いつも見ている
落ち着かないまま一夜が明けた。巧く眠れなかった所為か、日差しがやけに眩しい気がする。
俺は焚火で湯を沸かしながら、シャシィとの会話を振り返る。
……あの時、『観察』はいつも通りに機能していた。
あの発言が俺を混乱させるものであればと思うが、そういった裏は感じられなかった。思わず感情が漏れて、それをそのまま伝えることにした――そんな印象を覚えた。
でも、シャシィに好意を持たれるような遣り取りが、たった一度でもあっただろうか? 殺し合い寸前で止まった記憶ばかりで、他がほぼ全て薄れてしまっている。
……いや違う、理由を求めても無駄なことか。俺がどう捉えようと、本人が気になると言うならそうなんだ。そこは変えられない。
ただ誠意として、相手が本気であるならば、俺も本気で応じなければならないだろう。
……作業は計画通りに進まないとは思っていたが、流石にこれは予想していなかった。俺は沸騰した湯で茶を淹れ、朝の寒さを誤魔化す。ぎこちない指先に、痺れるような熱が広がっていった。
「お兄ちゃん、あたしにも頂戴」
「うん? ……ああ、来たんだ。あんまり美味しいお茶じゃないよ」
「大丈夫」
俯いていた顔を上げれば、地精の少女が隣に座るところだった。入れ物が無いので魔核を湯呑に変えてやると、彼女は大事そうにそれを両手で抱える。
そうして、湯気を立てる熱々の茶を小さな舌で舐め始めた。
「精気をあげたのに、魔術で作らないんだ? 土で作れば簡単だよ?」
「魔核加工の方が良い物が出来るからね。君にあげるなら手は抜きたくない」
「くれるの?」
「良いよ、あげるよ」
そう答えると、少女はすぐさま湯呑を石で覆い、壊れないよう厳重に保護してしまった。折角表面を滑らかにしたのに、と少し複雑な気分になるが……まあ気に入ってくれたなら構うまい。
暫く二人でお茶を楽しむ。久々に気持ちの落ち着く、奇跡のような時間だ。
「……お姉ちゃんも一緒の方が良かった?」
「いや、祭壇で休んでいるとはいえ、まだ体が本調子じゃないだろう?」
「ううん、体は大丈夫みたい。でもここの祭壇に近づくと、役割に引き摺られそうで嫌なんだって」
ああ……彼女は純粋な精霊ではなく、監視者として創り出された者だからな。俺が仕事を割り振られているように、あの人もまた何かに縛られているのだろう。
思えば、彼女は祭壇から距離を置くよう言い続けていた。依頼を達成し、報酬を受け取れば受け取るほど、上位存在との結びつきは強くなっていくのかもしれない。その先に何があるかは、河守が身を以て示している。
きっと彼女の予感は正しい。折角この地から離れて解放されたのだから、せめて自由であってほしいと願う。
「本人が乗り気じゃないなら、無理をさせる訳にはいかないな」
「良いの? 河底の術式をちゃんと覚えてるのはお姉ちゃんだけだよ?」
それについては、本人から既に聞いている。
長期に渡ってこの地を監視していたのだから、式場に関することは記憶していた。ただ当時は汚染によって弱っていたし、俺に河底で作業を続けるだけの力も無かったから、伝える意味が無かった。そういうことらしい。
それでも、こうして地精を派遣してきたということは、街の状況が気になってはいるのだろう。
「……何をどうすべきか、直接指示してもらえたら楽だとは思うよ。でも、ここに来たくないという彼女の意思の方が、俺にとっては大事なんだ。君だって、彼女が祭壇に支配されるのは嫌じゃないか?」
「うん。だから、お姉ちゃんを呼ばなくても大丈夫か確かめに来たんだ」
ほんの少しだけ唇を持ち上げて、少女はようやく笑顔を見せた。しかし、街の方に視線を向けた途端、その笑みも引っ込んでしまう。この反応からすると、俺の想像よりも状態は悪いようだ。
やはり作業を少しでも止めると駄目か?
