矛先を逸らす
明けて翌日。朝食を終えたところで、ミーディエン殿が俺の部屋へやって来た。
話はどこまで進んだのだろう?
まずはハナッサ殿がどうなったか尋ねてみると、三か月の停職、という返答があった。
「処分が重過ぎる。どうにかならないのか?」
「いや、この処分はある種の温情なんだよ。ハナッサは先日戻って来たばかりで、精神的にも不安定だったんでな。この件に乗じて、長期休暇を与えることにしたんだ。勿論その間の給与は出せないが、街の浄化を達成した分の報酬は別に出るし、外出も禁じていない」
「ううん……なるほどね」
聞けば、ハナッサ殿は不休で昼夜問わず一か月働き続け、ようやく任を終えたところだった。そんな折に怨敵である俺がのこのこやって来たので、どうしても我慢出来なくなった、と彼女は供述したそうだ。
……何とも間の悪い。気が済むまで殴ってくれても、こちらとしては構わなかったのに。
「穢れはさておき、使節団なんて適当に放って置けば良かったんじゃないか? あんな奴等の世話をさせるから、追い詰められたんだよ」
「他国との交流はそうもいかないさ。補佐を置こうにも、ハナッサ以外に適任はいなかったしな。……まあ上層部にも引け目があったから、ある程度事情を考慮してくれたんだ」
「ん? ああ、処分に介入したのか?」
何となく察するものがあって思わず尋ねると、ミーディエン殿は問いに答えず、静かに苦笑を覗かせた。窮状を見かねたのだろうが、ハナッサ殿を休ませようという自身の希望を通しつつ、俺の要求にも応えるという手法は実に好ましい。
こういう搦め手が使える武人は、やはりありがたいものだ。
「流石はミーディエン殿。周りをよく見ている」
「君こそ、よくあの状況からアーウェイ様を説得してくれた」
お互い僅かに口角を上げ、静かに相手を称え合う。こういう人がいると、部下も気楽にやれるだろう。
ひとまずこれでハナッサ殿の一件は大丈夫だな。あの人が頑張っていたことは皆知っているから、周囲の評価もあまり下がるまい。
さて、嬉しいお知らせを聞けたところで、次は違う話題に触れてみることとする。
「なあ……今まで黙っていたけど、扉の向こうのお人には触れない方が良いのか?」
「ああ、うん……そうだよな、気付くよな。待ってるみたいだし、中に入れても構わないかな」
「このままだと落ち着かないよ。どうぞ」
隠れようという気がまるで無い、重く猛々しい気配が廊下に留まっている。俺が外へ呼びかけると、見上げるほど背の高い大男が、腰を曲げて部屋へ入って来た。立派な法衣の下にははち切れそうな筋肉が詰まっており、見ているだけで圧を感じる。
全身鎧を着た兵よりも体が分厚いのではないだろうか。本気で殴られたら、街の外までぶっ飛ばされそうな気さえする。
「くつろいでいる時にすまんな、邪魔するよ」
「招かれた客という訳でもありませんし、お気になさらず。フェリス・クロゥレンと申します」
「カノース・サナク・ノクスだ。アーウェイの兄で、この国の教主をしている」
……兄? 本当に?
細身でいかにも文官といったアーウェイ殿と比べ、こちらは武の化身といった佇まいだ。吃驚するくらい似ていない。俺が思わずミーディエン殿に目を向けると、彼女は黙って頷いた。
「これはまた、恐ろしく鍛え抜かれた体ですね。研鑽を感じます」
「はっはっは、穢れに負けぬよう励んだは良いが、どうにも不格好になってしまってな。知らん者にはよく怯えられるのだよ」
「いや、素晴らしいと思いますよ」
他者に見せつけるのではなく、敵を打ち倒すための実戦的な筋肉だ。そして、身体強化をあまりに長く続けた所為なのか、全身が陽術によってうっすらと包まれている。確かにこれなら、穢れを弾いてもおかしくはない。
なるほど、ここまで磨けば己を守れるのか。
素直に感心していると、カノース様は俺の前に真っ直ぐ立ち、上からこちらの顔を睨んだ。
「褒めてもらえるのは嬉しいが、この力が君に向くとは考えないのかね? 先立っての提案は興味深いものだったが、コアンドロを逃がした件については何の解決もしておらんよ?」
「逆に、いつ指摘されるのかと待っていたくらいですね。避けては通れない話題でしょうから」
ハナッサ殿が暴れた所為でうやむやになったものの、まさかこのまま流されないよな? と思ってはいた。この大事を見逃すようなら、むしろ手を組むことを躊躇ってしまう。
馬鹿でかい拳をいつでも突き出せるようにして、カノース様は腰を沈める。
「この俺を前にして、肝が太いな。では釈明を聞こうか」
釈明……するようなことは特に無いな。
俺は恥じるような行為をしていない。ただこちらの想定と教国の利益の間には、ずれがあったというだけのことだ。
