また会う日まで
不眠不休で一日作業を続けた結果、祭壇は再び河の監視が出来る程度の機能を取り戻した。しかし、これだけ貢献してもなお、コアンドロ氏に報酬は与えられなかった。まあ直接指示を受けた俺ですら何も得られていないのだから、仕方ないことではあるのだろう。
こうなるとコアンドロ氏を下流に派遣し、無事な祭壇と接触してもらうことも必要かもしれない。まともな祭壇であれば、流石に支払いをしてくれる筈だ。俺の功績を譲っても良いから、とにかく彼を強化してほしい。
どんな特典があれば便利だろう……何も案が浮かばないあたり、疲れが溜まっているようだ。振り返れば、コアンドロ氏も腕が上がらなくなってきている。
「コアンドロ様、そろそろ休憩しましょう。私はここに控えていますから、食事を済ませてください。何だったら半日くらい寝ても構いません」
「急に状況が悪化することもあるまいが、君は休まなくて大丈夫かね?」
「大丈夫ですよ。私の異能は『健康』です。魔力さえ尽きなければ体調は維持出来ます」
そして、魔力は穢れがある限り尽きたりはしない。
コアンドロ氏は安心したように気の抜けた笑いを浮かべ、ふらつきながら通路へと出て行った。気丈に振舞ってはいたが、やはり限界が近かったようだ。已むを得ない状況だったとはいえ、俺が無理をさせ過ぎた感はある。
……ここまで来れば後は一人でもどうにかなるし、コアンドロ氏には暫くはゆっくりしてもらおう。
気を取り直して俺は『健康』を全開にし、その消費魔力を穢れで賄う。長時間の労働で溜った疲れが、少しずつ抜けていった。
さて。
周囲に誰もいない絶好の機会、これを利用し落ち着いて考え事がしたい。目下最大の問題――シャシィの仕掛けはどうなっているのか。
祭壇の存在を悟られないよう具体的な場所は伏せていたのに、糸は地下通路に張り巡らされていた。街中に幾つか入口がある以上、調査中にたまたま見つけたという可能性もあるが……直感はそれを否定している。
シャシィが頼っているものは、偶然ではなく己の力だ。解らないなら、調べるのではなく無理矢理に暴こうとする。思い通りに事が進まず、俺に襲い掛かったあの時こそが本質に近いだろう。そんな彼女がある程度の確信を求めるならば、糸を狙った相手に直接結びつけるのではないか?
……そう仮定してはみたものの、体に違和感はまるで無い。そもそも、俺の読みが合っているのかも解らない。
どうすれば相手の仕掛けが見えるようになる?
魔術強度14000超えの天才が使う業を、今の俺が知覚するために何が出来るか。技術で劣る俺がシャシィに追いつくために、何を。
俺がシャシィに勝るもの――こんな時に縋れるのは、上位存在に与えられた力である異能か?
硬い床に腰を下ろし、意識を『集中』して周囲を『観察』する。一点を凝視するのではなく、全体を視界に収められるよう目の緊張を解す。穢れはだいぶ薄くなったとはいえ、明かりを浮かべてもまだ室内は暗いままだ。細いものや小さなものを認識するには条件が悪い。
ううむ。気合を入れ直したところで、見えないものは見えない……困ったな。
簡単ではないと解ってはいたが、糸が見えるようにならなければ、シャシィの行動を止められない。俺が攻撃される分にはどうでも良いが、彼女が他者に手を出す可能性も高いため、その対応策を持たなければならない。
ああでもないこうでもないと思案していると、背中に小さな手が添えられた。
「ただいま。一人で作業してたの?」
「いや、他に一人助けてくれる人がいるけど、今は休んでもらってるんだ。もう戻って来たのかい?」
「近所だもん、すぐだよ」
地精の少女は俺の首筋に抱き着くと、いきなり精気を流し込んできた。それと同時、下流の祭壇で得たであろう情報が、言葉にせずとも知識として俺に刻まれる。
精霊はこんなことも出来るのか。
俺は少女を膝の上に乗せ直し、柔らかい髪を梳く。彼女は猫のように目を細め、俺の手に頭を擦りつけた。
「ありがとう、河底にあるべき浄化の術式が解ったよ」
「どういたしまして。これで街の汚染はどうにか出来そう?」
「そうだね。二人から貰った精気もあるし、後は河の水を止めて、地形を変えれば行けるんじゃないかな」
段取りは一応頭の中で組み上がった。二三日は徹夜する必要がありそうだが、頑張れば一人でやれそうな雰囲気はある。残る仕事はコアンドロ氏の育成と、行動を読めないシャシィについてだけだ。
「……表情が暗いね。何か心配なことでもあるの?」
「心配……いや、別に無いよ?」
ここで言葉にしたらシャシィに聞かれてしまう。そこで俺は少女を真似して、仕掛けられた魔術が見えないという悩みを精気で伝えた。
