方針を定める
街は大半の建物が色褪せ、一部は既に崩れかかっていた。最期までこの地にしがみつこうとしたのか、少ないながら人間も転がっている。俺達は通りを調査しつつ、発見した亡骸を集めて回った。
作業を始めて二時間ほどで、コアンドロ氏が腰を叩き背を伸ばす。
「一旦、この辺で止めようか。彼等を弔ってやらねばなるまい」
「そうですね。カイゼンではどういう葬儀を行っているんです?」
「基本的には火葬だが、この辺では水葬が多いとも聞いたな。ただまあ、この地を愛した人々を穢れに満ちた河へ流すという訳にもいかん。そこの家に薪があったから、火を熾そう」
「そのままだと火力が足りませんよ、ちょっと待ってください」
俺は屈んで地面に触れ、遺体を覆うように土を盛り上げ窯を作った。そうしてありったけの薪を放り込み、更には別の民家から油を失敬して中へ注ぐ。火種を投げ入れると、周囲には汗ばむほどの熱気が広がっていった。
前世の火葬場より温度は低いのだろうが、時間をかければいずれは灰になるだろう。
「後は定期的に油と薪を追加しましょう。私は少し散策してきます」
「なら火は儂が見ておこう。何かあったら呼んでくれ」
「解りました」
何かあったらとは言うものの、生き物の気配は空から入り込んだ虫や鳥くらいのものなので、まず危険はあるまい。ただコアンドロ氏が出会ったように、穢れに適応した生物が何処かに潜んでいる可能性はある。むしろそういう存在に出会わないだろうかと考えつつ、適当に街をぶらつくことにした。
しかし、歩き始めて暫く探してみても……本当に何もいない。
奇跡的に出会った甲虫も、地面に転がって腹を見せ、足を震わせている。穢れに汚染されれば体力は減退し、眩暈や吐き気、疼痛といった不調が続くようになる。今回はたまたま発見が早かっただけで、あれも遠からず死ぬのだろう。
自分も通った道ではあるが、我ながらよく生き延びたものだ。穢れが満ちるとどうなるのか、ということを痛烈に実感する。
――このまま放置すれば、汚染はいずれ王国にまで広がってしまう。少なくとも、自分の都合で解決を先送りにして良い状態ではない。ミル姉が来るまでに、ある程度状況を改善しておかなければ。
後任を求め解決を先送りにした判断は、あまりに呑気だった。
俺は両手を広げて八つ当たりのように穢れ祓いを乱射し、どれだけ効果が発揮されるかを試す。加えて体に穢れを引き寄せて吸収し、どちらがより効率的なのかも併せて検証する。
三十分ほど奮闘した限りでは、穢れ祓いを使うより、邪精の権能を使った方が有効だということが解った。対象と余程距離が離れているという場合でもなければ、穢れ祓いには出番が無さそうである。
……やはり問題は、新たな穢れが流れ込むまでの早さだな。量を飲むこと自体は可能でも、お代わりへの対応が間に合わない。少々策を練る必要があるか。
俺は検証結果に舌打ちをして、ひとまずコアンドロ氏の待つ場所へ戻る。彼は炎の照り返しで顔を赤くしながら、ぼんやりと人が焦げていく様を眺めていた。
「どうです、薪は足りますか?」
「足りるんじゃないかな。そちらは随分と浮かない顔だが、何かあったのかい?」
「このままでは巧くいかないと解りました。消しても飲んでも処理が追いつきません」
「ふむ。だったらいっそ、穢れを集約している術式も壊してみるかね? 大河周辺を教国と似たような環境にして、作業そのものは連中に委託したらどうだろう」
その提案は魅力的ではあれど、簡単には頷けない。自国の浄化すら巧くいっていない相手に、この街のため人手を割いてくれるよう頼むとなると、相応の報酬が必要になる。
飼い殺しにされることを覚悟で、祝福という手札を晒すか? いや……動員に成功したとしても、教国は今度こそコアンドロ氏を殺すだろう。目の前で指名手配犯を取り逃がしたという屈辱を、彼等は絶対に忘れない。それを手助けした俺だって、決して良い顔はされまい。
解決すべき問題が多過ぎる。
どうしたものか考え込んでいると、コアンドロ氏は窯へと薪を投げ入れつつ苦笑する。
「儂のことなら気にせんでも良いぞ。場合によっては何処か適当な場所へ身を隠すのでな」
「本気ですか? カーミン女史が人質に取られているでしょうに」
「それは考え方が違うな。お偉方はカーミンを人質に取ったつもりなのだろうが、儂は治療院にいた方が彼女のためになると判断しただけだ。君の想像よりもずっと、儂と軍部の力関係は拮抗しているのだよ」
……強がりなのか事実なのか、労役刑に処されている者の発言なので判断に困る。ただコアンドロ氏の表情からして、嘘を吐いている訳ではないようだ。まあ、穢れをここから持ち出すだけで、首都は制圧出来てしまう。子飼いの人員が全て捕まったとも思えないし、何かしらの策はあるのだろう。
ひとまず重要なのは、俺は自由な活動を認められている、という事実だ。
