失態に気付く
屋敷に戻ってカッツェ家のことを伝えたところ、ミル姉は苦笑いで俺の粗相を流してくれた。使節団の情報は既に入っていたようで、状況は今も芳しくないと逆に教えられるくらいだった。
まあ街で救助活動をしていても、穢れ祓いには手が届かない。使節団が結果を出すまでは、暫く時間が必要だろう。
そんなことよりも今は根回しが必要だ。
「ミル姉は、ファラ師が戻るって話は聞いてる?」
「そりゃあ知ってるけど。何か用事でもあるの?」
「いや、用事がある訳じゃない。むしろ任せる仕事が無いから、ジィト兄の補佐を頼もうかと考えている」
返答を聞いて、ミル姉は少し悩む素振りを見せた。ただ、どんなに悩むフリをしても、ファラ師は護衛として過剰な戦力になる。俺が抱えていたところで旨味は無いと、当主なら既に気付いている筈だ。
ファラ師は領地で起用すると、内部的には既に決まっているのではないだろうか。
回答を予想して待っていると、果たして、ミル姉は俺の提案に頷いた。
「……そうね、最近はジィトも仕事を覚えてきてるけど。外部交渉を任せるには不安があるし、ファラがいてくれた方が確実ではあるかしら」
「配置は都合の良いようにやってくれ。……前々から、ファラ師は内勤にすると決めていたんだろ?」
「決めていた、と言われると語弊があるわね。私はアンタが戻らない時に備えていた、という方が正しい。前に帰って来た時は症状が治るかどうか、かなり怪しかったもの」
ああ、確かに。俺が死んで、ファラ師が従者としての道を断たれる、という展開は簡単に想像出来る。教国まで気合で保たせる、なんてある種の楽観を抱いていたのは俺だけだったのだろう。
ミル姉は他国への移動を許されておらず、かつ領地の運営を止められない以上、次善策を練るしかなかった。そういうことだ。
「俺の所為だな」
「そうね。でも大事には至らなかったし、結果としては悪くないんじゃない? アンタの提案も、想定の中だとかなり都合が良いし」
「うん? ジィト兄の仕事はそんな不安があるのか?」
覚えてきている、というのがどれだけの水準なのか俺には解らない。大きな問題が起きているようには思えないが――半ば部外者となりつつある身では、何も見えていないのと同じだ。
ミル姉は天井を見上げ、細く息を吹いた。
「仕事というより……ジィトもそろそろ結婚を考えなきゃいけないでしょ? かなり前の話になるけれど、最初はミッツィが候補として挙がっていたのよ。でも、彼女を武術隊の隊長として起用したら、フェリスに対して隔意を示すようになった。じゃあ他に誰がいるかって話になってね」
ミッツィ隊長が増長し始めたのは、確かにその頃だったか。もしかしたら、本人もこちらの意図を察していたのかもしれないな。
続きを促すと、ミル姉は咳払いを一つ挟む。
「そこでジィトに希望があるか確認したら、挙がった名前がファラだったのよ。当時の状況からすると、半分くらいは冗談だったんでしょうけど……」
「もう半分は本気だな、と気付いた訳だ」
「そう。ただ、お互いに立場もあるし、貴族の結婚なんて思い通りにいくものではないから、当然無理だと却下された。取り敢えずクロゥレン家としては、強度が高くて事務処理に長けた別の人材を探し続けるしかなかったのね」
なるほど。
思えば、ジィト兄が結婚について適当に振舞っていたのは、希望が叶わないなら家の意向に沿う、という意思表示だったのかもしれない。一番だけが欲しいのに、二番を探す作業ほど気乗りしないものはないだろう。
狙った訳ではないにせよ、ぶった斬られた甲斐もあったのか。
「となると、後はファラ師がどう思っているか、だな」
「嫌っているってことはないんじゃない? 前に二人で話した時は、どうしているか結構気にしているみたいだったし」
「もう探りを入れてたのかよ……まあでも実際、感触はありそうなんだよな。初めてレイドルク領で会った時も、ジィト兄の身内だから、って理由で俺に接触してきたんだしな」
近衛になれそうな人材を探していたという前提があるとしても、嫌いな相手の関係者に近づこうとはしないだろう。その後の会話も含めて考えると、概ねファラ師はジィト兄に対し好意的だ。
堅苦しい立場を取り払ってしまえば、後はなるようになるという気がしている。
「ファラ師は今……二十四だっけ」
「私の二つ上だから、そうね。年齢的にも丁度良いんじゃないかしら」
さて、突っ込むべきかどうか……ミル姉はどうなんだ、とは訊けない自分がいる。しかし相手はこちらの視線に気付き、爪先で俺の脛を蹴ってきた。
「余計なことを考えない」
「余計かあ? 大事なことだろうに」
「私のことは気にしないで。多分結婚はしないだろうし」
当主に恐ろしいことをさらりと告げられてしまった。俺が相手の正気を疑っていると、ミル姉は口元を歪めて吐き捨てる。
