答え合わせ
誤字脱字の指摘、ありがとうございます。
助かっております。
力を抜いて大河に身を任せていると、やがて流れが穏やかな場所へ辿り着いた。絡みついた水草を払いながら岸に上がり、俺は大きく息を吐く。
特に怪我も不調も無く、体は無事だ。ならばすぐに帰りたいところだが、距離があり過ぎる所為か、ヴィヌスを呼んでも反応は無かった。二時間くらい流されたように思うので、まあそれも当然だろう。
転移は……街の方角すら定かではないし、これも無理か。
仕方無いので、ひとまず俺は徒歩で帰ることにした。現在地と街の位置関係が解る所まで戻れば、後はどうとでもなる。半端に残ってしまった仕事を、早く片付けてしまいたい。
そうして上流を目指そうとしたところで、ふと、すぐ近くに小さな遺跡があることに気付いた。
……何だ? 何かがおかしい。体は先を急ごうとしているのに、やけに意識が引き寄せられる。
得体の知れない違和感に包まれ、思わず『観察』を起動する――人気も無いのに、遺跡や周辺の地面が綺麗に整備されている。遺跡を取り囲むように木々が生えているのに、葉の一枚すら落ちていない。あまりの不自然さから、何となく察するものがあった。
さては、これが下流にあるという祭壇か?
余程の名人でも苦労するような、真四角に切り出された石畳が敷き詰められている辺り、恐らくそうなのだろう。直線が生み出す厳格さに、思わず目を奪われてしまった。どうやらここを作った上位存在は、造形に対して並々ならぬ拘りがあるようだ。
一流の作り手には敬意を表したい――俺はまず地面に跪き、水術で身を清めて一礼する。岸からの足跡についても洗い流し、全身を乾かしてから、場を汚さないよう注意して歩き出した。すると後ろから、背中を押すように強い風が吹き始める。
……このまま先に進め、ということかな。折角なので景色を堪能しつつ、導かれるまま石柱の間を抜けていく。
しかし綺麗なものだ。
余計なものが何も無い、ただ真っ直ぐなだけの道。周囲にある自然の不規則性が、人工的な規則性を際立たせており、創作意欲を刺激する。素材に手をかけるとはこういうことだ、と主張されているようだ。俺も面倒を全てやっつけて、再び魔核を加工したい。ちっぽけな願いを叶えるまでの道のりが、やけに遠く険しい。
埒の無い思考を振りきりつつ、そのまま吸い込まれるように、遺跡へと足を踏み入れる。中は静謐な雰囲気で満たされており、身動きさえ憚られる気がした。
ああ、それにしても、汚染されていない清浄な空気は久し振りだ。呼吸をしても重苦しさを感じない。当たり前の環境に感動していると、不意に奥の方で揺らぎが生じた。
「今代の受託者ね。そんな所で立ち止まっていないで、こっちへいらっしゃい」
「うん? ……それでは失礼して」
前進してお招きに応じた途端、風が渦を巻いて人の形を取り始める。凄まじい強風が収まると、そこには背の高い、筋肉質な男が裸で立っていた。切れ長の瞳が、怪しい光を湛えて俺を見据えている。何故全裸なのか、そしてその口調は一体、とは思ったが、磨き抜かれた肉体は隠す方が損失になりそうな美を孕んでおり、迂闊な質問は出来なかった。
取り敢えず……この感覚からして、彼は風精だろう。友好的ではあるし、目くじらを立てるほどでもない。
「突然お邪魔して申し訳ございません」
「ううん、いいのよ、地精から貴方が来るかもしれないって話は聞いてたから。でも、予想よりも早かったわね」
「お恥ずかしい話ですが、河に落ちてここまで流されてきただけなので、意識した訳ではないのです」
そう教えると、風精は心底おかしいといった調子で腹を抱え、目尻に涙を浮かべる。
「うふふ、随分と間の抜けた話ねえ。まあでもこうして祭壇に行き着いたなら、逆に運は良かったのかしら」
「おや? こうして流れ着いたのには、何か意図があるのだと考えていました。祭壇や上位存在が干渉した訳ではない、と?」
「まさかぁ。そもそも、ここまで流されたのは貴方のうっかりが原因でしょう? 上はいちいち下のことなんて気にしてないわよ」
嘘を吐いている様子は無い……ということは、考え過ぎか。しかし、シャシィへの洗脳の件もあるため、素直に信じる気にはならない。風精が単に事実を知らないという可能性だってある。それに、彼の距離感がやけに近いということも引っかかった。
「ふふ、顔に出やすいのねえ。慎重なのは良いけど、話半分に聞いておこう、ってのが透けてるわよ」
「すみません。精霊と会うとは思っていなかったので、取り繕えませんでした」
正直に白状すると、相手は一切の嫌味無く俺を笑い飛ばした。
「責めたりしないから安心なさい。貴方はちゃんと身綺麗にして入ってきたし、私を見て大袈裟な反応も見せなかった。信頼の置けるお客様だと思ってるから」
「まあ……戸惑いはしましたが、余所の家に勝手に入ったようなものですからね。文句を言う方がおかしいでしょう」
どうせ人が来ないのだから、裸であっても迷惑をかける相手もいない。地精がどうだったのかは少し気になるが……同じ精霊だし、人間とは価値観は違うだろう。敢えて触れまい。
俺が思考を整理していると、風精は自身の背後を指差し、体を横にずらした。
「そういう割り切った考え方って好きよ。まあ難しいことは一旦忘れて、奥で報酬を受け取って来たらどう?」
「依頼はまだ達成出来ていませんが……そう仰るなら、試してみましょう」
除染も修復も終わっていないあの半端な状況でも、祭壇は認めてくれるのだろうか?
