肝を冷やす
誤字脱字の指摘、非常に助かっております。
まことにありがとうございます。
教国を発ち、ダライとの会談の前にまずは特区へ。道中で買い込んだ食料をジャーク達に提供し、ついでにヴィヌスを預かってもらうことにした。龍の巨躯は目立ってしまうため、隠密行動には向かない。
ヴィヌスは特に不満を漏らすこともなく、すぐに身を丸めて眠ってしまった。最近あちこちを飛んでいたので、疲れていたのかもしれない。俺もそれに倣って精霊達のところで一泊し、英気を養ってから王国中央まで歩みを進めた。
そして、都市部の壁が見えてきたところで、俺は思わず顔を顰める。
シャシィ達はまだ出発していなかったようで、残念ながら結界は街を包んだままだ。俺は已むを得ないと判断し、本気で気配を殺して街へ侵入する。地精から貰った力を利用して大地と一体化し、精気の及ぶ範囲へと自在に体を移動させる――教わったばかりの技術は早速役に立ってくれた。
どうやって地精は出たり消えたりしているのか疑問だったが、なるほどこれは便利だ。何回か繰り返すだけで、あっさりと城の地下へ到着した。
……結界の挙動に変わりは無い。どうやら気付かれてはいないようだ。階段を駆け上がり、記憶を頼りに執務室へ忍び込むと、仏頂面のダライが書類を睨んでいた。
「よう」
「ッ!? ……なんだお前か。用があるなら先触れくらい出せ」
「シャシィに目をつけられたんで、そうもいかないんだよ。どうも彼女はラ・レイ師の死因を探ってるらしくてな」
「ふむ? 素直に王国へ来たと思ったら、そんな裏があったのか。まあ立ち話もなんだ、そこに座れ」
空いている椅子に腰かけると、ダライは手ずから茶を淹れて俺に供した。旨味の濃い、目が覚めるような渋い茶だ。そのまま流れるような所作で菓子を勧められたので、こちらも素直に口にする。
べったりと舌に張り付くような強烈な甘さだが、茶と一緒だと丁度良い。強いて言うなら干し柿に近いか。
「何だこれ?」
「エジスの実を陰干ししたものだそうだ。貰い物だが、なかなか減らなくてな。欲しければ持って行っても構わん」
俺はさておきミル姉が好みそうなので、包みを幾つかいただくことにした。そうして暫しの間、お互い無言で菓子を齧る。やがて痺れを切らしたダライが、書類を脇へ寄せて溜息を漏らした。
「……茶を啜りに来た訳でもあるまい、何の用だ」
「情報提供と現状確認、かな。教国に派遣した使節団とは別に、国境沿いへ部隊を出すんだろう?」
「別ではないな、使節団は間もなく帰国する。今集めている人材は、使節団の一部と共に国境沿いへ向かうことになる予定だ。早くて一か月後になるだろう」
使節団の面子が増えたところで何の足しにもならないのに、随分と悠長なことだ。この様子だと、恐らくダライは現場を調査出来ていないな。
……教国の単独行動は美味しいが、その分彼等に負担を強いることになる。穢れ祓いを回収した段階で、王国が到着するよう調整したいところだ。
「ある程度準備を済ませておいて、すぐ出発出来るようにした方が良いぞ。一か月も待っていたら、穢れが街を超えて溢れ出すかもしれない」
「現場の状況を把握しているのか?」
「ああ、ちょっと前に様子見がてら行って来たよ。俺では手に負えなさそうだったんで、教国の知人にも確認を依頼しておいた。専門家の目の方が確かだろうし」
「ふむ。お前が手に負えないと判断したなら、相当だな。手を打ってくれたのはありがたい話ではあるが……情報は流してもらえるのか?」
流石にこの状況下で、俺の独断を咎める真似はしないらしい。政治的な手腕は確かなのに、どうしてコイツは自分に関してだけ頭がおかしいんだろう。
本当にそれだけが惜しまれる。
「事態の解決までは難しいだろうし、部隊が到着したら引継ぎをして撤退するんじゃないか。心配ならこっちからも連携するよう頼んでおく。ああ、現場の物資は好きに使っても構わんよな? 民家にある薪を勝手に使ってしまったが」
「持っていく荷物を増やすだけ手間だ、それくらいは好きにしろ。工国側にも一応通達はしておく」
「その辺の手配は頼んだ。……そういや、当の工国はどうしてるんだ? 国境沿いだから王国が協力するのは不自然ではないが、あの街は大部分が工国の管理下だよな?」
工国はあそこを流刑地にしているという以外、何もしていないように見える。他国の領土なのに、問題解決の主体が王国になるというのもおかしな話だ。むしろあちらが率先して動くべき案件だろう。
ダライは口の端を歪め、茶を一息に飲み干した。
「工国政府は動かんよ。避難した民が汚染されていたようで、その対処で手一杯だという回答があった。資金も人員も物資も、何一つ提供する気は無いそうだ」
「は? ふざけてるのか? 面倒事を放り出しておいて、王国に何の旨味も無いじゃないか」
