食の好み
――空気がある場所なら、何処だってご近所みたいなものよ。
そう豪語するだけあって、風精はものの数分で俺を街へと戻してくれた。
……すぐ動いてくれたことは嬉しいにせよ、手にした力はまだ体に馴染んでいない。感覚が巧く制御出来ず、歩くたびに体表が波打ち、人の形を失いそうになる。
俺があまりに不安定な状態であるため、見かねた風精が同行してくれることになった。ただし穢れが濃い場所は厳しいそうで、辛くなったら帰ると念押しをされてしまった。
完全な好意で手伝ってくれるのだ、こちらに文句などあろう筈がない。
「手間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「別に大したことじゃないわ。取引を勧めたのは私なんだから、これくらいは当然よ」
「とは言っても、こちらが勝手にした選択ですからね。ただ甘える訳にもいかないでしょう」
「ううん、本当に気にしないで。こういう機会でも無いと、私はずっとあそこにいたでしょうから。本来風は留まるものではないのよ」
聞けば、風精は別に遺跡の管理をしていた訳ではなく、居心地の良さで住んでいただけらしい。ただ、精霊の在り方としてはどうなのかと、自分でも疑問に思っていたそうだ。
まあ俺も、風には自由という印象を持っている。自身が縛られているというのは、当人ならより違和感があるだろう。
他愛も無い会話を続けていると、風精がふと足を止める。
「私のことはさておき……この先に人間が集まっている場所があるわね。そこそこやるヤツが一人混じっているみたいだけど、そんな調子で大丈夫?」
「勝つだけなら平気かなと。問題は、人質を取られている可能性が高いという点ですね。全員無事とはいかないかもしれません」
シャシィに俺を殺せる手札があるとは思っていないが、誰かの首に糸がかかっているだけで、相当動き難くなる。怪我人はまだしも死亡者が出たらこちらの負けだ。
探知は……当然ながら弾かれるな。人が集まっていると言われても、現場に何人いるかすら俺には解らない。
「人間同士の争いにはあまり興味が無いけど、貴方が作業に支障を来すのは嫌ねえ。人質くらいは何とかしてあげましょうか?」
「え? よろしいので?」
「うふふ。覚えておきなさい、精霊は輩には優しくするものよ。まあ、私には除染が出来ないから、そっちは任せたいっていう打算もあるけどね」
茶目っ気たっぷりに片目を閉じる風精に、俺は深々と頭を下げる。流された時はどうなるかと思ったが、結果的には最善の出会いに繋がった。これほど心強い味方はいない。
もう何が待ち構えていても平気だ。俺は呼吸を整え、曲がり角から顔を出す。
話を聞いて、まあそうだろうと予想はしていたが、コアンドロ氏以外の全員がシャシィに捕まっていた。誰もが四肢を縛られ身動きを封じられており、苦痛に喘いでいる。最後まで抵抗を続けたのか、ミル姉だけは全身を切り刻まれた状態で、なおシャシィを睨みつけている。
……多少の怪我はあっても、死亡者はいないな。最悪を避けられたなら、慌てる必要は無い。
俺は敢えて淡々と、いつもの調子を崩さず距離を詰める。それと同時、風精は空気に溶けて姿を消した。
「ただいま戻りました」
「あら、お帰りなさい。……へえ、少しは動揺するかと思っていましたが、驚かないんですね?」
「そういうこともあるだろうな、とは」
流石です、とシャシィは拍手で俺を賞賛する。自力で気付いた訳ではないが、そこは良いだろう。
元々信じていない相手に裏切られただけなので、あまり動揺はしなかった。被害をなるべく少なくして、相手を仕留めることを心がけるのみ。
「因みに……諦めて皆を解放する気はありますか?」
「無い、って解っていて訊いてますよねえ?」
「様式美みたいなものですよ。歩み寄りの姿勢は見せておかないと」
会話はただの時間稼ぎだ。その間に、ミル姉の様子を『観察』で改めて確認する――意識はしっかりしていても、出血が多いな。喉を絞められているため、声は出せないようだ。大人しくしているよう目配せすると、何故か俺にまで敵意を向けてきた。
自分で雪辱を晴らしたいようだが、ここは諦めてもらいたい。
「一応、理由を訊いた方が良いですか?」
「うーん、フェリスさんなら教えてあげようかな? でもラ・レイさんのお話と引き換えですよ」
うん? ラ・レイ師の件が理由ではないのか?