勧められるがままに奥の小部屋へ向かうと、祝福に似た青い光が床から溢れ出し、俺を飲み込んでいった。いつもとはやり方が違っていても、祭壇と接続がされたというのは感覚で解る。
さて、風精は何故接続を勧めたのか。頭の中に術式が流れていく。
集計中――合計八メッツの穢れが収納されました。
履歴を確認する場合、表示を切り替えてください。
何だこれ?
聞いたことはないが、メッツは恐らく穢れの量に関する単位だろう。指定された通り光を掴んで横に押してやると、俺のここ数日の成果が数字で浮かび上がった。とはいえ一メッツが具体的にどの程度なのか解らないため、正直あまり指針にはならない。まあ頑張った日もあったんだな、という振り返りが出来るくらいだ。
ただ、一点だけ……吸収に頼った日は数値が低いことから、穢れ祓いによる除染だけが計上されていると読み取れた。
首を捻っていると、背後から風精が表示を覗き込む。
「そこそこの額になったんじゃない? 頑張ったご褒美に、何か買ったらどう?」
「……買う、とは?」
「あら、知らなかったの? 厳密には買い物じゃなくて、物々交換になるんでしょうけど……穢れを納めた量に応じて、上と取引が出来るのよ。交換出来るものを見たい、って念じてご覧なさい」
わざわざ取引をするということは、やはり上位存在は穢れを欲している。かつての推察は正しかったようだ。そして、この取引制度は、俺のような存在に対する対抗策に思える。
……ここに来て新しい情報が一気に増えたな。品揃えを見てみないことには、頑張るだけの動機には繋がらないが……果たして。
頭の中で念じると、光は青から緑に変わり、合わせて表示も切り替わる。
一覧には怪我や病気の治療、若返り、魔力の増加や異能の強化等が並んでいた。他には、鉱石や薬草といった各種図鑑もある。大まかに見た感じでは、身体状況の改善に繋がるものが多い――人によっては魅力的なのだろうが、現状、自分で使いたいものは殆ど無いようだ。ああでも、これは俺以外の人間にも使えるのか?
文字列に触れると、その効果を誰に使うか選択する欄が出てきた。これなら話は別だ。
俺はまず生命力の強化を選び、対象としてコアンドロ氏を指定する。ある程度祭壇が動き出したとはいえ、地下で活動している以上、一番危険なのは彼だろう。帰ったら死んでいたというのは避けたいし、今までの貢献度からしても、報酬を得て当然の立場だ。
強化というのがどれだけのものか不明だが、河守の異能を考えれば、そう弱いものではあるまい。ひとまずこれで、得体の知れない通貨が一つ減った。
さて次。治療の類があるのなら、シャシィの洗脳を解いておこう。別に彼女に恩など無いが、祭壇を訪れなければ使えないものだし、降って湧いたあぶく銭なので、特に惜しいとは思わない。
俺は手早く表示を操作し、シャシィの治療を選ぶ。
しかし――何度同じ項目を選んでも、祭壇は機能しなかった。
「あれ? 何でだ?」
「どうしたの?」
「いえ……洗脳された人がいるので、解呪しようと思ったんですが」
「選べないなら、その必要が無いってことじゃない? 誰かが解呪したとか、そもそも洗脳されていなかったとか」
解呪された? 洗脳されていなかった?
瞬間、先程の風精の発言が蘇る。
上位存在はいちいち下のことなんて気にしない。
上位存在がやったのではないとしたら、あの洗脳の形跡は何だ? ミル姉が解呪した? いや、長く会話している俺がようやく見破ったのだ、シャシィを避けているミル姉が気付く筈もない。
「おかしな話ねえ。貴方が見ている時は洗脳されていたのよね?」
「そうですね。直接確認したので、間違いありません」
「その様子だと、解呪出来る人もいない?」
「出来る人はいますが、相手を嫌っているのでやらないだろうな、と」
風精は暫し唸ると、ふと顔を上げる。
「ああそっか、だったら自分で自分を洗脳したんじゃない? 例えば汚染がある程度解決するとか、貴方が現場からいなくなるとか、一定の条件を満たせば勝手に解呪されるように仕込んだのよ」
……有り得るのか? いや、有り得る。
そもそも、魔術的抵抗力の高いシャシィを誰がどのように洗脳したのか、それが一番の疑問だった。風精の回答は、その全てを解決するものだ。
アイツが素直に屈するような人間ではないと、俺は知っていたじゃないか。
「……そういうことか、クソッ!!」
「ちょっと、大きい声を出さないで頂戴。吃驚するじゃない」
「すみません、感情が抑えられませんでした」
「事情は知らないけど、急ぐなら送っていくわよ? 祭壇はもう使わなくても大丈夫?」
いや、まだだ。まだやり残したことがある。
戻ったらシャシィが何かを仕掛けてくる可能性は高い。俺は素早く祭壇を操作し、メッツを使って打開策を探す。知覚範囲、生命力、魔力、思考速度――使えそうな項目で片っ端から自分を強化する。
精気を使えば勝てるだろうが、ただ相手を打倒するのではなく、蹂躙するためには自身を高めておく必要がある。
半分程度は残っていた人間としての要素が、音を立てて減っていく。それでも手は止めない。
必死になって自身の体を再構築していると、風精は床に溶けた俺の顔を見下ろす。
「解らないわねえ。そんなにまでして、治そうとした相手を殺すの?」
「必要とあれば」
「人間って不思議ねえ」
自分でもそう思う。
風精は苦笑して俺の体を掴むと、空に浮かび上がった。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。




