姉来たる
ガキっつうのは物事の吸収が早いところがいいとこで、やらかした時に意固地になりがちなところがよろしくない。これは俺の勝手な思い込みに過ぎないが、今回は例に漏れずそうだった。
ぶっ飛ばされた弟子のバチェルは、口から血を垂らしたままフェリスのことを呪っていた。
「あの野郎……こんなことして、ただで済むと、思ってんのか……ッ」
「なんだ、元気じゃねえか」
まともに喋っている辺り、相当手加減してくれたのだろう。本当ならば、歯の数本は吹っ飛んで言葉が出ないくらいの方が正しい。ここまで巧く抑えてくれて、フェリスには感謝しか無い。
「良かったな、フェリスがいてくれて」
「ここまでやられて、何が良かったって言うんすか!」
この気の強さに、将来性を感じていたことは否めない。ただ、それだけで生きていけるほど、世の中は甘くもない。少なくとも、今回の一件に関しては完全に失敗している。
こんなことを改めて最初から説明しなければならないとは、思っていなかった。
「運が良かったんだよ。お前を殴った奴の後ろにいたのは、伯爵家のご長男だ。あの方は温厚だから良かったものの、相手によっては口の利き方がなってないって理由で普通に平民を殺すぞ」
事実、俺は数年前にそういう光景を見たことがある。中央で問題として取り上げられはしても、結局、貴族の男は罪に問われなかった。平民と貴族の間にある階級差というものはそれだけ大きい。
それに、たとえそういう差が無かったとしても、バチェル程度ではあの二人に及ぶはずもない。町の喧嘩自慢風情が、訓練を続けている武人に勝てると思うのは、思い上がりが過ぎるというものだ。
相手が貴族だとようやく理解し、バチェルは唾を飲み込む。
「お前を殴ったのは伯爵家の客人だ。お前の首が飛ぶ前に制裁を加えて、問題を小さくしてくれたんだよ。あのまま続けてたら、間違いなく厳罰だっただろうな」
「……そんな勝手が許されるんすか」
「許されるんだよ。貴族にはそういう権限が認められている。まあ、普通であれば命を取る所までは行かない。それでも傍から見てて、そういう判断を下される程度にお前は無礼だったってことだ」
元々坊主だって貴族だったのだから、罰されるかどうかの線引きは熟知していただろう。そして、アイツは横暴な性格ではない。そういう人間が慌てて止めるということは、相当だったということだ。
俺達は、誰かからの依頼を受けて、金を稼いで生きている。今の依頼主である伯爵家は、仕事に対する理解もあるし金払いも良い、とびきりの上客だ。駆け出しのコイツとどちらを取るのかと言われれば、迷うまでもなく伯爵家を取る。
だからこれは、最後の選択肢だ。
「なあ、バチェル。今回の件については、お前にしっかりとモノを教えていなかった俺達の所為でもある。一緒についていってやるから、伯爵家に頭を下げに行くぞ。出来ないってんなら、俺はお前を破門するしかない」
「……今まで」
「あん?」
「今まで必死こいて働いてきて、ここを儲けさせてやってたのに、俺より貴族様を取るんすか」
返答に、頭を掻きむしった。
――ああ、ハーシェル工房は。
俺は、教育を失敗したのだな。
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バスチャーさんの包丁の出来を知っていたようで、アキムさんも柄の部分は同様の工夫にしてほしい、ということになった。やったばかりの作業で手はまだ工程を覚えているため、俺はそれを快諾した。更に、刀身は直刃で研磨の余地を残すということだったので、形状としては蛸引包丁を目指すこととした。
研磨が出来るということは、魔力を込め過ぎないということと同義だ。芯となる箇所については気合が必要になるとはいえ、刀身全体としては、前回より単純な仕事になる。
これが終わったら伯爵家を辞そうと思っていたが、半月も要らなそうだ。充実した日々を過ごすことが出来たのは、ビックス様のお陰と言える。
宿代代わりに、何か一本作っておくのも悪くないな。
頭の中であれこれ算段を立てつつ、魔核を肥大させていく。シャロットさんのあの綺麗な流れを思い出し、外を騒がせないように。
「すぅ――はぁ――」
呼吸を整える。
俺は自分の魔力の流れに自覚的ではなかった。グラガス隊長から基礎中の基礎は教わったものの、ほとんどは独学だ。ミル姉は魔力を込めるより放つ方が得意だったし、師匠もモノさえ出来れば過程はどうでもいいという人だったので、工房内は魔力が吹き荒れていた。
そんな有り様だったから、当たり前の魔術師が当たり前に歩んできた道を、俺はあまり通っていない。それはきっと、俺の魔術を歪なものにしている。
外へ向かうのではなく、内へ向かう操作。職人としてはそちらの能力が必要だ。
欲求がとめどない。もっと巧くなりたい。しかし、焦ると魔力が漏れる。
