交渉に挑む
先触れを出してもらったところ、アーウェイ殿はまだ起きていたらしく、すぐに面会するということになった。
暗い廊下をハルネリアと並んで歩き、俺達はやがて分厚い扉の前に辿り着く。
「ここがアーウェイ様の執務室なんだが……」
戸惑いを隠さぬまま、言葉を澱ませてハルネリアがこちらを振り向いた。俺は肩を竦め、黙って首を横に振る。
扉の向こうには、よく知った三人の気配がある。それ自体を不自然とは思わないが、うち一人からあまりに稚拙な殺気が漏れていて、俺達は立ち尽くしてしまった。
……どうやらハナッサ殿はまだお怒りか。
まあ、一番迷惑を被ったのはあの人だ。あの後の街の状況を考えると、俺に対して害意を抱いていてもおかしくはない。これについては甘んじて受け入れるべきだろう。
「ハルネリア、俺が先に入る」
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないからこそだ。お前も話を聞いているかもしれんが、あの人には俺を責める権利がある」
躊躇はすれど止めても無駄と悟ったのか、ハルネリアは一度呼吸を落ち着けて扉を叩く。中からの招きに応じ部屋に入った瞬間、奇声を上げながら杖を振りかぶるハナッサ殿と、呆れた様子のミーディエン殿、そして唖然としたアーウェイ殿の顔が目に映った。
直後、そのまま左肩へ衝撃が叩きつけられ――ハナッサ殿は自らの勢いに負けて床へ倒れ込む。武術の心得は無かったらしく、大した威力は感じられなかった。俺は彼女へひとまず手を差し伸べ、華奢な体を引き起こす。
手応えが軽い。前に会った時と比べ、随分と痩せている。
「ご無沙汰しております」
返答代わりに顔へと爪が突き立てられ、瞼の薄皮が千切れる。打撃よりもこちらの方が余程痛い。床に血が垂れ落ち、高級そうな絨毯が赤く染まった。
慌てて止めようとするアーウェイ殿を俺は目線で制する。
「アーウェイ殿もお久し振りです。先日は大変失礼をいたしました」
「そんな場合ではあるまい! 治療を――」
「いえいえ、私が原因なので構いませんよ。気が済むまでやらせてあげてください」
しかしそんな言い分の途中で、ミーディエン殿はハナッサ殿を強引に蹴り剥がした。ハナッサ殿は恨めしそうな瞳で俺を睨みつけ、蹴られた脇腹を陽術で癒し始める。
「荒っぽいなあ、そこまでしなくても」
「君こそ状況を受け入れないでくれ。気付いて避けると思っていたのに」
面目が丸潰れだと、ミーディエン殿が苦言を呈する。どうやら彼女はアーウェイ殿の護衛ではなく、部屋での荒事全般を防ぐため控えていたらしい。
俺は瞼の傷が塞がっていることを確認し、指先で血を拭った。綺麗になった皮膚を見せると、ミーディエン殿が僅かに驚く。
「……治っている?」
「まあこの通りだ。ハナッサ殿の力だと、百年殴られ続けても死ねないよ」
「なら次は魔術で仕留めます」
「控えろハナッサ! 私の客に何て無礼な真似をするのだ!」
声を荒げる人間が増え、収拾がつかなくなってきた。アーウェイ様は俺と二人きりでの対話を求め、ミーディエン殿は護衛として残りたがり、ハナッサ殿はハルネリアに取り押さえられている。
何というか……取り敢えず、全員落ち着いてほしい。
そうして暫く揉めた結果、最終的にハルネリアがハナッサ殿を引き摺って出ていくことになった。俺としては誰が部屋にいようと構わなかったのだが、彼女が話の邪魔になるというのも確かだろう。そもそも、何故同席を許されていたのかもよく解らない。
まだ本題に入っていないのに、妙な疲れが身を包んでいる。場が静まったところで、アーウェイ殿は床に跪き頭を下げた。
「大変申し訳無かった、この度の責は私にある。然るべき処分を下すので、ハナッサの身柄だけは勘弁してほしい」
「頭を上げてください。私は国の使者として来た訳ではありませんから、処分も要りませんよ。それに、彼女の怒りは正当なものです」
「たとえ君が許しても、組織として許してはならぬことがある。無抵抗の相手を軍人が一方的に嬲るなど、本来あってはならんのだ」
ああ……なるほど。国の上層部がそういう考えだから、かつてグァルネを処分しよう、という結論に至ったのか。思考としては厳正というか、かなり真っ当な気がする。
ただこの発言は、国の要人としては甘さも目立つ。
他者に寛容であることは美徳だとしても、護衛を遠ざける等、アーウェイ殿は不用心なところがある。ハナッサ殿からすれば俺は犯罪者の一味な訳で――そういう上司を守り、問題を未然に防ぐという意味では、あの対応の方が当たり前ではないだろうか。
「個人的な悪意を含んでいたとしても、先の行為は、ハナッサ殿がアーウェイ殿を慕っているという証左でもあります。私が庇うことではありませんが、その意を酌んでやってください」
「……被害者である君がそこまで言うのなら、多少は斟酌しよう」
さてこれで、実際に処分があろうとなかろうと、俺達の間では手打ちとなった。アーウェイ殿が椅子に座り息を整えた頃合いで、改めて打ち合わせを始める。
「既に話は伝わっているかと思いますが、汚染された国境沿いの街で穢れ祓いを回収しました。現物はハルネリアに譲りましたので、後程ご確認ください」
