誰だって腹は減る
教国部隊の瓦解から、一か月半が経過した。
その間にカイゼン軍部の人間が訪れたものの、コアンドロ氏の状況を伝えると、また来るとだけ告げて去っていってしまった。一人分とは思えないほど大量の物資を置いていったので、王国が奴等に圧をかけているのだろう。流石に、何の支援も行わないままではいられなかったらしい。
これによって、食料事情はだいぶ安定した。
コアンドロ氏だけでなくハルネリア達も日々死力を尽くし、成長を続けた結果、街全体の穢れは僅かながらも減少傾向にある。俺の負担はまだ大きいが、良い流れが出来つつあった。
これまでの経緯を感慨深く振り返っていると、ミーディエン殿が俺の頭を鷲掴みにして揺らした。
「何を呆けている? 手を動かせ、手を」
「ちょっとくらい喜ばせてくれよ。ようやく作業が形になってきたんだから」
「……悪かったな。作業が遅れているのは、私が部下を管理出来ていなかった所為だ」
「いや、そこはそんなに気にする必要は無い。使い物になる奴は一人か二人だろうと最初から思ってたしな。むしろ想定より居残りが多くて嬉しい限りだ」
ミーディエン殿としては甚だ不本意だろうが、この穢れを前にして怖気づかない奴の方がおかしい。連中の対応は軍人として落第でも、人間として当たり前のことではある。
本当に責められるべきは、こんな死地に人を呼び込んだ俺だろう。
「随分あっさりしているじゃないか。腹が立ったりしないのか?」
「全く? 俺だってやりたくてやってることじゃない。何回逃げ出そうと思ったか解らんし……いっそ連中が羨ましいよ」
「でもお前は逃げていないじゃないか」
それは、俺が他者より抱えているものが多かっただけで、別に褒められるような話ではない。面倒なことも怖いことも嫌いだし、どちらかと言うと俺は彼等に近い生き物だ。
ついでに、逃げていないというのも語弊がある。
「俺だって逃げる時は逃げるよ。つい最近も王国から逃げてここまで来たんだしな」
「お前が逃げる……? 何から?」
「シャシィ・カーマ」
口に出すと憂鬱になってくる。本気でやれば対処出来ない相手ではない……と思うが、迂闊に手を出すと国際問題に繋がるという点があまりに厄介だ。
事情を知らないミーディエン殿が、意外そうに眉を顰める。
「魔術師世界一位の? 王国に来ているのか?」
「王子がここの浄化のために招聘したそうだ。まあ本人は浄化ではなくて、馴染みの魔術師が何故死んだか調査に来ただけ、って話だったが」
「うん? フェリスはそれにどう絡むんだ」
「その魔術師を殺せるだけの強度の持ち主は、王国内では限られている。俺にそれだけの力量がある、とシャシィは読んだんだな」
そして、その読みが間違っていないからこその逃走である。
……あの女の性格からして、事情を知っている者に際限無く手を伸ばす可能性があるし、ミーディエン殿に詳細を伝える訳にはいかないんだよなあ。
俺の反応から、何かしらの事情があるとミーディエン殿は察したようだった。
「ふむ……シャシィ・カーマがいずれここに来ると……。界隈では気紛れな人物だと有名だし、その話を聞くと不安になるな」
「まあやる気はさておき腕は超一流の魔術師だ、相応の仕事はしてくれるだろうさ。というか、日程的にはそろそろ出発していてもおかしくない」
ダライは早ければ一か月後などと言っていたが、どうせ参加者の調整等で揉めて、日程は間違い無く後ろにずれる。あの日から大体二か月近くが経過していると考えると、そろそろ責任者が痺れを切らす頃合いだろう。
――ああ、ついにシャシィが来る。
忙しくも平穏な日々が、もうすぐ終わる――それがあまりに悲しい。
ミーディエン殿は掴んでいたままの俺の頭を離し、鼻から息を漏らした。
「フェリス、そういう大事なことはもっと早くに教えてくれ。我々は何か準備する必要があるのか?」
「まあ現状について、何か質問されたら答える程度じゃないかな? 自分達の食料くらい用意してる筈だし、作業の時にお互い協力すれば大丈夫だろう」
「そんな構えなくても、王国の人達ならまだ暫く来ませんよ?」
覚えのある声に、心臓が強く跳ねる。
振り向けばそこに、忍び笑いのシャシィが立っていた。長旅で特に汚れた様子もなく、小奇麗な恰好をしているため、彼女だけ周囲から浮いているように見える。
不覚……また気配を感じ取れなかったな。ミーディエン殿は驚き過ぎて、声も出せなくなっている。
「随分と早いお着きで。まさか一人で来たんですか?」
「ええ。使節団が戻って来たのに、いつまで経っても出発する様子が無かったので。あの人達、誰が行くかを今更決めようとしてるんですよぉ。事前に決めておけって思いません?」