「こうも難しいもんか」
人差し指の上に核を乗せ、そのまま魔力を込める。指先に穴があって、そこに吸い込まれていくような感覚。余さず注ぐよう、意識しながら。
ぼんやりしていたのか、不意に、拍手の音が耳に入った。
「ちょっとの間で、随分巧くなったわね。貴方が魔力の無駄を気にするとは思っていなかったけど」
「うん? いや、そういう訳じゃなくて、外が騒がしくなるからだね」
「ああ……確かにそうかも」
振り向けば、ミル姉が笑っている。野戦用の革装備で固めているということは、出陣前なのだろう。
しかし、伯爵家は守備隊の武器の整備をアキムさんに頼んでいるはずだ。それなのにミル姉達が出向いてしまっては、整備より先に事が終わってしまうのではないだろうか。最終的に無駄にはならないにせよ、少し間が悪い印象は受ける。
「最近来たばっかりって聞いたけど、もう出るんだ?」
「私含めて三人ね。大物が出たって聞いてるでしょう?」
なるほど、本格的な演習の前に、危険なものだけでも処理しようということか。確かに、伯爵家の人員ではアレに対処するのは厳しそうだ。
「ミル姉は大丈夫だろうけど、陰術使うみたいだから、他の面子は気をつけるよう言ってね」
「何で知ってるの?」
「被害者の呪詛を解除したのが俺だから」
その情報は入っていなかったか。ミル姉は少し驚いた顔をして、そこから首を捻る。
「被害者本人には会えなかったんだけど、何か知ってる?」
「単に治療中なだけじゃないかな? 傷は塞いだけど、出血が酷かったからね。参考までに一応言っとくと、呪詛は骨の近くに仕込まれてたから、角の先端にしか術は込められてないんじゃないか、というのが俺の読み」
角で一撃、という話だったので、角全体に術がかかっていたのなら傷口全体が呪われていたはずだ。
ミル姉は一つ頷いて、窓の外に目を向けた。その視線はまだ見ぬ魔獣の影を探している。
「術を使える魔獣は珍しいわよね。……どこかの仕込みはあると思う?」
かなり昔に、某国の研究者が魔獣に魔力を与えて暴走させ、敵国を襲わせたという話は聞いたことがある。その魔獣は誰が教えた訳でもないのに、魔術を行使したという。
噛みつきや毒といった魔獣に元々備わっていた機能を、魔力でもって強化した結果、それが術式の形になって現れているのではないかというのが個人的な見解だ。
しかし今回の場合、恐らくその可能性は低い。
「元々いた大型獣が、何かの拍子に進化したんじゃないかと思うな。メルジさんも最終的には死んでないし、被害が少なすぎる。伯爵領は確かに混乱してるけど、制御は充分出来てるしね。領内を荒らす目的なら、もうちょっと獰猛なヤツを選ぶんじゃないかな? まあ誰かの意思によるものだとしても、どうせ失敗に終わるよ」
ミル姉と対峙した時点で、どっちにしたって魔獣に先は無い。危惧すべきなのは逃げられることだ。ミル姉は機動力が無いことが、唯一と言っていい弱点になる。それについては本人も自覚があるだろう。
だからミル姉は、穴を埋める要素を求めている。
「ねえフェリス、時間があるなら貴方も来ない? 面子は私とグラガス、ビックス様だから、やりづらいってことは無いと思うんだけど」
確かにその面子なら、こちらとしてはやる気になる。一般の隊員より気心が知れているし、連携しようとも思える。
ビックス様に恩返しをしなければならないというのもあるし、時間的な余裕も大丈夫だしな。
「その格好ということは、今からだよな?」
「そうね。行ける? 今回はどちらかと言うと下見だから、そこまで気合入れなくてもいいと思うけど」
「別に俺は着替える必要無いし、武器がありゃどうとでもなるよ。行こう」
鉈と棒を掴んで立ち上がる。最近運動もしていなかったし、その辺を散歩するのも気分転換に良いだろう。万が一が起こらない編成なので気は楽だ。
この面子ならビックス様が前衛で俺が中衛、残る二人が後衛になるかな。まあ、出番があるか解らないが。
出発前に、水術で体表に膜を張る。展開の速度からして、調子は悪くない。
「出てくるかなあ」
「出なかったら、明日以降は参加しなくてもいいわ。今日は守備隊同士で顔合わせをしてるけど、明日以降なら全員使えるからね」
「やっぱり見つけるまでだよなあ。あ、ちょい待って」
ふと思い立って、魔核で髪留めを作る。挟むだけの単純な造りのそれで、ミル姉の前髪を留める。これで視界が確保出来るだろう。
「あら、気が利くわね」
「浄化のお代だね」
「ならもうちょっと凝ったものが欲しいところだけど、今回の手伝いで良しとするわ」
軽く笑い合う。戦闘前の気負いは無い。
肩を回して筋肉をほぐし、二人並んで外へ出る。
さて、何が出るかな?
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。