説得を試みる
日々が慌ただしい。しかし空を勝手気儘に飛べるからか、ヴィヌスの機嫌は非常に良い。
取り敢えずそれを心の潤いとして、俺は教国の首都へ再びやって来た。
夜間、それも郊外を選んで降下したというのに、門前ではハルネリアを筆頭とした部隊が険しい顔で武器を構えている。どうやら地上からはヴィヌスの姿が見えていたようだ。俺は両手を挙げ、なるべく気安い雰囲気で彼等との距離を詰めた。
「騒がせてすまん、俺だよ」
「……フェリス? 逃げたと聞いたが、何故ここにいる。戻って来たのか?」
「ああ、ちょっと用事があってな。あの龍はここを狙っている訳じゃないから大丈夫だ」
ヴィヌスはファラ師に痛めつけられた所為で、どちらかというと人間を嫌っている。俺の指示が無ければ、敢えて人里に近づこうとはしない。今だって、隙あらば空へ戻ろうとしているくらいだ。
ただ、それを言ったところで簡単には理解を得られない。
暫くは押し問答が続き、兵達はなかなか武器を下ろそうとしなかったが、王国貴族としての立場を振りかざせば彼等も最終的には諦めてくれた。ヴィヌスが俺の指示を守り、動かなかったのも影響しているのだろう。嫌味や苦言を頭を下げて聞き流し、俺はハルネリアを門扉の裏へと連れ出す。
「いやあ、お前がいてくれて助かったよ」
「私がいなかったらどうするつもりだったんだ。今度からは事前に通達するなり、こちらにも気を遣ってくれ。何かあれば兵は出動せねばならんのだ」
「そこは本当に申し訳無い。ただ、その分耳寄りな情報を持って来たんだよ」
さあ、ここからが大仕事だ。
俺は懐から事前に仕込んでおいた短剣を取り出し、少しだけ魔力を込めて見せた。穢れ祓い特有の発光に、ハルネリアは眉を顰める。
「教国の一般的な意匠とは違う……工国の船乗り達がよく使っている刃物だな。それは一体?」
「その辺を説明する前に、王国と工国の国境沿いの街が穢れに沈んだことは把握しているか?」
「噂には聞いている。使節団もその関係で来たのだろう?」
「その通りだ。……王国は大規模な浄化を行うつもりだが、その事業に俺の姉が携わることになってな。街を先んじて調査してみたところ、コイツが発見された」
ハルネリアは息を呑み、微かに手を震わせて短剣を受け取る。船着き場に実際に転がっていたものを祝福しているので、不自然な点は無いだろう。
「このことは、王国にも工国にも報告していない。穢れ祓いを必要とする教国だからこそ話した。……これはそちらにとっても好機だ。連中よりも早く、街を浄化する人材を出せないか?」
「待て、待ってくれ。そんな重大な提案をどうして私にするんだ。穢れに沈んでいるのはお前の故国だろう、何故こちらに物資を流すような真似をする?」
流石に話が旨過ぎて、むしろ怪しまれているようだ。この辺を誤魔化すと、却って信頼を得難くなる。
本音で話すべきだと判断し、俺は素直に応じる。
「理由は幾つかある。まず、教国は穢れに対処する専門家だ。少し勉強しただけの素人に任せるより、確実な成果を出してくれると俺は信じている」
「……まあ、それはそうだな。使節団が我々に追いつくためには、もう三年は必要だろう。……ああ、それでは作業が間に合わないのか」
「そうなんだよ。街を軽く調査した限りでは、死にかけの虫がかろうじて一匹見つかった程度でな。あれでは遠からず他の地域にも影響が出る」
術式によって穢れが集められることにより、汚染範囲は徐々に広がっている。悠長なことをしていたら、街どころか国が沈む事態に陥ってしまう。そんな重要な案件を、穢れ祓い一発で干からびそうな使節団に任せられる訳がない。
これについてはハルネリアも思い当たる節があるのか、苦笑しつつもすぐに納得してくれた。
「なるほどな。さて、理由は幾つかあると言ったな。他には?」
「他は単純。俺一人では解決出来そうにないというのと、後はまあ不義理をした分の詫びだよ。探索の際に荷物を抱えて動いているくらいだ、教国だって穢れ祓いの数は足りていない。違うか?」
「……流石にそこはお見通しか。確かに我々は穢れ祓いが欲しい、否定はせんよ。ただ、アーウェイ様はそんな貴重な代物をお前に託したんだ。その厚意を裏切っておきながら、今度はお前の誘いに乗って人を派遣しろと?」
あれは正直、かなり大胆な報酬だったとは思う。あの一件があったために、アーウェイ殿が俺に期待していることを否応無しに理解した。
とはいえ、部外者である俺に穢れ祓いを預けるという選択は、逸り過ぎではないだろうか。
俺は所詮、他国の軍人を独断で殺し、偶然見逃されただけの人間だ。そんな人間に大事な物を預けてはいけない。
