本気を出す
ファラ師を連れて、何事も無かったかのように屋敷へ戻る。玄関先では、ジィト兄が食材と思しき木箱を搬入しているところだった。
「おう、おかえり」
「ただいま。ジィト兄、師匠って今どこにいるか知ってる?」
「この時間なら工房にいるんじゃないか? さっき魔核も届いたようだし、作業してると思うぞ」
「解った、ありがとう」
お前も手伝えと言いたげな視線を無視して、師匠の工房へと足を向ける。ファラ師はジィト兄を気にしていたが、どうするか迷った結果、俺に同行することを選んだようだった。
何度か後ろを振り返りつつ、ファラ師が俺の耳元で囁く。
「……放って置いて良かったんですか?」
「義眼の調整の方が大事だし、あれは急ぎの仕事じゃないよ」
本当に人手が欲しい時はお互い遠慮なんてしない。ジィト兄が俺達を引き留めなかったのは、面倒なだけで忙しくはないからだろう。
気にしなくても大丈夫だと告げると、ファラ師は困ったように苦笑する。
「ジィト様とどう接したものか、対応が解らなくなりそうですね」
「様、ねえ……ジィト兄なら昔と同じような態度で接してくれ、と言うんじゃないかな。主人がどうだとか、あまり堅く考えることはないさ」
少なくとも、敬語のファラ師に俺は違和感を持っている。雇用される側として当たり前の態度ではあるが、内心どうにも受け付けない。恐らく、ジィト兄も気持ち悪さを感じるのではないだろうか。
「まあ、一緒に働いていればすぐ慣れる……といったところで到着したな。あそこが師匠の工房だから覚えておいてくれ」
「ん、あの横長の……ただの小屋に見えますが?」
「元々が小屋だからな。寝泊りは屋敷があるし、作業場としては広くて使い易いんだ。師匠、入りますよ!」
あの人は作業中だと周りの声を聞いていない時がある。扉を強く叩いて中へ呼びかけると、今日は珍しく返答があった。
ファラ師を連れて工房に入ろうとして――思わずその場で足を止める。
「師匠? ちょっと散らかり過ぎじゃないですか?」
「いや、だから整理してる最中だったんだよ。その辺危ないんで踏むなよ」
床には工具やら魔核やらが投げ出されており、そのまま中には入れそうもなかった。仕方が無いので、俺達は全員でまず片づけを始める。一時間ほどで作業が終わると、師匠は先程仕舞ったばかりの手拭いを頭に巻いた。
何故、折角引き出しに入れたものをすぐ出すのか。
作業に夢中になると、その他が疎かになる悪癖は変わっていないらしい。やはりこの人を一人にしてはいけない。
「ミケラさんはまだこっちに戻らないんですか?」
「もうすぐ中央の工房を閉められる、って連絡はあったな。一か月もあれば来るんじゃないか」
それくらいの期間なら、屋敷の誰かが面倒を見てくれるかな? 俺とは入れ違いになりそうだが、また会える日を期待しておこう。
ミケラさんを後任にする案を脳内で却下しつつ、俺は本題に入る。
「師匠、割り込みの仕事で申し訳無いんですが、ファラ師の義眼を確認してもらえませんか? あと、魔核を三つ分けてください」
「魔核はさっき転がってたヤツを使え。義眼はお前が診るんじゃないのか? 製作者だろ?」
「俺はまたすぐに領地を出るんで、師匠の仕事に慣れてもらった方が良いと思いましてね」
ファラ師に目線を投げると、彼女は義眼を外し丁寧に布で包み、師匠へと差し出した。
「先程フェリス様と軽く手合わせをしたのですが、終わった後に眼球の向きがずれている、と言われまして。多少の痛みは構いませんので、固定していただくことは可能でしょうか?」
「そりゃあ……難しい仕事じゃありませんがね。ただ、ファラ殿はフェリスの従者となる予定だったのでは? ここに残るのですか?」
「紆余曲折ありまして、従者ではなくジィト様の補佐として活動することになりました」
簡単な経緯を説明すると、師匠は得心したように頷く。
「ならまあ、俺が専属になった方が都合は良いでしょうな。では義眼をお預かりしますよ」
二人が調整に入ったため、俺は安心して魔核を三つ頂戴する。そのまま足を崩して、まずは呼吸を落ち着けた。
直近で手掛けた仕事は、メリエラ様に渡した短剣――とはいえあれは穢れ祓いが主な役割であって、武器としての質を考慮したものではなかった。自分でも雑だと思う造りだったし、メリエラ様も出来自体にはほぼ言及しなかったくらいだ。
しかし、今回はそうはいかない。
己の立ち位置を改めるためにも、この仕事にはちゃんと向き合わなければならない。
肩を回し、緊張で強張った筋肉を解す。そうして精気を体に回し、魔力を練り上げて『集中』する。
「ファラ師、手鏡に持ち手はあった方が良いか? それとも板状の、掌に収まる造りが良い?」
「持ち手は無い方が好みですね。普段は胸元にでも入れておきます」
「了解」
ありがたい、そちらの方が造りとしては簡単だ。
