拳を握る
「初めまして。クロゥレン家当主、ミルカ・クロゥレンと申します」
応接室で二人、格上の貴族と向かい合っていると、自分も偉くなったものだと錯覚する。役職がついたからと言って、自分が大きく変わる訳ではない。変わるのは周りからの目だ。ある意味では、それに対抗するために自分というものが変質していくのではあろう。
では、伯爵は私をどう捉え、私はどう動くべきか。益体も無いことを考えつつ、頭を下げる。
バルガス伯爵は予定より早く参集した私たちに苦言を呈することもなく、朗らかに笑って迎え入れてくれた。
「バルガス・ミズガルだ、当家へようこそ。当主自ら演習へ参加してくれるとは、まことにありがたい。東側の別邸を開放しておいたので、滞在中はそちらを利用してくれたまえ」
「ご歓待いただきありがとうございます。聞けば、弟がご厄介になっているそうで」
伯爵邸へ到着した際に、ビックス殿からフェリスの話があった。何でも療養という名目で、寝食を世話になっているとのこと。確かに最初は医者がフェリスを止めたそうだが、今となってはそれもなあなあで済まされているようだ。
回復しているなら連れ出そうかと考えたものの、ビックス殿はフェリスを気に入ったらしい。本人達が納得してのことなら、私が口出しすべきことでもないのだろう。
伯爵は私の言葉に、鷹揚に頷いた。
「フェリス殿か。どういうやり取りがあったのか知らんが、ビックスは彼と交流するようになって、少しは思慮深くなったようだ。それだけでも、当家を利用してもらうだけの意味はある」
「タダでお世話になるのもなんですから、使えるうちは使ってやってください。成人したばかりとはいえ、独り立ちしたのならせめて宿代分くらいは働くべきですから」
少しくらい役に立ってもらわなければ、こちらの面目が立たない。それに余所の貴族との対応に慣れておけば、フェリスにしても今後に繋がることだろう。
どうせ間もなくここを出るのだろうし、何かあっても致命傷にはなるまい。
「ミルカ殿は厳しいのだな」
「そのようなつもりはありません。弟は立場に頼らずとも生きていけるだけの才覚があると、知っているだけです」
口にはしないけれど、あれはクロゥレン家の最高傑作だ。汎用性において、今後もうちの血筋で彼を超える者は出ないと信じる。
私はただ薄く笑んで、伯爵を見返す。相手は一瞬虚を突かれたものの、すぐに笑みを返して寄越した。
「なるほど、なるほど。確かに、フェリス殿であればそう心配は要らんか。……さて、では折角早く来てくれたのだから、本題を先に進めようか」
「ええ、そうしましょう」
私達は演習についての細かい部分を調整し、お互いの役割についてまとめ合った。人員の配置は想定内、相手の数や戦い方も予習した通りだった。
であれば、懸念事項は一つだけ。
私は、道中で出会った妙な気配についての話題を挙げた。知覚範囲外から、殺意をぶつけて来る謎の魔獣。頭が良いのか、警戒心が強いのか――最後までこちらに近付いては来なかった。
「最近、領内に大物が出ているのではありませんか?」
「耳が早いな。こちらでもつい先日存在を把握したばかりで、まだ詳細は解っていない。ただ、うちの守備隊の人間が一人やられている」
「その方の強度をお伺いしても?」
私のように既にある程度を知られているならともかく、武人の強度を勝手に公開しろというのは、酷く不躾な行為だとは知っている。それでも、民間人に被害が出ることを考えれば、訊かずにはいられない。
伯爵も同じことを考えたのか、悩んだ末に重い口を開いた。
「大体だが……武術が3500、魔術が2500、と言ったところだ。因みに、腿を切り裂かれて、傷口には呪詛が仕込まれていたとの報告があった」
総合強度で見ればサセットの一段下、というくらいか。それだけの強度であれば弱兵ではない。
「どういう敵だったかのお話は?」
「咄嗟だったので、全体を詳しくは見ていないようだ。ただ、黒毛で大きな角が生えていたことだけは記憶にある、と言っていたな」
なら単純に考えて、呪詛を乗せた角で攻撃してきた、ということだろうか。武術強度が一定以上ある人間が捉えきれないとすれば、それなりに速さもあると。
全方位を警戒しながら動けば、不覚は取らないな。
「如何なさいますか? あれは逃げ隠れするのが巧い。相手を殺すまでに、被害が出る可能性は高いかと」
「やはりか。……ではミルカ殿、そいつの相手をお願い出来まいか? うちの兵ではやられる奴の方が多いだろう」
ふむ。
感覚的には容易な相手ではある。しかし、他家の当主に命を賭けろとは。
どういう意図があるのか読めない。単に私ならどうとでもすると思っているのか、それともこちらを害するつもりなのか。
解らないのは事実として――どちらに転んでも、面白い。
「そうですね。今回の演習では素敵なお土産をいただけるというお話でしたし、こちらで受け持ちましょう。ただ、状況によっては素材は取れないということだけはご了承ください」
「それは構わん。民への被害が減るのであれば、そんなものは二の次だ」
私は民ではないから、三の次くらいかしら?