「貴重な代物だからこそ、いただいた武器はハナッサ殿に返却したんだ。あれは教国が持つべき宝であり、所有者としてもっと相応しい人間がいる。……どれだけ評価されたところで、俺は教国の所属にならない訳だしな」
「アーウェイ様に頭を下げ、改めてこちらの指示に従うつもりは無いということか」
「謝罪はさておき、従うだけの理由は無いな」
「自分の発言の意味を解っているのか? 軽々しく依頼を反故にするような者の話を、どこまで信じられると言うのだ」
まあ、そう突っ込まれるのも当然だな。信用が無いのは他ならぬ自分の所為だ。俺がハルネリアの立場なら、既に相手を殺している。
それでも会話を続けてもらえる以上、俺は詫びという体裁を取り続けるしかない。
「お前の意見は尤もだ。俺は身勝手で都合の良いことを言っていると思う。だからせめてもの誠意として、その穢れ祓いは教国へ提供したい」
「……やはりお前は、穢れ祓いの価値を理解していないんだな。これは本当に貴重で、多くの人間が欲する武器なんだぞ?」
「理解しているさ。俺は穢れから自分の身を守るだけなら、もう対策を終えている。だったらより有効に活用してくれる相手に渡したいじゃないか」
ハルネリアは握った短剣に目線を落とし、深い溜息を吐くと、切っ先を頭上に掲げて穢れ祓いを発動させた。
俺の見立てでは、ハルネリアはあまり魔力の多い人間ではない。一回でも使えただけ頑張った方ではあるが、予想した通り、彼は疲れ果て膝をついてしまった。
「日々それを使って鍛錬すれば、嫌でも魔力は増えるぞ」
「無駄だよ、上は私に穢れ祓いを授けるような真似をすまい。手が届かないからこそ、今のうちに一度試してみたかったのだ」
祝福に関する情報も与えてやったというのに、まだハルネリアは権力を得られていないのか。まあ魔術師としての素養はいまいちだとしても、これだけ職務に忠実なのだから、将来性には充分期待出来るのに。
……いや、違うな。
ハルネリアに能力があろうと無かろうと、本人が自分に自信を持っていない。部下のことをよく見ている上官であれば、任せられないと考えてもおかしくはないか。
「もっと数があれば、お前にだって下賜される可能性はあるだろう? 事態を解決しろとまでは言わないから、物資の回収だけでもしたらどうだ」
「それでは王国が損をするだけではないか」
「王国は穢れ祓いがあると知らないんだから、教国が現地入りしてくれるだけで喜ぶさ。多少なりともあの街の穢れを減らしてくれるだけで、俺としても充分ありがたい。ひとまずアーウェイ殿に話だけでも通してくれないか?」
ハルネリアの顔には、はっきりとした迷いが浮かんでいる。
俺の目論見を読めなくても、手中にある穢れ祓いの存在は確かなのだ。他人の損得など気にしている場合ではない。そんなことより、ハルネリアはもっと欲を出して、自分の将来を望ましいものに変えていくべきだ。
そうしないと、俺のようにいずれ身動きが取れなくなる。
「……前も言ったが、お前は早く出世しろ。忍耐強いことは美徳であっても、それだけで報われるだなんてことはないんだ。俺を切欠にして手柄を立てて、自分の欲しいものを手に入れてくれ」
「そうやって他人を犠牲にして、自分の望みを叶えて嬉しいのか? それで胸を張れと?」
「別にお前が出世したからって、自分が犠牲になったとは思わんよ。そもそも俺が持ち掛けた話だし、認められるべき人間が認められる訳だからな」
正直なところ、俺はハルネリアをかなり気に入っている。このご時世において卑怯な振る舞いを嫌い、常に公平公正であろうとする稀有な人物だ。
現状で魔力が少ないからといって、腐らせるのはあまりに勿体無い。
俺はハルネリアに手を差し伸べ、ゆっくりと語りかける。
「少なくとも、俺達は汚染を広げたくないという面では意見が一致しているじゃないか。お前が力を得るための手助けが出来るなら、今回はそれだけ利があるよ」
これは掛け値なしの本音だ。俺が返答を待っていると、やがてハルネリアはこちらの手を掴んで立ち上がった。先程よりは、幾分気合の入った顔になっている。
鞘を渡してやると、彼は剝き出しの短剣を大事そうに納め、胸元へ仕舞った。
「アーウェイ様が提案を受けてくれるかまでは保証しない」
「それで構わない。まずは聞いてもらうことが大事なんだ」
俺が胡散臭いというのはともかく、教国にとって有意義な取引を持って来たつもりだ。対話になれば勝算はある。
さて、もうひと頑張りだ。後は真っ直ぐにぶつかってみるとしよう。
今回はここまで。
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