毒を渡す
龍に乗って次は王国を目指す。なるべく人目を避けるように飛び、特区より先にまず中央へ足を向けた。
称号や強度を探られないよう家紋入りの短剣で門を突破し、そのまま中へ入る。
久々の首都は活気に満ち溢れていた。物流もある程度は元に戻ったらしく、屋台も賑わっている様子だった。俺は適当な総菜を買ってから職人通りへと進み、見知った家の戸を叩く。
「あいよぉ、入ってきなぁ」
のんびりとした声に、思わず笑みが漏れる。軒を潜って顔を見せると、ウィジャさんは俺を確認して目を見開いた。
「おや、久し振りだね。少し背が伸びたんじゃないかい?」
「ご無沙汰しております。背は……多分、そんなに変わっていないかと」
まことに遺憾ながら、背丈は伸びたとしても平均より少し低いくらいで、小柄であることに変わりはない。嘆息しつつ手土産を渡すと、俺はそのまま居間へ通された。
ウィジャさんは薬缶を火にかけて、茶の準備を始める。
「アンタは領地に戻ったんじゃなかったのかい? ヴェゼルはどうしてる?」
「師匠はクロゥレン領で療養しながら、義腕の作成に挑んでいます。不自由ではあるんでしょうが、まあ元気ですよ」
「なら安心だね。仕事があるうちは、ああいうヤツはしょぼくれないもんさ」
「そうですね。魔力はそのまま使えるようなので、その点は幸いでした」
互いの近況を聞く限り、大きな問題は起きていないようだ。倉庫街も復旧が進んでいるし、中央は元の姿を取り戻しつつある。クインも魔術の練習を続けており、最近は薬師の仕事を手伝うようになった、とのことだった。
兵士ではなく薬師を選んだか……そうだな、平和な選択の方がアイツには似合っている。
クインの行く末に何となく安心する。俺は勧められた茶を一口啜り、本題へ移ることとした。
「今日、突然お邪魔した理由なのですが……ウィジャさんは穢れをご存知ですか?」
「知っとるよ。教国でよく被害が出ているヤツだろう? ありゃ薬でどうにかなるもんじゃないよ」
「ええ、私もそう思っていました。ただ、こちらをご覧ください」
懐から氷の箱を取り出して机の上を滑らせると、ウィジャさんはそれを受け取り中身を透かした。空気に触れないよう密閉し、かつ温度を保ち続けたため、蛇毒は変性していないように見える。
「こりゃ何だい?」
「カイゼンで見つけた、蛇のような生き物の体液です。穢れに汚染されたその生き物に噛まれ、そのまま意識を失った女性がいたのですが……その方の体内を魔術で解析してみたら、毒も穢れも進行が止まっていたんです」
「ほう? なるほど面白いね、穢れと拮抗していたと? ならこいつを巧く使ってやれば、穢れに対する治療薬が作れるかもしれないね」
難題を前にして、ウィジャさんの瞳が燃えるように輝く。俺が頷いて返すと、彼女は肩の骨を鳴らしながら唇を持ち上げた。まだ最後まで話は終わっていないが、取り敢えずやる気は引き出せたらしい。
こういう時に、あっさり話に乗ってくれる人材が欲しかったのだ。やはりこの人は頼りになる。
「体液は全てお渡しします。こちらの解析と、可能であれば治療薬の作成をお願い出来ませんか」
「やるだけやってはみるが……如何せん量が少ないんで、絶対とは言えない。その辺は解ってるね?」
「それは勿論。何か少しでも手がかりがあれば、というくらいです」
ウィジャさんは指先で箱をなぞり、心底楽しげに笑う。そのまま体温で溶かそうという意図を感じたので、俺は保存容器を持ってくるようお願いした。そうしてすぐさま用意された金属製の升に、二人で中身を移し替える。
採取から少々時間が経っているものの、体内の穢れはまだ蛇毒を避けようとしている――どうやら品質に問題は無いようだ。
容器に蓋をして、ウィジャさんは大仕事を終えたかのように息を吐く。
「ふむ……幾つか質問させておくれ。さっき蛇のような生き物と言っていたが、正体は解っていないのかい?」
「不明ですね、詳しく調査する時間がありませんでした。ただ死体は確認しているので、それらしい模型なら作れます」
俺は袖から魔核を取り出し、記憶の中の蛇擬きをすぐに再現する。形だけでなく、色もそこそこ忠実なものが出来上がったため、内心でこっそり満足した。
ただ、模型を見てもウィジャさんに心当たりは無かったらしく、二人で首を捻るだけで終わってしまう。まあこのご時世に、他国にいる生物の詳細など知っている方が稀であるため、已むを得ない結果だとは言える。
ウィジャさんは何やら手元の紙に走り書きをすると、首の後ろを掻き毟った。
「ううん、知り合いにカイゼン出身のヤツがいるんで、そいつにも見てもらおう。ああそうだ、あともう一点。こっちの方が重要なんだが、薬が出来たとして、試す当てはあるのかい?」
