人の気持ち
気付いてしまえば、単純な話だった。
何故、シャシィは急に甲斐甲斐しい態度を示すようになったのか――その理由は、性格を無理矢理に捻じ曲げられたからだ。初めて接した時から在り方があまりに乖離しているとなれば、らしくないと感じるのも当然だろう。
だが、ここで疑問が生じる。
世界一の魔術師を相手に、こんな真似が出来る奴は誰だ? 洗脳は高等技術なのだ、部隊の内部にそれだけの腕を持っている者がいるとは思えない。仮に俺が本気を出して、寝ているシャシィに全力で仕掛けても、耐性を突破出来る気がしない。
誰が、何故、どのように。
疑問は尽きないが、シャシィの性格からすると、誰に狙われても仕方が無い感はある。ただ本性を晒すような真似を、俺やミル姉以外にしていただろうか? 少なくとも、教国の連中とは巧くやっていたように見える。ワイナやサイアン殿だって、わざわざ来てくれた賓客に突っかかるようなことはしないだろう。
とはいえ、単独行動ばかりだった俺には、部隊の実態など解らない。
「フェリスさん? どうされました?」
「……いえ、少し考え事をしていただけです。改めて質問しますが、私を守ろうというだけで他意は無いんですね?」
「勿論です、私はフェリスさんの力になりたいだけですよ。この地の穢れを放置出来ません。何としてもここで食い止める必要があります」
真っ当かつ熱意に満ちた回答に、引っかかりを覚える。
よくよく記憶を辿ってみれば、シャシィはかつて事態の解決などどうでも良いといった主旨の発言をしていた。普通に考えて、当時の言動こそが一番本人らしい形だった筈だ。それがこの街へ着いて、徐々に俺へ取り入るような素振りを見せるようになり、こんな有様になってしまった。
……いや待てよ? 街に滞在している間、俺は穢れ祓いや浄化以外に魔力の動きを感知しなかった。誰にも気づかれず、シャシィを洗脳する――そんな離れ業が出来そうな存在なんて、限られているじゃないか。
犯人は祭壇、乃至は上位存在だ。
この地はさておき、下流の祭壇は普通に機能している。緊急時に対する備えが発動し、状況の改善を狙ったとしてもおかしくはない。報酬の支払いは遅れたのにと思わなくもないが、何事にも優先順位はある。環境が整わなければ、払うものも払えないというのは有り得る話だ。
迂闊だった。祭壇が強力な力を持っていると、俺は重々承知していたのに。
果たして、本人の意識はどれだけ残っているのか。
「……シャシィさん。街で活動している時に、何か魔術的な流れを感じたことはありますか?」
「除染作業以外では特に何も無かったと思います。異常があったら、真っ先にお知らせしますよ」
目の前の人間が何より異常なのだが、まあ問い詰めたところで意味は無いだろう。
俺はひとまずシャシィの顎を持ち上げ、瞳を覗き込んでみる。相手は特に抵抗せず身を任せているというのに、洗脳があまりに巧妙で、術式が解析出来ない。どれだけ魔力を流し込んでも、全貌が掴めないまま感知は途切れてしまった。
うん、無理だな。手に余る。
シャシィが殊勝な態度だと不気味なので、場合によっては元に戻そうかと思ったが、下手に解呪したら脳を壊してしまいそうだ。現状が好都合であることは確かだし、こうなった以上、労働力として割り切ってしまうか。
シャシィを使えるなら俺は地形の修復に専念出来る訳で、当然ながら作業効率は上がる。事態が解決すれば、祭壇が彼女を手放すことだってあり得る。
……人間の異能を好き勝手に弄り、精神を捻じ曲げるような存在から、万が一にも矛先を向けられる訳にはいかない。
いつ起動するか解らない爆弾が、足元に転がっているような気分だ。対応を間違えば俺もこうなるという不吉な示唆が、目の前で跪いている。シャシィのためにも俺のためにも、解決を急がなければなるまい。
俺はシャシィを引き起こし、焦点の合わない瞳を真っ直ぐに見詰める。
「貴女の言葉に嘘は無いと判断しました。手を貸してくれるなら、シャシィさんは河の流れを堰き止めてもらえませんか」
「あら、ようやく頼ってくれましたねえ。理解してくれたなら嬉しいです。どんな要求でも応えますから、指示を出してくださいな」
朗らかな笑顔に対し、不快感と恐怖が綯い交ぜになっている。
……元々俺に、シャシィを守るだけの義理は無い。相手のことなど気にせず、粛々と結果を出すべきだ。
覚悟を決めて再び河へと踏み出すと、シャシィはすかさず結界で大河を遮る。魔力を無駄にしないよう、想定とずれた箇所を少し指摘してやるだけで、彼女は簡単にこちらの要望を理解してくれた。やはり腕の良い魔術師が協力してくれると、作業は格段に楽になる。
俺は河底を歩きながら地術を連発する。シャシィはこちらの移動に合わせ、器用に水を止める。単調な時間を繰り返す。
そうして暫く地形の修復を続けていると、ようやく状況に変化が訪れた。
「あら? これは」
「お、来たか?」
敏感な者でなければ気付けない、微かな魔力のうねり。あまりに弱々しく頼りないにせよ、浄化が機能し始めている。
穢れ祓い一発分にも満たない小さな力だとしても、これは確かな成果だ。
「流石はフェリスさん、腕も知識も素晴らしいですねえ」
「いや、まだ兆しが見えたくらいです。手を止めずにいきましょう」
賞賛を適当に受け流し、俺は心を静めようと努める。
如何にも本人がしそうな発言ではあるものの、術式を起動させるための魔力は何処から出ているのか、という当たり前の質問が飛んでこない。酷い違和感が俺の高揚を消す。拭い切れない気持ち悪さがつき纏っている。
……ああ、抑えきれない。苛々する。
目的があるのは解る。手段を選んでいられない状況だということも。
ただ、だからといって、折角の達成感に水を差さないでくれ!
