魔術師たち
覚醒したラ・レイ師は爪先で何度か地面を叩き、感覚を確かめているようだった。翻ってシャシィは大きく開いた瞳を輝かせ、手を組んだまま小躍りしている。
緊張している俺と燥いでいるシャシィを見比べて、ラ・レイ師は明らかに戸惑っていた。戦うために呼ばれたと思ったら、相手が喜んでいるので状況が解らないのだろう。しかし、長々と説明するだけの余裕は無い。
「ラ・レイ師、与えた魔力は全て使って構いません。制限は無し。俺と組んで、シャシィを相手の二対二です、全力でお願いします」
一瞬遅れた首肯と同時、ラ・レイ師は唇を吊り上げて獰猛に笑った。そのまま肉食獣を思わせるような前傾姿勢を取り、両手で大地をしっかりと掴む。俺とやり合った時とは違う、知らない構えだ。地術を本気で使うなら、操作対象に直接触れていた方が都合が良い、ということらしい。
対するシャシィは歓喜に打ち震えながら、涙を浮かべて俺を崇めている。
「フェリスさん……やはりフェリスさんは最高です。ラ・レイさんを食べられないのは残念ですが、貴方はそれを補って余りある幸せと驚きを与えてくれました。私を満たすという意味では、貴方を超える逸材はいません! ああ……殺すなんて出来ません、そうだ! 大事に飼ってあげますから、一緒に私の国へ帰りませんか? とっても素敵な場所に連れて行ってあげますから!」
頬を紅潮させ、息を荒げながらシャシィは掌を開け閉めする。そうして魔術も使わず、無防備なままこちらへとにじり寄ってきた。ラ・レイ師は僅かに顔を顰めると、横目で俺に訴える。
――変態の相手とは聞いていないんだけど。あと食べるって何?
反魂によって精神を繋げているため、ラ・レイ師の率直な疑問が伝わってくる。こちらが思念で要点だけを返してやると、疑問は忌避感へと変わっていった。
まあ、そりゃ嫌だよな。
シャシィを否定したがるラ・レイ師の感覚は当然だ。だから相手を追い払うように、まずは石の散弾が放たれる。しかし、シャシィは結界で射撃をあっさり絡め取り、足元へと投げ捨てた。
「ラ・レイさんの魔術も懐かしいですねえ。大雑把に見えて、全部急所狙い。フェリスさんの攻撃も傾向が少し似てますね」
それについては、俺がラ・レイ師を規範としたからだろう。ミル姉と違ってラ・レイ師は得意属性が被っているため、やっていることが理解し易かった。
「今まで戦った中で、個人的に一番優れた魔術師でしたからね。良い点は出来る限り取り込みますよ」
「向上心があって素晴らしいですね」
さて、お喋りはここまでだ。俺もただラ・レイ師の後を追うだけではないと、証明せねばなるまい。
魔力は反魂で使っている。俺は精気に切り替え、お返しとして飛んできた石槍の制御を奪ってやった。そのうちの一本を手に取り、慣れ親しんだ棒の代わりとして扱う。
歪みの無い、真っ直ぐで美しい槍だ。俺はその切っ先を相手に向け、肺に呼吸を溜める。そうして腕を液状化させ、その場から踏み出すことなく突き出した。
「ッ!? 何ですかそれ!」
心臓目掛けて放った一撃が、結界に弾かれる。シャシィは危険を察知し、分身と共に後ろへ大きく跳んだ。
顔から余裕が消えた……流石に致命傷は避けるのか。
魔術師は距離を取って戦う者だ、後退は判断として間違っていない。しかし、ただの後退にも身体強化を使うなんて、運動能力が低いと晒しているようなものだ。相手の苦手分野を突くのは基本、ならば本体に行動を強いてやろう。
ラ・レイ師も同じ結論に達したらしく、俺達は視線を合わせて頷いた。左右に分かれ、まずは敵を挟むように展開する。ここからやるべきことは、互いにもう解っている。
俺は空中に氷槍を作り、頭上から絶え間なくシャシィを狙う。ラ・レイ師は石槍を生成し、低い場所から徹底して足を抉りにいく。上下からの攻めで相手の意識を散らし続ける。
俺達の攻めに対し、二人のシャシィは感心したように目を細め、大きく両腕を広げた。
「よっ、ほっ、おっと!」
手前のシャシィが間抜けな声と共に展開する結界によって、攻撃の一つ一つが細切れにされていく。そして奥のシャシィは反撃に転じ、巨大な火球を四方にばら撒いた。体のすぐ近くを高熱が通り抜けていき、体表が僅かに蒸発する。視界の隅では、ラ・レイ師が側転で華麗に回避をしていた。
魔術師としてはシャシィが上でも、武人としてはラ・レイ師の方が上か。あの調子なら大丈夫だな。
俺は頼れる相棒に攻め手を任せ、『集中』して相手の傾向を探る。
なるほど……二人が別々に動くのではなく、一人が防御、一人が攻撃を担うか。受けた感覚からして、分身が攻撃担当だな。残念ながら、射撃に先程までの正確さが無い。
二人に増えて見せたところで、実際は本体が一人で全てこなしているのだから、甘い部分が出るのは当然だろう。むしろ攻撃と防御以外に、分身の制御という仕事を増やしているため、効率を落としているとすら言える。
らしくもなく焦っている?