「君の推察では、祝福は穢れの濃度が一定以上になった時現れる、ということだったね。条件は満たしているな」
あくまでそれは教国に限った話ではあるが、解析の結果として間違っていない。なので俺は黙って首肯する。
「私のお願いは一つです。王国と工国には穢れ祓いの存在を伏せるので、少しでも街の浄化を進めてください。発見した物資はそのまま回収していただたいて構いません」
「構わないと言っても、元々は住民達の物ではないのかね? 君に権利がある訳でもあるまい」
「所有権を訴える者が果たしてどれだけいますか? たとえいたとしても、現地での活動の手助けとするため接収した、と答えればそれまででしょう。なんならその点については問題にしないよう、私が王国に約束させます」
自信を持って返すと、今まで黙って控えていたミーディエン殿がふと疑問を漏らす。
「フェリスは王国の子爵家の出だったな。私はそちらの身分制度に詳しくないのだが、貴族とはいえ子爵は下から二番目だろう? 国に対してそんな大きな権限を持っているのか? いざ動いてみたら、君が交渉に失敗していました、では困るのだが」
「心配しなくても、この程度の交渉なら通せる。不本意ながら、第一王子には貸しがあるからな」
「貸し?」
俺が王国で発生した内乱について簡単に説明すると、二人は揃って引いていた。知っている情報が混ざっていたのか、作り話ではないと判断されたようだ。国際情勢としては穢れ祓いより重要なことを漏らしたような気もするが、これで信頼を得られるなら俺は躊躇わない。
ミーディエン殿は額を掌で押さえ、慎重に言葉を選んでいた。
「君がやけに場慣れしている理由は解ったよ。因みに、聞かなかったことにした方が良いのか?」
「いや、この情報を使ってくれても問題は無い。物証がある訳ではないし、相手はしらばっくれるんじゃないかな」
「物証が無い? なのに、王子と直接遣り取りは出来ると?」
「当事者間において証拠は不要だろう。こっちは当主を殺されそうになったんだ、あれを無かったことにするつもりなら、クロゥレンは王国を離反する。そうなれば周辺の農業地域に魔獣が溢れるだろうな」
もしかしたらアイツはその状況を利用して、今度こそ自分が死ぬよう立ち回るかもしれない。結果として王国は滅び、各国が領土を奪おうと動き出すかもしれない。
ただ、国の上に立っているのは自殺志願者で、この爆弾はいつ破裂するか解らない状況なのだ。不安を抱えたままでいるより、いっそ終わらせた方が楽になれる気もする。
どう転んだところで、俺のやることは変わらない。
「王国はさておき、最低限、人命を守れるのなら手は尽くすよ。アーウェイ殿、私の提案に乗ってはくださいませんか」
「……まあ指摘したのは私だが、物資を接収出来るかどうかについては、そう大きな争点にはなるまい。むしろ問題となるのは、人員が限られている我が国の状態で、果たしてどれだけの成果を生み出せるのかだ」
「回収作業を進める中で、嫌でも穢れを浄化することになります。手数が増えるだけで、私としてはありがたいですね」
「そして、穢れ祓いを入手すればするほどより浄化作業を進められる、と。回収だけして我々は逃げ帰るかもしれんぞ?」
無論、その可能性は考慮している。
「現場には相当の穢れが満ちていますから、危険と判断したならいっそ撤退すべきでしょう。私はあくまでお願いしているだけの立場ですし、無理強いは出来ません」
ただロクに浄化をしないまま、物資を持ち逃げしただけになった場合、国力で劣る教国がどう責められるかは解らない。国として動くとなれば、ある程度客観的な成果を求められはするだろう。
さて、相手はどう出るか。
単なる一個人からのお願いなのだ、アーウェイ殿が断る理由も揃ってはいる。
「……ハルネリアが持つ穢れ祓いの検証も必要だ、今すぐ返答はしかねる。少し時間をもらえないだろうか」
「ええ、勿論」
「では部屋を用意するので、滞在中はそちらを自由に使ってくれ。ミーディエン、手配を頼む」
「畏まりました」
手応えは悪くなかった。これで第一関門は突破といったところか。
俺達は二人で部屋を辞し、大きく息を吐く。
気を抜いていると、ミーディエン殿が不意に俺の首の後ろを掴んできた。
「……え、何?」
「君なあ、こんな真夜中にいきなり来るなよ。対応する方は大変なんだから」
「いや、俺だって面会までは数日かかるかと思ってたんだ。わざとじゃない」
「はいはい。それだけ必死ってことなんだろうし、まあ今回は許そう。取り敢えず部屋の準備が出来るまで、風呂でも入ったらどうだ」
背中を押され、つんのめるようにして廊下を進む。反論しようにも相手はこちらを急かすばかりで、耳を貸そうともしてくれない。
――どういう事情があっても、迷惑なのは確かだものな。
自分の行いの所為だ、諦めよう。次からは時間を選ぶと決め、俺は勧められるまま風呂へ入ることにした。
今回はここまで。
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