「コアンドロ様のことを考慮しなくて済むのなら、教国と交渉をする余地はあるでしょう。もうこの際なので、王国も工国も出し抜いて我々だけで話を進めますか?」
「はっはっは! 元気が出てきたじゃないか。他の誰かなら妄言としか思えんが、君が言うと実現しそうで頼もしいな。そこまで強気に出るということは、ある程度の道筋は出来ているのだろう?」
「案はあります。ただ、教国における私の価値が高くなり過ぎて、悪目立ちする可能性があるんですよ」
「ふむ……当ててみせようか。本来他国へ流出する筈のない穢れ祓いが、ここにある理由と関係するね? 多分君の手元には、もっと多くの穢れ祓いがあるんじゃないか?」
流石はコアンドロ氏、俺が穢れ祓いを作れるとまでは読み切れていないが、近いところまでは察している。これなら相談もし易い。
俺は否定も肯定もせず、仮に、と前置きした上で話を続ける。
「コアンドロ様は教国に探りを入れていましたよね。穢れ祓いを入手出来るとなれば、彼等は食いついてくると思いますか?」
「量によるだろうな。ただ、入手が確実となればある程度の人員を動かしてもおかしくはない」
「……ではこの街に、何故か多数の穢れ祓いが存在していたらどうでしょう? 彼等は調査のため、わざわざここまでやって来るでしょうか?」
――たとえば、積み荷を調べていた連中の詰め所にあった武器が、大量に祝福されていたのなら。放棄された街でたまたま穢れ祓いが発見された場合、俺の価値を上げず、かつ労力を使わずに街の浄化を進めてもらえるのではないか?
コアンドロ氏は目を見開き、初めて会った時の、毒虫が這いずるような笑みを覗かせる。
「素晴らしい、とても面白い発想だ。教国が所持している穢れ祓いの数はそう多くないようでな。儂が確認出来たのは魔術師が五人、武器は十八本で全てだった。今はもう少し増えているとしても、国家としてはちと頼りないというのが本当のところだ。隣接する国に恩を売りつつ、まとまった数の穢れ祓いを得られるとなれば、連中は喜んで踊ってくれるだろう」
「ある程度の人数を動員してもらえるのであれば、わざわざ河底の術式を削るまでもありませんね。穢れが浄化され、問題が解決したのなら、コアンドロ様がここに縛られる理由も無くなるでしょう」
「うん、それはまあ嬉しいことではあるな。あるのだが……一点教えてくれ。そこまで頑張って、君は一体何を得るのだね? 君は別に、この地の浄化をしなければならないような罪人という訳でもあるまい。街の復旧なんて、個人で解決すべき問題ではないよ」
そういえば、コアンドロ氏にその辺の話はしていなかったな。
俺が頑張る理由なんて、別に大した話ではない。
「現在、王国ではこの街を浄化するための事業が立ち上がっていて、それにうちの姉が持っていかれそうなんですよ。当初は好きにしたら良いと思っていたのですが、現場を見たらこんな有様ですからね。身内に危険が及ぶような状況はなるべく避けたいんです」
「君がそこまで尽くす姉となると、相当優秀な方なのだろうな。ならば猶更、自分の目標を優先したまえ。どうせ儂はこの地から暫くは動けんのだ、その間は鍛錬でもしているさ」
うん、そうしてくれるとありがたい。魔力は体力と同様、使えば使うほど鍛えられていくものだ。穢れ祓いの発動回数を一回でも二回でも増やしてくれれば、それだけコアンドロ氏は重要視され、処刑され難くなっていく。
正直なところ、問題のある性格だと充分承知した上で、コアンドロ氏は非常に有用な人材だ。徒に喪いたくはない。
「そう言ってくださるなら、私は明日にでも教国へ飛んでみます。結果がどうなっても一度戻って来ますので、その際に改めて打ち合わせをしましょう」
「手間をかけるな。良い結果を期待しているよ」
俺は頷きつつ、窯の中から穢れを吸い上げて糧とする。遺体を綺麗にしてやった方が、葬儀としては相応しいだろう。
……さて、交渉すべき内容をまとめよう。
まずは浄化部隊を派遣してもらい、周辺地域の危険度を一旦減らす。ここまでは最低限だ。派遣を定期的なものに出来れば、俺の手間が減って尚良い。
後は根本的な解決策をどうするか……これについてはやはり、河底の術式を修復するしかないな。アレンドラやジャークであれば、もしかしたら河守としての情報を持っているかもしれない。特区との行ったり来たりは面倒でも、これくらいの手間は甘んじて受け入れるべきだ。
後任の件は不透明なままだが、取り敢えず現状としてはこんなものだろう。方針が定まったとはいえ、やることが盛り沢山で眩暈がする。
それでも、目の前の惨状から逃げる訳にもいかない。シャシィを国へ追い返すためにも、これは必要な作業だ。
だから頑張ろう。頑張るけど、今は休もう。
思考が整理されたら、何だかすっかり気疲れしてしまった。俺は硬い地面にそのまま横になり、仮眠を取って頭を切り替えることにした。
今回はここまで。
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