頼れる男
人間の生活圏に影響しないようにするなら、どのように水路を引くべきか。どれだけの距離があれば、祭壇の吸引力を振り切れるのか。そんなことを調査しているうちに、かなりの日数が経過していた。コアンドロ氏も修練によって実力を伸ばし、今や一人で街中の作業をこなせるまで成長している。
現状を必死で維持しているだけではあるにせよ、成果としては悪くない。ただ、これでは決め手を欠いているのも事実だ。
打開策を求めて俺は上空から汚染地区を見下ろし、魔核を使って周辺の模型を作る。河沿いにある船着き場を邪魔に思いつつ、広範囲に穢れ祓いをばら撒いた。
……そろそろ日が暮れるな。
作業を中断し、傾いてきた日に目を細める。そこで、遥か彼方からこちらへ向かって来る集団を発見した。
あまりに距離があってはっきりとは見えないが、あれはどうやら教国の面々だ。少なくとも、何人かの知った気配を感じる。ただその中に、休職中である筈のハナッサ殿がいるのは一体どうしたことだ。まさか無理矢理連れて来た訳じゃないだろうな?
取り敢えず、呼びつけた俺が対応しない訳にはいかない。
すぐさまヴィヌスの背を叩き、彼等の元へ向かって空を駆ける。急接近する大きな影に一同は動揺を見せたものの、正体が俺と気付いて胸を撫で下ろしていた。
俺は彼等の近くに着陸し、片手を挙げる。ミーディエン殿も手を挙げて応じ、ハルネリアは小さく会釈をしていた。ハナッサ殿の表情は変わらない。
「遠路遥々お疲れ様。この部隊の責任者は……ミーディエン殿になるのかな?」
「ああ、私だ。出迎えご苦労。フェリスがここにいるということは、目的地にはそろそろ近いのか?」
「徒歩だと急いでもあと二時間はかかるだろうね。もうちょっと先に進めば水場があるから、まずはそこに案内するよ。どうせ現地に休める場所は無いしな」
ヴィヌスに乗って、彼等を汚染されていない安全な場所へと誘導する。拠点として推薦した場所は林の奥なので日当たりは悪いが、風もあまり入らないし寝る分には問題無いだろう。
一同は疲れ切った様子で荷物を放り投げると、すぐさまその場に腰を下ろした。そのうちの数名は這い蹲って、沢の水を直接飲み始めている。煮沸もせずにいきなり口をつける辺り、余程喉が渇いていたらしい。
「水術を使える奴はいないのか?」
「いない訳ではないんだが、基本的には陽術使いの集まりだからな。腹を壊したら自力で治した方が早い」
「陽術ってそういうもんだったか……? 魔力を無駄にし過ぎだろう」
今日はもう休むのだとしても、本番前の浪費はあまり感心しない。その点、ハナッサ殿は穢れ祓いを撃てる程度の余力を残しており、周囲とは面構えが違っていた。
やはり死線を潜り抜けてきた人間には安定感がある。備えが出来ている人間は……ミーディエン殿とハナッサ殿の二人だけだな。ハルネリアはそもそもの魔力が少ない所為で、今は機能しそうにない。
まあ、アイツは体力があるから放って置いても大丈夫だろう。むしろ気になるのはハナッサ殿の方だ。
「ハナッサ殿は、体調に問題はありませんか?」
「お陰様で治りました。先日は醜態をお見せして、大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる様子は自然なものに見える。内心でどう考えているかは解らないにせよ、体裁を取り繕えるくらいには回復している――としておこう。
本人が治ったと言うなら、敢えて追及はすまい。
「こちらこそ、ご足労をおかけして申し訳ございません。もう少し良い場所を提供したいところなのですが、如何せん街の近くでは汚染が酷くゆっくり休めないものでして。多少の距離を我慢してでも、拠点はここに作ることをお勧めしますよ」
「先程、現地まで二時間と言いましたよね。街は一体どうなっているのです?」
「街は全体が穢れに沈んでいて、周囲の土地にも影響が広まりつつありますね。定期的に穢れ祓いを撃ってはいますが、流入してくる穢れが多く手が足りない状況です」
ハナッサ殿はそこで眉を顰め、指先を口に当てる。まあ当たり前の疑問があるよな。
「流入? 何故そんなことに?」
「元々この地には、穢れを一か所に集め浄化する術式が刻まれていました。しかし、ある時点で何よりも重要である浄化の術式が破損してしまった。今回の問題はそこに起因しています」
「……そのような術式があったのですか。羨ましい話ではありますが、今回のような事態を考えると恐ろしくもありますね」
「穢れへの対策というものは世界各地に点在していて、教国で発生する祝福もその一種ですよ。私には術式が地中にある、というくらいしか解りませんでしたが」