……ふむ、想定していた質問ではあるが……どう答えたものだろう。
一番手っ取り早いのは、俺が自分で試すことだ。とはいえ状況を話して、平和に暮らしている人間を巻き込むのは気が引ける。
やはりここは、教国の軍部に流してしまうべきか。
「教国には穢れの浄化をする部隊があるのですが、そこに知人がおります。症例には事欠かないかと」
「ううん、成分分析はさておき、すぐ検証が出来ないってのは難があるねぇ。特に、効果を自分の目で確かめられないってのは気持ちが悪い」
「症状が緩和するかはさておき、穢れ自体はある程度の魔術強度が無いと感知出来ませんよ?」
「知っとるよ。汚染者を見たことはあるからね」
忌々しげな態度を隠すこともなく、ウィジャさんが舌打ちをする。長く仕事をしているだけあって、王国では珍しい事例も経験しているらしい。そして――この感じだと、その人は助からなかったのだろう。
俺は居住まいを正し、黙って続きを待つ。
「対象は若い、二十代の男だった。周囲の人間が汚染されないよう、本人は山奥の小屋に隔離されていてね……あの時出来たのは、鎮痛剤による苦痛の緩和くらいだったよ。それだって感覚を鈍らせているだけで、何が治ってるって訳じゃない。投薬を始めて一か月もしないうちにそいつは死んじまったよ」
「現状で確立されている対策は陽術による浄化と、教国の穢れ祓いくらいですからね。助かる方が珍しいと思います」
「だからって、出来ないとか仕方無いで済ませられる商売じゃないんだよ。アンタだって人の命を救うため、薬を作ろうと思ったんじゃないのかい?」
――どう、なんだろう?
人死にが好きではないというのは確かだ。でも、それ以上に。
「……みっともない話をしますが、俺の意図はもっと自分本位ですよ。目の前の人間を救うだけなら、多分出来るんです、穢れ祓いは覚えましたから」
「ならば何故?」
「何でもかんでも一人でやる必要は無い、と思ったんです。負荷を分散したい、職人に戻りたいのに、今のままでは叶いそうにありませんから」
俺の主目的はこれだ。積極的に誰かを癒したい訳ではなく、自分が楽になりたいのだ。
しかし、ウィジャさんは気抜けしたように、俺の告白を鼻で嗤う。
「なんだ、そんな話かい。別にアンタが偽悪的になる必要なんて無いさ。治療が出来る人間は多い方が便利なんだし、救われる人間はそっちの方が増える。他人を見捨てるつもりが無いってだけで上等だよ」
少し温くなった茶を口に含んでから、ウィジャさんは俺に小さな包みを投げ渡した。受け取って鼻を近づけてみると、花の蜜を思わせる微かな甘い香りがする。
昔、何処かで嗅いだような。
「これは?」
「ヴァーヴの花弁を干して、砕いたもんだ。お湯に溶かして飲めば、昂った気持ちが抑まってゆっくり眠れるようになる」
なるほど、覚えがある訳だ。長らく食べていないから、すぐに思い出せなかった。それと同時、美味い物を食べるという当たり前のことから遠ざかっている自分に気付き、愕然とする。
「アンタは背負ってるものが多過ぎるようだから、面倒事から離れてちと落ち着いた方が良い。本来ならヴェゼルがこういうことは指摘すべきなんだが……あの馬鹿も今は余裕が無いだろうしね」
「いや、師匠も俺のことを気遣ってはくれましたよ。ただ、出先で巻き込まれてしまっただけです」
「自分から巻き込まれに行ったんじゃないのかい? 婆の戯言と受け取ってくれて構わんが、アンタみたいに抱え込む手合いは、身を固めちまった方が後々で楽になるよ」
そう言われても、その気は無いし相手もいない。いや、相手がいないからその気にならない?
いずれにせよ、種無しの俺にその未来は無いだろう。
「……ご忠告、覚えてはおきます。ひとまず今日のところは、蛇毒の件だけお願いしますよ」
「そっちは任せときな。次はいつ来る?」
「何事も無ければ、一月後にはまたお会いしたいと」
「解った。機会があれば、またクインにも色々と教えてやっておくれ。アイツにとってアンタは先生なんだからね」
何を教えられた訳でもないのに、まだ俺を慕ってくれているのか。だとしたら、猶更自由な時間を確保する必要があるな。
……足掻いているうちに、やりたいことが増えていく。このままだと全然追いつかない。
それでも、目の前のことを一つずつこなしていくしかない。
次は特区で水精と会って、前任の話を聞こう。
俺はウィジャさんに礼を述べ、店を出る。報酬の話をしていない、と気付いたのは龍の姿を目にした時だった。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。