遺憾ながら、その意見には同意せざるを得ない。俺が独断で動いているのは、連中と足並みを揃えていられないから、という要素も大きい。
「王国はいつもそんな感じですよ。利権が絡んだ時の貴族は煩いですからね」
「ははあ、だからフェリスさんは一人で動いてるんですねえ。教えてくれれば、私だってすぐ動きましたのに」
「そちらは国の代表としての仕事があるのでは? 俺の独断に付き合っていられる立場ではないでしょう」
性格が合わないから距離を置きたい、というのに加え、国賓を俺が勝手に使えばまた別の問題が発生する。仮にシャシィが友好的であっても、きっとその選択肢は取らなかっただろう。
ただでさえ面倒な状況なのに、更なる厄介事を追加したくはない。
シャシィは気怠そうに笑うと、足元の岩で椅子を作り腰を下ろした。
「そういう政治的なことは周りがやってくれるので、実務の面では好きに使ってくださいな。従者達だって、私に任せたらロクなことにならないって解ってますから。それに……この惨状を前にして、細かいことを気にしていられないでしょう?」
シャシィの視線の先には、穢れに霞む街並がある。
圧を感じた次の瞬間、彼女は細い腕を持ち上げると、開かれた掌から浄化を放った。門前の穢れが一発で霧散し、重苦しかった空気が軽くなる。
穢れ祓いを使っていないのに、教国部隊の倍は作業効率が良いな。本人は不満があるようだが、活躍を期待させるには充分な成果だ。
ミーディエン殿は口を大きく開けて、間の抜けた拍手を始める。
「素晴らしい……これが世界一位と名高い、シャシィ様の業ですか」
「え? ……もしかして私、煽られてます?」
「いえいえ、ご不快に思われたなら申し訳ございません。率直な感想です、敬服いたしました」
ミーディエン殿が丁寧に頭を下げると、悪意が無いと解ったのか、シャシィは唇を尖らせつつも謝罪を受け入れた。
そして、二人とも挨拶をしていなかったと気付いたらしく、不意に姿勢を正す。
「教国浄化部隊のミーディエン・カルナダ・コランと申します。部下達は今別の場所で作業中ですので、後程ご挨拶をさせていただければ」
「シャシィ・カーマと申します、ただの気紛れな魔術師です」
ああ、さっきの話を聞いていた訳だ。
ミーディエン殿が縮こまって頭を下げるので、俺はいっそ気にしない方向で堂々と応じる。
「折角浄化を見せていただいたことですし、シャシィさんにも教国の誇る穢れ祓いをお見せしておきましょうか。ミーディエン殿、魔力は?」
「今ならまだ大丈夫だ。ただ私がやるのか? お目汚しになりそうだが……」
「ミーディエン殿がやらなきゃ意味が無いよ」
挽回するなら早い方が良い。そう思い俺が促すと、ミーディエン殿は息を整えてから棒を上段に構え、魔力を込めて振り下ろした。いつもより鋭い光が穢れを切り裂き、シャシィはその結果に目を見開く。
先の浄化を超えるものではないにせよ、気持ちの入った爽快な一撃だった。
事を終え、息を荒げつつもミーディエン殿は華麗に一礼する。
「どうです? 教国部隊もやるものでしょう」
「ええ、正直侮っていました。フェリスさんはどの国の立場なんですか、とは思いましたが……ミーディエンさんは頼りになる戦力ですね。大変興味深い技術でした」
あっ、しまった、シャシィの瞳が好奇心で爛々としている。
ミーディエン殿に余計な興味を持たれるくらいなら、俺がやるべきだったかもしれない。いやしかし、俺の迂闊な愚痴の所為で、ミーディエン殿の立場を悪くしたままというのも申し訳ない話だ。
選択肢を間違った気がする。それでも、いずれは露見することだったと割り切るしかあるまい。
「お互いの手見せはこれくらいで充分ですね? シャシィさんも安全な寝床が必要でしょう、案内しますよ。ミーディエン殿はどうする?」
「私も同行しよう。そろそろ時間だ、二人が拠点に戻っているかもしれん」
俺達がそう言って支度を始めても、シャシィは黙ったまま、何かを考え込んでいた。そして、ふと気付いたように俺へ手を伸ばす。
「フェリスさん! 大変です、私、食料を持って来ていません!」
確かに、シャシィは旅装ではあるものの、鞄だとかそういった物を何も持っていない。王国の連中に呆れて見切りをつけ、何の支度もしないまま飛び出してきたのだろう。
俺がどうにかする筈だ、という謎の信頼感が透けている。急な疲労感が俺の身を包んだ。
「頑張って働きますから、食べ物を恵んでください」
「……うん、解りました。シャシィさんの分の食料もあるので、移動しましょう」
そう返すとシャシィは朗らかに笑い、小さく腹を鳴らした。
今回はここまで。
来週は休日出勤のためお休みです。
ご覧いただきありがとうございました。