いや、違うな。久々の撃ち合いが楽しくて、我を失っているだけか。
いずれにせよ、一人で事に対処するシャシィと、二人で自由に動く俺達とでは、対応力に大きな差がある。散々上下を意識させてきたことだし、そろそろ攻撃に幅を持たせようか。
俺は弾幕の隙間へ捻じ込むように、液状化させた腕を伸ばして石槍による突きを放った。そうして障壁に先端が触れた瞬間、今度は足を伸ばして一気に踏み出す。体が自在に伸縮するという特性を活かし、射撃と同じ速度で間合いを詰めた。
縦の動きに横の動きが加わったことで、シャシィの反応が遅れる。
吐息を感じる程の距離。咄嗟の状況で、この女が頼るのは糸だ。全身を液状化させた瞬間、首や頭の中を他人の魔力が通過していき、背筋が粟立った。
……生身だったら輪切りにされていたな。少なくとも、新調した服は襤褸切れになってしまった。
シャシィは会心の反撃が通じず、むしろ糸が穢れによって劣化したという事実に目を見開く。驚きつつ後退しようとした足を、俺はすかさず下段蹴りで刈り払った。
「しまっ――ッ、ぐ!」
分身による射撃が緩んだ時点で、ラ・レイ師もまた距離を詰めている。手足を石槍によって貫かれ、シャシィは虫のように地面へと縫い止められた。治療をしようにも、体内に異物が残っていては傷口を塞げない。
痛みと接近によってシャシィが混乱している今が好機だ。
俺は相手の上に馬乗りになり、顔目掛けて何度も拳を振り下ろす。ラ・レイ師は一定の距離を保ち、反撃に備え石での拘束に全力を注ぐ。
本来なら完全な詰みだ。しかし、シャシィは黙ってやられてくれるほど大人しくはなかった。
歯は折れ、鼻もひしゃげた状態のまま、シャシィは俺の顔面へと火球を吐く。目の前が赤く染まり、体中に炎が広がっていく。俺はすぐさま精気を巡らせて体表を水で覆い、熱から身を守った。
戦闘経験の乏しさから、反撃は無いと思い込んでいた。回復より脱出を優先するのか。
視界が塞がれ、前がよく見えない。髪を振り乱し、手足を引き千切らんばかりにシャシィが暴れている。どれだけの魔力で強化しているのか、ラ・レイ師が生み出した槍が軋む音が響いた。
駄目だ、抜けられる。ここまで来て逃がす訳にはいかない。
「そ、こ」
小さな呟きが耳朶を打つ。
黙らせようとして振り上げた右拳が、気付けば肘から切断されていた。視界の端でゆっくりと腕が落ちていき、地面とぶつかって汚泥に戻る。体から離れた穢れが、浄化した土地へ広がっていく。
「うふ、アハァ、あ……ッ?」
不意の衝撃でシャシィの体が跳ね、そこから不規則な痙攣が始まる。炎を消してどうにか顔を上げれば、見かねたラ・レイ師が針を放ち、敵の脳天を貫いていた。
――冷静になりなさい。君は詰めが甘い。
「助かりました!」
俺を叱るラ・レイ師に感謝しつつ、慌てて汚泥をシャシィの体内へと移動させる。かつてコアンドロ氏が穢れによって他者を操作していたことを思い出し、それを真似することにした。
邪精としての権能を使う時だ。無事な方の貫手でシャシィの脇腹を抉り、穢れを追加する。
「あっあっ、あ、嫌」
この状況でもなお意識があるのか、シャシィは浄化によって抵抗を続けている。その一切を封殺する勢いで、俺は貯め込んでいた穢れを流し続ける。胃を汚し、腸を汚し、肺を、心臓を、脳を穢れで染め上げていく。
汗だくになって作業に集中していると、やがてラ・レイ師が俺の肩を掴み、首を横に振った。シャシィは既に動かなくなっており、虚ろな目で呼吸を止めている。念のため穢れで体内を探っても、反応が返ってこない。試しに口を開け閉めするよう指示を出すと、相手はそれに従って機械的に動く。
――もう終わったよ。
その一言で俺はようやく、相手の腹から手を引き抜いた。
殺した訳ではない。ただし、人間が持つ反射や意識的行動も含め、全てを制御下に置いた。この濃度の穢れを浄化出来る者は、俺以外に存在しないだろう。
もう、シャシィが自我を外部に出すことは無い。
終わった。本当に強かった。無事に勝てたのは、相手がどこまでも魔術師であり、それ以外の技術を磨いてこなかったからだ。
後はこの地の浄化を終えて、要人殺しの誹りを避けられるよう、巧く場を切り抜けるだけ……か。
俺は大の字になって横になり、溜息を吐いて空を見上げる。想定よりも戦闘が続かなかった所為か、ラ・レイ師は少しつまらなさそうにしていた。流石に二人がかりなのだ、短期決戦になっても勘弁してほしい。
――まあ、良いけどね。
呆れたようにラ・レイ師は笑っている。その顔を見て、こちらも思わず笑ってしまう。そこで気が緩んだのか、俺は上半身裸のままで眠ってしまった。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。