八つ当たりのように叩きつけた精気が足元へ浸透し、河底が音を立てて軋む。それに合わせるべくシャシィが結界の範囲を広げ、作業は加速していった。
罅割れが一気に埋まり、地面が意味のある形へと変形し、術式になる。淡く輝く光の帯が、大河を撫でるように広がっていく。
積もりに積もった鬱憤を吐き出しているうちに、すっかり日は暮れて夜になっていた。
疲労で腕も上がらなくなっているが、気付けば補修は八割方終わっている。少なくとも、流入してくる穢れを全て浄化しきれるだけの機能は復活していた。
周りもよく見えないし、今日はもうこれ以上続けられないな。体力的にも限界だ、シャシィなんて地面に直接転がったまま、声も出せなくなっている。そういえば彼女は魔術以外を伸ばしておらず、体力的に欠陥があることを忘れていた。半日近く立っているだけでも、拷問に近いものがあっただろう。口を開いてこちらへ何か訴えかけようとしているが、まるで伝わらない。
俺は震える膝を押さえ、どうにか河縁からシャシィへ声をかける。
「そちらの体力を考慮していませんでした。そのまま休んでいてください」
シャシィは痙攣する指をこちらに向け、微かに首を横に振っている。訳が解らず、俺は懸命に相手の唇を読む。
う、し、ろ――後ろ?
はっとして振り向けば、背中を守っている結界が解れかかっていた。疲労で制御が甘くなったのか、水が少しずつ漏れ出している。慌てて這い上がろうとすると、濡れた地面に足を取られ、俺はみっともなく転んでしまった。
目の前でゆっくりと、一本ずつ糸が千切れ、冷たい飛沫が頬を濡らす。手に力が入らず、身を起こせない。
「あーあ」
ここ最近はずっと、調子に乗っていたのかもしれない。人智を超える力を手にして、俺は何でも一人でやれるのだと思い上がっていた。
あまりのやらかしに、気の抜けた吐息が漏れる。これからどうなるかなんて考えるまでもない。
鬱陶しいからと自ら命綱を外した挙句、足を滑らせて流されるだなんて、愚かしいにも程がある。精霊としての権能があるため死にはしないだろうが、どれくらい下流へ行ってしまうだろう?
考える間も無く顔のすぐ近くで糸が弾け飛び、撓った先端によって額が裂けた。その場に留まろうにも、震える指先では地面の凹凸を掴めず、爪が割れるだけ。
濁流に体を強く押され、視界が激しく回転する――夢中で頑張ってこれとは、我ながら格好悪い。
はあ、戻って来るのは大変そうだ。
諦めて水に体を委ねた瞬間、俺を呼ぶ途切れがちな声が微かに聞こえた。シャシィが唾液を垂らし全身を引き摺って、こちらへと懸命に手を伸ばしている。腕の長さが五倍でも届かないくらい、彼我の距離は遠いのに、どうにかシャシィは俺を助けようとしている。
でもそこにあるのは昏く澱む、意思を感じさせない瞳で、俺は手を伸ばすことを躊躇ってしまった。あんなに必死なのに、実際は作られた感情だと思うだけで、態度の全てが酷く薄っぺらなものに見えた。
他人を大事に想うような気持ちが、本当のシャシィにもあるのだろうか? 無いのだとしたら、洗脳を解かない方が良いかもしれない。とはいえ彼女の在り方を決めるのは、そもそも俺ではないような?
うん……決めた、やはり機会があったら治そう。
どちらを選ぶべきかなんて解らないし、正直なところ、今回のやり方は気に入らない。任務を達成した報酬を解呪に当てたって良い。もう俺は好きにする。
とっ散らかった思考を抱え、シャシィの頑張る様を視界の隅に収めたまま、俺は街から遠ざかっていった。
今回はここまで。
来週は休日出勤なので、更新出来るか解りません。個人的には頑張りたいが、果たして。
ご覧いただきありがとうございました。