俺はまず鏡を嵌め込む土台とすべく、魔核を平たく伸ばした。それから素っ気無い印象にならないよう黒地に金で一本ずつ線を引き、少しずつ華の形を描いていく。精霊の影響を受けているのか、金は妖艶なのに何処か可憐な色彩を帯びていた。
……これは少し拙いだろうか。
製作者である俺の目すら惹きつける鮮やかさ。間違い無く争いの種になるであろう禁色。いや、だが――所有者が元近衛隊長となれば、火種を跳ね返すだけの力量はあると信じるしかない。
懸念を押し殺し、そのまま作業を進める。土台の角を丸く仕上げた段階で、既に一時間が経過していた。
顔を上げれば調整は既に終わっていたらしく、二人は並んでこちらを眺めている。
「ん、どうしました」
「お前こそ、それ……どうした?」
師匠は異常に気付いたのか、表情を険しくしている。色の放つ気に当てられたのか、ファラ師の視線には何処か陶酔が見られた。
「旅の途中で精霊に気を分けてもらいまして。少々魔力の質が変わったようです」
「色々気になる話ではあるが、少々では済まねえな。……まあ所有者がファラ殿なら大丈夫なのか……?」
「何かおかしなことでも? 私は仕上がりに期待しておりますが、高額になりそうだとか?」
「おや、お気付きでないと。あの板から、視線を外せますか?」
言われてようやく、ファラ師は自身の状態に気付いたらしい。何度か瞬きし、深呼吸によって己を律していた。
ファラ師も魔術強度4000は超えているというのに、意識しないと精気による誘惑に抵抗出来ないのか。
「自分でも気になってはいたんですが、装飾が無いのも寂しいでしょう? 流石に拙いですかね」
「いえ、こちらに精神的な隙がある、というだけの問題でしょう。私はフェリス様の作品が好きなのです、敢えて手を抜くような真似はお止めください」
確かにファラ師なら、気合でどうにかしそうな雰囲気はある。対応に迷い俺が師匠の様子を窺うと、相手は悩んだ末に一つ頷いた。
「依頼主の希望に沿う、ってのは当たり前のことだからな。フェリスは最後までそのまま作業を続けろ。……とはいえ、ファラ殿は手鏡をなるべく人に見せないよう気を付けてください。盗人はファラ殿だけじゃなくて、フェリスも狙うかもしれないんでね」
襲われたところで負けないにせよ、いちいち人を殺して回るのも億劫だ。全員が結論に納得したということで、俺は再び作業へ戻る。
土台となる板の一部を凹ませ、その窪みに合うように魔核を伸ばして嵌め込む。鏡面は銀に近い色合いとしたいので、師匠に協力してもらい、まずは陽術で部品を一気に白く染めた。そうしてから俺が陰術で薄い黒を混ぜ込み、色を固定してしまう。
……さて、彩色はこれくらいで良いとして……鏡を作る際の問題は、如何にして表面を滑らかにするかだ。
肺に息を溜め、『集中』と『観察』を全力で起動。師匠の『顕微』なら楽なのだろうが、そんな異能を持たない俺は手札を併用してどうにかするしかない。
脳を締め上げる勢いで目に力を込めながら、細かい凹凸の一つ一つを具に消していく。更に一時間を費やし、自分ではもう何処に鑢をかけたら良いか解らない、という段階まで磨き上げる。
……汗が手鏡に落ちそうだな。
意識的に全身の力を緩め、袖で顔を拭う。一息入れて、現時点での出来を師匠に評価してもらうこととした。
「うん、問題は無えな。正直ここまで丁寧にやらなくても、鏡としての用は足りたと思うが……まあ悪いことじゃない。後は壊れないよう強度を高めてやれば充分だ」
「では早速」
ファラ師の動きに耐えられるくらい、という想定で魔力を流し込む。前世の蒔絵を模した手鏡は、自分で見ても悪くない出来となった。
ああ。
久々に出し尽くした。満足した。
俺は最後に簡単な箱を作り、それに手鏡を納めてファラ師へ渡す。
「という訳で、これをどうぞ」
「大変に素晴らしいものを頂戴しました。一生大切にします」
ファラ師のうっとりした顔を見れば、出来に満足してもらえたことはよく解った。ひとまず安心ということで、俺は硬い木床に転がる。
火照った体の熱が冷たい床に吸われて心地良い。
複雑な物を作った訳でもないのに、最高の時間だった。やはり俺は職人としてありたい。
「満足してるところに悪いが、お前はこれを幾らで出すつもりなんだ?」
「今回は贈り物なので、値付けは考えていません」
「仮に売るとしたら、だよ。実感があまり無いようだが、お前が着色した品は絶対に高値がつく。今後はどんな小物であっても、最低二百万は取るようにしろ」
ううむ……値が高くなると売る相手も減るし、あまり望ましくないな。
加工時に精気の併用は封印した方が良いかな?
面倒なことは後で考えようということで、俺は嘆息して目を閉じた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。