うまくいかない
明けて翌日。
門が見える安全な位置から街を確認してもらったところ、魔術強度の高い連中は皆声を失っていた。中年の男が腰を抜かして這いずるように距離を取り、一人、また一人とそれに倣って後退りを始める。
少しも怯まずその場に踏み留まっていたのは、穢れをはっきり視認出来ないハルネリアだけだった。
「なあ、フェリス。何か……靄がかかっているようには見えるんだが、そんなに酷い状況なのか?」
「お仲間が泣きそうになる程度にはな。ただまあ心配するな、汚染されても治療は出来るから、お前は思い切ってやれば良い。ほら、あそこに樹が一本立ってるだろ? あの辺はまだ大丈夫だから、まずはあそこまで行こう」
近づく気力の無い連中を連れて行っても、単に気の毒なだけだ。脱落者が出ることは想定通り。まともに動ける人間が一人いるだけでも、僥倖と言うべきだろう。
ハルネリアと共に前へ出ると、ミーディエン殿の指が俺の肩に食い込んだ。
「待て、落ち着け! フェリス、本気であの中に行くつもりか!?」
「あの位置なら充分距離があるし、安全だって解るだろ? そんなに心配なら、これでどうだ?」
俺は穢れ祓いを連射し、目に見える範囲の汚染を一気に除去する。そこまでやって、ようやくミーディエン殿は手を緩めてくれた。
振り返ると、その表情は驚愕に染まっている。
「魔術式の穢れ祓いを、お前が何故使える……?」
「教国へ行った時に覚えたんだよ。自衛は出来るし、ハルネリアのことは見ておくから、無理せずここで休んでいたらどうだ?」
俺の発言が癇に障ったのか、ミーディエン殿は震える膝を抑えてどうにか立ち上がった。ハナッサ殿も、街を睨むようにして両手を構え、術を待機状態にしている。
……他の面子はすっかり折れているな。それでも十人いて、三人戦えるなら期待以上ではある。
俺は緩みそうになる口元を隠しながら、ハルネリア達と共に目印となる樹の所へ進んだ。
「さて、魔力は回復しているようだし、自力で穢れ祓いを撃てるな?」
「ハナッサはさておき、私とハルネリアは数を撃てないぞ」
「今は回数を気にする必要は無い。まずは鍛錬だと思って、手近な穢れを除去することから始めるんだ。ハナッサ殿は陽術で自分を覆えば、もっと活動範囲が広がりますよ」
この環境で頑張れるなら、嫌でも魔力量は増える。諦めさえしなければ、やがて街中へ入れるようにもなるだろう。
「フェリス殿はどうされるのです?」
「三人がここで慣らしをしている間は、上で作業をしましょうかね。周辺の汚染範囲が変わっていないか確認しつつ、空から穢れ祓いを撃ち続けますよ」
「そうですか。……あともう一点教えてください。魔術式を使えるようになったのはいつですか?」
うん? 視線に嫉妬がある?
問い詰められたところで、俺の穢れ祓いは単に与えられただけの、努力を伴わないものだ。ハナッサ殿の今までの奮闘が消える訳でもないのだから、そんなことを気にしても仕方あるまいに。
「国境沿いでハナッサ殿と別れた後ですよ。まあこれは私に才があるのではなく、偶然が積み重なった結果です。何せ陽術なんてまともに使えませんからね」
「それを聞いて安心しました。本職として、必ず貴方に追いついて見せます」
期待してますよ。心から。
宣言に敵意は無かった。代わりに、いつになく気合が感じられる。これなら本当に大丈夫だろう。
俺は一礼してヴィヌスを呼び寄せると、背に飛び乗って一気に上空へと昇った。眼下を見下ろせば、三人は早速穢れ祓いを放ち、難関に挑んでいた。
ハルネリアが既に意識を失いつつあるが、まあ最初はあんなものかな。軍人なのだから、自分を虐めることには慣れている筈だ。あそこまで頑張ってくれる、というだけで頼もしい。
俺は現状に満足して、穢れ祓いを撒き散らしながら空を大きく旋回した。
人数がいるお陰で、いつになく穢れの除去が進んでいる。あと数十分で萎む勢いだとしても、ようやく形になってきたという喜びが実感出来る。
さて、とはいえ教国が到着した以上、コアンドロ氏は今までのように動き回れなくなると確定している。すぐに逃げられるよう、まずは警告をしなければなるまい。
街中に目を凝らせば、広場の近くで休憩を取る彼の姿が見えた。俺はヴィヌスを空に待機させたまま、近場の家の屋根へと飛び降りる。
「コアンドロ様、教国の面々が到着しました」
「おや、首都からは結構な距離があるのに、頑張ったものだね。連中はどんな様子だった?」
「穢れを前にして、心が折れなかったのが三人ですね。魔術師はそのうち一人だけなので、街中での作業は当分先でしょうが……」
「ははは、かといって油断は出来んな。遠征部隊に選ばれるとは、国にとって上澄みの人間であるという証明だ。教国のような現場主義では猶更そうだろう」
過度に警戒している訳でも、気を抜いている訳でもなく、コアンドロ氏は自然体のまま事態に備えている。元軍人なだけあって、同業のことがよく解っている――いや、自分が成長した以上、他人もそうなる可能性は高いと見ているのかもしれない。
周囲に溶け込むようすぐさま気配を殺した点も含め、本当に有能だ。
「取り敢えず、こちらは特に作業を変えずに外周を回るつもりですが、コアンドロ様はどうします?」
「儂は……門から離れた場所で作業した方が良いだろうな。連中が近づいてきたら、倉庫側から隠し通路へ逃げよう」
倉庫側と水場側のどちらの経路であれ、逃げられるならそれで良い。分岐はそれなりに複雑なので、距離さえあれば追手は撒けるだろう。祭壇への道は穢れで塞がれているし、俺以外にはどうせ使えない。
あの三人が街中へ入るには少なくとも一月はかかりそうだが……そこから先はコアンドロ氏の運次第だ。
「畏まりました、食事はなるべく定期的に届けます。暫く門外には出られないので、そこは我慢してください」
「なあに、それくらい我慢のうちにも入らんさ。ただ、カイゼンの人間に出会ったら対応を頼むよ。教国の人間が来ていると先方もすぐに解るだろうし、指名手配の件も素直に言ってくれて構わんのでな」
それを言ってしまったら、ただでさえ厳しいコアンドロ氏の立場が、より悪くならないだろうか?