相手は唇を尖らせると、大きく腕を振って壁や天井を振動させる。それと同時、周囲の空気が変わったような気がした。
「わざと盗み聞きをさせてるのかな、と思っちゃった。これで大丈夫」
「あ、ああ。気付いてたんだ?」
「お兄ちゃんが精気の使い方を知らないだけだよ。お兄ちゃんは精霊なんだから、魔力じゃなくて精気を使ってモノを見ないと、いつまで経っても成長出来ないよ」
……仰る通りで耳が痛い。
そうだ、魔力だって使うことで鍛えたものだ。どうも俺は精気を切り札のように考え、大事に取っておこうとしてしまう。当然ながら、使わないものに通じることはない。この意識を捨て去らないことには、いつまで経っても貰った力が馴染まないだろう。
いつもは魔力を回すところを、精気に切り替えて『集中』と『観察』を起動する。五感が一段深くなり、脳が重くなるような圧が全身を駆け巡る。いつも以上に負荷が大きく、正直きつい。
だが、穢れによる視界の悪さを無視出来るようになっている。心做しか世界が色鮮やかだ。
「おお……? 全然違う、よく見えるな」
「やってみれば簡単でしょ? お兄ちゃんはもっと自分の力を試した方が良いよ。じゃないと、出来ることも出来ないことも解らないんだから。人間であろうとしても、もう戻れないんだからね?」
彼女にこう言われるのは初めてではないな。
確かに、俺にはまだ自覚が足りないらしい。元々人間であった頃に染みついた癖は、簡単に消えたりしないだろう。暫くは苦労しそうだ。
それでも、助言のお陰で光明は見えた。
「もうちょっと時間はかかりそうだけど、やってるうちに掴めそうな気はするな」
「お兄ちゃんなら、慣れればすぐ気付くよ。ただこれを仕掛けた人って、人間にしては魔力を隠すのが巧いんだよね。だから、魔力を見ようとするより、精気と違うものを探すつもりでやってみれば良いんじゃないかな」
少女曰く、大半の物質には精気が僅かながら含まれており、人間や魔獣は数少ない例外に当たるという。精気に満ちた視界の中を人間が歩くと、そこだけ光が遮られるような感じになるため、割と解り易いとのことだった。生物としての区分けは思いの外はっきりしているようだ。
なるほど、精霊については知らないこと、教わりたいことがまだまだ多い。
助言に従って天井付近を具に調べていると、髪の毛に似た細い繊維が、千切れて消えかかっているのがようやく見えた。
「ん、あれか? あの、罅に引っかかってるヤツ」
「そうそう。器用なことするよねえ」
人間を遥かに圧倒する強度を持つ精霊に、器用とまで言わしめるシャシィの腕よ。今後人類の中から、彼女を超える逸材は生まれないかもしれない。
一人では決して到達出来ない道だったが、それだけの能力を持つ魔術師に、ようやく追いついた。
本当に……この子には感謝しかない。
「俺は助けてもらってばっかりだな。どうやって御礼をすべきか解らないよ」
「やりたくてやってることだし、気にしないで。それに……あたしはもう、ここには来れないと思うから」
不意に膝の上で、少女が痛みを堪えるように顔を歪める。
ああそうか、邪精である俺と違い、地精は穢れへの耐性を持っていない。今の彼女は情報伝達をするためだけに、毒の中へ身を投じている状態なのだ。
俺が慌てて穢れを抜き取り体を癒してやると、地精は床に降りて呼吸を整えた。
「河底に術式を刻むくらいはしてあげたかったけど、この調子じゃ無理みたい。お姉ちゃんの街をよろしくね」
「ああ、勿論だ。無理をさせてごめん。すぐに解決するから、あの場所でまた会おう」
「うん、待ってる。御礼はそれで良いからね」
少女は苦しげに手を振って、この場から姿を消した。特区の祭壇があれば、いずれ体調は戻るだろうが……それまではまともに動けないだろう。
必要の無い苦痛を与えてしまった。あそこまで無理をさせたのは、俺が不甲斐無かったからだ。
歯を軋らせ、拳を床に叩きつける。苛立ちによって制御が甘くなり、手首から下が液状化して広がった。意思から離れた汚泥が、穢れを吸収し始めている。
……もう、とっとと終わらせてしまおう。
あの子の願いに応えなければならない。一刻も早く特区へ戻り、もう大丈夫だと言ってあげたい。街を浄化し、彼女達の故郷を取り戻す――それ以外に、俺には報いる術が無い。
この場に存在する全ての穢れを飲み干そうと、俺は全身を広げられるだけ広げる。周囲の穢れが引き寄せられ、床や壁に染みついていた頑固な穢れが剥がれていく。
脳の奥で枷が外れ、人間であろうとする意味を暫し忘れた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。




