折れない心
世の中には天才というヤツがいると、心底思い知った。
シャシィとハナッサ殿は並んで、雑談をしながら魔術式の穢れ祓いを撃ち続けている。傍から見ていて二人は仲睦まじく、いつまでも話題が尽きそうもない。そして、その間にも街の周辺を覆う穢れは吹き散らされ、ついに街中へ爪先が届きそうになっていた。
流石は世界一位と言うべきか、シャシィは目視だけでハナッサ殿の技術を超えてしまった。今や浄化部隊の頂点として、教国の面々への指導すらこなしている。加えて参加者の浄化も忘れず、安全管理まで完璧に行う有様だ。
流石のハナッサ殿もそこまでやられたら嫉妬心すら抱けないらしく、むしろ信者のようになりつつある。こちらとしては、あのとち狂った振る舞いが消えている現状が恐ろしい。
事態が好転しているのに、不安ばかりが広がっていく。
ともあれ、除染が想定よりもずっと早くなったのなら、そろそろ街の物資を祝福しておかなければならない。教国部隊は修行に来ているのではなく、物資の回収が主な目的である。そして、ご褒美を用意するのは俺の仕事だ。
進捗として喜ばしいことではあるのだが、コアンドロ氏が誰かに見つからないか、内心冷や冷やしてしまう。立場上大っぴらに妨害は出来ないので、素直に隠れていてくれと祈るしかない。
俺は何気なく連中から距離を取り、そのまま静かに街中へと入った。そうして、物陰で息を潜めるコアンドロ氏と合流する。
「お疲れ様です、今日の食事です」
「ありがとう。そちらの調子はどうだい? 外の穢れがかなり削られているようだが」
「もう二、三日あれば、街中へ入れるようになるでしょうね。コアンドロ様もそうでしたが、やはり現場仕事ほど人を伸ばすものはありません。とんでもない勢いで連中の魔力が増えてますよ」
元々の魔力量が少なかったとはいえ、穢れ祓い一発で息切れしていたハルネリアが、今は二発撃っても平然としているようになった。ミーディエン殿も倍近い回数をこなせるようになっており、成長が著しい。
己の身に敵の手が迫っているというのに、コアンドロ氏は楽しそうに無精髭を撫でた。
「なるほど、それもまたシャシィ・カーマの手腕という訳だ。こんな状況でなければ、一度話をしてみたいものだね」
「コアンドロ様の仕事ぶりを見れば、食いつきはするでしょうね。ただ、彼女は他者の技術を己のものとすることに貪欲です。興味を引いた結果どうなるかは、保証しかねます」
何かがシャシィの癇に障って、気付いたらコアンドロ氏が細切れにされていた、なんてこともあり得なくはない。彼女との遣り取りには、そういう緊張感がある。
まあ実際のところ、シャシィは脅威とならない相手には寛容な気もするが、これは俺の勝手な想像に過ぎないだろう。
ただ一つだけ――想像ではなく確信出来ることがあるとしたら。
「コアンドロ様には重要な役割がありますから、手出し無用で頼みますよ」
「あら、バレました?」
「三回目ですからね。流石に俺も学びます」
振り向けば、やはりシャシィがいる。
彼女は完全に気配を殺し、人の背後を取ろうとする癖がある。俺の動向は常に監視していただろうから、距離を取った時点でまた同じようなことをするとは思っていた。そして、遥か上空のヴィヌスを探知したその精度から、コアンドロ氏の存在にも気付いていると判断した。
定期的に食料を渡す必要がある以上、コアンドロ氏と会わない訳にもいかない。ならばいっそ二人を会わせてしまえ――俺の選択肢は限られていた。
「で、そちらが教国で指名手配されている、コアンドロさんですか」
「ええ、儂がコアンドロです。そちらはシャシィ・カーマ様ですな。噂で聞くよりずっとお美しい」
笑って対応しつつ、コアンドロ氏は穢れを体内へと取り込み、相手の動きに備えている。今、この距離でコアンドロ氏を殺せば、穢れが相手へと炸裂するだろう。
己の身を即座に爆弾へと変える思考速度に、内心で舌を巻いた。シャシィも目を見開いて驚いている。
「穢れの扱いが抜群に巧いですねえ……教国部隊を遥かに超える逸材ですか。フェリスさんが守ろうとするのも解ります」
「本件に関して、コアンドロ様は俺の切り札なので」
「ほっ、そこまで評価してくれていたとは、嬉しいものだねえ」
この濃密な穢れの中で作業が出来る人材は、現状コアンドロ氏とシャシィしかいない。俺の評価は決して過分なものではないだろう。同意するようにシャシィも深く頷き、腕を組んだ。
「街中で穢れ祓いを使っていたのも、コアンドロさんなのでしょう? こんな状況で頑張っているのは解りますし……私は別に、コアンドロさんをどうこうしようとは思いませんよ。でも、教国部隊に見つかったらどうするんです?」
「そこは儂の自己責任ですな。我々は除染については協力関係にありますが、教国の件は儂の行為が原因なので話が別です。自分に責任があることは、自分で解決しなければおかしいでしょう」
