嫌な予感
教国部隊が外周を突破した頃になってようやく、王国の部隊が到着した。先頭を進むミル姉の顔はやたらと強張っており、その背後に並ぶ連中は明らかに縮こまって見える。
俺と共に部隊を発見したハルネリアが、僅かに首を傾げた。
「……あれは王国の面々だよな? 何か……全体的に様子がおかしくないか?」
「先頭にいるのは俺の姉でな。多分、シャシィが独断で王国を飛び出したから、部隊をまとめるのが大変だったんだろう」
「は? シャシィ様はここに来る許可を取っていた訳ではないのか?」
ハルネリアの口から疑問が飛び出す。シャシィがその辺の説明は既にしていなかっただろうか?
「これは王国の所為でもあるんだが、編成で揉める時間が長過ぎた所為で、彼女は城から抜け出して来たらしいんだよ。その判断を認めるかどうかはさておき、残された側は堪ったもんじゃないよな」
内乱に巻き込まれて以降、クロゥレン家は特権を与えられ、国の指示を拒否出来る立場となっている。にも拘わらず、王子の命に翻弄されたミル姉の胸中は如何なるものか。
少なくとも、俺は恐ろしいので軽々に触れたくない。
「対外的なものがあるから、一応平静でいようとはしてるんだろうが……あんなに怒ってるミル姉は久々だな」
「ミル姉? もしや……ミルカ・クロゥレン?」
「そうだよ。よく知ってるな」
順位表を思い出したのか、ハルネリアが唇を引き攣らせる。
「なるほど……そうか、そうだよな。納得したよ。名が売れてないだけで、お前もクロゥレンの血族という訳だ」
「売るような名が無いだけだ。一緒にされても困る」
身内と比べて目立った功績の無い俺を、クロゥレン家だからと一括りにするのは乱暴な話だ。家のためにという考え方は同じでも、俺と姉兄は歩む道が違う。卑下でも何でもなく、武人としての名誉なんてものは俺に相応しくない。
……まあ反論は良いか。
ハルネリアの感想はともかくとして、今は王国部隊と接触しなければならない。
「さて……取り敢えず俺は連中を迎えるかね。そっちはすぐ会う必要は無いが、どうする?」
「王国部隊も拠点は同じ場所にするつもりか?」
「まあ、あそこしか安全な水場を知らんしなあ。多少距離は置くとしても、近場にはなるだろう」
「解った。ならば私は一度戻って、到着を皆に知らせておこう」
協力体制を取るのなら、迎え入れる側にも相応の準備は必要となる。特にミーディエン殿は、不手際があってはならないと気を張ってしまう性質だ。ハルネリアが走ってくれるなら、彼女も多少楽になるだろう。
取り敢えず二手に分かれることとし、俺は王国部隊の元へと向かった。こちらに気付いたミル姉が、表情を一切動かさぬまま手招きをする。
うん、怖い。
俺は丁稚の如く速やかに駆け寄り、足元に屈んで控える。
「お疲れ」
「シャシィ・カーマは?」
挨拶すら無い。瞬きもしていない。息が詰まるような凄まじい迫力だ。なるべく無駄な遣り取りを避け、俺は率直に回答する。
「もう着いてるよ。教国部隊の体調管理をしつつ、除染もこなしてるね」
「真面目に働いてはいる訳だ……チッ」
苛立たしげに擦り合わせた指先から、細かい火花が散っている。格上だろうと何だろうと、容赦無く焼いてやろうというミル姉の気概を感じた。
まあ……シャシィは貴重な戦力ではあるが、これに関しては二人の問題だ。やり合うなら周りを巻き込まない場所でやってくれ、としか思わない。
「シャシィへの恨みつらみは置いておいて、王国部隊はどうよ」
「うーん、どう言ったら良いのかしら。色々あった割には無難な人選? 基本的には教国に行った使節団の中で、折れなかった人をそのまま採用した感じね」
「はあ? それの何処に時間をかける要素があるんだ?」
自身の命を担保にする以上、最低限のやる気と素養が無ければ務まる仕事ではない。無理強いしたところで、全体の邪魔になるだけだ。どれだけ人が減ろうと、不適格な人間を起用すべきではないだろう。
ミル姉は額に貼り付いた前髪を拭いながら、忌々しげな溜息を漏らす。
「本人が降りたくても、派閥が許さない場合があるでしょう。要するにお偉方の顔を立てるために、説得の時間が必要だったのね」
「いやだから、それが無駄だって話だろうに」
「私もそう思うから、どうにか早めに切り上げさせたんだけど?」
……いかんな、今のは俺が悪い。あまりに馬鹿げていた所為で、苦労した人間を煽ってしまった。
俺はミル姉へ頭を下げて謝罪し、ひとまず後ろに並ぶ連中へと目を遣る。
いきなり現れた俺という異分子に対し、反応は様々――疲労感からか、猜疑的なものが大半を占めている。しかしその中に、覚えのある気配があった。