邪推に笑みが零れる。現場はやはり、退屈しない。
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ビックス様より、クロゥレンの守備隊が現地入りしたとの話があったのは、早朝のことだった。随分到着が早いと訝しんだところ、どうやら俺のやらかした土地の浄化のためだったらしい。
ミル姉には悪いことをしてしまった。これは後で何か言われるな。
いやはや参った参った。
「フェリス殿、そんな気楽そうにしていて大丈夫なのですか」
「どうにか出来ることでもありませんので、別に構いません。多少の小言はあるでしょうが、言われて当たり前ですし」
シャロットさんに、領地の一部を毒塗れにしたことを言う訳にも行かない。結局のところ、俺もビックス様もすぐには外出の理由を作れなかったし、これについては過ぎてしまったことだ。甘んじて受け入れるしかない。
それよりも、次はアキムさんの作業だ。どうやら彼は今、演習のための武器を研磨するので手一杯らしく、俺とビックス様が直接あちらにお邪魔することになった。一人で行けるという話はしたが、彼は彼で用事があるとのことだった。恐らく、抱えている木箱の中がその用事なのだろう。
という訳で、アキムさんの工房に辿り着いた。工房とは言いつつ弟子達の居室もある所為で、建物はかなり大きい。
「アキムさん、腕一本でこれを建てるか……」
「我が領でも指折りの職人ですからね。相応のものを持ってもらわなくては」
まあ確かに、腕があれば稼げるというところを見せないと、次に繋がらない。贅沢が出来る、というのは単純な欲求を煽る。夢を見られないなら、下の連中だってやる気も起きないだろう。
そういう意味からすれば、上級というのも柵が多くて難儀しそうだ。
さて、そんな苦労してそうな御大は何処にいるだろうか。入り口に踏み込み、声を張り上げる。
「すみませーん、どなたかいらっしゃいますかー!」
耳を澄ましていると、遠くから床を大きく踏み鳴らす音が近づいてきた。
「ッたく……あーい! 今行きますよォ!」
返事の前に愚痴っぽい呟きが漏れていたが、こいつ大丈夫か? 他人事ながら、嫌な予感がする。
やがて、髪を短く刈り込んだ、俺と同じか少し下くらいの少年が顔を出した。
「どちらさんすか? 悪いけど、今は新規の仕事は受けてませんよ」
頭を掻きながら、こちらを見ずに告げてくる。
やべえ。
若手が世間も礼儀も知らんのは仕方無いとはいえ、これは貴族の相手をさせちゃいかん奴だ。横目でビックス様の顔色を窺うも、変化は感じ取れない。むしろ全く崩れない笑みが、不安を助長する。
これは俺が前に出るしかあるまい。
「ああ、仕事の依頼ではないんですよ。そうではなくて、こちらで頼まれていることがありましてね。事前に連絡はしてありますので、アキム師をお願い出来ませんか」
約束はしている。ただ、立て込んでいるなら無理をするほどでもない。会えないなら、バスチャーさんを経由して改めて会うからそれでもいい。
頼む。頼むから、真っ当な対応を取ってくれ。
しかし、俺の内心の願いは届かなかった。
「あン? アンタ等みたいなのに、師匠が頼み事ねえ? 俺ぁそんな話聞いてねえっすよ。そうやって無理矢理師匠に会いに来る奴がたまにいるけど、通しませんからね。全く、この忙しい時期に、何処の誰だか知らねえけど――」
自己判断により、横っ面を殴り飛ばす。少年は床に叩きつけられ、激しい音を立てた。
こいつ、自領の守備隊長で、領主の子息のことも知らないのか? あまりのことに慄然としたものの、ひとまず続きを遮ることに成功した。
ああ焦った。心臓が痛い。
場合によっては、無礼打ちでこいつの首が飛ぶ。だが、ビックス様にこんなことで手を汚させる訳にも行かないし、かといって貴族としての面子を潰されたままにも出来ない。
顔面に一発で済むなら、勉強代としては安い方だろう。
彼は眩暈を起こしているのか、定まらない視線で俺を睨みつけている。ビックス様は苦笑いで、成り行きを見守っていた。温厚な方で良かった。
では次だ。腹の中で練り上げた魔力で、自己強化をする。騒ぎになる前に、もう一度大きく声を張り上げる。
「おい、誰かいるかァ!! 出て来ねえならこっちから行くぞォ!!」
完全に気分はヤのつく自営業である。損な立ち回りをしている自覚はある。この場所に根付くつもりなら、絶対にやれなかったであろう行為だ。
誰か話の解る奴が、早く来てくれないか。
暫く待っていると、奥の方から慌てたように女性が飛び出して来た。女性は床で呻いている少年に驚き、そして、俺達の方に顔を向けた。
「一体何の騒ぎで――って、ビックス様?」
「ああ、うるさくしてすまんな。至急アキム師を呼んでくれ。ここは空気が悪いようだ、私達は表で待っている」
