口を噤む
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
門前に迎えが待機していたため、ミル姉は名残を惜しみつつも、貴族としての務めを果たすべく城へ向かった。折角の機会なので、俺はシャシィが泊っている宿の食堂を利用し、現況について確認する。
「何人かとはもう会ったみたいですが、集められた連中は大体どれくらいの水準でした?」
「王家が用意した人材は、頑張っても魔術強度4500ってとこでしたねえ。少なくとも、一緒に仕事をしようという気にはなりませんでした」
「穢れの感知は出来るとしても……それだと不安がありますね」
敢えて厳しい言葉は使わなかったが、その程度では本当に最低限の仕事しか任せられない。恐らく汚染に耐えられないだろうし、被害を増やすくらいならいない方がマシである。
シャシィは骨付き肉を齧りながら、不満げに口を尖らせた。
「街が一つ駄目になってるのに、ミルカさんと二人でやれるとでも思ってるんですかねえ、この国の上層部は。魔術師がどういう生き物なのかご存知ない?」
「まあ多分、解ってないですよ。その辺を理解していたラ・レイ師は亡くなりましたし」
「ラ・レイさんもねえ、本当に惜しい人を亡くしましたよ。街中で魔獣が大量発生し、それを防ぐために命を失った……なんて話でしたけど、彼女が魔獣に殺されたとか流石に嘘ですよね? 国の内部で問題が起きて、殺されたんじゃないんですか?」
確信を持った問いに、俺は曖昧に微笑む。答えられないことが答えだと、彼女なら察してくれるだろう。
果たして嘆息だけが返り、追及はされなかった。
「ラ・レイ師とお知り合いだったんですか?」
「直接会って話をしたのは二回だけですね。魔術の精度という面で、彼女を超える逸材を私は知りません。世界一位などと持て囃されてはいますが、私の技術は彼女を真似ただけのものですよ」
そこまで賞賛するか。
個人的にはシャシィもラ・レイ師と遜色無いように思うが、俺がラ・レイ師とやり合った時は、お互い万全の状態ではなかった。もしかしたら、より上位の魔術を使えない状態だった可能性はある。
真髄を知りたいと思う反面、殺されずに済んだ分、良かったと言うべきだろう。
「真似だろうと何だろうと、あの結界には参りましたね。やはり高位の魔術師は違う」
「あらあら、随分と人を持ち上げますねえ。フェリスさんだって、龍を制御するほどの魔術を使えるじゃないですか。この国でラ・レイさんを殺せる者がいるとしたら――貴方も、その一人として数えられるじゃないですか?」
持ち上がった細い指が、俺の喉元に添えられる。そのまま鎖骨をくすぐるように、爪が皮膚の上を滑っていく。
シャシィは……ラ・レイ師を殺した人間を探している? 俺が犯人だと気付いているのだろうか?
細められた真っ黒な瞳が、こちらの内心へ踏み込もうとしている。
雰囲気に飲まれる前に俺はシャシィの指を手で優しく包み、水術で覆った。
「あの、せめて肉の脂を拭いてくれませんかね」
「これは失礼いたしました、ここのお料理がどれも美味しくて。お金は私が出しますからフェリスさんもどうぞ」
「はあ、では失礼して」
皿に幾つか余っている骨付き肉を一ついただき、口中へ放り込む。噛み締めるたびに肉汁が触れ出し、舌の上を心地良い塩味が流れていく。流石は中央、絶妙な味だ。
「これは美味い」
「ですよね? 折角ですし、冷める前にいただいちゃいましょう」
煮豆を取り分けながら、シャシィは笑う。笑いつつも――俺の頬に極小の風針を飛ばしてくる。地術と違って痛みも形も無い、何とも厄介な悪戯だ。
ここまでラ・レイ師に執着を見せるということは、浅い付き合いではなかったのだろう。明らかに挑発されているが、俺は溜息を吐き、『健康』を使ってその攻撃を受け続けた。
反応すれば魔術強度を読まれてしまうなら、敢えて無視をするだけだ。
「……本当に優秀ですねえ。私に読ませないためだけに、反射を抑え込めるんですか。フェリスさんが招聘されていないなんて、王国は何をやっているんでしょう」
チッ、受けたところで掌の上か。
……ほんの少し、シャシィのことが煩わしくなってくる。
「魔術師としての名声なんて、俺は求めていませんよ」
「それだけの技量を身に付けておいて? うふふ、説得力に欠けますね。……ねえフェリスさん、私はね、ラ・レイさんが何故死んだのか知りたいだけなんですよ。穢れなんて本当はどうでも良いんです」
「無理して解決しろとは言いませんよ。ただ、それを辺境の一貴族である俺に、何故問うんです?」
視界の端で、給仕が冷や汗を搔きながら耳を欹てている。何をどう聞かれていようと、今はシャシィから目が離せない。
単なる世間話のつもりだったのに、ラ・レイ師の名前がシャシィにとってこうも重いとは予想しなかった。