一人は敵愾心を剥き出しにしているワイナ。割とどうでも良いので、ひとまず彼女は無視する。
そしてもう一人は……カッツェ家で知り合ってそう時間も経っていない筈なのに、不思議と懐かしい顔だった。
「お久し振りです。サイアン殿もおられましたか」
「ご無沙汰しております。フェリス殿が参加されるとは聞いておりませんでしたが、こちらにいらっしゃったのですね」
「元々、この街の穢れを国へ報告したのは私ですからね。そちらこそ、文官なのに現場仕事ですか?」
「現場仕事だからこそ、細々とした作業を引き受ける人間が必要なのですよ。お解りでしょう?」
他にやる人間がいない、という苦笑が滲んでいた。
まあ一流どころの魔術師を集めておいて、物資の管理等の事務を任せる訳にもいかないだろう。そいつ等は穢れと戦うのが本来の仕事だ。だから本人の言う通り、絶対に必要な役割ではある。
ただ、サイアン殿からは身を守るための魔力をほとんど感じないという点が、俺を不安にさせた。
「……お話には同意します。ですが、サイアン殿はなるべく拠点で活動されることをお勧めしますよ。今は教国部隊が街の外周を処理し終えたくらいなので、迂闊に近づくと影響が大きいでしょう」
「心得ました。……私も教国に同行して学びましたよ。もうあんなきつい思いは御免ですね」
もしかして、既に汚染された経験があるのか? 素人があの苦痛を味わって、よくまた任務に就こうと思ったな。
想像よりもずっと根性がある……いや、以前会った時も、サイアン殿は貴族に対して物怖じせず意見を出していたか。相手や状況がどうであれ、自分の仕事に殉じられる人物という訳だ。
そういう性格は嫌いではない。むしろそれくらいの根性があって初めて、この任務に耐えられる。
「貴方ほどの逸材が味方してくれるなら、心強いですね」
「お褒めに与り光栄です。とはいえ、私はあくまでこの部隊の所属であり、フェリス殿の活動は補佐出来ませんのでご容赦ください」
「構いませんよ。私は部隊の所属ではありませんし、自分のことは自分でやりますので、お気遣い無く」
名誉も栄光も好きに持って行ってくれ。とにかく足手纏いは要らない――王国部隊の面倒を見てくれるだけで、俺には充分過ぎる。
あからさまな発言かとも思ったが、どうやら彼等は自らの取り分にしか興味が無かったらしく、立場を明確にするだけで態度を軟化させた。それどころか水場に案内すると申し出ると、俺を下男と勘違いする奴すら出る始末だった。
その方が御し易いと考え放置していると、流石にミル姉が待ったをかける。
「ちょっとフェリス。折角躾けたんだから、馬鹿共を増長させないで」
「好きにさせておけよ。どうせ明日には九割いなくなる、賭けたって良い」
「随分と強気ね。何を根拠に」
より重要な任を帯びていた教国部隊すら、一瞬で瓦解したのだ。王国の腰抜け共に耐えられる筈が無い。俺が下手に出るだけで残るような奴がいたら、いっそ面白いので歓迎出来る。
その辺を耳打ちしてやると、ミル姉は嘆くように目を眇めた。
「頑張って連れて来たのに……私のこれまでの苦労は?」
「サイアン殿が評価してくれるさ。彼は公正な男だ。少なくとも、穢れが怖くて逃げるような真似はしない」
それに、部隊が無くなってしまった方が、ミル姉だって楽になる。
これまでの苦労は認めるが、彼等は別に人格者になった訳ではなく、ミル姉への恐怖心を押し殺しているだけに過ぎない。いずれは我慢していたものが溢れ出して、より面倒な結果を引き起こすだろう。
統制されていない、階級意識の強い集団――恐らく、略奪や強姦といった被害が発生する。
「さっきの遣り取りだけで、簡単に人を見下すような連中だぞ? いっそ教国部隊に迷惑をかける前に、消えてくれた方がありがたいね」
俺は彼等を絶対に信用しないし、用心のためにも、今夜は眠らず備えるつもりだ。結果として死人が出ても、已むを得ない被害と割り切っている。
「……こういう時の、アンタの予想ってよく当たるのよね。本当に残念」
「まああくまで予想だ、外れる可能性だってあるよ。でも残らない方が、お互いにとって幸せだろうな」
少なくとも、ここは実力の無い人間が生きていられる環境にはなっていない。俺も彼等に死んでほしいとまでは思っていないので、生きて帰れるならその方が良いだろう。
いずれにせよ明日には結果が出る。それまでの間、こちらは被害を最低限に抑えるだけだ。
俺は部隊に背を向け、拠点へと歩き出す。背後でミル姉が、疲れ切った吐息を漏らした。
今回はここまで。
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