「釈明も何も、現場でハナッサ殿にお伝えしたことが全てです。私は彼を捕縛するより、民を危険から遠ざける方を選びました。コアンドロ氏は既に街へ穢れを仕込んでいた。人間爆弾をもう一度破裂させるより、大人しく帰ってもらった方が被害は少ないと読んだまでです」
「しかし、それでは住民の心が癒されまい。犯人が処刑され、危険は去ったと確信されなければ、彼等は安心して元の生活に戻れないではないか」
「コアンドロ氏がいてもいなくても、環境としてはそんなに変わらないでしょう。そもそも、教国は穢れが発生し易い環境です。汚染された人間が一人街へ混ざるだけで、同じ現象が起きてしまうのでは?」
カノース様は言葉に詰まり、ミーディエン殿がたまらず口を挟む。
「いや、だからといって、犯罪者を逃がすことは正当化されないだろう。フェリスが奴を逃がしたという事実は変わらない」
「教国が犯罪者を確保したいと思うのは当然のことだし、その点については争ってないよ。それを罪だと捉えるのなら仕方が無い。俺は最初から、釈明しないと言ってるんだ」
俺はコアンドロ氏を保護したかったし、民を危険に晒したくもなかった。そしてあの時、教国の面子など考慮しなかった。
俺は言い訳ではなく、単に事実を列挙しているだけだ。あるがままを受け入れる覚悟は出来ている。
返答に対し、ミーディエン殿は明らかに困惑していた。
「おいおい、その返事で良いのか? それで処罰を受けることになっても、君は構わないと?」
「まあ、処罰の内容にもよるかな。俺はハナッサ殿の自尊心を傷付けた。だから彼女が攻撃してきても、抵抗する訳にはいかないと思っていた。自分のやったことなんだから、自分で責任を取るのが当たり前だろう」
部屋を暫しの沈黙が包む。やがて、カノース様は大笑いをしながら、俺の背中を掌で何度も叩いた。あまりの衝撃で、胃の中の朝食が暴れる。
「くく、ハッハッハ! 潔いではないか、気に入ったぞ! その様子では、コアンドロを我々に引き渡すつもりもないのだな?」
「そうですね。……流石に見逃してくれと言うほどではありませんが……正直私は、あまり彼を責める気にはなれないのです」
「ほう、それは何故だ?」
「元々この騒ぎは、工国が穢れを戦争に利用しようとしたことに端を発しています。彼の所属する部隊は穢れを確保するよう上層部に命じられ、結果、汚染されることになりました。汚染された者に対し、工国はどうしたと思いますか?」
ふと、カノース様の顔に納得が浮かぶ。
「連中は対策など持っておるまい。ああ……故国に見捨てられたから、我が国の技術を暴こうとしたのか」
「そうです。コアンドロ氏には穢れ祓いが必要だった。許される行為ではないと解ってはいますが、どちらかと言うと、私は工国の責任の方が重いと考えてしまうのです」
「腸が煮えくり返る話よな。当人はどうしておるのだ?」
「軍部に身内を人質に取られ、飼い殺しにされてますよ。それもあって、工国を出し抜きませんかと誘った訳です」
さあ、俺が提示出来る情報は大体晒した。
カノース様とミーディエン殿は顔を見合わせ、悩んだ末にどちらからともなく溜息を漏らす。どうやら二人の中で答えが出たようだ。
「教主として、工国の振る舞いを許す訳にはいかん。連中が穢れ祓いを持てば、絶対にそれを悪用する。今回は君の企みに乗ってやろうではないか」
「ありがとうございます」
「ただし、これとコアンドロの話は別だ。我々はあの男を発見したら捕縛するために動く。まさか止めたりはせんだろうな?」
「已むを得ないでしょう。お互い目的がある訳ですから、合わせられるところは合わせる、というだけで充分です」
元よりこちらは条件をつけられる立場ではない。
コアンドロ氏は教国が動いたら身を隠すと言っていたし、すぐに捕まるようなことはないだろう。実際に鉢合わせてしまった場合どうなるかは――きっと本人が一番解っている。相応に用心はする筈だ。
さて、これで教国との交渉は済んだ。
後は王国との調整だが……シャシィに見つからずに城まで行けるだろうか? また水路を使うにしても、結界は地下にまで及んでいるかもしれない。あの馬鹿と会話するために危険を冒す、という現実が絶妙に俺のやる気を削ぐ。
……やるしかないよなあ。
教国が乗ってくれたのだから、彼等の憂いは可能な限り排除しなければならない。ここまで来たら、最後まで走り抜くだけだ。
俺は気合を入れ直し、カノース様の分厚い手としっかり握手した。
2/15に拙作「クロゥレン家の次男坊」の最終巻が発売されます。よろしければお手に取っていただければ幸いです。
ということで今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。