「皆、頑張ってくれてはいるんだけど……厳しいかな」
「……地面に精気を流しても、何も返ってこないね。街中よりも祭壇の方をどうにかしないと、そろそろ駄目だと思う。お姉ちゃんの話だと、術式は壊れても直せるけど、祭壇は直せないって」
「それは拙いな」
地下の光景が脳裏を過る。
河底の術式は、祭壇から供給される魔力があってこそ機能するものだ。このまま集約の術式まで失われてしまったら、式場に溜まった穢れが一気に外部へ溢れ出してしまう。
悠長にしている場合ではなかった。あの環境で作業出来るのは俺だけ……間に合う自信は無くとも、こうなった以上やるしかない。
「知ってたら教えてほしいんだけど、下流にも祭壇はあるのかな?」
「あるけど、行ったことはないんだよね。ああ……術式、調べに行った方が良い?」
「お願い出来るかな。君が助けてくれるなら、俺は暫く地下に籠ってとにかく穢れを減らすよ」
頷くと、少女は俺の頭を一度抱いてから姿を消した。俺は僅かに残った茶を飲み干し、木陰に隠れていたミル姉へと目を向ける。
心做しか顔は青褪め、膝が震えていた。
「フェリス。あの子は何者?」
「俺の恩人だ。元はこの地で生じた地精だな」
「精霊……なるほどね。この距離で何も感じないなんて、初めて体験したわ」
「別に怯えるような相手じゃないよ。年下の女の子として、普通に接すれば良い」
やり合う可能性を考えるから、無駄に身構えてしまうのだ。こんな辺鄙な場所に非武装の少女がいる、というだけで違和感はあろうが、敢えて敵対しなければ地精は友好的な存在だ。
ミル姉は緊張していた顔を一度思い切り叩き、自身を取り戻した。
「うん、そうね。どうせ勝てない相手に、歯向かっても仕方ないわね。で……ちょっと聞こえたけど、何処かに籠るって?」
「ああ。あの子の話だと、地下の方が拙いことになってるらしい。街中の作業すら怪しい連中を連れて行けないから、俺の方でどうにかしてくる」
「まあアンタは穢れを克服してるしねえ。むしろ、足を引っ張ってるのは私かしら」
現場への到着が遅れた挙句、王国部隊が瓦解したこともあって、ミル姉は自嘲気味だった。とはいえこれについては、誰が責任者になろうと同じ結果だっただろう。迷惑をかけたと落ち込むよりも、今後に集中してほしいところだ。
「ミル姉の力量については問題視してない。すぐに他の連中に追いつくだろうし、まずは穢れ祓いの扱いに慣れてもらうところからだな」
「慣れる、ねえ……。他の誰よりも、フェリスに追いつかないと拙い状況じゃないの?」
「そうなってくれたら嬉しいが、はっきり言ってこの分野で俺を超えるのは無理だ。見本とすべきじゃない」
穢れの扱いにおいて邪精を超える者がいるとすれば、それはコアンドロ氏だけだろう。こんな限定的な技術を身に付けるより、浄化の腕を磨いてくれた方がずっと意義がある。精気を分け与えて、陽術に長けるミル姉の持ち味を殺す訳にはいかない。
「どうにもらしくないな……ミル姉は何に焦ってるんだ?」
「目に見えている以上の穢れが地下にある。しかも浄化部隊の長でありながら、私だけ現場経験が無い。……焦りもするわよ、落ち着いていられる要素が何処にあるの?」
「まあそう言われたら、気持ちは解る。それでも、部隊を監督する者としての振る舞いを心がけてくれよ。ちゃんと皆が逃げられるくらいの時間は稼ぐからさ。上が慌てると、下も釣られてしまうだろう?」
ミル姉がこうも事態を重く見ていたとは、正直意外だった。しかし残念なことに、不安が解消されるまで話を続ける時間は無い。
対応に迷っていると、ようやく起きたらしいシャシィが、欠伸を噛み殺しつつこちらへ近づいてきた。人前で弱気を見せたくないのか、ミル姉も表情を引き締める。
「おはようございます。どうしました、二人お揃いで?」
「おはよう。フェリスが暫く部隊を離れることになってね」
「えっ? フェリスさん、単独行動するんですか?」
地精のことは伏せて経緯を説明すると、シャシィは指先を顎に当てて考え込み、やがて一つ頷いた。
「なるほど。状況が状況ですし、フェリスさんしか適任がいませんねえ」
「……申し訳ありませんが、ミル姉が感覚を掴むまで、部隊の世話をしてくれませんか? すぐに戦力になると思うので」
「ミルカさんなら構いませんよ。頼ってくれて嬉しいです」
シャシィが嫣然と笑い、俺にしなだれかかる。振り払えずにいると、ミル姉が驚きで目を剥いた。
「ええ……? 何で急に……?」
「どうしてでしょうねえ? フェリスさんみたいな人は初めてですから、私にも解りません。でも、思い通りにならない人って魅力的ですよ」
俺の腕を離そうとしないまま、シャシィは知った風なことを宣う。ミル姉は頭痛を堪えるようにしゃがみ込んで、答えを探していた。
「結界で切断しようとしてた相手に? 本気で言ってる?」
「その節は大変ご迷惑をおかけしました。私は本気です」
何かを言おうとして言えず、最終的に、付き合い切れないと吐き捨ててミル姉はその場を去ってしまった。問題は何も解決していないが、衝撃が大き過ぎて、不安は何処かに消えたらしい。
「ふふ、お役に立てました?」
「……まあ、そう、ですね。助かりました」
何故ミル姉の不安を把握している?
表情が読めない……いつから話を聞いていたのだろう。流石に地精のことまでは気付いていない、と思いたいがそれも解らない。
貸しですよ、と冗談っぽく呟くシャシィに、どうしようもなく背筋が冷えた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。