玄関をさっさと出て行く背中を追いかける。あの女性なら、取り敢えず普通の対応をしてくれるだろう。
溜息が出た。しゃがみ込んで、アキムさんが出てくるのを待っていると、不意にビックス様が笑い出した。
「くくっ、なかなかの啖呵でしたね」
「冷や冷やしましたよ、こっちは」
体裁の問題があるからビックス様が手を下したとしても、まあ理解はされただろう。ただ、人間は感情の生き物だ。理解されても納得されたかは別の話になる。しかし、先走った俺が勝手にやる分には、ビックス様が他者を害したことにはならない。万事を丸く収めるにはあれしか思いつかなかった。
大声を出した所為で喉も痛むし、勘弁して欲しい。
ビックス様は木箱を開けると、中からヴァーヴを投げて寄越した。ありがたく受け取り、軽く凍らせてから齧りつく。火照った体に冷気が優しい。
「面白い食べ方ですね、私にも良いですか?」
「勿論」
ビックス様のヴァーヴも同じように凍らせ、二人で並んだまま甘味を堪能する。完全に凍らせるより、果汁感が残っていた方がこれは良いな。彼もこの食べ方は気に入ったらしく、満面の笑みを浮かべていた。
しかし、差し入れと思しき果物を食べてしまって良かったのだろうか。あんな奴に分けたくはない、ということであれば気持ちは解るが。
どことなく弛緩した空気のまま、アキムさんを待つ。思い返してみれば、作業中に話しかけられるのを嫌う人だったので、暫くは出て来ないかもしれない。その時は……果物を食い散らかして終わりかな。
「旨いですねえ……」
「でしょう? 私はこの季節が好きでしてね。採れるもの全てが旨い」
「伯爵領の作物は食感が良いですよね。歯応えがしっかりしているというか、噛んでて楽しい」
輸送の関係で完全な旬よりも少し早く収穫された作物には、現地でしか味わえない良さがある。こういうのを食べていると、素直に幸せだと思う。
しゃがみ込んでいるのもなんなので、地術でちょっとした椅子を二つ作り、腰かける。まったりしていると、ようやくアキムさんが息を切らして現れた。
「すまんな、待たせた」
「いえいえ、作業中にこちらこそすみませんね」
「うむ、気にするな。依頼したのはうちだしな」
ビックス様はアキムさんにもヴァーヴを手渡す。俺も俺で椅子を追加し、何故か青空の下で会話が始まる。
「坊主、うちの若いのをぶっ飛ばしたんだって? 本人が荒れ狂ってたが、何があったんだ?」
「ああ……ビックス様に暴言を吐いたのでね。誰だか知らんが、って言いだした時は正直どうしたもんかと」
アキムさんが食べかけていたヴァーヴを噴き出して咳き込む。俺は顔を顰め、水術で顔に飛んできた果汁を洗う。
「すまん、色々すまん」
「職人だから中に籠ってることは仕方無いにせよ、ちょっとは外に出て見聞を広めるべきじゃないですかね? あと、目上に対する当たり前の礼儀くらい身につけておくべきです」
俺が彼の言動を一つ一つ取り上げると、アキムさんは怒りを通り越して項垂れてしまった。
アキムさんのように徒弟制度を利用しているところであれば、教育係がいるはずだ。彼らは職人としての技術指導の他に、炊事や洗濯、言葉遣いといった団体生活をする上での基本を教えることも業務に含まれている。
こういう問題が起きてしまったのなら、理由は教育係が機能していないか、さっきの少年が本気でどうしようもないかのどちらかだ。いずれだとしても、工房側としては何らかの手を打たざるを得ない。
ビックス様も仕方無さそうに苦言を呈する。
「事を大きくするつもりはないが、あれが接客に出るようでは困るな。腕前以前の問題だ」
「仰る通りで……。以後こういったことの無いよう、対応いたします。この度はまことに申し訳ございませんでした」
「うむ、今後に期待している」
双方の様子を見るに、蟠りは無さそうだ。お互いに、止むを得ないことだとは解っているだろう。ということで、ひとまずビックス様とアキムさんの間柄はこれでいい。
残りの問題は……彼は俺を逆恨みするだろうなあ。
ああ、嫌だ嫌だ。
まだ仕事に手をつけてもいないのに、ここに来づらくなってしまった。
「アキムさん、話が落ち着いたなら、仕事の話をしましょうか。バスチャーさんのは終わりましたからね」
それでも、依頼がある以上避けて通る訳にもいかない。次にここに来る時までに、あの少年に誰かが当たり前の常識を教え、納得させてくれていることを願う。
どうなるかなあ。
どうにかなるのかなあ。
後々ロクなことにならないであろう予感を感じつつ、俺は依頼の話を進めることとした。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。