既に承知している内容ではあろうが、改めてこう言っておけば、下手に地中を掘り返そうとは思わないだろう。
機能の喪失だけは絶対に避けたいものの、術式の解析だけならむしろやってほしい――となれば、これくらいが落しどころだ。
俺達の会話を聞いて、ミーディエン殿がすかさず口を挟む。
「待て、フェリスにはそこまで解っていたのか? 私は何も報告を受けていないぞ」
「んん? 俺はハルネリアの目の前で、地面を調べて祝福の発生条件を解析したんだ。なら、地中に何かあると想像がつくだろうに」
そして話が通っていたからこそ、教主との遣り取りは簡潔に済ませられた筈だ。何故話が通っていないのか、一瞬疑問が過ったものの、すぐさま答えを察する。
多分、あちらも俺と同じ懸念を抱いているんだな。
「ミーディエン殿が聞いていないなら、まあこの話は忘れてくれ。教主としては術式を解析するより、保存することを選んだんだろう」
「危惧するところは解らんでもない。ただ、上も我々をもっと信頼してほしいところだ」
「俺が説明したと思い込んでいたのかもしれないし、実際のところは解らんよ? 悪意があってのことではないんじゃないか」
不満げなミーディエン殿を宥めていると、休んでいたハルネリアが不意に顔を上げた。
「いや、それは私が詳細を伏せたからだ。祝福の発生条件については報告すべきだが、術式の有無については判断が出来なかったからな」
いや、それは普通に報告して……ああ、違うな。俺の所為か。
俺は発見をハルネリアの手柄にするべきだと主張したが、魔術師でもないハルネリアに術式の存在を感知出来る筈がない。変な言い訳が出来ない人間に対して、その辺を巧くやれと言うのは無理があったのだ。
目線でハルネリアに詫びつつ、反射的に怒声を浴びせようとしたミーディエン殿を慌てて制する。手を引いて集団から離れたところへ連れ出しても、まだ彼女は興奮していた。
「国の大事だというのに、アイツは何を考えているんだ!」
「ハルネリアを責めないでやってくれ、あれは完全に俺が悪い。俺が情報の出し方に条件をつけたから、アイツもどうしたら良いかよく解らなくなったんだろう」
「フェリスが? ……お前、ハルネリアに何を言った」
こちらの首根っこを掴み、口付けるような距離でミーディエン殿が囁く。俺は相手の口を遠ざけるようにしながら、誤魔化さずに答える。
「俺は教国で身を立てるつもりは無かったんで、代わりにハルネリアが、この報告を利用して出世すれば良いと提案したんだ。責任感のある奴こそ上に立つべきだろう? でも今思うと、アイツはそういう器用なことが出来る手合いではなかったんだな」
「……チッ、余計なことをしてくれたな。確かに私もアイツの方が、隊長として向いてるんじゃないかと思う時があるよ。ただ教国では穢れに対処出来ない人間に、現場の管理を任せる訳にはいかんのだ」
「うん、だから穢れ祓いをくれてやったんだよ。対処法さえあれば、後は本人の努力次第だろう? それに、アイツが下にいるより横にいてくれた方が、ミーディエン殿だって楽になるんじゃないのか」
反論には一定の説得力があったらしく、ミーディエン殿は不承不承身を引いてくれた。この反応からすると、どうやら彼女もハルネリアには期するところがあるらしい。
俺だってハルネリアに軍人殺しの件を取りなしてもらった恩があるし、何よりアイツを気に入っている。だから協力は惜しまない。
この件に関して、俺達がいがみ合う必要は無い筈だ。
「現地に着けば解るが、街の浄化を続けていれば嫌でも実力は伸びる。危ないと感じたら俺も援護はするし、お咎めは勘弁してやってくれないか」
「そこまで言うなら処分は保留してやってもいいが……お前がそんなに過保護なのは意外だな。ハルネリアはそんなに頼りないか?」
「いいや? こういうのは後で気兼ねなく頼るために、先んじておくのが良いんだ。打算があってやってることだよ」
率直に返してやると、ミーディエン殿は何も言わず、やがて僅かに苦笑を覗かせた。そうして、何処か上機嫌な様子で隊員達の元へと戻っていく。
……過保護なのはどっちかね。
俺は強く掴まれた首を癒しつつ、溜息を漏らす。
ハルネリアにしろハナッサ殿にしろ、自分がミーディエン殿に守られていると気付いているのだろうか? 口調や態度がぶっきらぼうだから、周囲にはその優しさが理解され難いかもしれない。
祭壇を任せるなら、ミーディエン殿もありだな。
勝手なことを考えていると、ヴィヌスが遠くで退屈そうに欠伸をした。俺は再び溜息を吐いて、食べられそうな野草を集めることにした。
今回はここまで。
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