「あのねえ、戦力以外の面で安定していない領地を任されてるのに、私が恋愛だの交際だのにかまけていられると思う?」
「いや、そうでもしなきゃ後が続かないだろ?」
心底呆れたような溜息と共に、蹴り足が強くなっていく。脛が若干痛い。
「ああ……意外と抜けてんのね。貴族家に女当主が少ないってのは知ってるでしょ? あれは出産や育児によって、いつ戦線を離脱するか解らない人間には仕事を任せられない、ってことなのよ。だから基本的に、女当主は貴族社会では侮られている。……私に当主を任せるって意味に気付いてなかったんだ?」
女性を管理職には起用しない――前世でもそういう風潮はあったな。
己がとんでもない過ちを犯していたと知り、血の気が引く。他に選択肢が無かったとはいえ、そんな覚悟で臨んでいたなんて、思ってもいなかった。
謝って許されることではないが、それでも、謝る以外に俺は術を持たない。
「……正直、気付いていなかった。申し訳無い、俺の見積もりが甘かったんだな」
「責めてる訳じゃないから、別に謝る必要は無いけどね。ただ、とにかく多少強引でも、ジィトとファラにはくっついてもらわないと困る、ってのは理解しておいて。ああ、アンタが誰かとくっついて、その子に継承させるって道もあるか」
「あれ? 俺が継承権を放棄した理由を、父上から聞いてないのか?」
「え? そりゃあ、身内で揉めないように身を引いたんじゃないの?」
顔を見合わせ、お互いに首を傾げる。話してくれても良かったのに、父上は事情を伏せていたらしい。俺の身体のことだし、もしかしたら引け目を感じていたのだろうか?
隠している訳でもないので、俺は端的に事実を伝える。
「俺は子供を作れないよ。性的不能だから、不適格だとして降りたんだ」
「は、ちょっ、そうなの!? 『健康』は!?」
「俺の『健康』は人間が通常持っている、一部の身体的機能を犠牲に成立しているらしくてな。生き物としてどうなんだって気はするんだが……」
上位存在による調整が入ってる以上、これについてはどうしようもない。強いて望みがあるとすれば、祭壇による恩恵があれば、というくらいか。
ミル姉は前髪を握り締め、引き千切りそうな勢いで呻く。
「強力な異能だと思ったら……そんな欠点があったのね。ってことは、猶更ジィトの子に期待するしかない……? これ、断絶の危機じゃない?」
「今までの話をまとめると、そうなるな」
思わぬところに大きな落とし穴があったものだ。
会話が完全に止まってしまったので、俺は場を落ち着けるべく茶を淹れる。火傷しそうな温度の湯飲みを差し出しても、ミル姉は水面を睨んだまま微動だにしなかった。多分、頭の中で色々な検討を繰り返しているのだろう。
貴族であろうとするのなら、強引どころか無理矢理にでもファラ師とジィト兄を結婚させるべきだ。とはいえ、二人ともそんなやり方をされて、黙っていられる人間ではない。それは決定的な破綻に繋がってしまう。
二人の感情を無視は出来ない……やはり、なるようにしかならないな。
「……何が正解だと思う?」
「ジィト兄が結ばれるよう祈る、ファラ師以外の誰かを探す、或いはミル姉が結婚する。最後の選択肢は……周りの貴族に侮られたからって、別に気にしないだろ?」
「立場を下に見られたら、今まで当たり前に通っていた話が通らなくなる。面倒を増やしたくはないわね。いっそジィトを当主にする? いや一度ファラと、真面目に話し合っておかないと」
「気持ちは解るが、焦って動くなよ。王家と同じ道を辿るぞ」
各々が各々の事情を考慮せず、自分の都合を通そうとした結果があの惨事だ。あんな馬鹿げた話を繰り返す訳にはいかない。
すっかり黙り込んでしまったミル姉を前に、俺はゆっくりと湯飲みを傾ける。少し濃くなってしまった茶が、舌に心地良い苦みをくれた。
内心は落ち着いている――危うくはあるにせよ、まだ慌てるような状況ではない。
俺の直感では、ジィト兄とファラ師は巧くいく。『観察』を積み重ねた経験から、この感覚は合っているという確信がある。
ただ、こんな根拠の無い話をしても、ミル姉が安心する材料にはならない点が問題だろう。
「そんなに心配なら、今まで通り外部の候補者を探しておいたら? 別にやることは変わらないんだし」
「それは続けるつもり。ただ自分の相手も一応探すとなると、気が重くなってきたわ」
立場に拘るなんてらしくもない、という気はする。しかし、貴族としての時間を長く過ごすほど、考え方が変わってくるのは当然だ。立場を放り投げて、自分の実績を無為なものには出来ないだろう。
さてこうなると、すぐに出発する訳にもいかなくなったな。
どう立ち回るべきかと、俺は二杯目の茶を淹れた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。