「先方がそれを理由に、教国と組んだらどうするつもりです?」
犯罪者の逮捕に協力する、と言われたら俺にはどうしようもない。
しかし、コアンドロ氏は意味深に目を細め、顎を撫でながら笑った。
「食料の提供を止める程度の嫌がらせはあるかもしれんが、好きにさせておきたまえ。任務を放棄しなければ、カーミンに手は出せない。そういう取り決めになっているのだよ」
言葉の端々から不吉な雰囲気が漂っている。
ううむ……コアンドロ氏と軍部の遣り取りがどうなっているのか、さっぱり解らんな。とはいえこれだけの自信を示すのだから、相応の仕込みはあるのだろう。
工国軍部は優位に立っているように見えて、かなり危うい橋を渡っている、という気がした。
「詳細については聞かないでおきましょう。今日の食事は先に渡しておきますね」
「いただこう。そちらも無理をしないようにな」
コアンドロ氏は立ち上がると、体を伸ばしてから作業を再開する。俺は念のため彼の体内から穢れを除去し、そのまま空へと戻った。
俺もそろそろ働こう。
ヴィヌスに乗って穢れ祓いを撃っていると、ハルネリア達が魔力を使い切ってへたり込んでいるのが見える。門付近の汚染範囲は小さくなっており、彼等の努力の成果が表れていた。
しかし、それは良いとして――穢れに怖気づいた連中が、各々好き勝手に散らばって前線を離脱している。やる気が無い者が消えても止めはしないが、物資の持ち逃げは困るんだよな。
思わず溜息が出た。
当たり前のことながら、人が増えると問題も増える。俺はすぐさま門前へ移動し、休憩を取るミーディエン殿へ声をかけた。
「休んでるところすまん、アイツ等放って置いて大丈夫か?」
「大丈夫な訳があるか。ただ、我々も今の状態では追いかけられん。……たとえ無様でも生き残ることを第一に考えろ、と教えたのは他ならぬ私だから、責める訳にもいかんしな」
いや、それは上官からの命令に当たるのだろうか? それよりも、現場からの逃亡で処分されるのが先ではないか、と俺なんかは思うのだが。
……仕方無い。お節介であっても、この三人まで潰れるのは避けるべきだ。
「解った、なら連中については好きにさせよう。しかし、ミーディエン殿達が持って来た物資は別だ。あれは作戦のためにあるのだから、俺がこちらに動かして、改めて三人に分配しても構わないな?」
たとえそれで連中が餓死しても、俺は斟酌しない。そういう意味を込めて念押しすると、ミーディエン殿は少しだけ悩んで頷いた。
「フェリスの言う通り、あれは作戦行動のための物資であって、逃亡兵が好きにして良いものではない。……迷惑をかけて申し訳ないが、回収をお願い出来るか?」
「気にするな、こういう時は助け合うものだよ」
ミーディエン殿は力無く笑い、俺に頭を下げる。彼等を殺さないでやってくれ、という意図が透けて見えた。
まあ実際のところ、道中には村があったし、連中が死ぬ可能性はかなり低い。だからこそ、ミーディエン殿も俺の提案に頷いたのだろう。俺としても、彼女が許すなら敢えて手を下そうとまでは考えていない。
裏切られたというのに、出来た人間だ。部下に恵まれていないという点だけが惜しまれる。
後のことはハルネリアとハナッサ殿に任せ、俺は早速拠点へ向かう。眼下で駆け回る逃亡兵達が、表情の割に気楽に思え、やけに煩わしかった。
今回はここまで。
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