用事を済ませる
殺気が無かったとはいえ、背後を取られるとは不覚だった。シャシィは魔力制御が巧みなため、脅威がなかなか伝わってこない。
厄介に思ってダライへ視線を遣ると、この男は特に叱責もせず彼女を席に着かせ、自身は嘆息と共にそのまま退席した。
――あの野郎逃げやがった!
まさかの対応に唖然としてしまう。
「あら? ……王子様は行っちゃいましたね、もしかしてお邪魔でした?」
「いやまあ、話は大体終わっていましたがね。王子には後で結果を報告しましょう」
「なら今日はゆっくりお話が出来ますねえ!」
両手を合わせ、シャシィは花のように笑う。見た目だけなら可憐だが、その裏にある狂気は隠し切れていない。細く伸びた魔力の糸が俺の首に絡みつき、いつでも切断出来るよう静かに力を溜めている。
「結局、フェリスさんは浄化部隊に参加していただけるんですか?」
「いいえ、俺は単独で動きます。とはいえ現地でやる仕事はありますので、機会があればご一緒することもあるでしょう」
行かないという選択肢は無いし、シャシィが来ないなんてこともあり得ない。不本意ながら、決定事項は素直に話した方が得だろう。
ただこの返答はお気に召さなかったようで、皮膚へ一筋切れ目が走った。
「そんなつれないことを言わないで、一緒に行きましょうよぉ。その方が、道中沢山お話出来るじゃないですか」
「浄化部隊のためにも、ある程度安全を確保しておく必要があるんですよ。貴女が想像する以上に、あの街は穢れに満ちています。油断しているとすぐに汚染されますよ」
「現地に行って確かめたんですよね? フェリスさんは無事に戻ったじゃないですか」
「穢れを消し切れないと判断して、撤退しましたからね。……正直、使節団なんて待っていられません。もう時間が無いんですよ」
首から滴る液体の量が増えていく。俺は表情を変えず、机の下でそのまま体内へ血を戻す。
……なんだ、こんなもんか。
苛立ちが勝っているのか、相手の底は見えていないのに、まるで恐怖を感じない。それどころか、シャシィに対する敬意を失っている自分に気が付いた。
どれだけ優れた魔術師であろうと、人を脅して従えようとする魂胆が気に入らない。だから彼女には従えない。
「話がそれだけであれば、俺はもう失礼しますよ。やるべきことが沢山あるのでね」
「ふうん? 命を賭けてまで頑張るようなことなんですか?」
「そんなもの、賭けた覚えはありませんね」
一瞬だけ首を液状化させ、勢いをつけて体を後ろへ反らすと、それだけで魔力の糸はあっさり外れた。後は勿体ぶった素振りで傷を撫でれば、全ては元通りだ。
技術もあるし強度もあるが、この程度なら対処は難しくない。今の俺を殺したいなら、骨も残らないほどの高温で蒸発させるしかないだろう。
シャシィは不意に感触を失った指先を擦り、不審げに俺を見詰めた。
「糸は切れていない……体内を通った手応えもあったのに……どうやったんです?」
「さてね、ご自身で外したんじゃないんですか? ここで俺を殺したら、真相が解らなくなりますし」
こちらの軽口に応じず、シャシィは何やら口中で呟いて自分の世界へ入ってしまった。放置してこの場を去ろうとすると、細い指が俺の服を掴む。
鬱陶しい。
手を振り払って扉を目指せば、今度は視界全てを埋め尽くすように、糸が張り巡らされた。
「……芸が無いですね」
同じ業を何度も使い過ぎだ、こんなものはもう見飽きてしまった。
既に解析は済んでいる――嘆息してシャシィの魔術へと手を突っ込み、中心となる箇所を断ち切った。絡まった糸が解れ、空気中へ散っていく。
呆気に取られた後、シャシィは喜色を浮かべて俺の背に飛びついてきた。
「……凄い……凄い凄い! 素晴らしい! フェリスさん、これだけの腕を持ちながら、今まで何処に隠れていたんですか!?」
「別に隠れちゃいませんよ。表に出るような仕事が無かっただけです」
「ご謙遜を。……上位存在とやらに教えを乞えば、私もそうなれますかね?」
チッ、聞かれていたか。
知られたところでどうなる話でもないが、相手がシャシィというのが心底鬱陶しい。これ以上余計な好奇心を発揮されると、いつまで経っても話が終わらなくなってしまう。
「あれは人と会話をするようなものではありませんし、魔術とは関係ありませんよ。人間の業を支えるのは、あくまで本人の修練と才覚です」
「でもその存在なくして、フェリスさんの腕は磨かれなかったのではありませんか? 私も是非お会いしたいものですねえ」
「会えるものではありません。各地に存在の痕跡が残っているだけで、俺はただそれを追っているに過ぎないのですから」
「じゃあ私がそれに触れても構いませんね? お話を聞く限り、フェリスさんの所有物という訳ではないようですし」
そうして何も知らない人間が勝手をした所為で、河守も街も滅ぶことになったのだ。興味本位で動くシャシィに祭壇を狙われたら、どう使われるか解ったものではない。
反論を続けようにも全力で身体強化を使っているのか、回された腕は一向に外れなかった。それどころか締め上げる力が増していき、骨が軋みを上げる。液状化を何度も見せたくはないし、こうなれば俺も反撃するしかない。
なんて無意味な時間だ。国の来賓ということで我慢しているが、もう殺しても良いだろうか?
