもり? 私が精気をあげた意味が無くなるじゃない」
「いや、いてくれるのは良いとして、消費が大きい点をどうしようかなと」
「用事が終わったのか解らないし、魔術が途切れないよう維持していたつもりだったんだけど……ワタシ、邪魔かしら?」
悲しげに表情を曇らせ、ラ・レイ師は風精と俺を見比べる。同情を誘うわざとらしい演技に、俺達は苦笑した。
「余計なことを言ったわね。この娘、還した方が良いみたいだわ」
「すみません違うんです、ちょっと待ってください。フェリス君に敵対はしないので、もう少し時間をください。このまま消えるのは嫌なんです」
「……まあラ・レイ師としても現世に未練はあるでしょうし、シャシィ戦で恩があることも確かなので、すぐ結論を出そうとは言いません。ただねえ……反魂はとにかく魔力を喰うんです。このままって訳にはいきませんよ」
棒という媒介があるため、ヴィヌスはどうにかなっているだけだ。俺が苦境を訴えると、風精は指先を唇に当てて考え込む。
「魔力の供給源……ってことなら、祭壇に紐付けしたらどう? 暫くは現場が無事に回るか観察が必要でしょうし、浄化の術式を知っている人材なら持って来いじゃない。何なら勝手な真似が出来ないよう、こっちで反魂に手を加えてあげるわ」
……ふむ、そういう選択肢もあるか。
コアンドロ氏はカーミン女史の動向によって、ここを離れる可能性がある。祭壇を管理する者が彼一人では、何かあった時に心許ないというのは事実だ。自身の命が懸かっている以上、ラ・レイ師も真面目に働いてくれるだろうし、穴埋めとしては丁度良い。
俺が祭壇に縛られる要素が減るなら、悪くない提案だな。
「ラ・レイ師、今の条件でどうです? 恐らく、街からあまり遠くには行けなくなりますが、祭壇の管理をしてくれるなら術式は破棄しません」
「それ以外に行動の制限は? 具体的に言うと、ワタシは同郷の者を集めて安住の地を作りたいの」
「この街は工国民と王国民が行き交う街になるでしょうから、それでも良ければ止めませんよ。許可します」
何故ブライなんかと組んでいるのかと思ったら、ラ・レイ師の狙いは土地の確保にあったのか。その辺の事情は知らなかったので、ようやく事情が飲み込めた気がする。河守に代わる番人は必要だろうし、そういう集団を作れるならむしろ歓迎したいくらいだ。
俺がコアンドロ氏と組んで動くよう依頼すると、ラ・レイ師は安堵したように頷いた。
「機会を与えてくれてありがとう。それだけが、どうしても心残りだったの」
「役割さえこなしてくれれば、煩く言うつもりはありませんよ。俺はこの地に留まるつもりは無いので、ラ・レイ師が残ってくれるなら心強いですね」
お互いに納得出来る条件が揃ったので、俺達は笑顔で握手を交わした。契約が成立したことを見届けて、風精は反魂に手を加えるべく、すぐさま作業に移る。あれよあれよと言う間にラ・レイ師は祭壇に接続され、俺は負担から解放された。一応、術式を使用した者としてラ・レイ師への権限は残ったままになっているが、使う機会は無いだろう。
こんなにも綺麗に、俺の仕事が片付くなんて珍しい。
感動で少し呆けていると、風精は自身の仕事に満足して肩の力を抜いた。
「んんーッ、疲れたわね。さて、私がやるべき作業は全て終わったかしら?」
「本当に……何から何までお世話になりました」
「何言ってるの。穢れの中に突っ込むなんて真似、私には恐ろしくて出来ないわ。お互いやれることに全力を尽くした、それだけでしょう?」
片目を閉じて、風精は真っ白な歯を僅かに覗かせる。
いやはや、見た目は屈強な男なのに、挙動の一つ一つが良い女過ぎる。ラ・レイ師も膝を丁寧に折り、額を地に擦りつけてひれ伏していた。人が精霊に及ばないというのは、強さよりもむしろ在り方にこそあるのではないだろうか。
俺達が感謝を捧げると、風精はそれを笑い飛ばして手を振った。
「じゃあね、なかなか楽しかったわ。機会があったらまた会いましょう」
別れを惜しむ間も無く、風精は空気に溶けてその姿を消してしまった。残された俺達は顔を見合わせ、感情の行き場を探す。
「……精霊に会うのは初めてだったけど、強烈かつ尊い御方だったわね」
「いや、風精が特別なだけでしょうね。地精と水精はもうちょっと普通でした」
「精霊の知り合い多過ぎない? まあさておき……次はコアンドロさんとやらに会いに行く流れで合ってるかしら?」
「そうですね。ミル姉達が戻る前に、打ち合わせを済ませてしまいましょう」
反魂は外法であり、俺にとって伏せるべき手札だ。そんな魔術が存在する、ということすら知られるべきではない。だから――自分は今後息を潜めて生きるのだと、ラ・レイ師は充分に理解していた。
それでもなお、同胞が大事なのだろう。目的のために苦境を受け入れる様には頭が下がる。
……面倒は嫌だというくらいで、そこまで重いものは背負っていないが、俺もラ・レイ師を見習って頑張らないとな。
さあ、コアンドロ氏が一人でずっと待機している。もうひと踏ん張りだと、俺達は地下へ駆けた。
今回はここまで。
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