最高の魔術師
人質を失い、シャシィが戸惑っている今が好機だ。
隙を突いて一気に距離を詰めようとしたが、相手の立て直しは思いの外早く、当然のように反撃が放たれた。巨大な風の刃が首を撫でる――太い血管を正確に断つ一撃を、液状化でどうにか遣り過ごした。防御出来ずまともに喰らったように見せつつも、俺はそのまま魔力を練り上げる。
強化は巧くいったようで、自分でも驚くほど大きな水弾が飛び出した。
「おっと!」
シャシィが慌てて張った複数の障壁が、水弾とぶつかって割れる。立て続けの弾幕で突破を狙ったところ、足元が砂になり勢いを止められてしまった。已むを得ず退けば、頭上から炎が降り注ぐ。俺は周囲に水をばら撒き、すぐさま熱を遮断した。
舌打ちをして前を向けば、水槍が心臓へと迫っている――これを石槍で相殺し、俺はようやく息を吐いた。
ううむ、複数の属性を容易く扱う。流石は世界一位、頭はおかしくても腕は確かだ。とんでもなく強い。
不意討ちは失敗してしまった。とはいえ精気を使わずとも通用する、と解っただけ良しとしよう。
「あれを捌くなんて、フェリスさんは本当に優秀ですねえ。穢れさえ無ければ、貴方が一番美味しそうなのに」
「ハッ、食中毒は流石に嫌ですか」
「うふふ、そんなに誘わないでくださいよ……今、内心の葛藤と戦っているんです。お腹が痛くなっても、治せば良いのかなあって思っちゃうじゃないですか」
そんなことで葛藤するより、もっと前の段階で自制すべきだろう。同じ言語を使っているのに、話が通じていない気がする。狂人と遣り取りすべきではない、ということか。
ミル姉の指示なんて無視すれば良かったなあ……内心うんざりしていると、興が乗ったのか、シャシィはどんどん饒舌になっていく。
「ううん、どうしようかなあ……折角大事に取って置いたミルカさんはいなくなっちゃうし、他の皆さんも消えちゃった。うん、こうなったら仕方ありません! フェリスさんなら私を満たしてくれますよね」
「いやもう、本気で色々と意味が解りませんが……そもそも、俺はどういう扱いだったんです? 邪魔な俺がいなくなったから、暗示を解除したのでは?」
まだまだ余裕があるらしく、シャシィは舌なめずりをして嫣然と笑う。
「いえ、違いますよ? フェリスさんが邪魔だったことは否定しませんが、暗示を解除したのは、単純に皆さんが食べ頃になったからです」
「というと強度ですか? それとも魔力量?」
「両方ですねえ。ワイナさんとハルネリアさんが、ちょっと熟していなかったので」
ああ、だからシャシィは率先して指導する立場に回ったのか。その二点が味に関わるなら、そりゃあ親切にもなる。そして、堪え性が無い自分を知っていたから、自身に暗示をかけて期を待った訳だ。
知れば知るほどロクでもないな。
「んふ、魔術に秀でた人を取り込むと、自分の器が満たされて幸せな気持ちになるんです。そうなると、日々頑張ろうって思えるじゃないですか。自分へのご褒美ですよ」
もしかしたら、シャシィが頂点へと上り詰めたのは、他者の力を我が物とした結果なのかもしれない。この考えが正しいとしたら、猶更放置は出来ないな。
「ご褒美、ですか。彼等は貴女を満たすために成長した訳じゃありませんよ」
腹の奥底で穢れが渦を巻く。とはいえ、長々と街の浄化をしてきたのだから、奴を堕とすために邪精の力は使えない。
まあまだ体を慣らしたいし、一旦魔術で勝負をしてみるか。
武術強度の低いシャシィは、環境の変化に適応出来ない筈だ。俺は地術を発動し、徹底して相手の足元を崩す策に出る。
地面を波打たせてやると、シャシィは簡単に姿勢を乱した。
「ん、あらら?」
振りかぶったシャシィの右手があらぬ方向を差し、彼方へと火球が発射される。それでも熱気で皮膚は焼け、水膨れを作った。
……火術が直撃した場合、体が蒸発して負ける可能性があるか。注意すべきはそれくらいだな。
負け筋は絞れた。次は勝ち筋を探すだけ。
全速力で前進と後退を繰り返し、攻撃の的を散らす。防御より回避を重視しながら、相手の癖を探る。どちらかと言うと武術師のやり方で、相手の間合いを制圧する。魔術師は足を止めての撃ち合いになりがちだ、シャシィはこういう戦いに慣れていないだろう。
「ん、もう! 苛々しますねえ!」
驟雨の如く放たれる攻撃の一切を逸らし、搔い潜り、遣り過ごす。
なまじ魔術に秀でている所為で、シャシィは大雑把な攻撃をしてこない。正確に急所を狙うからこそ、動き続けるだけで直撃は避けられる。加えて、液状化によって人と重心が違うため、相手には俺の動きが読めないようだった。
……悪くはない。ただまともにやり合えている反面、手数に押されてもいる。こちらが一発撃つ間に、四発は撃ち返されている。
炎の雨、石の槍、風の刃、水の弾。刻々と属性が切り替わり、違う対処を求められるため、脳がやたらと疲れる。シャシィは適当にやっているだけかもしれないが、受けるこちらは気が気ではない。
全ての魔術が高水準で、確かな研鑽が見られる。敵ながら見惚れてしまう程の、圧倒的な暴力。
こちらは合間を縫って、時折障壁を割るくらいしか出来ない。その気になればいつまでも続けられるが、付け焼刃の強化ではやはり追いつかないようだ。
「しぶといですねえ。でもこれはどうです?」
問いかけと同時、使っていなかった左手が動き出した。俺の前後を塞ぐように、結界の糸が張り巡らされる。そして、左右から挟み込むように炎壁が迫る。
逃げ道は上下――いや、いっそ前だ!