ああ――頂点に立つ人間ってのは、我が侭でも許されるもんなあ。自由で羨ましいもんだ。
深呼吸して覚悟を決める。
膝を曲げて腰を落とし、踵でシャシィの爪先を踏み抜く。相手が反射的に足を引いた瞬間、体を前後に揺すって重心を乱し、そのまま矮躯を投げ飛ばしてやった。
床に叩きつけられた姿勢のまま、シャシィは背を打った苦痛に呻く。俺が暴れると想定していなかったのか、受け身を取れなかったらしい。
恐らく、シャシィは危険な状況に陥った経験が無いのだろう。遠距離から敵を一方的に、かつ一瞬で仕留められるのだから当然だ。だから、力が強くなっても体重は変わらない、なんて基本が解らない。
俺はシャシィの上に馬乗りになり、顔を掴んで掌に魔力を集める。この期に及んでまだ危機感が追いつかないのか、その表情は恐怖よりも驚きで染まっていた。
「フェリス、止めなさい!」
仕留めるまさに寸前で、横合いからの光弾が俺の左腕を撃ち砕く。顔を上げると、こちらに魔術を放った格好のまま、ミル姉が息を荒げていた。
ようやく来てくれたか。
気配には気付いていたし、制止が間に合うと思ってやったことではあるが……相変わらず足が遅いため、少しわざとらしい動作になってしまった。事を焦ってしまった辺り、どうやら俺には演技力が無い。
「今すぐ彼女から離れなさい」
「ご随意に」
折れた骨を修復しながら、俺は立ち上がって全員と距離を取る。息が詰まるのか、シャシィは頬を紅潮させたままこちらを見上げていた。
ミル姉はすぐさまシャシィを抱き起すと、背に陽術を流し込んで痛みを軽減させている。
「……で、どういう状況?」
「どうって……急に襲われたんでやり返しただけだよ」
本当にそうとしか言い様が無い。仮にシャシィにとっては戯れだったとしても、被害者であるこちらはそれなりの対処をする必要があった。
たとえ今後の立場が悪くなったとしても、放置すれば命に関わる存在を前に手は抜けない。単純な判断だ。
ミル姉は舌打ちをすると、シャシィのこめかみを叩いて即座に気絶させた。
「アンタねえ、外とかもうちょっと人気の無い場所でやりなさいよ。城の中で暴れられると、誤魔化しようがないじゃない」
「俺から仕掛けた訳じゃないんだ、仕方無いだろう。で、そっちは結局、ダライの策に乗ることにしたのか?」
「シャシィを抑える役割が必要だし、参加はするつもりなんだけど……アンタが普通に勝てるなら要らなかったかしら?」
「馬鹿言うな、まぐれがたまたま一発目に来たに過ぎないよ。次はこんな油断してくれない」
だから正直、浄化の役割を果たしてほしいと願う反面、ここで確実に殺しておきたいという想いもある。心変わりを期待出来る相手でもないし、悩ましいところだ。
……取り敢えず、対処が不可能ではないと解っただけマシ、としておくべきかな。いざという時は、人目の無い国境沿いで殺るのが正解だろう。
さて、シャシィが寝ている間に撤退しなければ。
「面倒かけてすまんが、後始末は任せるよ。俺はこれから現地へ飛ぶ」
「軽く言ってくれるわね。まあどうせ官僚の連中もシャシィが負けるなんて想定する訳がないし、事は公にならないでしょう。……でももし、アンタに処分が下ったとしたら、あまり庇えないかもよ」
「別に構わんさ。俺よりも、領地にとって利があるように動いてくれ。必要な処分なら受けるし、理不尽だと思ったら抵抗するだけだからな」
王国に残っている面子の中で、俺に及ぶ者はまずいないだろう。及びそうな強者は基本的にクロゥレンの縁者だし、穏便に済ませることは難しくない。ミル姉もそれに気付いているため、ひっそりとした苦笑を覗かせていた。
「じゃ、行ってくるよ。また現地で」
「ええ」
部屋を出る前に俺はミル姉へ歩み寄り、腰に提げた短剣をそっと祝福する。忙しくて忘れそうになっていたが、これだけは済ませておかないと、合流出来なかった時に問題が出てしまう。
これで用事は終わった筈だ。敢えて説明はせずとも、何をしたかは察してくれるだろう。
手を振って別れ、廊下に人気が無いことを確認し、一気に地下へと走る。
問題を先送りした感はあるにせよ、後は自分の仕事に集中しよう。
本章はこれにて終了。
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