回答に満足したのかシャシィは口元を緩め、返礼とばかりにコアンドロ氏の体内の穢れを浄化で消し飛ばす。それどころか、傷めた内臓の修復まで同時に済ませてしまった。
強烈な魔力が周囲に渦を巻いている。一瞬で爆弾解除……やはり陽術使いとしての格が違うな。最近は他人の腕を見る機会が多い所為か、自分が足踏みをしているような気分になる。
「技術も心構えも見事なんですけど、自分の体を使うのはあまり感心しませんねえ。……そういえば、フェリスさんは穢れを取り込んで魔力に変換してますよね? 正しいやり方みたいなのは無いんですか?」
「感覚的なものなので、どう伝えたら良いか解らないんですよ。汚染されて死にかけた時に、いきなり出来るようになったことなので」
むしろ邪精としての権能を、何故一般人であるコアンドロ氏が真似出来ているのか、理解に苦しむ。
「ううん、そういう経緯だと、確かに難しいかもしれませんねえ」
「どうせこの環境で作業するなら、遅いか早いかの違いでしかありません。儂のことは気にせずとも結構です」
まあそうやって限界を超えてくれるからこそ、街中の汚染はこの程度で済んでいる。どんなに無茶であっても、成果が出ているうちは止められない。
俺達にはお互いに譲れない目的がある。だから俺達は相手を尊重し、邪魔しないようにしている。
部外者であるシャシィには、解らない領域なのだろう。そのため彼女は、俺に咎めるような視線を向けた。
「フェリスさん。コアンドロさんを使い潰すつもりですか?」
「まさか。その感想には語弊がありますね」
「自分の体のことは解っていますし、儂はフェリス君に騙されている訳でもありませんよ。必要なことに全力で取り組む……当たり前のことです」
耐えることには慣れている。この程度で潰れていたら、俺達はここまで来れなかった。
その程度の自負はある。
コアンドロ氏もシャシィを前に一歩も引かず、語気を強めた。
「気遣っていただけるのはまことにありがたい話です。きっと貴女は正しい。ですが、儂は儂なりの成果を挙げないと、胸を張って国に帰れんのですよ」
「たとえそれで自分が死んでも? 意見を聞いてくれないなら、私はもうコアンドロさんを治しませんよ?」
「先の浄化で寿命が十年は伸びました。儂は実に幸運ですな」
目を細め、コアンドロ氏は這いずるように笑う。
元々、当人は治療など期待していなかったのだから、シャシィの言葉は脅しにならない。コアンドロ氏は本気で運が良かったと思っているだろう。
頭痛を堪えるようにしてシャシィはその場にへたり込むと、不満げに唇を尖らせた。
「どうも巧くいきませんねえ。教国部隊はあんなに素直なのに……どうしてフェリスさんもコアンドロさんも、こんなに強情なんでしょう」
この物言い……コアンドロ氏を気遣った訳ではなく、何か別の意図があったな? 俺達の分断でも狙ったか。
「少なくとも、コアンドロ様には命を賭けるだけの理由があるんですよ。それは余人にどうこう出来るものではありません」
「これを解ってもらえるからこそ、我々は巧くやっているのですよ。ご心配をおかけしたようですが、何卒ご容赦くだされ」
「……別に、それで街の浄化を続けられるなら、私が口出しすることじゃありませんよ。お邪魔しました」
こちらに小さく舌を出して、シャシィはその場を去っていった。思いの外穏やかに事が済んで、俺は大きく溜息を吐く。コアンドロ氏も緊張が解けたのか、肩で息をしていた。
格上からの圧に慣れている俺はさておき、コアンドロ氏は汗が酷い。
「いやあ凄まじいな、世界一位とはあんなに存在感があるのかね。こんなに緊張したのは久し振りだ、君が警戒するのもよく解る」
「でも、退かなかったじゃないですか」
「どれだけ怖くても退いてはいけない時はあるよ」
その根性だけで世界一位に立ち向かえるのだから、大したものだ。
何はともあれ、これでシャシィとコアンドロ氏の面通しは終わった。体への負荷が強いからか、それほどコアンドロ氏の技術には惹かれなかったようだし、結果としては成功だな。
「次はうちの姉を連れてきますが、シャシィほどきつくはないのでご安心ください」
「普通は誰かとの会話のために、わざわざ心構えなんてしないのだよ。あんな人間と渡り合うとは、君も随分苦労しているのだな」
シャシィの脅威を共感してくれる人が出来て、俺はとても嬉しい。
取り敢えず、コアンドロ氏がシャシィに殺される可能性は大分減っただろう。後はミル姉が来れば環境が大体整う。
さて、後は適当な物資に祝福をしなければ。
やることがまだまだ山積みで、我知らず苦笑が漏れた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。