こうなった以上殺すことは確定しているし、別に話しても構わないが……他に本題があるとは意外だった。いや、こうして散々惑わされてきたのだから、相手の内心を思い込みで想像しない方が無難だな。
応じずに風精の動きを期待していると、ミル姉が必死で目を血走らせ、情報を引き出せと訴えてきた。
……当主からの命令とあれば仕方無い。嘆息して俺は口を開く。
「そんなに聞きたいなら、ゆっくりお話をしましょうか? ああ、これでも必死で戻って来たので、椅子くらい出してほしいものですね」
「あら、じゃあ折角ですし、お茶も用意しましょうか」
シャシィが高らかに指を鳴らすと、俺の足元が盛り上がり椅子が形成された。地術なら簡単に乗っ取れるので、俺は素直に座ってお茶を待つ。そして、脅威にならないサイアン殿がお茶汲みとして解放され、彼はすぐさま拠点へ走った。そのまま逃げるような愚は犯さず、彼は茶葉と湯呑を取って帰って来る。
甲斐甲斐しく湯を沸かしながら、サイアン殿は平時と変わらない笑みを浮かべた。
「フェリス殿、ご無事で何よりです」
「ご心配をおかけしました。そちらこそ大丈夫ですか? 荒事に巻き込んでしまいましたね」
「私は問題ありませんよ。一文官が現場に赴くとはこういうことです、覚悟はしておりました」
……立派な方だ。
自分の強度が低いと理解しているのに、ここまで冷静さを保って、職務に殉じられる者はそういないだろう。この男を喪ったら、王国にとって大きな損失になる。
「誰一人として死なせるつもりはありませんので、ゆっくり休んでいてください」
「期待して待っております」
二人分の茶を淹れると、サイアン殿は邪魔にならないよう隅に控えた。シャシィはその仕事ぶりに満足したのか、彼の分の椅子も用意してやっていた。
さて。
お互いまずは一口熱いところを啜り、会話を始める。
「ラ・レイ師の話を聞きたいとのことでしたが」
「そうですねえ。では最初に……事故死というのは丸っきり嘘ですよね? 殺したのはフェリスさんで合っていますか?」
「ああ、それで合ってますよ。ファラ師とやり合って消耗したところで、私とぶつかった形ですね」
シャシィは王子達の争いについて知るまい。心底くだらないと思いつつ経緯を最初から説明すると、彼女は一瞬だけ剣呑な色を瞳に浮かべる。ただ敵意は俺よりもむしろ、遠い王城へと向けられているようだった。
正常に物事を判断出来る人間なら、当然あちらを憎むだろう。とはいえシャシィにそんな理性があるのも意外だった。
「回答には満足しましたか」
「満足はしませんけど、納得はしました。失礼ながら、あの王子様ちょっと足りてない気がしたんですよねえ。どうも雰囲気が頼りないというか……あの感じだと内紛くらい起きる気がします」
「彼を行政官として見るか、それとも王族として見るかで評価は分かれるでしょうね。じゃあ、そちらにもお答えいただきましょうか。何故今になって、部隊を襲ったんです?」
問いかけに対し、シャシィは懐から取り出した肉を投げて寄越す。干し肉というにはしっとりしていて乾燥が甘く、未完成品といった感じがした。
出来が心配で口をつけずにいると、相手は気にせずそれを嚙み始める。
「……答えを教えていただけないので?」
「んぐ、んっ。それは説明のために出したものですよ」
全く意味が解らない。燃費が悪いのか、確かにシャシィはよく物を食べていた気はするが……だからなんだと言うのだろう。
相手は夢中で肉を頬張り、何度も頷いている。どうも食べる気がせず、俺は貰った肉を持て余す。
「解りませんね。答えをお願いします」
「せっかちですねえ。因みに触ってみてどう思いました? まだ水分が抜けてませんよね」
「はあ、それはそうですね」
「どうしても出来上がりが待てなくて、食べてしまうんですよ。で、そうなると足りなくなるじゃないですか? だからまた作るんですけど、やっぱり我慢出来なくて」
当たり前の話がだらだらと続く。
シャシィのわざとらしい微笑みに、知らず肌が粟立っている。
ふと疑問が過る――遠征に保存の利かない生肉は持ってこなかった。到着時点でシャシィは食料を持っていなかった。この周辺は汚染によって生き物の数が少なく、俺は食べられそうな獲物を見ていない。
ならば、手の中にあるこれは、何の肉だ?
「干し肉を作るとして……材料は何処から調達しました?」
「うふふ。答えは解ったんじゃありませんか?」
「違っていたら良いなと、本気で願っていますよ」
穢れ、除染作業、俺への興味、ラ・レイ師への執着。逃げ帰った連中は優れた魔術師だった。安否は確かめていない。確かめようもない。断片的な情報が組み合わさって、嫌な想像が頭の中を埋めていく。
肺から空気を絞り出し、そして吸う。それと同時、取り込んだ力が完全に体へ馴染んだ。
「……ラ・レイ師はそんなに美味しそうに見えたんですか?」
「ええ、それはもう! だから私にしては珍しく、熟成を待ったんです!」
結論は出た。これは駄目だ、すぐ殺そう。
立ち上がり、風精に合図を出す。
結界の糸が断ち切られ、人質が虚空へと消えていく。
今回はここまで。
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