苛立ち
フェリスのことをどう評価すべきか、未だに私は解らない。
家臣たちは、器用ではあるが突き抜けたもののない人間である、腑抜けだ、と見ているようだ。
それは弟の実態を知らないからだ、ということは解っている。フェリスは他人に成果を見せないし、何を言われても、呆れはすれど怒りはしない。
普通の貴族であれば、平民から侮辱されればそれなりの対応を取るものだが、そうした手合いに何かをすることは今まで無かったように思う。怒るだけの意味がある言葉だと捉えていないのかもしれない。
そういう意味で、腑抜けだと称されるのは解らなくはない。
ただ、他人を粗雑に扱う訳でもないし、親しい人間には報いてくれる人間であるのに、何故フェリスはああも馬鹿にされているのだろう。
守備隊の兵士たちは、国内のどこに出しても恥ずかしくない力量を持ち合わせている。そして、フェリスはそんな守備隊の訓練に参加出来る力量を持っている。
貴族としての責を果たさないフェリスを、相応しくないと侮ることは仕方がないと私も思う。
だが、武人としてのフェリスが侮られる理由はなんだろうか。
私やジィトに及ばないから?
フェリスは私たちを天才だと称賛する。そして、己は無才だと。
何も解っていない。
私からすれば、あれは無才ではなく異才だ。
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やってきました、決戦の日です。
こう言ってはなんだが、相手が姉兄でも隊長でもない時点で、俺の中では消化試合である。
グラガス隊長とミッツィ隊長はこちらを見縊らないので、出来ることなら避けたかった。だが、それ以下の連中はこちらを弱いと思い込んでいるようなので、対処には困らないだろう。
思えば長い道のりだった。
本当ならもっと早くに家から放逐されるよう動いていたのだが、思いのほか家族が優しかったので、それに甘えてしまった。貴族という立場を抜け出し、自由に世界を回れる状況を整えることは、俺にとって必須だったのに。
「けどまあ、何とかなりそうか」
生まれる前の時間を思い返す。転生する際に神から受けた依頼は、この家にいては達成出来ない。
依頼の内容が、二十歳までに特定の場所で神託を受けること、だからだ。受けた神託をどうするかは自由だが、受けることそのものはしろ、というあたりが少し変わっている。
貴族は勝手に領地を出られないので、俺はいずれどうにかして身分を捨てる必要があった。捨てるまでしなくても、家を抜けられる状態になったことは幸いだったと言える。
さあ、だから後は、
「勝つだけだ」
独りごちる。大きく息を吸い込み、吐き出す。
古びた木の扉を押し開き、守備隊の訓練場へと足を踏み入れる。
そこには父母、姉兄、そして武術隊と魔術隊の十位以上が揃って俺を待ち構えていた。
「来たか、フェリス」
「はい」
父は神経質そうに、指で己の腕を叩いている。領主の座を譲って久しいのに、まだ気苦労が多いらしい。一方、母は何も言わず、俺を見て微笑んでいた。
「決心は変わらないのだな?」
「はい。私はこの家を出て、職人としての道を歩みたいと思います」
「そうか。……親としてそれを止めることはしないが、法は法だ。決まりに従って、その力を示してもらおう」
頷いて、訓練場の中央へと向かう。対戦者であるサセットも、中央へと進み出る。そして、ミル姉が俺たちの間に入り込み、宣言する。
「では、領主として、出立の儀を進めます。武術・魔術・道具、全ての使用を認めます。勝負は死亡、降参、或いは我々の裁定で判断されます。フェリス・クロゥレンは独力で歩む者として、その力を示してください。サセット・シルガは磨き続けた兵としての力を、存分に発揮してください」
「失礼、裁定というのは?」
そんな話はあったろうか? 試合前にいきなり知らない条項を増やされても困る。
「たとえばどちらかが気絶したような場合、降参の声は上がりませんが勝負は決しています。様々な可能性があるでしょうが、見ている我々が何かしらの裁定を下すことがある、ということを覚えておいてください」
……なんだ? 何か目論見があるようだが、読めない。
ミル姉やジィト兄が不公平な裁定を下すことはないだろうが、周りの隊員は何を言い出すか解らない。誰にでも明らかな勝ち方をしなければならない、か?
話が単純ではなくなってきた。俺の困惑が見て取れたのか、ミル姉は俺にだけ聞こえる声で、こっそりと呟く。
「たまには本気を出しなさい」
「む……」
本気、か。
出してもいいが、それに足るだけの相手であってくれるだろうか?