「いや、状況が解決したらあの土地には軍を派遣して、全域を実効支配する手筈になっている。放棄された土地をどう利用しようとこちらの勝手だ、力づくで相手を叩き伏せてでも文句は言わせない」
口調は淡々としているのに、ダライの目には確かな愉悦が浮かんでいる。
内戦でも軍を動かさなかったのに、今回は彼等を動かすのか。戦争自体は褒められたことではないにせよ、武家の面々は腕前を見せられず退屈しているし、愚かな相手に立場を理解させる意味では好機なのかもしれない。
豊富な水源を持つあの街は、交易以外の面でも要所となる。手柄を立てれば褒章が得られるとなれば、躍起になる貴族は幾らでもいるだろう。
なるほど……街の浄化ではなく、ブライに踊らされた連中をまとめるのが本当の目的という訳だ。
「王国の土地が含まれているとはいえ、それだけで浄化を引き受ける理由にはならんか」
「こちらも慈善事業ではないのでな、見返りの無い仕事は出来ん。ともあれ私は私の利で動くのだから、お前はお前で好きに動けば良いさ。何なら事態が解決したら、お前が新しい領主になるか?」
「俺が領主? 武家に反発の理由を与えるだけだ、ますますもって正気を疑うね」
「反発を抑えるくらいなら、こちらで引き受けても良いぞ。お前ほどあの街のため尽力している者はいない。何の思い入れがあるのか知らんが、労力に見合った対価ではあろう。どうせ浄化が終わったとて、すぐに人が集まる土地ではないしな」
反射的に否定するのを止め、少し立ち止まって考えてみる。
ダライから褒章を与えられるという悪寒の走る未来はさておき、祭壇のある土地を自力で管理出来るという点は大きい。むしろ新しい領主が土地を暴いていった結果、祭壇を発見されてしまうと弊害が発生する。
また仕事の追加だ。誰が管理するにせよ、祭壇へ至る通路を塞がなくてはならない。
「ふむ、顔色が変わったな。お前でも土地という褒章は惜しいか? それとも……上位存在とやらがそんなに恐ろしいのか」
勿体ぶった口調に、思わず身が硬直する。
……何故ダライがそれを……ああそうか、ラ・レイ師と戦った時、相手が口にしていたものな。国に縛られない人間が何を求めて活動するのか、怪しい単語は察するための材料として充分だ。
ただ、こちらを挑発したかったのだとしても、それは巧い交渉とは言えない。何処か勝ち誇った様子の相手に、俺は皮肉で応じる。
「別に恐ろしくはないさ。その証拠に、街が一つ沈む程度で済んでいるだろう?」
「人はそれを脅威と呼ぶのだ。素直に白状するのは意外だったが……全く、このままでは街どころか国が沈みかねんな。あの土地を誰なら任せられるのか、それともお前が自分で管理するのか、本気で考えておけ」
実績の無い小僧に要地を任せる――ダライは冗談で言っている訳ではないようだ。
自身の仕事の後任も決まっていないのに、領地の運営が出来る人間なんて手配出来る訳がない。しかし、祭壇と領地を両方管理出来なければ、あの土地は立ち行かないだろう。少なくとも、穢れ祓いを扱えるだけの魔力量は必須だ。
――待て、本気で俺以外の適任がいないのでは?
眩暈のするような現実に、膝から崩れそうになる。こうなるといっそ、本気でこの提案を呑むべきだろうか?
「……たとえ領主になったとしても、俺は国に従わないぞ。領民を募る気も無い」
「だとしても穢れによる死者が減るのなら、悪い取引ではないな。ただまあ、お前の視点は独特過ぎて、他の貴族から共感され難いものではあるだろう。前途は厳しいものになるだろうし、こちらも無理強いはせんよ」
取り敢えず、今すぐ結論が出る問題ではないため、俺は回答を保留した。深く突っ込んでくることもなく、ダライは素直に折れる。
……俺にとって都合の良い展開ではあるものの、こうも従順にされると気味が悪い。
「お前、死にたがりの癖に何の意図があって国を憂う? ここまで事が大きくなったのに、投げ出さないというのが理解出来ん」
「おかしいかね? ブライの一件で、私も反省するところがあったのだよ。真っ当な政治をしていた方が、それだけ強大な敵が増えてくれるではないか。だから本件について、お前が気兼ねなく動いてくれることを私は望んでいる。あの街を浄化するために、全てを承認してやろう」
「狂人め。やはりお前とは相容れないということだけは解った」
死にやすさだけで政治をする、か。
気持ち悪いと吐き捨てて、俺は奴から顔を背け――そこで信じ難いものを目にした。
「あ、お話終わりました? 待ってましたよフェリスさん」
扉の前で、シャシィが俺に笑いかけている。
拙作「クロゥレン家の次男坊」コミカライズ版&書籍版の最終巻が、2/15に発売されました。
皆様のご声援のお陰で無事完結に至ることが出来ました。まことにありがとうございます。
Web版はまだ続きますので、今後もお付き合いいただければ幸いです。
なお、次週は完結記念で旅に出るのでお休みします。
再開は3/2の予定となっておりますので、よろしくお願いいたします。