事実を知られたら、そのまま襲われそうな気がする。
「フェリスさんが優秀な魔術師で、かつ、ラ・レイさんを知っている人だから問うているんですよ。勿論、ミルカさんにも後で詳しい話は聞くつもりです」
「……仮に、ラ・レイ師が殺されたのだとして、その犯人を見つけてどうするつもりです?」
「その時になってみないと解りません。相手の事情にもよるでしょうね」
嘘を吐かないだけ誠実ではあるにせよ、だからこそ真相は告げられない。これが原因で協力を得られなくなったとしても、我が身の方が俺にとっては大事だ。
……どうせ本人にやる気が無いのだから、帰国させても構わないな。
「ラ・レイ師についてお伝え出来ることはありません。穢れがどうでも良いのなら、このままお帰りください」
「あら、街が救われなくても構わないと?」
「構わないとまでは言いませんが、王国の上層部が貴女に何かを提供出来るとは思えない。俺も同様にね」
返答に、激情の混じった威圧が吹き荒れる。給仕がその場にへたり込み、泣きそうな顔で股を濡らしている。
「可哀想に、周りが怯えていますよ」
「こんな国に呼び出され、散々侮られた挙句、目的を果たせない私だって可哀想ですよ?」
「ご愁傷様です」
圧縮された風の塊が鳩尾に打ち込まれ、俺は壁へと叩きつけられる。木製の壁は割れてしまったが、俺自身は液状化によって衝撃を全て逃がしたため、何ら影響を受けなかった。
そのまま立ち上がって木屑を払った俺に、シャシィは目を剥く。
「気は済みましたか。それとも、もう少し気晴らしを続けますか?」
「……フェリスさん、貴方、何者です」
「自己紹介はもう済ませたでしょう。しがない辺境貴族の次男坊ですよ」
シャシィが歯軋りと共に顔を歪ませる。息を切らせながら、みっともなく地団駄を踏む姿に、こちらが本性なのかと酷く落胆させられた。
いや、それだけラ・レイ師の影は大きいのか。
大きく息を吸って己を落ち着かせると、シャシィはまた笑顔に戻る。
「……どの質問にも答えていただけないと。解りました、ならば私も手段を選びません」
「どうされるかは存じ上げませんが、恐ろしいことですね」
「フェリスさんと違って私は優しいので、何をするか教えてあげましょう。私が穢れに対処するための人員として、王国へフェリスさんとミルカさんの参加を要求します。これなら逃げられないでしょう?」
なるほど、絶妙に面倒な展開だ。
断れば領地に周囲からの圧力がかかるし、かといって受け入れれば、何故出来損ないの俺が参加するのかという批判に繋がる。
どちらを選んでも得が無い。
とはいえただ一点、逃げられないというのは語弊がある。
シャシィは王国のことを知らないが故に、こういう嫌がらせを仕掛けてきたのかもしれないが……俺くらい不出来という悪評が立っていると、参加しない方が周囲に納得されやすい。このまま国を出奔してしまえば、むしろ同情を得られるだろう。
俺が招聘されていないことの意味に、相手は気付いていない。
「さて、そう来ますか。困りましたね」
「嫌ならどうすれば良いか、答えは簡単でしょう?」
「……即決はしないでおきますよ。姉と相談する必要もありますしね」
俺は足元の木片を蹴り飛ばし、シャシィの横を通り抜け外へ向かう。こんな厄介な女に付き合っていられない。
しかし、さり気なく撤退しようとしたのに、袖を掴まれて止められてしまった。
「逃げないでください」
「だから、脂を付けるなと言ってるでしょう」
腕を振り払うと、今度は胴体にしがみついてくる。シャシィの武術強度が著しく低いことは有名だし、引き剝がすだけなら簡単ではあるが……、
「どうしてそこまで必死になるんです」
「彼女は唯一、私と同じ目線に立ってくれた魔術師です。その最期を知りたいと思ってはいけませんか」
大きな瞳が不安げに揺れている。
……その執念が俺に無関係なら応援したものを。
「あの方の最後について、俺から話せることは何一つありません。ただ、姉はラ・レイ師唯一の弟子です。生前の話ならば聞けるでしょう」
「生前の話、ですか」
「ラ・レイ師のことを知りたいなら、死に様ではなく生き様に求めるべきではありませんか。それでは失礼します」
腹の上で組まれたシャシィの腕をなるべく優しく解き、今度こそ宿の外へ向かう。遠隔でミル姉と連絡は取れないし、ここは直接城に向かうしかないな。
……しかし参った。
ミル姉への説明を終えたら、その後はどういう経路で逃げるべきだろう。王国を離れる前に、会っておきたい人はまだいるというのに。
今のうちに、やれることをやるしかないか。
俺はシャシィに埋め込まれた探知を引き千切り、ひとまず街へと足を向けた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。