液状化で糸をすり抜け、一気に距離を詰める。そうして水弾の連射でシャシィの防御を突き破り、裾を濡らしてやった。
しかし、相手を負傷させた訳ではなく、頑張った割に結果は出ていない。
「おー、凄い凄い! 攻撃を当てられるなんて久し振りです!」
「……気楽なもんですね。本気になってもくれませんか」
水術限定とはいえ、流石に魔術戦では及ばないか。力不足を嘆きたくなるが、侮ってくれるならそれはそれで構わない。
俺の本質は生き汚さにある。大事なのは、最後に勝つことだ。
「まだまだですよ! じゃあ次、行ってみましょう!」
シャシィが両手を広げ、指の一本一本に火球を作り始める。どうやら今までの傾向から、俺が火属性を避けていると悟ったらしい。
――しかし、これは初めての悪手だ。
シャシィはそもそも体の動きが遅い。『観察』を全開にすれば、弾道は簡単に読み切れる。
俺は即座に氷弾を生み出し、敵の弾幕を全て撃ち落とす。蒸発によって生じた煙を目隠しにして放った石の針が、ようやくシャシィの右腕を貫いた。
「お見事!」
血飛沫を上げながら、シャシィは笑みを崩さず拍手する。表情が変化せず、腕の動きにも澱みが無いということは、陽術でもう治療を済ませたのだろう。人のことは言えないが、怪我で乱れないというのは非常に厄介だ。
双方、攻撃が当たらない訳ではない。ただ決定打に欠けている。
「ああ、楽しいですねえ。魔術を競うなら、かくあるべきとは思いませんか? 撃っても返してくれる人がいなくて、ずっと退屈だったんです。もっともっと続けましょう!」
「順位表に載る連中ってのは、どうしてこうも鬱屈してるんですかね」
「むしろ特殊なのはフェリスさんでは? それだけの腕を持っているのに、自分を試してみたいと思わないんですか? もっと高みを目指したいとは?」
自分を試す、高みを目指す、か。
昔から鍛えてはいるが、俺は誰かの上に立ちたい訳ではなく、単に自衛のために腕を磨いただけだ。ミル姉やシャシィのように、魔術へ生涯を捧げたりはしない。
だから、他者を害してまで己を誇示したい、という感覚が解らない。
「俺にとって、魔術は身を守る手段の一つです。貴女のように、魔術師として生きていこうとは思っていません。そんな器じゃない」
「控え目な方ですねえ。……なら断言します、世間が知らないだけで、貴方は私に並ぶ魔術師です。ミルカさんでも遠く及ばない、王国最高の魔術師なんです。そんな貴方が器じゃないなんて、自分を卑下するにも程があります」
「過分なお言葉をどうも」
「私は本気で言ってますよ。だから、フェリスさんも本音で応えてください」
「本音と言うなら、俺はただ呑気に生きていたいだけですよ」
クロゥレン領でなくても良い、何処か静かな町で、魔核を加工しながら過ごす。自分の工房を持つことも夢だ。
そこに争いは要らない。
本当に……おかしな話だ。
何故こんなことになっているんだろう? 順位表に載ってもいない俺が、一位と殺し合いをしている。
「残念です。解ってはもらえませんか」
呟きと同時、シャシィは足元の土で己の分身を作り出した。魔力を均等に配分し、どちらが本体か判断出来ないようにしている。俺もよくやる業だが、やられてみると面倒だな。
ならば、対シャシィの秘策として用意した切り札を使おう。
「これで一対二ですね」
「いや、二対二ですよ」
俺は魔力を等分になどしない。精気と穢れがあれば充分だ。
本当に、人質がいなくて良かった。こんな外法は他人に見せられたものではない。
俺は懐に手を突っ込み、体内の魔力を、王国で回収した遺体の一部に全て流し込む。最早存在しない血肉を、シャシィと同様に土で代用する。
「反魂――ラ・レイ」
凪のように静かな魔力が、人の形を成していく。俺のような紛い物ではない、真に王国最高の魔術師が目を醒ます。
驚きからシャシィは攻撃の手を止め、呆然と術式の完成を眺めていた。
今回はここまで。
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