頭の中に、幾つかの勝ち筋を浮かべる。先程の姉の言葉――独力で歩むための力を示してください。
ならば、これか。
俺はサセットから少し距離を取り、佩いていた長剣を投げ捨てた。挑発と受け取ったのだろう、彼女の目が怒りで吊り上がる。
内心で苦笑しつつ、鞄から普段山歩きで使っている鉈と短い棒を取り出した。七歳で魔核職人を目指したときから、一日も欠かさず魔力を流し込み、鍛え続けてきた相棒たち。
職人としての本気を、両手に構える。俺を見たジィト兄の目が何故か輝く。
「こちらの準備は終わりました。いつでも構いません」
「……私など、剣を使うまでもないと?」
「いいえ? 剣では勝てないというだけですが」
普段の訓練では剣を使っているものの、俺は剣が得意だなどと一度も言ったことはない。むしろ、剣は貴族としての必須科目であるにも関わらず、苦手だったから練習していただけの話だ。
サセットがどれだけ勘違いして歯軋りしようが、俺にとっての主武器は鉈と棒。
どうしようもなく洗練されていない上に、いちいち馬鹿にされるのも面倒だったので、人前では使ってこなかったのだ。
「馬鹿にされたものですね」
小さな呟きが流れ、相手の視線に怨嗟が籠る。俺はそれを鼻で笑う。
「この状況で出てくる言葉がそれなら、馬鹿にされて当然でしょう」
人の傑作に対してその物言い。
見る目が無い、そしてその自覚も無いと公言している奴のことを馬鹿と言って何が悪いのか。
溜め込み続けていた鬱憤が、胸の奥からせり上げてくる。姉兄に迷惑をかけないように、なるべく自分を主張せず生きてきた。馬鹿にされるのは、ある程度承知の上でやってきたことだ。だが、苛々する時だってある。
今日はやってもいいんだよな?
視線でミル姉を促す。ミル姉はそれに応え、俺たちから距離を置くと、高らかに右手をかざした。
「名乗りを」
「――武術隊第四位、『突貫』サセット・シルガ」
「――クロゥレン子爵家、『魔核職人』フェリス・クロゥレン」
「始め!」
右手が振り下ろされる。
開始と同時に俺は大きく後ろへ跳躍、サセットは全力で前に出る。二つ名に相応しい動きだ。
だが、それは何の変哲もない、いつも通りの彼女の開幕でしかない。
こちらの喉へ襲い来る突きに、鉈を叩きつける。日々彼女が自慢していた業物は、俺の一撃であっさりと半ばから切断された。
驚愕で身を硬直させた相手の鳩尾へ、今度は俺が棒を突き入れる。触れると同時に風魔術を放つと、ろくな抵抗もなくサセットは訓練場の壁へと吹き飛ばされていった。
「ぐぅッ!」
殺しても良かったが、領の人手が減るのを躊躇った分、威力は出なかった。サセットは意識を保ったまま、ふらつきながらも中央へ戻ろうとする。
「いい根性だ」
弱いが大きめの火球を、防げる程度の速度で放つ。サセットは予想通りそれを切り払い、自分で自分の視界を塞いでしまう。
その瞬間を狙って、俺は魔核で作った針を相手の膝目掛けて投擲した。
「ぎ、ぃ!」
うん、刺さった。これで武器と足は死んだだろう。俺は魔力を溜め、相手の眉間を狙うと――
「待て、勝負あり!」
そこで、ジィト兄の制止がかかった。数秒の間を置いて、サセットは呻きながら倒れ伏す。
相手の反撃は、無い、な。
収束させていた魔力を体内に戻す。サセットが弱いとは言わないが、やはり本気には程遠い結果になったか。
溜息をついて居並ぶ面々を見やる。大半が渋い顔を、大半が驚いた顔をしていた。
「いやはや、素晴らしいな。龍の牙を削り出して作った名剣が一発とは」
「ああ、あれはそういう武器だったのか。ちょっと硬いとは思ったけど」
俺の鉈には、魔剣や聖剣のような特殊な力はない。ひたすら頑丈で鋭いことだけを追求した、機能性だけの武器だ。だがだからこそ、ただの一級品程度に当たり負けはしない。
「まあ取り敢えず、これが俺の全力だよ。不足はあるかな?」
「俺には無いが、他の連中には不満がありそうだぞ」
「それが?」
法と感情は違うものである以上、不満が出ることそのものは否定しない。ただ、決められた次第に則って勝敗を決したのだ、それに不満を唱えることは法を我欲で覆すことを意味する。
そんなことを出来る連中がこの中にいるのか? やれるものならやってみろ。
「参加されている方々にお聞きしますが、この勝負に何か異議はございますか?」
「……いえ、お見事でした」
魔術隊の第六位が、絞り出すように言う。
態度に出すな馬鹿が。振り下ろせない拳ほど、みっともないものはないだろう。
「他の方はどうです?」
各々が各々の顔色を窺いだす。自分の言葉くらい自分で言え。嫌々ながらも口にした第六位のほうが、まだしも道理が通る。
居並ぶ面々の程度の低さに、呆れと苛立ちがやってくる。
「守備隊長は異議無しだそうですが、武術隊・魔術隊の両隊長はいかがですか」
「俺は元よりこんなことをせずとも、フェリス様の出立に不満はありません」
グラガス隊長は俺の力量をある程度知っているので、そう答えるか。
「では、ミッツィ隊長は?」
「不満は無い。でも、そうだね……部下があんなに可愛がられたんだから、私も相手をしてほしいねェ」
抜剣とともに、ミッツィ隊長が舞台へと躍り出る。
断られるとは微塵も思っていないらしい。
「……いいでしょう」
やれるものならやってみろ、そう思って挑発したのは俺だ。
そこまで頭がどうかしているなら、相手をするに足るだろう。
今回はここまで。